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住宅と設備

きのうまでお風呂のことを書きましたが、
住宅って、今日では確かに設備のことが不可欠な要素になっている。
「快適性」というとき、
断熱性や住宅の性能のことと考える地域と、そうではなく、
ひたすらお風呂とか、その設備的な部分にスポットを当てる地域に
あるいは、ひとによって、別れる部分すらあると思います。

ひとが癒されるとか、憩う、というときの
必要性のレベルが違うと言うことを表してきているのか。
わが家の坊主と話していて、ふと気付いてしまったのですが、
かれには折り紙を教えていませんでした。
で、わたしはなぜ折り紙を折れるようになったかというと、
冬場に外での遊びができない時期に、
だれか、家族から教えてもらったような気がするのです。
それはほかに娯楽らしいものがなくて
仕方なく、そのような時間を過ごしていたのですね。
そういう必要性は、現代の文化ではあまりない。
テレビもあればゲームもあって、
むしろ、時間というものがなくなっている。
飴のように伸びきったような、そういう時間がなくなっている。
そういう時間を消費させるような装置は溢れかえっている。
でも、折り紙もできないというのは、
日本人の歴史伝統的なある大切なものを伝えていないのではないかと、
急に、不安感に襲われてしまった。

住宅の設備の快適性はむろんなのですが、
しかし、こういうタイプの快適性は、衰退することもあるという
そういう認識も必要ではないのかと
疑いを持たざるを得ない部分もありますね。
いま、建てられている住宅の設備では、
台所やお風呂、冷蔵庫や家電製品の山々
さらに暖房設備や換気装置などなど、本体としての構造以上に
さまざまな設備機器の大洪水の中に、われわれの暮らしはある。
まぁ、もう後戻りもできないでしょうが、
こういうのが、ごく最近始まったことだという認識は必要ですね。
<写真は家庭用サウナ>

北のくらしデザインセンター
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