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北海道栗山・小林酒造本社

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小林酒造って言うのは、北海道の地酒・北の錦を製造している
蔵元で、酒造業で北海道を代表する存在。
栗山にある本社、レンガ倉庫は、建築としても保存対象になっている。
初代の方が北海道に来たときは、
札幌に店を構え、その後、前途有望と目された栗山町に本社をお移転したのだそうです。
それはたぶん、空知一帯の産炭地を後背に持ち、
その集散基地としての交通の要衝、という意味合いだったと推測できます。
また、日本酒の消費地としても
炭鉱労働者が集まる夕張地域への物流に有利という読みがあったのでしょう。
現存している元・本社事務所建築はちょっとした博物館の様相。
建物自体も、戦後すぐに進駐軍が接収して使っていたということにわかるように
洋館風の建築で、重厚感があるたたずまい。
明治の時代、こういうデザインの建築が日本各地で建てられていますが、
外来文化を摂取することに積極的な日本人の性格を表していると思います。
考えてみると、日本の建築というのは、
奈良期の大々的な仏教と律令国家体制の中国からの受容期から
海外の建築を模倣することが続いてきたのでしょうね。
そういうなかから、やがてそのエッセンスに「日本的」といえる
風合いが加味されてきたのが、根付いてきた。
もちろん、縄文の三内丸山とか、出雲大社などの
大型木造建築の文化自体はこの列島にはあったけれど、
思想と一体の、いわば文明としては、そういう外来が基本だったのでしょう。
北海道という、明治になって日本が着目した地域に
たとえば、北海道庁旧本庁舎・赤煉瓦や、
北米合理的木造建築のプラットフォーム工法の時計台という
国が目指そうと考えた欧米思想を体現する建築を建てたのは、
そういう流れから、自然だと思います。
しかし、日本酒の会社の本社建物としては
たとえば、秋田県で訪れた建築と比べて、やはり異質。
コンクリート建築であるということですが、
まことに北海道らしい、屈託のない蔵元建築ですね。
内部には、腰壁にタイルが貼られたりしていて、
素晴らしく重厚な空間になっています。
1階は、大きくスパンが飛んでいる大空間。2階は、各室がそれぞれ配置されています。
2階は、GHQによる簡易裁判などの法廷としても使われたとか。
広間のような空間では、
新酒が出来上がったときの祝宴の雰囲気が再現されています。
2つに別れた据え膳、大皿が所狭しと並べられ、
酒、というものがいかに大きな経済的存在であったかが偲ばれます。
物流がそれほど活発でなかった時代、
その地域に酒を提供する蔵元というのは、
独占的な資本家の代表のようなものだったことでしょう。
記録写真には、税務署役人さんたちとの記念写真の類がありましたが、
酒に掛ける税金の主要納入者としても
地域の蔵元というのは、相当の経済的存在だったのでしょう。
休日の一日、
春の天気に誘われて、高速代半額と言うことで(笑)、
カミさんと足を伸ばしてみた次第です。
もうちょっと、書いてみることもありますので、明日以降も触れたいと思います。
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