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集村の美しい環境住宅

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きのうの続編です。
わたし自身も、関東には住んでいた、
っていうか、東京で生活していた時期があったけれど、
そういう時期には、生活環境っていうような視点で関東での暮らしを考えたことはなかった。
たぶん、多くの首都圏居住者も「環境」ということを考え及んではいない。
基本的な生活者意識レベルでは、
通勤とのアクセスこそが基本的な「環境」属性であって、
利便性>>>環境っていうような認識が一般的だろうと思う。
多少、立地とか環境性ということを考えても
ちょっとした庭があるとか、木が見えるというようなことだろうと思います。
だからこそ、たとえば田園調布というような地域が
利便性が高い上に、そのうえ、緑地もほどほどの熟成があるというような
そういう部分で、超高級住宅地となり、
ひたすら、土地ブランド化というものが進行する。
ただし、ちょっと視点を変えてみると、そういう価値観はきわめて限定的なもの。
大きな歴史時間感覚で考えたら、
関東で、ほんとうに「住みやすい環境」を作ってきたのはなにか、
そんな疑問が起こってくるべきだと思います。
写真は、取材した常陸太田市の集村地域の一風景。
代々、植え込まれ成熟を見せている境界地帯の森が
ここちよい涼房装置として機能し、
先人たちの知恵、遙かな後世へのやさしい心遣いというものに
大きく抱かれた美しい光景が展開していると感じます。
まぁ、ものの見方はいろいろなので(笑)
ただの退屈な「いなかの」殺風景な変哲のない風景と見る見方もあるでしょう。
しかし、このような先人たちの知恵を、
それとしてしっかり認識できているのかどうか、
ただただ、利便性のみを求める不動産欲求に対して
こういう光景を、無造作に宅地造成工事を掛けて木を伐採し、
無機質な新興住宅地を作りだし、経済的利益を求め続けてきた。
そもそもがそういう経済欲求対応だけなので、
極限的にそれを追求する結果、基本のインフラとなる道路は
極限的に制約を受けて、狭小・曲がりくねったけものみちにならざるを得ない。
そういう無機質な住宅街の風景の中で、
そこがふるさとである子どもたちのこころが育っていく。
当然ながら、先人たちの知恵になど、思いが及ぶわけもない。
そうなれば、そういう環境に残るのは、極限的に肥大化した
「個人主義」と私権のどん欲な追求しかないと思われます。
建物としての200年住宅は簡単に造れるかもしれないが、
人間の情緒を育むような「地域環境」という、
ある意味ではもっとも大切な住宅の基本要素の面では、
大変劣悪な環境の中に、わたしたちは置かれていると感じます。
さて、どうすればいいのでしょうか?
北のくらしデザインセンター
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