
札幌に戻って、ずっと雨が降っております。
先週東北にいたときも、その間中、雨が降っていたような印象。
テレビニュースを断片的に見ていたら、
紀州の「十津川」で、壊滅的な豪雨災害があったということ。
北海道には、「新十津川」という地名があります。
これはその名の通り、
この十津川から集団移住してきたことが地名として残ったもの。
北海道には、そういう集団移住の痕跡があちこちにあります。
で、今回の十津川周辺の豪雨被害、
明治の頃にも同様にあって、
そのときに、新十津川に集団移住したのですね。
北海道は、このような災害に見舞われた地域再生の土地を提供する
そういう地域でもあった。
写真は、先日のオホーツク圏・網走への出張走行のときに
道端で見かけたエゾシカであります。
現代という時代、
まだ、日本にはこういう環境もあるのです。
災害という現実が、日常化してきている昨今。
場合によっては、たとえば原発被害からの集団移住ということが
現代で起こりうるのかどうか、
人間が生きていく基本的な経済活動が、土地からはやや離れている現実の中、
福島県の人々がこのような北海道移住という
選択肢を考えるのだろうか、と思い至ります。
原発事故が緊迫した局面だった時期、
東京の方たちの中で、それもトップエグゼクティブたちから、
札幌移住を本気で考えていたひとたちもいたと言われます。
一時期、即入居可能なマンションが売れているとも聞いた。
政権も変わって、雰囲気が変わってきたのですが、
震災から、こういった大きな変動に局面が移っていくのかどうか、
まぁ、現実的にはそういうふうにはならないだろうと思いますが、
ひとびとの生き方や、豊かさの指標、価値観は
確実に変化はしていると感じています。
シカのような大型哺乳動物が繁殖していけるような
そういう自然環境を維持し続ける「豊かさ」もまたあるのだと
改めて気付かされるところですね。
Posted on 9月 6th, 2011 by replanmin
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きのう、ようやく東北から札幌に帰ってきました。
といっても、7日には仙台で要件があり、
明日にはふたたび出張することになりますが・・・。
まぁちょっと、忙しい状況になっています。
なんですが、きのうはフェリーでクルマと一緒に
青森から函館への移動を致しました。
台風の進路を気にしながらの旅程だったのですが、
最後の函館港に近づいた頃合いに若干の揺れと、波の音を感じた程度で
無事にたどりついた次第です。
で、ちょうど、東北と北海道にまたがる歴史と考古のシンポ帰り、
この海峡の移動手段、その難易度などを注意して観察していた次第。
写真は先日の「北方民族博物館」でのものですが、
古い時代の移動手段のメインは水上交通であります。
大阪や江戸の運河建設などを見ても、
歴史はまさに船での移動によって、物資の移送は計られていたのであって、
きわめて大切な部分だと思います。
しかし、そうであっても、
こうした交通の部分の歴史認識というのは、そう研究されてはいません。
蒸気機関の発展以降、いわば肉体的に持っていただろう、
船での移動という概念が人間から失われ続けてきていると思うのです。
人力や風力利用での移動手段である船の技術、
自然の力を利用することへの感受性は、鈍磨されつづけている。
昔は、超自然への祈りというのがいわば信仰にも似たものとして存在し、
船の運航の安全を祈って、
舳先に「人身御供」が張り付けられたりしていたそうです。
まぁ、そのようなことは別としても、
たとえば、津軽海峡を船で通行するには、
それも人力と、風の向きや強さを感受して運行するための経験技術
などというようなものは、現代、存在する基盤ごと失われている。
しかしそういう技術の常識的なレベルでの前提がないと、
歴史に対する想像力が、きわめて制約を受けるだろう、
ということも、思い至っております。
そんなことを考えながら見ていると
青森側の陸奥湾内は、おおむね大きな海流はなく、
津軽海峡とは言っても、
大きな海流の流れは一部分であるように感じられます。
一方で、北海道側でも、一部半島化した場所もあって
海流の穏やかな場所も存在する。
大体、そうした陸地伝いで安定した運行が可能な部分と、
気象を見計らって、一気に渡ってしまうべき部分とを認識仕分けする
このような航海技術が存在したに相違ないと思われます。
たぶん、体感的な、文章化できないような知恵が
津軽海峡の双方地域の交流を担っていたひとびとにはあっただろうと。
まぁ、忙しい現代、
そういった技術の研究など、だれも手がけないでしょうね。
そういうことをやっても、得られる知見の生かしようがない。
しかし、そういう失われたモノは決して無価値ではない。
Posted on 9月 5th, 2011 by replanmin
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きのうは、朝から山形にある東北芸術工科大学キャンパスで
「中世への胎動」と題した歴史考古のコラボのシンポジウムに参加。
歴史というのは、残された文献記録を発掘し、
それを論拠にして解釈を展開していくスタイルが一般的。
それに対して考古学は、あくまでも遺跡などから発掘されるモノを
徹底的に調査し、いわば「物証」をもとに推論展開していく。
個人的には、どちらかといえば、考古的なスタイルの方に
親近感を隠せないのですが、
今回のシンポジウムは、たいへん企画意図も面白く、
広がりが大変深く、大きい領域にまたがる。
入間田先生というこの大学で歴史を教えられている先生から、
基調講演的に、1日目に発表があり、
そこでは氏から、鎌倉武家政権の端緒が奥六郡世界での
安倍氏・清原氏・藤原氏と連なる武権にそのルーツが存在する、
という見方・見解が表明されていました。
とくに、清原真衡と、ときの「陸奥守」との連合軍によって開始され
その後、清原真衡の単独軍によって制圧された延久戦争が、
あらたな「征服地域の拡大」という新展開の中で、
「日本国」に支配構造の転換がもたらされ、
その結果、清原真衡の発案になると見られる
日本の貴種を再編成した支配権力構造、
自らの後継者として、血のつながりのない海道平氏と、
その妻にこれも血のつながりのない源氏の血筋の娘を夫婦で持ってきて
そういうオープンな「日本」支配構造を確立しようと考えた。
というように論証されていました。
この考え方の延長線上に、貴種としての源氏を頂点に据えた
関東武家政権という構想が着想され、
その支配原理構造として、同時に仏教も導入されていった、
という展開でした。
久しぶりに爽快な歴史家の主張を聞いた思いで、喝采です。
これまで、後三年戦争の内部矛盾の事案としか想定されていなかった、
清原真衡の政権構想というものが
こういう照射のされ方をしたのは、初めてです。
まぁ、この論拠がごく少数の文献記録に依ることなので、
今後、歴史学会でいろいろに議論が闘わされるのだろうなと思われますね。
しかし、歴史への新たな挑戦的議論で、
同時に平泉に成立した武家政権に、より大きな意味が見いだされ、
そしてそのことは、北方日本の歴史のとらえ方に
さらに大きな可能性を見いださせることになるものと思います。
で、セミナー途中で
NHKの取材を受けてしまいました(笑)。
まぁ、興味深いテーマではありますが、
今のところマイナーなテーマなので参加者は40名程度と少なかったので、
参加者インタビューのお鉢が回ってきた次第。
NHKさんとしては、平泉の世界遺産登録を踏まえて
この周辺の歴史を再度、
スポットを当てていきたいと考えているのだと思います。
趣旨は大賛成なので、積極的に協力しましたが、
さてどんな番組でどういう扱いになるモノか、
そういう興味も津々であります。
会場の空調についてきのうのブログで書いたら、
一転して強力な冷房が効かせてありまして、
やや、寒いほどであったこと、付記いたします(笑)。
Posted on 9月 4th, 2011 by replanmin
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東北芸術工科大学という大学に初めてきました。
山形市にあって、2日間、
「中世への胎動」と題した考古学と歴史のコラボのような
公開セミナーが行われることになっていて、
ご存知のように、わたし、大好きな分野なものですから、
こういう専門的なセミナーにも顔を出すことにしている次第です。
まぁ、出版を業としているので
ある意味では、大きなくくりでは仕事の取材とも言えます。
会場では、北海道の考古学研究者の瀬川さんともお話しすることが出来まして
所期の目的の一部も実現いたしました。
っていうことで、その会場である大学の講堂に来た次第。
きのうは夕方6時からの開演という変則的な開始でした。
本日は夕方までほぼ丸1日のセミナーなのですね。
で、どうしても、建築に関わっているし、
そして会場は、「芸術」と名が冠されているとはいえ、
「工科大学」という大学の講義室ということで、
つい、そういう目線でも見ておりました。
セミナーのテーマ自体は、文学部系のテーマであり、
こういうあたり、良く理解しておりませんが、
大学のHPを見ると、美術とデザイン系建築という分野の大学のようです。
しかし、きのうは「暑かった」。
そのうえ、ソックスの上から蚊にも刺されまして、
暑さと、居心地の悪さで閉口しておりました。
講義室は大きく、300人以上は収容できそうなスペースなので、
空調など設置すると、ものすごくお金がかかりそうです。
なので、そうであれば、自然を利用した通風換気などの工夫を
せねばならないところ。
ところが、それは夏場の虫の害のことを考えてか、
しないようにしている。
やむなく、一番前の席で講演を聴いていましたが、
手近な固めのパンフレットで団扇代わりにして
ずっと、自力通風換気を行っておりました(笑)。
むむむ、こういうデザイン、きちっと考えて欲しいものだと痛感。
デザインという言葉で、思考停止して、
「そういう面倒なことは考えなくてもいい」という短絡的な
学問的態度を、広く世に影響させることになると危惧いたします。
人間のここちよさは、基本的には目で見る以上に肌で感受するもの。
居心地の悪い空間は、集中力も破壊いたします。
こういう環境の中で、学生さんたちは、
集中力を切らさないで勉学できるのでしょうか?
ちょっと、そういう心配が頭をよぎり続けておりました。
ようやくにして、終わって外に出たら、
ごらんのような「芸術的な」空間デザイン装置にはなっていて、
居心地の悪さをこういう装置で「解放」させるのが建築的狙いか?
などと、大きな疲労感とともに思い至った次第。
でもでも、本日も、
すばらしいセミナー、がんばって聴講してきたいと思います。
がんばるぞ、っと(笑)。
Posted on 9月 3rd, 2011 by replanmin
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さて、北方民族編が続いております。
って、わたしはいまは東北に来ておりまして、
仕事しているのですが、昨日はある事情から取材訪問がキャンセルに。
なかなか、ちょうど良くは進行してくれません(泣)。
ですが、そこはそれで、
いろいろな取材に利用させていただいております(笑)。
で、先日の網走で見学した写真続編ですが、
これは「腸製衣」というように書かれておりました。
一見すると現代のレインコートですが、
まぁそういう化学製品を展示するわけはない。
で、腸製衣???、っていうところだったのですが、
説明を見て驚愕です。
なんと、これはアザラシなどの海獣の腸を縫い合わせて作った
海洋狩猟用の防水作業衣だというのですね。
ほえ〜〜〜であります。
寒い地域ですから、このレインコート状の衣類の下に
普段着用する衣類があって防寒性を満たしながら、
海洋作業での水から身を守っていたようなのであります。
説明文では。腸の縫い目は水の侵入を防ぐように厳重に縫い合わされている
っていうことだそうです。
むむむ、にわかには信じがたいのですが、
そういう部分が極北の世界で生き抜いていく知恵になのでしょうね。
雪の家といい、まことに寒さとの戦いは面白い。
アフリカを起源として世界に進出していった現代人類、
やはり、温暖の地を離れ、
寒冷な気候に立ち向かっていくことが知恵の力の源泉だったのか。
それにしても、捕獲したアザラシから、
それを全部、無駄なく利用し尽くす工夫の奥行きの深さには
畏敬の念を覚えざるを得ません。
腸を見て、そこからこういう海洋作業衣を想像していくって、
必要は発明の母、とはいいますが、
基本的には温暖な地域の人間からはなかなか出てこない発想。
そしてまた、自然素材だけを利用しながら、
防水性を高める縫い方を研究開発する女性たち(たぶん)の
知恵の力にもただただ圧倒されるところであります。
Posted on 9月 2nd, 2011 by replanmin
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きのうの家の続きであります。
おかしい、まことにおかしい(笑)。
雪で家を建てるんですよ、って、ちょうど会合があった
工務店の経営者のみなさんに話したら、
さまざまな反応が。
いわく、「ほえ〜、中で暖房したら、朝には溺死かよ(笑)」みたいな
そういう反応もあったのですが、どうもそうはならないようです。
体験的に知っているのは、雪で作れば零下にはならないということ。
まぁ、前述の反応は、日本的、関東以南工務店的な反応で、
北海道的な工務店さんは、それ、なんとかなるよ、
っていう住宅性能理解派が多かったですね。
そうなんです、雪って断熱材の働きをするのですね。
細かく空気の粒を抱っこしているという意味では
かなり断熱材として優秀なのです。
イヌイットのひとたちは、極北に生きる知恵として
こういう自然の摂理を体験し続けてきているのでしょうね。
にしても、この写真の「建て方」は面白い。
まぁ、雪の家というのはかれらにとっても、
仮設的な家でしょうから、もっとも原始的な形態である
ドーム型を選択して、それを雪のブロックで断片を作って
積み上げるという建築工法をとっている。
こりゃぁ、誰にでも出来そうだ。
当たり前ですね、かれらには建築の専門家がいるわけでもないし、
設計図といっても、先達の頭のなかに明瞭に描かれているだけ。
厳密な作り方は出来るわけもないから、
おおまかに断片を制作していって、
最後に天井に蓋をするように最後のピースを仕上げるときに
いびつさを、すべて問題解決させるのでしょう。
「住宅クレーム」など、起こりようのないアバウトの世界。
でも、完成したら、歓びは堪えられなさそう。
みんなで作業している様子はこびとさんたちの作業風景のようで
これもユーモラスです。
住宅って、こういうおおらかさが本来、必要なのではないか。
わたしたちの民族の家の建築でも、こうした集落の集団作業工程があって、
そのことが、コミュニティの大切な「絆」と結びついていた。
建築が専門化して、一般人がそれを作業するということから
遙かに遠のいてしまった社会になってしまいましたが、
それで、どれだけわたしたちの住宅の豊かさは大きくなったでしょうか。
ちょっと憧れてしまう、家づくりだと思います。
Posted on 9月 1st, 2011 by replanmin
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先日、「網走に行ける」と喜んでいたのです。
なぜかというと、「北方民族博物館」というのが同市の呼人の森の中、
天都山の山中にあるのです。
網走というのは、大変面白いところで、
この呼人の杜の植物の種類の多さはすごいのだそうで、
はるか南の植物もあり、同時に北のきびしい世界に生育するものもあるんだとか。
昔、一度この森の中の家を取材したことがあります。
その建て主さんは画家であり、奥さんも植物細密画で有名な方。
で、その折りに呼人の杜の樹種の豊かさを教えられたのです。
北半球でも有数の樹種なのだそうで、
無数に描かれた植物画を見せていただいたことがあります。
どれも素晴らしくて、人間が植物を描いているのか、
自然が、彼女を通してなにかを語りかけているのか、
そのないまぜなような感覚を覚えているのです。
そういう北半球有数の豊かな自然のなかに
この「北方民族博物館」はあるのですね。
こういう種類の「豊かさ」には、インスピレーション能力の優れた
古代人の方が敏感だっただろうと思います。
この網走を中心とするオホーツク海沿岸地域は、
「オホーツク文化人」という日本史にとって謎の多い人々の痕跡が見られるのです。
ここでの展示も、そういうものかと思っていたのですが、
展示自体は、より広く、地球上北半球の「北方民族」全体の文化紹介でした。
そういう民族の衣食住についての文化を展示していまして、
そのなかに、思わず目が点になったのが、この映像。
イヌイットのひとびとの北極圏での住宅を紹介するビデオのひとこまです。
かれらは、冬になると雪をブロック状に切り取って、
それをレンガのように積み上げて住宅を作っているのだそうです。
アーチの要領で、最後に天井の最後のピースを積むことで完成する住宅。
窓には、想像通り、氷のブロックが充てられていました。
で、そういう住宅で内部でアザラシとかの体脂肪を燃焼させる暖房を行っている。
それが、暖房と同時にほのかな光量とは言え、
照明の機能も果たす。
そうして出来上がるのが、雪のぼんぼり状態。
こういう住宅に住んでいたというのですから、すごい。
どんなデザイン手法もとても敵うわけがない。
異星人がこの住宅を見たら、まちがいなく、この家が地球上で
もっとも美しいというに決まっていますね(笑)。
利用できるものは利用し尽くす、という人間精神のたくましさを見せてくれる。
また、人類の環境適応性の高さも見事に表現している。
しかし、秋田には雪のかまくら文化もある。
洋の東西、いや、南北を問わず、
人間の考えることは基本的に変わらないと言うことも表しているのでしょうね。
Posted on 8月 31st, 2011 by replanmin
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先日の東京出張の折、
時間を見計らって、東京国立博物館に空海展を見てきました。
まぁ、わたし的には展示としては、期待はずれかなぁというところだったのですが、
最近のこの博物館、ユーザーの反応の結果だろうと思うのですが、
美術と言うよりは、民俗的な方向性に展示内容が向かっていると思います。
「博物館」なので、当然ですが、
やはり、ある程度は古典的な美術品というものを期待したいですね。
でもまぁ、平日なのに押すな押すなという盛況ぶり。
何年か前にやった仏像展がきっと大当たりしたに違いない。
そこから、宗教的な民俗観を前面に出してきているのだと思います。
しかし、実際の展示は、なかなかに難しい。
最後、宗教的世界観を多くの高野山からの借り物の仏像で
立体的曼荼羅で構成しようとしたようなのですが、
そもそも宗教的世界観自体、いまの時点では説得力に乏しいし、
現物としての迫力も、イマイチかなぁと思いました。
そんな印象を抱きながら、
平成館から本館を抜けて帰ろうと思ったら、
本館壁面に大型の「地獄図」展示があって、
ご覧のような、お懐かしい閻魔大王様にお目見えできた次第。
そうなんです、民俗的視点から言えば、宗教的展示で
何か決定的に足りないなぁと思わせるのは、このわかりやすい
勧善懲悪、とくに人間の弱さ・悪が裁かれる、ド迫力の恐怖感なのです。
わたしたち年代くらいまでが、かろうじてこういう日本人的世界観の根源を
肉体的恐怖感とともに持っている。
こころのなかで「ウソを言ったら、閻魔さんに舌を抜かれる」みたいな
内語が、常に反芻している年代なのですね。
たぶん、これはわたしが日本的村落共同体で寺などが行ってきた倫理教育を
肉体的に記憶している終わりの頃の年代なだのということを表している。
わたしたち年代以降、
そうした共同体的倫理教育は廃れ、
ひたすら闇のない、フラットに明るい「民主主義」的な教育が行われた。
閻魔大王、といってもたぶん、通じない世代も多いのだと思う。
というようなことは横に置いておいて、
やはり、閻魔大王というのはいいですね。
いつ見ても、誰が描いても、惚れ惚れとする極めつけの恐さを持っている。
けれど、端的に男性的ですぱっとした爽やかさに満ちている。
雷オヤジの大親玉、っていう、いなくなっては困る存在の極地。
こういう存在が地獄の釜の縁で待っていることが、
人間社会には、なくてはならないのだと思います。
わたし、個人的に
「これだけは日本に言い残したい遺言があるカミナリオヤジ連合」
というような結社を夢想しておりますが
その首長には、やはりこの閻魔大王様がふさわしい。
まぁ、選挙をやってもほとんど泡沫でしょうが(笑)、
やはり、日本には元気のいい閻魔大王が必要だと思っています。
いかがでしょうか?
ぜひ、閻魔大王に正当な地位を与えるべきです。
Posted on 8月 30th, 2011 by replanmin
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写真は、網走市の「北方民族博物館」の展示から。
確認しましたが、写真は撮影フリーとなっています。念のため。
この博物館、わたしは奈良から平安時代に掛けて
日本のオホーツク海沿岸地域に住み着いていた「粛慎」民族、
一般的には、オホーツク文化人と呼ばれているひとたちの記録を収めている
と想像していて、機会があれば行きたいと念願していた施設です。
で、行ってみたらくだんの民族については
「謎のオホーツク文化」という一文の展示があって、
若干の概括的説明があったきりでした。
まぁ、その点ではがっかりと言うところでしたが、
しかし、より広く、北東アジアから北極圏地域にまで広がる諸民族について
その日本側受け入れ地域であるオホーツク沿岸にふさわしく資料展示されています。
日本列島は南北に長く、アジア大陸に対して平行している。
なので、南方からも西方からも北方からも、
多くの民族交流が行われてきたことは当然のことだと思います。
ところが、これまでは文化的に優勢であった
中国や、朝鮮半島からの輸入文化に偏重した歴史観が強く、
そちら側だけが存在して、他はなきがごときの認識が日本史の基底だと思います。
近年、歴史研究の姿勢に大きな変化が起こっていて、
それは「学際」的な研究へのスポットライトが強く当たってきていること。
これまで発掘事物を中心に想像力を働かせてきた考古学と
残された文献から研究してきた歴史学が、とくに北海道東北の北方地域では
両方から同じ歴史時間に迫って、研究成果を共有するという方向が出てきているのです。
今週末には、山形市でこうした研究の公開ゼミナールも開かれることになっています。
同じ北方にあって、住宅文化のテーマでは大きく関わりもあって、
強く興味を抱いている動きであります。
わたしとしては、とりあえず人文的な部分での北方民族の大きな流れを把握し、
そして北の住宅文化から、現代への照射ということをにらんでいる、というところ。
そんな流れで、この博物館に見学に来た次第です。
大変面白い住宅への発見もあったのですが、
そういった興味からの見学での様子を何回かに分けてご紹介します。
前置きが、どうしても長くなるなぁ(笑)。
しかしまぁ、仕方ありませんね。
で、最初に「衣」のコーナーがありまして、「ナーナイ」という
中国東北部・黒竜江周辺の民族の花嫁衣装であります。
やはり女性の美しさを際だたせたい、というのは人間社会共通の文化。
どういうポイントで美しさを表現しようとするか、
その民族の感受性を表現しているのだと思います。
動物の皮革性のブーツが大きく目立っていると思います。
寒い地域と言うことで、履き物はこういうことになるのでしょうが、
ファッションとしては、ここが基本になっている気がします。
これが決まってから、それとのコーディネートを考えていったら、
少し活動的な雰囲気のものになっていったのでしょうか。
それとも、騎馬民族的な文化がその底にあるということなのでしょうか。
白が基本になっている、というのは白無垢という日本文化とも通底する?
しかし、腕の裾やスカートの下部、胸元にかけられた衣類など、
模様や色彩感覚は、まことに魅惑的ですね。
帽子もセットになっているようですが、
日本の角隠しと似たようなものなのかなぁ。
まぁ、活動的な衣装なので、もっと実用的な意味合いに違いないと思います。
こういう衣装、日本や朝鮮といったモンゴロイドの女性の美しさの
ひとつの形にはなりうるだろうなと思いますね。
とても現代的な感じがして、
全然古さとかは感じませんでした。
こういうデザインがこの冬にでも出てきたら、案外人気が出そうでもあります。
う〜〜ん、すばらしい、と見学が始まった次第です。
Posted on 8月 29th, 2011 by replanmin
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ふと、当たり前のことに思いが至ったのですが、
日本のエネルギーのことを最近、多くのひとが発言するようになっています。
原発の危機が現実のものになった2番目の国として、
いや、チェルノブイリを引き起こしたのは旧ソ連であって、
後継国家であるロシアは、その破綻の上に成立したと考えれば、
エネルギーの本当の危機を経験しつつある唯一の国になったわけですから、
当然のことであると思います。
で、その論点のなかで、あんまり語られていないと思うのが、
現状の日本のエネルギー政策とはなんなのか、という点。
多くの発言に、そんなものはなにもなかったという無意識の認識がある。
はたしてそうなのか、ということです。
で、気付いたのが、わたしたち日本は国際世界の中で、
やはり「日米同盟」の枠の中に存在している、と認識されているだろうということ。
日本は中東からの石油に依存しているのが基本であって、
それは、基本的にアメリカの軍事力による恩恵である、
というふうに考えられると思うのです。
ヨーロッパ(特にドイツ)はなぜ、自然エネルギーに対してかくも必死であるのか?
そしてアメリカはなぜ、それほどでもないのか、
この違いは、中東の利権に対するプレゼンスの違いに寄ることが大きい。
アメリカは自国民の血を流しても、
この利権から絶対に離れない、という対外戦略を展開している。
チェルノブイリ以降のロシアが、自国での天然資源採掘に狂奔したように、
アメリカは、スリーマイルの経験を踏まえて
より一層、中東への関与を強化していった。
日本は、自立的にこうしたエネルギー戦略を考えては来なかったけれど、
アメリカの世界戦略の中で、地政学的に言って相当に枢要な位置にあることから、
日米同盟という枠の維持強化という受動的な選択をし、
主にその利益としての安定的なエネルギー供給を可能にしてきた。
中国のような潜在的な日米同盟への敵対性国家にしてみれば、
現状としては、軍事的なアメリカの覇権は認めながら、
自国の軍事増強を密かに図っていく、という選択になるだろう。
中国の外交白書で、尖閣諸島問題で日本に打撃を与えた、という
挑発的な発表があったけれど、
かれらにしてみれば、長大な不沈空母のような日本の地政的位置〜
南北に長く、アジア大陸を監視するかのように枢要な海域を占拠している〜は、
潜在的脅威そのものだと思います。
現実にあの海域には天然ガスの鉱床も発見されているのだから、
中国の本音は、鋭く「反日」的な方向を志向せざるを得ない・・・。
こんなような大枠の認識の上に、
今後の日本のエネルギー戦略ということを考える必要がある。
そんな思いが、強くしてきたのです。
たいへん微妙なバランスの上での論議なのだと言うことですね。
しかし日本は、ドイツのようなロシアによるエネルギー支配構造という
圧迫を受ける地政学的位置に置かれてもいないのだという、
そういう現実の中から、そしてより大きくは日米(軍事を含めた)同盟は
いまのところ、大きく変更は出来ないだろうという現実の中から、
今後の方向を考えていかなければならない、と思います。
戦後の日本は、戦争を放棄し、
自ら核兵器を持つことも国際公約として放棄している。
しかし、アメリカの軍事支配基地として、その核世界戦略の枢要な位置にあることで、
事実として、国際的な安全も確保されている。
これは好むと好まざるとに関わらず、
大枠としての第2次世界大戦の結果の国際関係なので
受認していかなければ、前提に立てないだろうと思います。
さて、フクシマ以降、その上でどう考えるべきなのか?
Posted on 8月 28th, 2011 by replanmin
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