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北方日本の暖房の歴史_6

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さてふたたび、暖房の歴史であります。
考えてみると、こういうふうに北海道の住宅に関連する
進化の歴史って、身近すぎて
振り返るような機縁がないように思います。
あまりにも即物的な事柄なので、より新しいものへの興味はあっても
過去の状況については、否定的な部分ばかりに目が行って
まっとうに意味合いを考えるということが少ない。
大体、35〜6年前くらいの状況まで書いたのかなぁと思います。
で、わたし自身はそのあたりから8年間ほど
北海道をあとにして、東京暮らしをしておりまして、
大学・就職という事でございました。
その間にも、札幌でオリンピック冬季大会が開催されたりしたことで、
急速な都市化が進行していた時期だと思います。
帰省する度に街の変化の忙しさにびっくりしていた記憶があります。
で、8年経って札幌暮らしになったのですが、
その当時は賃貸住宅ですので、
きわめて一般的な暖房形式、固定式FF灯油ストーブですね。
マンション暮らししていた父母世帯も、
そっちは兄夫婦に譲って、ふたたび木造の兼用住宅の方に移っており、
そこでの暖房は、同様に固定式FF灯油ストーブでした。
まぁ、いろいろの試行錯誤はあったけれど、
結局は石油の安価さが、市場を席巻していたと言うところだと思います。
そして一部では、高断熱高気密という試みが継続していて、
そういった住宅ではセントラルヒーティングが普及してきていた状況だった。
いずれにせよ、暖房費というと石油タンク換算で語られるのが一般的な理解だった。
暖房機の名前だったか、融雪穖の名前だったか忘れましたが、
「トーユクワン」(灯油食わん)という直接的な名前もありましたね(笑)。
って、灯油食う、っていう言い方、北海道独特なのかも、
と最近感じていますが、どうなんでしょうか?
そういう状況のなかで石油ショックが襲ってくる。
はじめて、エネルギーには限界があるのだ、という実感を植え付けられた事態だった。
そこから、本格的に「省エネ」ということが大問題として浮上し、
北海道の住宅では、暖房費をいかに安くできるか、
ということから、住宅性能の向上が緊急の課題となってきたのです。
とにかく限りあるエネルギーをどうやったら低減化できるか、だったわけですね。
結局、こういうショックが一番効果的に事態を進めていくものなのでしょう。
室蘭工大の鎌田先生の一連の住宅性能向上の提案、
それをもとにした新住協の活動が始まったりした時期です。
北海道でも「北方型住宅」というコンセプトが打ち出されて
本格的なアプローチが開始されたのです。
そういった状況の中、
高断熱高気密住宅が普及しはじめる時期をとらえて、
灯油ストーブ・セントラルヒーティングの牙城を揺るがしはじめたのが
「オール電化住宅」というコンセプトでした。
高断熱高気密住宅で、燃焼機器を使うことはどうなのか、
ということが提起されたのですね。
以下、明日以降に。
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