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ぎょっとする川の名前

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先日の水沢講演の折りに歴史の同好の士、
阿部様から教えていただいた、「人首川」に行ってみた時の写真です。
「人首」と書いて、「ひとかべ」と読むのだそうです。
現在の奥州市江刺区の中央を流れている川、ということ。
この案内板は、川の畔に置かれていたものです。
文中の、「阿弖流爲」とあるのは、以前に触れたことがある
坂上田村麻呂と戦った、蝦夷の首長、アテルイのことです。
この案内板には、アテルイに弟があり、その子ども「人首丸」が抵抗を続けたあと、
この地で討たれた、と記述されています。
日本の歴史はヤマト朝廷による侵略戦争に彩られた部分があると思うのですが、
そのなかでも、もっとも無慈悲に殺されたのが、
東北古代の蝦夷・アテルイとその勢力だったのだと思います。
そして、ちょうど中国で自分たちだけが「中華」であって、
それ以外の民族や勢力は、すべてとんでもない
差別に満ちた漢字を当てる呼び名で蔑称したのと同様に
アテルイとその勢力に対して、こういう当て字を当てて蔑んだのですね。
律令の体制整備が行われる段階になり、国家機関の文書などに導入されて、
初めて「漢字」が、ヤマト朝廷権力でも一般的に使用されるようになった時期。
そうであるのに、漢字文化を持たない人々に対して、
こういう差別蔑称を与えてきたのが、事実なのです。
しかし、それにしてもすごい名前を与え、しかも川の名前としても
残ったものですね。
このあたり、この地に生きた人々が実は「人首丸」とされた人物に対して、
それだけ、尊崇の念を持っていたと言うことを表しているのかも知れません。
他の「まつろわぬ」人々に対して自らの権力の正統性を
暴力的に押しつけ続けてきた輸入中華文明思想・ヤマト政権から
とんでもない蔑称を受けながらも
あえて感受して河川名として遺し続けてきたのでしょうか?
まぁ、そういった歴史ロマンを一陣の風のように
感じさせてくれた河川名だと思った次第です。
さて、昨日のブログで触れた「仙台市荒井市営住宅」について、
読者の岡田さんから情報を寄せていただきました。
それによると、設計者は阿部仁史さんということでした。
阿部仁史さんは東北大学の建築の教授として活躍され、
現在はアメリカUCLAで、建築を教えられているということ。
知らずにブログで取り上げた次第ですが、そうだったのか、と覚醒の思いです。
情報をお寄せいただいた岡田さんに感謝します。

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