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中国国家との歴史的緊張関係

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先日の岡田英弘さんの著作の続編です。
「倭国の時代」なんですが、
わたしにとっては、まさに目の覚めるような歴史観で、
古代史というものが、かなり明瞭に見えてくる部分がありました。
で、一貫しているのが、
アジア史全体の中で、中国皇帝権力というものとの
緊張関係という、アジア史の基本要因について
日本の伝統的歴史観はあまりにも触れてきていない、という視点です。
これはよくあるのですが、
江戸期の「鎖国」の影響がいまだに日本人の意識の基底にあるのでは?
と疑われるほどなのですが
海で国境が別れているという意識が強く存在する。
むしろ、古代人の朝鮮半島への出兵記録などを見れば、
その当時の人々の方が豊かでリアルな国際感覚を持っていたと思えるほどです。
北東アジア世界は、なぜ、ヨーロッパのように
各民族での独立国家的な方向に向かわずに、
「中原に鹿を追う」ような統一的皇帝専制権力構造に向かったのか?
中華、という世界観によって中国皇帝が世界を支配するという
まことに周辺民族にとって困る方向で歴史が推移してきた。
で、そのような強大な武力国家の脅威というのが
日本や朝鮮の歴史には色濃く反映しているのだという理解、
視点が絶対に欠かせないと思うのです。
朝鮮など、歴史的に常に中国との切迫した緊張関係にさらされてきた。
日本はまだ、そういう部分では直接的脅威が少なかったとは言える。
しかしそれは朝鮮との比較の問題であり、
とくに日本国家創成期、どうもそれは天皇の代でいえば
天智や天武の時期のようなのですが、
その時期までは、中国的な専制権力機構ではなかったものが
中国の脅威の中で、対応的に強い中央集権国家志向が高まったようなのです。
この時代、中国では超スーパー強大国家・唐が成立しており、
まさに日本の政治権力がそれにどう対応すべきか、
大きくゆれ動いていた時期なのですね。
白村江の敗戦、大化の改新や壬申の乱、近江令の制定など、
古代の動乱は、まさに唐との緊張関係の中で生起した事態だったのでしょう。
このような国際関係の把握が絶対に必要なのだと思います。
まぁ、日本人の心の中に
中国皇帝権力に対する嫌悪感、というのは相当に沈殿している
気分として、わたしたちには相続している部分はあるでしょうね(笑)。
ただ、現代のアメリカとの関係を想定すれば、
そういうなかで、なんとか切り抜けてやってきたのが歴史でもあるわけですね。
白村江の敗戦というのは、第2次大戦での敗戦と
同じくらい強烈な民族体験であったともいえる。
その敗戦の体験をなんとか切り抜けるために、
倭国から日本国という新たな体制を取った、という意味では
起点的な事態だったということ。
そのときに、いろいろな国内的な政治的思惑が複雑に絡み合って
古事記や日本書紀などの神話が便宜上作られた。
そういうものが、国家創成の経緯であって、
そのアンタッチャブルが今日まで続いている部分があるというのではないでしょうか。
まぁこのように整理した歴史観が見えてくると、
日本の社会のシステム整理にも、大きな知恵になってくると思います。
北のくらしデザインセンター
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