
本日はわが社の新刊本のPRを(笑)。
なかなか、正面切って宣伝ってしにくいものなんです。
が、今回の「北のくらしデザインします vol.8」は本当に面白いとオススメ。
以下は、抜粋した内容です。
リプラン特別編集
北のくらしデザインします vol.8 概要
地球温暖化が世界的な課題となっている今、住宅の高性能化(高気密・高断熱)が注目を集めています。日本における住宅建築技術の先進地・北海道の建築家28名の最新住宅事例を集め、詳細に紹介したのが「北のくらしデザインします」です。寒冷地で培われた住宅の高性能技術と建築デザインの融合、建築主の充実した生活環境の実現という、北海道で活躍する建築家たちの挑戦の軌跡をお伝えします。
北のくらしデザインします vol.8 ー 目次
【対談1】「性能とデザイン」 小室 雅伸×五十嵐 淳
【対談2】「都市に住む」 小西 彦仁×瀬戸口 剛
【対談3】「子育て世代」 日野 桂子×鶴羽 佳子
【対談4】「夫婦二人の暮らし」 井端明夫×志田 真郷
っていうような、内容です。
これまで、北海道内の建築家による住宅事例集という色彩が強かったのですが、
今回はもっとテーマ性を持たせて、
大きなユーザーの関心項目にフォーカスして、
対談+事例紹介というわかりやすく、楽しめるような企画内容としています。
とくに「性能とデザイン」というテーマでは、
新旧の北海道を代表するような2人の建築家の本音が語られています。
寒冷地での住宅設計って、どんなものか、
多くのユーザーにとっても、またプロのみなさんにとっても
大いに参考になるテーマ構成ではないかと思っています。
定価は今回は前回よりも、500円下げて、2000円(税込み)。
絶対面白い内容ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
ご購入はWEBでも、以下のページから受け付けられます。
北のくらしデザインします
Posted on 12月 4th, 2007 by replanmin
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写真は内地(北海道や沖縄から本土を呼ぶ言い方)で、
冬場の暖房方式として伝統的だった「いろり火」。
日中の気温が10度前後くらいのレベルであれば、その時間には
これくらいの暖房方式でも、と思える感じはする。
いま、日本の住宅は既存大手ハウスメーカーの後退、
新興ローコストビルダーの激しいつばぜり合い、
そしてその谷間で、工務店による注文住宅の不振、迷いが見られると思います。
基本的には工務店の家づくりは高断熱高気密の性能向上で
地域の中での信頼を勝ち取っていく、という方向だろうと思うのですが、
いわゆるデザイン的に、伝統的なくらしデザインに過度に偏った
そういう方向で建て主さんをナビゲートしよう、という動きもありますね。
極端な事例では、現在建てられるモデルハウスで
古民家と思われるような建て方をしているようなケースもあります。
たとえばこのような写真の雰囲気を、現代のユーザーに勧めているような動き。
もっと、すごいなぁと思えるのは、
最近の住宅雑誌で、若い夫婦と想定されるモデルさんの
暮らし方を描写するような「事例写真」を見せることで、
伝統的シンプルライフを暮らし提案しているようなケースもある。
こういうのって、ほとんど住宅性能なんて顧慮しない、
一種のイメージ戦略だけで、住宅選びさせているようでちょっと疑問。
考えてみれば、大手ハウスメーカーが大きく業績を伸ばした時代っていうのは
日本全国均一なモダンデザインを丸呑みした生活スタイルを
ばらまいてきた流れだったような気もするので、
そういうものへのアンチテーゼとして、伝統的素材や質感を
一方で大いにアピールするという傾向が出てきていたというのも事実。
そういう部分をもっと進めたような動きだと思いますが、
やはりちょっと、やり過ぎのような気がします。
もちろん、こういう風合いの暮らし方の独特の心地よさはあった。
そういうものは強くノスタルジーを揺さぶられるものではあるけれど、
技術も革新され、現代的快適性も体感しているユーザーというものも考えれば、
住宅供給側が、こういうくらしデザインを推奨するというのは
やはり同意できないなぁと思います。
こういう暮らし方に還れ、というのはそれは不可能でしょう。
昔の暮らしように、思いをはせることは悪くはないけれど、
そういった暮らしが持っていた居心地の本質を考えて、
「現代的にくらしデザインする」ことが求められているのだと思います。
やはりそのためには、住宅内部の温熱環境をコントロールできる技術が
地域の工務店には、求められるのではないかと思います。
こういう暮らし方のエッセンスを理解して、なお、現代的快適性を犠牲にしない
そういう家づくり技術をこそ、ユーザーは期待しているのではないでしょうか。
Posted on 12月 3rd, 2007 by replanmin
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写真は宮城県蔵王での取材先にて。
蔵王というと、きっと寒いのじゃないか、と想像するけれど、
実際には東側に隣接している亘理などと
気候条件は似ていて、宮城県の中でももっとも温暖な地域。
福島県中通り地域と比較しても、暖かい地域とも思えます。
12月はじめですが、南面している居間には
ごらんのような床までの掃き出し窓が付けられ、
しかも、引き違いでもなく、全開放型のものが採用されています。
内側に樹脂で、外側がアルミという複合型サッシ。
熱環境的には条件は厳しくなるけれど、
一方ではごらんのように日射取得熱がたっぷり利用できる。
必要なときにはしっかり気密が取られるべきだけれど、
条件が良いときには、このような開放型の暮らしが楽しめるというのも合理的。
そういうバランスをどう考えるのか、というところがポイント。
そういう意味では、先日取材したような昼間の陽光を
蓄熱体で室内に取り込んでしまうというのは良い考えでしょうね。
「昼間に蓄熱して、必要な夜間に熱を放出する」
という考え方での装置と言うこと。
そうしたタイプの温熱装置が考えられれば、こういう全開放型の窓の
意味合いももっと大きく変化してくる。
太平洋型の、冬の日射量が大きい地域では、いかに南面側の窓を考えるか、
ということが、北国でももっと研究されるようになるかも知れませんね。
もっとも基本的なパッシブソーラーという、理にかなっています。
さて、こういう開放型の暮らし方、しかも
陽がさんさんと降り注ぐ日中には、元気な男の子は内外関係なく
裸足で遊び回っておりましたね。
ちゃんとセーターのような服も着込んでいるのですが、
面倒くさい靴は履かずに、家の前の庭と言わず道と言わず
構わずに実にワイルドな育ち方をしておりまして、元気そのもの。
まぁ、ほれぼれするような男の子らしさ。
正面には大きな川があって、その先には山がそびえている。
住宅地なんだけど、自然と暮らせるような住まいになっていまして、
この子はどのように大きくなっていくものか、
頼もしく、楽しい気持ちにさせられたお宅でした。
Posted on 12月 2nd, 2007 by replanmin
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きのうは仙台市泉区で取材。
で、若干、時間が早く到着したので周辺緑地で時間待ち。
ということで、沼に面した公園のような場所に行きました。
スタッフは4人だったのですが、
クルマを止めて外にいると、なにやらちょっとずつ、景色が変だ??。
で、「あれ、これなんだろう、あ、動物が描いてある・・・」
「あそこにも・・・、ここにも、ある、ある」
というような発見が続出いたしました。
どうも、緑地一帯にイタズラとも思えない、動物の造形が置かれているんですね。
写真はその一例です。
ちょっと目には、それと気付かないくらいなほど、環境に溶け込んでいる。
カメレオンのようなのが、樹上で止まっているトンボを狙っている・・・。
季節は12月なんですから、ありえないけれど、夏ならばふしぎとも思えない。
大きさも、実物大くらいになっているので
目くらまし効果は抜群なんですね。
目を転じると、猫が鳥の餌台周囲で待ちかまえているとか、
さまざまな動物、鳥、その他人形作品など、雑多に置かれたり、木に吊り下げられたり、
まぁ、こういう作品が、それこそ、
傾斜緑地周囲にそこら中、という感じで置かれていました。
その後、取材先で聞いたら、けっこう周辺では有名とのことで、
ある住民の方が長年のアート作品として作り続けているんだそうです。
昔は農業用水のためのダムだったという沼地というか、池。
周囲は金網柵などで囲われていますが、
緑地になっていて、ちょうど池を囲んで対岸側は豊かな森山が広がっています。
案内看板はすでに枠を残したのみで錆びて剥脱していますが、
そこにまで動物の置物などが添えられています。
こういう自然の残る背景のなかで、芸術的創作意欲が、まさに爆発しちゃっている感じ。
非常にキッチュで、遊び心が炸裂していて、
たぶん、こどもたちにも人気があるのではないかと思われます。
こういう創作こころって、実に楽しいなぁと。
このことについて話すときの住人の方たちの表情が柔らかくて、
そういう理解を生み出すようなユーモアがきっとあるんだと思います。
ぜひ、これからも造り続けてほしいものだと、感心した次第。
Posted on 12月 1st, 2007 by replanmin
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国宝と指定されるような建築って
東北でもあまりないと思われるのですが、
大崎八幡とか、瑞巌寺、中尊寺などが知られています。
そういうなかに興味を持っていたのが、この白水阿弥陀堂。
平泉の「花の御所」と呼ばれる奥州藤原氏の居館は
想像図が示されているくらいで、実際に見ることはできない。
で、この白水阿弥陀堂は藤原清衡の娘が、いわきの地に嫁いで
そこに末法思想からの救済を夢見て造営したとされるものなのです。
それは、すでに現存しない、まさに実家の「花の御所」に似せて建てられたものではないか、
と推定されているものなのですね。
場所は、福島県いわき市内郷白水町。
行ってみると、かなりの山の中に忽然と出現する極楽浄土、という印象。
末法思想を下敷きにした浄土観念が具現化されている。
中世的な庭園、というか池のなかに阿弥陀堂があって、
そこに至るには架け橋を架け、
渡っていく、というような演出になっています。
純粋な建築というよりも、その周囲の庭園との関係も含めた
体験型の建築空間というような意味合いではないかと思います。
周囲は池をぐるっと回るような木立がデザインされていて、
たぶん、一定の回遊時間を行を果たしながら池を回り、
そのあと、橋を渡って阿弥陀堂に参詣したのではないかと想像できます。
こういう宗教体験を目指した建物を理解するのは
中世世界の「末法思想」を理解しないと見えにくいもの。
この時代にはさかんに仏教経典を地中に埋めて「経塚」とするなどという
行為が行われていたそうです。
人間世界は救済の言葉も失うことになるので、
遙かな後世のために、救済の箴言である仏教経典を埋めたのだそうです。
まぁ、そういう時代背景のなかの建築として
数少ない現存形態なので、国宝指定されているのでしょうね。
歴史的には、この娘さんが、藤原家から、
この地の豪族・岩城氏に政略結婚で嫁いできた、ということに興味も覚えます。
平泉を本拠と定めた藤原氏は、白河から外ヶ浜という青森県の辺境まで
自らの国土として「塚」を建て並べたということだそうですが、
その時代に連合的な勢力として、この地の豪族を懐柔したのだと思われます。
この地の豪族にしてみれば、自らの安全を図ったのでしょう。
日本の支配勢力って、
古代の連合的国家から、天皇による中央集権律令体制国家、
さらにその破綻から始まって、守護・地頭の時代、
戦国〜江戸期まで、結局は地域ごとに地方王権が存在していたと言えると思います。
結局、それを国造〜くにのみやっこ〜と呼んだり、
守護と呼んだり、大名と呼んだりはするけれど、
ようするに地方権力というのがけっこう存続してきたのだ、
というようにも見ることができるように思われます。
この点はちょっと、長くなりそうなので、またの機会に。
Posted on 11月 30th, 2007 by replanmin
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最近、ここ5〜6年くらいになりますか、
ポリカーボネイトがいろいろなところで建材として使われています。
佐呂間町で建築家の五十嵐淳さんが自宅外壁をこれで、構成したのが
いちばん、びっくりした記憶があります。
この素材は熱伝導率が低く、化学製品で気密も取れるということから、
けっこう、寒冷地などでも有力な素材として
重宝に使われてきているものです。
とくに建具の素材として注目されています。
ガラス入りのサッシを使うような場所で、
採光だけが取れれば、透過性は必要ない、という場合は
「半透明な壁」として、使われるケースが多い。
五十嵐淳さんの自邸では、これを2重に張った壁内部に
白いグラスウールを入れて、ちょっと名状しがたいデザイン要素になっていました。
写真は、この素材をまったくの和風建築で建具材料として使用した事例。
外観写真が左手で、このように見ると障子のようで
紙が張られているように見えますよね。
右側が内部側からの見え方。
大変デザイン的にはスッキリと仕上がっているというか、
似合いすぎに似合っている。
気をつけなければ、見過ごしてしまうような純和風の佇まい。
開口部のデザイン手法として完全に定着してきたような感じがしますね。
こういう素材の使い方でも、北海道って、
他の地域にとっては、実験場的なところがありますよね。
「北海道でも使って大丈夫なんだら・・・」
というような心理が働くのでしょうね。
Posted on 11月 29th, 2007 by replanmin
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ただひたすらに、寒うございました。
やれやれ。
なぜ、晩翠草堂か、といいますと、
きのう、東北大学の工学部・吉野教授のインタビューを企画したのですが、
その場所をどこにしたらいいか、スタッフが考えてくれまして、
この「晩翠草堂」になったのですね。
場所は仙台市青葉区大町1−2−2と、青葉通りに面してもいる建物。
曰くをインターネットで公開されている情報で、紹介しますと、
青葉城から再び仙台駅に向かって青葉通りを歩いていると、「晩翠通り」にぶつかる。この晩翠通りには、仙台が生んだ代表的詩人・土井晩翠(1871〜1952)が晩年に住んだ家が残っている。それが「晩翠草堂」。晩翠の名字は正しくは「つちい」である。しかし、1932(昭和7)年に「どい」に改めている。おそらくあまりに間違えられることが多かった からだろう。
1899(明治32)年に発表した第一詩集「天地有情」が出世作となった。その後、旧制二高(現・東北大学)の教授を務めるかたわら詩や英文学の翻訳を発表。とくに滝廉太郎(1879〜1903)が作曲した「荒城の月」の作詞家として知られている。「荒城の月」の舞台のモデルとなった青葉城(仙台城)内に碑と銅像が建っている。 1945(昭和20)年7月の仙台大空襲で晩翠は屋敷と三万冊の蔵書を焼かれてしまう。その晩翠を慰めようと、教え子や市民が1949(昭和24)年に建てた家が、この「晩翠草堂」である。妻に先立たれた晩翠は、80歳で亡くなるまで、この家に独り暮らしていた。
「晩翠草堂」は、晩翠生前の姿そのままに、身の回りの品などが展示されている。こじんまりとしているが、落ち着いたたたずまいの屋敷である。草堂の庭にあるヒイラギモクセイの木は、空襲で焼かれても蘇ったそうである 晩翠草堂の庭 また、草堂の表通りに面して立っている碑は「天地有情」の碑 。言うまでもなく、晩翠が世に認められるきっかけとなった第一詩集の題名である。
というようなことなんですが、要するに東北大学つながりなのかなぁ?
で、先生に「宮城野住宅について、その性能について」というテーマだったので
なんともまぁ、とんでもなく寒いのでまさにぴったり!
青葉通りはまだ、鬱蒼とした木立の状態なので
日中、日が当たることもなく、昼なお寒い環境。
夏を旨とした暮らしようがそのまま表現されたような住まいですね。
年平均気温で関東以南がほぼ全都市、おしなべて16度であるのに対して
仙台は12度。札幌は8度。
札幌は関東以南とはかなり違う家づくりの方向に向かったが、
仙台はなぜか、関東以南と同じ感覚の中にいる。
堪え忍ぶ冬、というような悲壮感はないのだけれど、
インターナショナルな「快適性」からは縁遠い冬を過ごしている。
さて、どのように考えるべきか、というようなお話の場としては
背景装置はまさにぴったりでした(笑)。
時間は1時間弱でしたが、
市の管理施設なので、万が一の火災のおそれなどからか、
暖房はされていないし、そのうえ、電気もコンセントを使えないのです。
まぁ、やむを得ないとは言えるのですが、
堪え忍ぶ時間でしたね。先生、申し訳ありませんでした。
Posted on 11月 28th, 2007 by replanmin
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昨日、ある道内企業の社長さんと打合せ。
その会社では首都圏に出店して、そちらの売上がうなぎ上りの状況とか。
マーケッティング的なお話をさせてもらったのですが、
世田谷区に拠点を設けているとのこと。
北海道とは、顧客の注文のレベルがまったく違っている。
商品に対する知識レベルも高く、選別眼も持っている。
そのうえ、なんといっても世帯収入レベルが高く、
たった80万人の人口に対して、1万世帯以上が
世帯収入1000万円を超えるのだという。
いわゆる「富裕層」の厚みが全然違っている。
土地を持っている場合、その平均的な坪単価は300万円を超えるそうで、
その分、面積は小さめとはいっても
資産としては35坪程度で、それだけで1億を超える。
渋谷や新宿といった、なにをするにも日本一の利便性を持つ都市機能にも
電車でほんの十数分でアクセスできる。
気候は温暖であって、しかも区は大変な富裕自治体だそうで、
税金関係なども安い。
生活者の暮らし上の満足度はきわめて高く、
地域への愛着度もきわめて高い。
マーケッティング的に、費用対効果を考えれば、
もっとも魅力的なマーケットであり、企業として考えたとき
こういう地域に足場を持たなければ、今後は存続も難しくなってくる。
首都圏以外の地域との「格差」は、すさまじいレベルに達している。
北海道での仕事の常識とは、かなりかけ離れてきている。
というか、首都圏と一部地域と、それ以外の地域の
「生活実感格差」も拡大こそすれ、今後、縮小するということはないのではないか
そんなナマなお話を聞くことができました。
これからの企業経営というものを
長期的に考えたとき、こういう社会状況に対して
いい、悪いは別にして、対応を考えていかなければならない。
現実的に、首都圏とそれ以外の地方との経済格差は
もはや、調整不可能なレベルまで到達している。
暗黒の十年以降、政治的には、国家としての地域間格差調整を止めますという流れ。
というか、そういう国家論がけっこう幅を利かせてきている。
企業の側としては、対応を考えていくことになるけれど、
一市民、日本人として考えたとき、
その生まれた地域によって、すでに格差が付いているような社会は
どうなんだろうか、と思わざるを得ません。
みなさん、こういう問題、いかがお考えでしょうか?
<写真は「ゆりかもめ」からの車外風景>
Posted on 11月 27th, 2007 by replanmin
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最近では北海道の畳敷きの部屋数って、
さらに減少しているのではないか、と思われますが、
それにともなって、和風の外部装置、たとえば写真のような坪庭も
実際には大変少なくなっているだろうと思います。
この家は宮城県石巻市で、冬場、寒いけれど雪は多くはない地域。
まぁ、全国的な傾向でもあるとは思います。
確かに写真のような坪庭って、
雪がたくさん降って、しかも凍結したり
屋根からの落雪がうずたかく堆積したりした状態では
どのように保守管理すべきか、見当も付きませんよね。
丸ごと雪囲いするしかないでしょうね。
そういうメンテナンスがユーザーになかなか受け入れられない。
でもやはり、こういう坪庭って、日本人的な文化。
なんでもミニチュア化させてしまうミクロコスモスの世界とでもいえる。
石と竹、縄、植栽というような単純な構成で、
自然を取り込む感覚は、われわれの祖先の感受性の豊かさを表している。
こういう坪庭を見ていると、独特の時間が流れていて、
これは「つくばい」だと思われますが、
たとえば鹿威し、もしくは添水(そうず)と呼ばれる
水を竹に溜めて一杯になったら水を落とすと同時に音を鳴らす装置など、
まことに水と緑の豊かな国土性を表してもいる仕掛け。
一定時間を定めて水が満ちるさま、落ちるさま、
その背景の石と緑という素材感を愛でる。
こういう単純な装置で、記号のようなワンセットになっているのだと思います。
こういう文化性ってすごいものだと実感します。
なんでも矮小化させる盆栽のような文化って、
江戸期の都市生活者たちの自然への思いが生み出したものだ、
という説を聞いたことがあるのですが、
実に創造的な国民性を表現したものではないでしょうか。
暮らしを精一杯に楽しもうという思いが伝わってくるような気がします。
Posted on 11月 26th, 2007 by replanmin
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いまは日本史って、学校なんかではどのように教えているのか
とくに地域の特殊な歴史について、
どんな記述がされているのか、気になることがあります。
というのは、これまで北海道に住んでいて、
あまり、東北の歴史って、知る機会がなかったのです。
っていうか、東北の人でも地域の歴史に興味を持つ方は少ない。
そんななかで、北海道とは決定的に違うのが、
探そうとすれば、地域の歴史というのが発掘可能なかたちで残っているということ。
ほかの関東の歴史とも全然違うし、
そもそも日本全域の権力を中心にした歴史という観点ではなく、
地域ごとの発展経緯というような歴史記述って、
なかなか目にすることが少ない。
関東には関東の独自な歴史があると思うし、
その地域同士の関わり合いの歴史というのもある。
新潟から北陸にかけての地域なども、
やはり独自的歴史が流れていると感じられる。
そのそれぞれの地域で、たとえば地域の歴史って、
小学校低学年くらいで、どのように教えているのか、知りたいと思います。
そんな思いに駆られるようになったのは、
写真で見る東北中北部地域の歴史を徐々に理解するようになってから。
この地域が日本史に登場するようになるのは、
多賀城を中心とする王朝国家の奈良期くらいから。
鎮護国家の象徴として聖武天皇が
大仏造営を発願したあたりに、この地域で黄金が発見された。
このことは相当の衝撃的事態だったのだろうと思います。
大仏に金箔が貼られたり、都の建造物に金箔が使われたりした、
その現実的な基盤はこの地域の資源が日本史に影響したのだと思います。
前九年・後三年戦争とは、
そのような金の利権を狙った武家貴族・源一族の野望が発端。
その野望が現地の政治的経済的盟主であった氏族と
緊張関係を生み出し、同時にその結果に対して
王朝国家も政治的駆け引きに大いに関与したりして、
複雑な経緯をたどりながら、奥州藤原氏の覇権が成立して
一定期間の安定がもたらされる。
そして最終的に、関東武士団の非合法武力権力を政府機能にまで高めた
頼朝による、この利権と全域の掌握によって、
この東北地域の独自性は蹂躙されたのだろうと思います。
日本史の中で、頼朝の奥州制圧と、秀吉の九州制圧・関東制圧
というのが、いちばん武力鎮圧、という示威を感じさせることがら。
どうしても歴史は、権力の争奪というような政治的表現に
中心的興味がいく場合が多いと思いますが、
もうすこし、経済的な必然性にスポットを当てて見てみたいなと思う次第。
いま訪れても、この地図の中心の「奥六郡」地域は
たいへん気候も安定して、地味も豊かな地域柄。
そういうベースの上に、しかも金が算出した
そういう経済はどのようになっていたのか、
「金売り吉次」っていう存在とは、なんだったのか?
こういうあたりをもう少し掘り下げたような歴史研究、知りたいと思っております。
本日は再び、歴史大好き篇ということで。
Posted on 11月 25th, 2007 by replanmin
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