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ロフト茶室という発想

住宅と文化、ということを考えていくと
日本では、茶室という文化に行き当たると思います。
茶室というのは、「茶の間」という一般語を生むほどに
日本人の空間意識そのものを変えたものだった。
古民家では、「でい」というような言い方を
「家族の共有空間」に対して命名することもありますが、
近現代では、サザエさん家の家族共有空間がそうであるように
テレビの据えられた空間は、茶の間という言葉が使われる。
まぁ、最近ではそうでもなくなってきて、
リビング、という言い方の方が多くなっているかも知れません。
しかし、文化伝統で考えると茶の間という言葉は
ものすごい普遍性を持っていたことは間違いがない。

で、茶というのは、
都市型生活者である京都の街の商人たちの間で
数寄、という一種の遊びで始まっていると思います。
茶室も、京都的な狭い都市住居を前提にして、
そういう場所に、たとえば、田舎のひなびた草葺き小屋とか、
さまざまなイメージを小建築に託して、
そういう場所で、集い、茶を楽しむというものだった。
非日常的な空間性を創造し、そこで寄り合うことの楽しさを追求した。
こういう文化を生み出した背景には、
戦国期を通しての生産性の向上があったと思います。

そういう流れの中で、
茶の間というものが生まれるほどに
茶室というものは普及し、その文化性も高まったのですが、
今日建てられている住宅は、
そういった意味の民族的発展、というか、
文化の発展に対して、どれだけのものを生み出しているのか、
はなはな疑問だなぁ、と思っております。
後世、わたしたちが今、建てている小住宅群は、
たぶん、「住宅金融公庫文化」時代、とでも呼ばれることだろうと思います。
これほど大量に家族向けの住宅が建てられる時代って、
稀有な時代であるのではないかと思います。
しかし、京都町家が茶室という文化を育てたように、
現代住宅はなにかの住文化を生み出せているでしょうか?
いろいろなものは生み出されているとは思うのですが、
まだ、目的的に、意識的にそれを追求することは育っていない。
そう思っています。

で、先日の住宅見学会で
面白かったのが、ごらんのロフト空間です。
ロフトって、居室空間としてカウントされないために
天井高さが低く抑えられるものです。
このロフトも、上がっていくのはハシゴで、
上がりきると、その天井高さはほんの1m弱。
もっとも高いところでも1.4m以内だそうです。
そうすると、入っていくのもいきなり座らないと入れない。
なかで過ごすにも、座るか、寝るしかない。
空間が人間に動作を規制するようになっている。
そう、茶室のにじり口や、2畳の空間性に似通っている。
こういう空間に、文化性をもたらすことを発想する人はいないかなぁ、
っていう妄想に駆られた次第なのです(笑)。
現代での友人たちとの語らいに、こういう空間は活かせないものか、
そういう発想を持つ人は現れないだろうか、
いかがなものでしょうか?

北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
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