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おじいさんが北海道に移住したころに住んだ家

北海道に明治期以降、移住してきた家系の多くがいま、3代目から4代目、5代目となってきています。
かれら初代のひとたちがもっとも苦しんだのが、冬の寒さだったことはいうまでもありません。 では最初の頃の家って、どんな家だったのか? なかなか具体的には表現できませんよね。
そんななかで、わたしの叔父が少年期をすごした家についてスケッチを描いてくれました。
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人間って、イヤな記憶というのは時間の経過の中でおぼろになっていくものだそうですが、その言葉通り、叔父に聞くと牧歌的な田舎暮らしの中での、野山ですごした記憶が甘美に残っているようです。
しかし、冬のありようはやはりすさまじいものだったとか。わが家は、大正末年に広島県から移住してきたのですが、農地を買って農家になるのではなく、祖父は林業経営などを考えていたそうです。
家は、その出身地での家の建てられようを基本的に踏襲したもので、当然ながら夏の暑さ対策を旨とした温暖地仕様でした。しかし、入植した空知郡栗沢町は、雪の多い地域で、すっぽり家をおおう雪が断熱してくれる家で、ほかのたとえば十勝などの寒さとは比較にはならないレベルだったかも知れません。
それでも平気でマイナス20度は超すレベルだったでしょう。
平面図にある暖房はいろり。朝起きれば顔がこわばっている、室内においている水かめは毎朝、厚い氷を割ってから使うといった様子でした。ほんの80年前、わたしたちの家や暮らしはこんなものだったんです。
こんにち、北海道に暮らすすべての人たちの営為と努力の結果、一定のレベルの高断熱高気密住宅が達成されたことは日本全体にとっても、絶対に貴重な民族的経験だったのだと思います。
先人たちのくらしをしのびながら、この技術進歩をさらに進めていきたいと思います。

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