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【神社建築デザインが刷り込むニッポン感性】

ここのところ地震以来、なかなか散歩に出掛けられません。
どうも気持ちにややゆとりが欠けているのかも知れませんね、
すこし反省しています。
・・・と書いたら、今し方午前6時54分ごろ、比較的大きめの余震がありました。
なかなか油断できない。なの無意識に散歩気分が抑えられているのか。
わが家は国道から300〜400mほどの位置で、中学校のグランドに面していて
窓を開けたりしていると国道を行き交う緊急車両の警告音は
比較的に大きく響いてくる立地環境。
こういうことが日常感よりも非日常感を優勢にさせるのかも知れません。

さて神社建築であります。写真は北海道神宮境内にある「開拓神社」。
神社建築(本殿)の特徴としては以下のような点が指摘されている。
・屋根に妻を持つこと
・床を高く張ること
・瓦を用いないこと
・土壁を用いないこと
・装飾の質素なこと
っていうようなことがWikipediaにはまとめられていますが、
わたし的にはそのほかに神域としての背景緑地を持つ、というのが、
きわめて重要な要件であるように思われます。いやむしろ本質では?
この開拓神社は、北海道神宮の壮麗さとは違う、小型でかわいらしい神社ですが、
それでもご覧のように美しい背景の緑をたたえている。
この緑の背景のなかに、白木にシンプルな造形が神社の定番なのだと思う。
そこそこの年齢に達してきて、全国各地の神社を参詣させていただいてきた。
西洋のキリスト教寺院は街中で威圧的な建築外観で
内部にはステンドグラスみたいな文化も取り入れて絢爛豪華系なのに、
ニッポン神社は、まことに自然尊重型で、
伊勢などは、まるで自然そのものが神体であるかのように錯覚される。
鎮守の森、とはよくいったものだと思わされる。
神社はそういう意味で自然崇拝型の「宗教」なのだろうと思います。
高温多雨気候が支配的な列島社会で、宗教心を求めるとき、
環境を統御し支配する広葉樹林的な緑地がごく自然に選択されたように思う。
そういう森の空気感の中で、自然調和的な建築のありようとして
切妻屋根で、妻側がデザイン的に重視された高床が支持されたのだろう。
高床は失われた古代の人類生存圏・スンダランド的な海洋性出自を感じさせる。
こういう切妻のプロポーションに対して拝跪し続けてきたニッポン人。
やっぱりわたしたちの美意識のベースに深く刷り込まれてきているに違いない。
また神社拝跪の日常の毎日に、はやく復帰したいです。

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