
先週からブラインドのひとつが不具合が出て
開閉できない状態になっていました。
よく建てた建築会社とは疎遠になっている、というケースが多いと聞くのですが、
施主の立場からすると、そういうのは困りますよね。
わが家では、工務店さんにお願いして、こういうメンテナンスを看てもらっております。
建ててからもうすでに17年目という時期になってきましたので、
いろいろのことを考えていかなければならない時点になってきます。
わが家で言えば、用途変更にともなう大規模なリフォームを一度、
いまから11年前にやっております。
建築当初から職住兼用住宅だったのですが、
仕事が増え、スタッフが増えてきたので、増築のやむなきに至ったのですね。
でも、結局はそれでも追いつかずに事務所を別に建てたのです。
それ以来、自宅のみとして使ってきているのですが、
やはり、そういう用途変更にともなう変化ばかりではなく、
建物としてのさまざまな構成部分のメンテナンスは待ったなしで出てきます。
主体構造はコンクリートブロック外断熱なので
そういう部分では、2,3年前の時点での気密性能測定でも
1cm2/m2という性能値が出ていますから、建築当時の水準を考えれば
現在でも、問題はないといえますが、
やはり、消耗せざるを得ない部分や、設備的な耐久性の劣化は
日々進行していきますね。
まぁ、施主とともに建物も老朽化していくのは避けられない(笑)。
ということで、ブラインドの不都合です。
ブラインドくらい、と思って自分でチャレンジはしてみたのですが、
調べたりする時間が取れるわけがない。
それと、構造はやはりカーテンのようなわけにはいかない、複雑。
写真の業者さんに聞くと、
やはり、ブラインドを留める金物部分などが、長期使用による摩耗など、
どうしても避けられない部分があるのだそうですね。
そういうのが、カーテンなどとは違って、素人では難しい構造になっている。
昔の民家などでは、基本の柱や梁の構造部分だけは大工が造作するけれど
そのあとは、だいたい素人が建てる、みたいなことって、
現代では非常に難しくなっているのですね。
やれないことはないけれど、昔と違って、建て主側で時間が不自由。
でも忙しい中で、こういうメンテナンスに付き合っていると
この建物って、ほんとうに自分の人生と一緒に時間を過ごしてきている、
ということが実感も出来ますね。
自分の体力や、目とか歯とか、パーツもいろいろ、老朽化してくる(笑)。
そういうのに、時間もお金もかけなければならない。
そういうことと同じなんですよね。
そういう風に考えれば、逆にしっかり目をかけて、大切にしていくという気が起こってくる。
年を取ってくると、こういうこととの付き合いが増えてくるのでしょうね。
こちら側の心構えが大切だなぁと、思いますね。
Posted on 2月 22nd, 2007 by replanmin
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盛岡での取材時に、ちょっと足を伸ばして
御所湖方面へ行って参りました。
盛岡に来ると、やっぱりこの岩手山の美しさにうっとりさせられます。
大きい山がある、という風景のなかで育つかどうか、って、
けっこう人間教育にとって決定的だ、という説があります。
盛岡で生まれ育った方たち、とくにいま関係している住宅業界の関係者と接してみて、
このことって、強く感じる部分。
なんというか、考え方が骨太というか、原理的というか、
一本、筋を通したいというような雰囲気を強く感じさせられます。
よくブログで触れている住宅技術研究実践団体、新住協を指導する
鎌田紀彦氏がそうだし、いま、岩手のビルダーさんたちが
推し進めている、ドットプロジェクトという運動のメンバーのみなさんなど、
住宅性能についても、きわめて原理原則を立てて、筋道を立てようとする
姿勢がみなさん、強いなぁと感じます。
あ、ドットプロジェクトっていうのは、新住協のQ1.0住宅運動と
同様のプロジェクトで、熱損失係数で1を絶対に切ろう、
小数点以下にしよう、なので、ドットということなんですね。
ちょっと、説明しにくいよ、わかりにくいんじゃないの、という声が来そうかな(笑)。
こういう人物的な雰囲気、姿勢みたいなのって、
たとえば東北で言えば、会津や弘前などの大きな山の麓で
生まれ育った人たちにも、感じられる部分。
やっぱり、誇らしく、筋道を立てて生きていく、というような規範が
こういう大きな、立派な山からは知らず知らず、感じられるものなのかも知れません。
そこへいくと、わたしの育った札幌の街は、
そういう身近な山というのが、いくつもあって、
いろいろ、多様性がある、っていうようなふうなのかもしれないと思ったりします。
さらに、東京などは特徴的だけれど、特段大きな山がなくて、
海や川というような流動性が重要な地域に暮らすと、
融通無碍というか、「上手にやる」というような雰囲気があるのかも知れません。
原理原則もそうだけれど、それより人間関係優先みたいな。
大阪や、関西というのも、そう大きな山、独立火山のようなものがない。
そんな連想の範囲で言えば、札幌はやはり京都の地形と似ている部分がある。
京都は北側が大きな山地があるけれど、
札幌は南側が大きな山なみが連なっている。
そんなことからの人間性育成環境というのもあるのかなぁ、と感じています。
きょうは、出張からの連続勤務で、しばらく休みなし、なので、
疲れがたまっているのか、久方ぶりに寝坊してしまいました。
ブログは、わたし、朝一番のウチに書ききる、と決めているのが
ダメだったのです。ということで、
ちょっと、アップが遅れてしまいました、お許しください。ではでは。
Posted on 2月 21st, 2007 by replanmin
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写真は盛岡市内の旧市街のなかの住宅。
前面の道路幅が厳しくて、家の前にようやく駐車スペースを確保している家。
見てみると、周囲との地盤面の高低差がある。
土間コンクリートレベルの関係で、生じてきた感じ。
そういうことの結果、おもしろい足下の工夫、素材使いになっています。
玄関の前、短いアプローチ部分は、コンクリートでほんの少し
他の地盤よりも高くなっていて、そのうえ、木で覆われています。
盛岡は雪も多いし。凍結もする。
コンクリート土間では、とくに冬場の朝は厳しいものがある。
それを緩和させるのに、木を張っているようなのですね。
これがなかなか、いい表情を建物に与えています。
以前、たいへん高名なデザイナー建築家が札幌に建てた住宅の玄関前が
一面、コンクリートの土間平面が大きく取られているケースがありました。
夏場には、かっこよくていいのでしょうが、
凍結する冬場は、アイススケート場状態になっていて、
毎日買い物から帰ってきて、荷物を抱えながら、
転倒しないように、ものすごく注意しながら住んでいました。
あぶないんですよね、ああいうの。その点、こういう工夫は面白い。
というような印象を、抱いていたら、
さらにそのうえ、ドアを開くと玄関土間平面が2段になっている。
まぁ、こちらのほうは、土間コンクリートのレベルの調整の結果、
ということのようでしたが、結果としては面白い。
日本人の家は、他の国の家と、玄関が一番違う。
靴を脱ぐ習慣が、一番面白いですよね。
あれって、ようするに雨の多い、泥のつく足下環境が多い、
という気候風土条件の結果なのだと思うのです。
そして、そういうものを解決したのが、玄関で靴を脱ぐ、
そのための段差をわざわざ、作ってきて、場合によっては、腰掛けてわらじを脱ぐ、
そういう動作空間を仕掛けてきたのだと思います。
玄関のこうした作られようが、日本人の清潔感覚を養ってきた大きな部分なのではないか。
そういった感覚で、この玄関土間の2段構成を考えると、
こういうのも、悪くはないのではないかな、と。
雪国の場合は、外の足下環境が刻々と変化するので、
こういうふうに、家の中との結界を何段階か、仕掛けておくのは
心理的な仕組みとして面白い生活装置のような気がしました。
外の木の床のところで、十分に雪を払い落としてから、
この一段低い土間部分で、靴の水分を一度落としてから、
本来の玄関土間にいたる、という生活上のシーン展開が想像できるのですね。
まぁ、でもあきらかにコストアップ要因だと思われるので、一般的ではないでしょうけども。(笑)
有用性は結構あるように思った玄関の工夫でした。
Posted on 2月 20th, 2007 by replanmin
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犬も歩けば、古民家シリーズ。
先日、奥州市水沢区の取材先に行く途中、
旧前沢市の市役所(現在は区役所?)の近くで、面白い民家を発見。
時間に若干のゆとりがあったものですから、
引き込まれるように、周辺をウォッチしてしまいました。
近くに住んでいる方から聞いたところでは、
歴史的にも、この前沢は商業的な富の集積が岩手県南部でも有数の地域で、
この古民家の太田家は、明治期には
現在の盛岡銀行の前身となる銀行事業を始めるなど、
有数の富裕な家だったそうです。
旧国道と思われる道すがら、思わず目を奪われたのが、
写真左側下の建物だったのです。
軒を支える部分の飾りなどちょっとありえない豪華さ。
それが、古びて、なんともいえない表情を見せている様子に引き込まれた次第。
で、インターネットその他で、調べてみました。
「太田家住宅」は、明治43年、県内有数の資産家であった太田幸五郎によって、凶作などで疲弊した地元の救済事業(いわゆる「お助け普請」)として建築された屋敷です。屋敷には1600坪の敷地に、主屋と炊き場、前座敷、土蔵、門、塀、庭園が配されており、明治期富裕層の屋敷構成をよく残しています。このうち主屋と庭園、土蔵などが時代性を反映した建物と屋敷構成であるとして平成9年に岩手県の有形文化財に指定されています。
築90年を過ぎた現在も生活の空間として使われ続けている住宅。現代の住宅の寿命が30年とも20年とも言われていることがひどく悲しい。県指定文化財であるが、魅力の反面、大勢の見物者がやってくるので住み続けながらの保存には、持ち主にとって一般への公開などの大きな負担ものしかかってくる。太幸邸「白鳥梅の会」の活動拠点として、全国の文化財的な古い建物や庭の所有者のネットワーク、日本建築や日本庭園の技術者・技能者のネットワークづくりをしている。
建築用材は杉が主で、柱材・土台・天井板・板戸などに用いられている。床材は栃・松・欅が用いられ、天井は杉・桧葉、敷き居は桜材が用いられている。欄間の透かし彫り飾り板は神代杉である。杉四方柾の二階の通し柱、三十尺物の長押など
というような紹介文が、出ていました。
ちょうど、日曜の午前中だったので、近隣の方からは
「大丈夫、言えば見せてくれるよ」と励まされたのですが、
やはり、主屋内部の見学は遠慮いたしました。
しかし、左真ん中の写真の「土蔵」の優美なデザインなど、
ちょっと信じられませんでした。
いやぁ、東北って、奥行きが深い歴史を持っていて、
北海道のような「新開地」から来ると、思わぬ宝物の宝庫と感じますです。
恐れ入った、富の蓄積ぶり、その歴史を感じざるを得ません。
Posted on 2月 19th, 2007 by replanmin
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きのうは奥州市水沢で取材。
最近の市町村合併の結果、新しい街が誕生してきていますが、
カーナビはなかなかデータを交換するわけにも行かず、
困ったことになってきている上に、
目的の住宅は新興開発住宅地のど真ん中。
例によって、枝番からは場所が推定できない、っていうか、
ほんのとなりでも、全然違う番地だったりするので、わかりにくい。
カメラマンは盛岡から、ライターさんは仙台から他のスタッフと同行。
それとディレクター役のわたしと、それぞれ車が違うので、落ち合えるまで心配。
案の定、一番地元に近いカメラマンが迷った様子。
住居表示って、それぞれの自治体、担当者によって、
付け方にルールってないのでしょうかね。
まぁ、こういう仕事らしい、愚痴ではありますが(笑)。
取材した住宅は、高性能Q1.0住宅。
新在来工法をベースに、壁の付加断熱を行い、床下ピット空間にパネルヒーターを
入れてセントラルヒーティングで全館暖房。
換気は第1種換気装置を導入している、という住宅でした。
設計施工は、木の香の家・白鳥さん。
とても細やかな設計で、名前通り素材の質感をたいへん重視した家づくりです。
写真は居間から上る階段周囲の様子。
木製階段の質感もいいのですが、その背景の壁の塗り壁もまたいい。
聞くと、桜島からの火山灰が蓄積した薩摩地方のシラスを
壁の塗装材として使用しているものです。
この薩摩シラスって、全国的にもけっこう好きな方が多く、よく見ます。
北海道では、珪藻土という宗谷半島地方の土壌から採取できる素材が
「多孔質」の性能値が高く、塗り壁材として使用すると
吸湿性、空気清浄性に効果が高いということで使われるケースが多いのですが、
素材としてはこの薩摩シラスの方が性能はいいのだとか。
<すいません、しっかり調べたりはしておりません(汗)>
素材の色彩なりに、塗り上げられていますが、何とも言えず
風合いの感じられる見事な素材感で迫ってきます。
こういうのって、写真ではなかなか表現しにくいのですが、
しっとりとした、吐息が吸い込まれるような、というような雰囲気とでも
言える感じなんですね。
高性能住宅としての重厚な壁厚が、こういう素材感で被覆され、
性能としても、質感としても、安心感の感じられる表情になっていました。
取材が終わって、またスタッフはそれぞれに解散。
水沢から青森まで移動するスタッフは、ここから約4時間後、
無事つきました、って連絡が入りました。
運転も大変なので、なぜかダイエット効果があるというドリンクを差し入れ。
そうなんです、運転ばかりしていると、運動不足にはなるわ、
ストレスはたまるわ、なので、ついパーキングエリアであれこれ、間食するんです。
これがあとで、てきめんでお腹周りに集中して参ります。
どうしても車移動の多い仕事、これには注意しなければなりません。
ところが、わたしのブログで食べ物テーマが多いので、
「編集長、どっかこの辺でおいしいラーメン屋さん、ありませんかね?」
って、スタッフから聞かれました。
「地元でもないし、そんなに、全国各地、食いまくっていないよ。むしろ小食系なんだよ、俺。」
って、やはり、説得力はありません(笑)。
でもみなさん、食べ過ぎ、ストレス食には気をつけましょうね。ではでは。
Posted on 2月 18th, 2007 by replanmin
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さてリプランの北海道版、東北版とも
取材などのフィールドワークは最盛期にさしかかってきています。
ことしは暖冬ということで、天候による影響というのは、これまで比較的に少なくて、
地球温暖化という深刻なテーマとは別に助かる部分はあったのですが、
スタッフは日夜、東奔西走の状況であります。
わたし自身も、おとといは直前まで座談会の司会役を忘れていて、
別件の用事をスケジュールしていた、
ということで、担当さんから大目玉を食らいました。(冷や汗)
誌面作りって、最終的には写真などのきれいな部分でお見せするわけですが、
作業自体は、じつに多種多様なアヒルの犬かきの連続なんですね。
写真は、ひだりが第1種換気の装置と、右側がセントラルヒーティングの配管集中部分。
現代の室内環境をコントロールする性能を維持する、縁の下の部分。
暖かさとか、空気環境の健康性を高める、という感性的な
情緒的な快適性を、こういう装置が支えているのですね。
こういう部分でも、進歩は日進月歩。
左側の換気装置は、Q1.0の高性能住宅で、多く使われてきています。
この写真の家では、2階夫婦寝室の横のクローゼット内部にありました。
大きさもごつい。パイプの配管ぶりも凄い、という印象がありますね。
換気による熱のロスを90%回収します、ということなのですが、
単純にメーカーが言っていることがそのまま、実際に性能発揮できるかどうか、
そのこと自体もしっかり検証して行く必要があります。
右のセントラルヒーティングの配管ですが、
この家では電気温水器の深夜電力で暖めたお湯を
この配管で、パネルヒーターで家中に回していくというタイプの暖房方式。
玄関脇の収納兼用のスペースに納められていました。
どちらも、ちょっとメンテナンスは必要なので、このように写真撮影も可能なような
スペースのなかに納め、同時に生活上は気にならないように配置する必要があります。
でも、場合によっては、こういう部分も露出させていくという
インテリア作戦もありなんではないかと、
ときどき思ったりします。正直に、こういう装置が快適を支えていますよ、
と明確にするというのも、ひとつの作戦にはなるのではないか、と。
メカニックが好きな建て主さんなんかは、どうでしょうかね。
案外、こういうのを正直にさらすのが、安心感をもたらせてくれるかも知れないなと
思ったりもする昨今です。
さて、本日も岩手県でQ1.0住宅の取材・撮影です。
きのうまでは、けっこうな荒天でしたが、さてさて・・。
Posted on 2月 17th, 2007 by replanmin
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なんか、ふたつの低気圧が北海道南部を
横断中で、ここ2〜3日、東北北海道を中心に荒天です。
今時期は、スタッフが各地で取材やらなにやら移動が頻繁だし、
同時に写真撮影も真っ盛りなので、なにかと気がかりです。
気温は北海道も高めの状態ではありますが、
雪や風といった部分では、やはり暖冬とはいえ、冬真っ盛り。
みなさんも、十分お気をつけくださいね。
さて、写真は東北北部地方の奈良時代の民家で、
一般的であった「竪穴住居」の模型写真です。
ごくふつうの庶民の家って、歴史的には、江戸期までも含めてつい最近まで、
この竪穴式住居っていうのが一般的だったんですよね。
で、こういうふうな断面模型にしてあると、
いろいろと生活ぶりとか、見えてくる部分があって、興味を引かれます。
奈良時代くらいというと、定住的な農耕が行われるようになっていて、
人口の大部分は、こうした生活様式で暮らしていたに違いありません。
日本の場合は、海での漁労を中心とした暮らしも多くあったでしょう。
しかし、民家形式としてはこういうものがベースだったに違いありません。
建物内部で火をおこして、煮炊きと暖房の用途に使い
その結果の煙を、屋根天井の方向などを検討することで、
その地域の気候風土に適した家のかたちを選択していたものと思われます。
もっと古い年代からのものを見ても、
間取りとか、大きさは構造維持の問題もあったので、大体この程度、
したがって、そこに暮らす人数も自ずと定まり、
いわゆる、夫婦を中心とした範囲内に収まっていたように思います。
屋根は、風向きとか、その土地の特徴を考えながら、
方向や開口の大きさを検討して、形態などを決めたのでしょう。
デザインで考えれば、この屋根形状が決定的だったと思いますね。
まぁ、そういうゆとりはなかったでしょうけれどね(笑)。
床は、湿気を考えて、すこし床面を上げているようです。
地盤面から掘り込んで床面を定めるので、雨水の浸入をいかに防ぐか、
いろいろに考えたに違いありません。
自然や天候に相当に翻弄される暮らしぶりだったに違いないことは
こういう住まいをみれば、あらためて認識させられますね。
仏教という、文明と不可分に結びついていた信仰以前に、
自然崇拝をベースにした呪術的な自然信仰が先行して存在していた
ということを、こういう生活ぶりからうかがうことが出来ると思います。
と、しばし、古人の生活ぶりをあれこれ想像するのも、おもしろい。
さて、きょうはわたしも仙台へ移動の予定。
どうも、外の天気が気になります。
人間、自然や天候の状況に左右されるのは古今を問わないもの。
そのうえ、最近は地球温暖化が、暮らしに直結してきていると
感じる場面が増えてきています。どうなんでしょうか?
そういう大きな変動の寸前で、われわれのいまの暮らしが
あるのかも知れませんね。
そういう意味では、この写真のような暮らしようの方が
知恵のあるくらい方だった、と言えなくもないかも知れない、って思えてきます。
Posted on 2月 16th, 2007 by replanmin
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きのう、絶対覚えられない名前の会合に行ってきました。
いわく「北海道情報産業クラスター・フォーラム事業&知的クラスター創生事業」
(途中あたりで、もう頭のなかでの単語登録限界を超える)
「平成18年度合同成果発表会」〜北海道ITクラスター形成の新たなる発展に向けて〜
というサブタイトルが追い打ちを掛けてくる。
こういう集まりがあるから、
「こういうのに出てこないと、情報集まらないじゃないですか!」
とかいう背中を押される声もあって、行ってきた次第。
冒頭では、北海道の知事さんも挨拶をしていたようですが、
残念ながら、ちょっと渋滞で遅れたので、聞けませんでした。
本題に入ってから登壇するのは、
優秀そのものの中央官庁のえらいみなさん。
でも使われる言葉が、どうにも、単語フレーズが長くて、そのうえ、
その概念を主語としたストーリーが展開していくものだから、
残念ながら、どうにも論旨が不明でした。不真面目な参加者で申し訳ありません。
どうやら、いろいろ補助金事業をやっているから、
大学の先生たちと研究開発して、補助金をゲットするようなアイデアを出しなさい、
という勧奨が、お話のポイントのようでした。
まぁ、それが「地方産業育成」という国の施策ですよ、ということ。
しかし、目的としては、産業の育成なのでしょうから、
最終的にはユーザーの視点でのわかりやすい商品に結実しなければならないと思います。
お役所言葉ではなく、もうすこしわかりやすい言葉でできないものかなぁ、
と、ひとり悶々としておりました。
そんなことを考えながら、写真を整理していまして、
偶然目にとまったのが、この写真。
江戸期にまとめられた各藩地域の特産品産業と
その海運流通を示した「江戸期産業絵図」とでもいえるもの。
見ていると実に活写されています。
日本って、この海運業というのが非常に活発だった地域のようで、
律令国家成立時期に、中国王朝のまねをして陸路を整備したけれど、
そっちはあんまり利用されず、伝統的な海運水運が大動脈であった、ということです。
こういう産業基盤があって、各地方からそれぞれの特産品が生まれ出てきたように思います。
運送業で考えれば、荷を常に満載して運んで交易した方が回転率がいいのですね。
東京一極大集中で、地方経済の基盤がどんどん落ち込んでいる現代では、
税金を使って、こういう官製の事業育成システムをやるわけですが、さて。
この写真を見ていると、地方産業は、むしろ江戸期の方が、
より生き生きとした活力を持っていたように感じられるのは、
わたしだけでしょうか。
Posted on 2月 15th, 2007 by replanmin
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この人なんですけど・・・って、まぁ冗談みたいな標本ですね(笑)。
このアテルイって、坂上田村麻呂によって攻め滅ぼされた東北人の族長です。
東北を歩き回るうちに、知ることが出来てきた人物。
先日、胆沢城というヤマト政権による東北侵略の拠点になった
城塞の発掘跡の博物館に立ち寄ったときに見た標本ってわけです。
しかし、乏しい書物の記録や、考古的に得られた資料を活用して、
一般のみなさんにもわかりやすくアテルイのことを伝えようとする努力には敬服します。
それにしても、かなりの想像力が動員された結果が偲ばれます(笑)。
基本的には文字としては、日本国家側の記録しか残っていないのですが、
坂上田村麻呂以前には、このアテルイによって、
ヤマト政権側は、実に手ひどい敗戦を経験しているようです。
北上川を挟んでの戦闘の様子が、資料に即して映像によって再構成され、
ヤマト政権軍を挑発し、十分におびき寄せてから、
半分以下の人数で、大軍を包囲して潰走させ、
多くの兵を北上川で溺死させたという、戦争の様子を活写していました。
この戦争のあと、坂上田村麻呂が最初は副将として、
それから以降は主将としてアテルイと対峙し、
ヤマト政権側の記録としては、勝ち続けたことになっていますが、
最終的にアテルイが降伏するまでに、10年ほどの時間がかかっています。
たぶん、膠着した状態があったのだと思いますが、
遠征軍側からすれば、自分たちに都合の悪い報告は
それほどは本営に送らなかったのではないかと推測できます。
ちょうど時代は桓武天皇による京都遷都と軌を一にした時期であり、
新体制国家の武威の象徴のように、このヤマト政権の勝利は利用されたようです。
降伏して、都に護送されたアテルイは、
征夷大将軍になった坂上田村麻呂の上奏にかかわらず、
刑死させられることになります。
東北人に対する占領政策において、強硬路線を突っ走ったのですね。
たぶん、こうした戦後処理が東北人に
より強いヤマト政権への敵意を残した部分が大きかったのではないでしょうか?
歴史のなかに、敗者の記述としてこの刑死は、淡々と記されているのみですが、
いったん、敗者の側からこの事実を再構成してみれば、
ヤマト政権とは、なんという強権的な権力であることか、と思い至ることと思います。
その後も前九年、後三年戦争まで、ひき起こっていく
東北の治安の不安定さは、このアテルイの虐殺が大きいのではないかと思えます。
しかし、こういうことがらも考古的な検証など、
時間とともにいろいろとわかってきているのですね。
わたしたちが学んだ歴史では、ほんの数行しか触れられていなかった経緯が
各地の博物館などの整備によって、予算が付いて、
解明されてきているのだなと、楽しい気分になってきます。
この写真のアテルイさんの標本も、たとえば衣装などは
いろいろな調査結果を反映してもいるようですし、
髪型や目鼻立ちという部分も、東北人の特徴などに取材もしているようです。
もちろん想像力の産物ですが、そこには知の蓄積も映し出されているわけですね。
というようなことで、歴史研究、連日のテーマでした。(笑)
Posted on 2月 14th, 2007 by replanmin
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東北版のリプランを発行しはじめてから
当然ですが、東北各地を取材で訪れるようになり、
いきおい、東北の歴史に関心が向かっていきます。
北海道では最近、考古的な年代でのいろいろな発見がありますが、
やはり文字による記録が残された、手がかりのある歴史的事実の集積は乏しいので、
なかなか実感を伴って歴史を再構築しにくい。
そうした意味では、歴史的事実が明確な東北の歴史は
わかりやすく、実に興味深いものがあります。
簡単に言えば、東北って、ヤマト国家との緊張関係の歴史であって、
それも敗者の側の歴史ということが、わかりにくくしてきたということのようですね。
しかし、わかりにくいというだけであって
富の集積であるとか、そういう部分ではヤマト国家と
それほどの乖離のある存在ではなかったと思えるのです。
この写真は、平泉の中尊寺一帯の宗教施設群のなかにある
能楽堂の全景写真ですが、権力の正統性の担保としての宗教施設に
これだけの建築を遺してきた経済力は、すごい。
ヤマト国家と東北の関係は、
比較的早くからその国家権力のなかに組み入れられていた宮城県以南の地域と、
平泉を中心とするような「奥六郡」以北地域との間で、
実に複雑な推移が展開してきたようです。
わかりにくさというのは、ヤマト政権の側からだけ見た歴史観では、
よく見えにくい事態の推移が主要にあった、ということを表しています。
平泉・奥州藤原氏の時代になると、
明確にヤマト朝廷国家とは一線を画したひとつの王権として成立していたといえます。
この平泉が滅ぼされたのは、関東に新制度国家を設立した関東武士団によってです。
この時期というのは、後の戦国時代以上に、権力争闘が熾烈であり、
本当であれば、日本にはいくつもの国家が存在しても不思議ではなかった
というような様相を見せていた時代だと思います。
奥州藤原氏というのも、自ら「俘囚の長」であると宣言していた、
ということですが、どうも感覚として独立国家を運営していたと自覚していたと思われます。
<俘囚>っていうことばは、ヤマト国家の側から東北北部に暮らす人々を
蔑んで呼んだ言い方なわけで、それをあえてこうして表現するというのは
そこに強い意志の存在を感じます。
ヤマト国家の側からは、律令制度での官位を与えたりして懐柔しています。
しかし、それに対して別に上京して臣下の礼を取った、というようでもないようです。
平家による宋との交易による、いわば貿易立国的な志向性、
一方で形骸化していたとはいえ、一応国家としての統治機構としての
律令体制を維持していたヤマト朝廷国家。
さらには、ヤマト国家の土地経済政策の破綻の結果、自立を志向した関東新国家、
頼朝を盟主と仰いだ関東武士団による独立の動き。
そしてこの平泉を根拠地とした奥州藤原氏の覇権成立地域。
ちょうど、関東新国家が武権として、全国制覇していく過程で、
こういうような政治状況が生まれていたようですね。
後の戦国期のような、覇権争奪という側面はそう大きくはない、
むしろ、それぞれが自立的な方向を志向していた時代のようです。
こういう時代は、普通に考えればそれぞれの独立国家による
外交関係と捉えた方が、よりわかりやすいし、当人たちも、
「日本」という統一国家意識というのは、特段強くなかったのではないかと思います。
藤原氏の「俘囚の長」という発言を、
歴史のなかでとらえたとき、そういう雰囲気を感じ取ることが出来ると思います。
っていうような、夢想を抱かせる平泉の建築群です。
久しぶりに、歴史のテーマでした。
Posted on 2月 13th, 2007 by replanmin
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