
きのうは一日、机に向かっての事務作業。
パワーポイントでのプレゼンデータの作成、それと記事執筆が平行。
さらに台割りの検討その他、編集の下作業もどっさり。
というなか、iPhoneがお店に到着したということで、
そのために旧auケータイからのデータ移管に取り組んだ次第。
机には、そういうお陰でほぼ12時間以上向かっていた感じです。
仕事の方はともかく、
みなさんにも関係あるのはiPhone4Sですね。
auからのアドレス帳の移管は自己責任でお願いします、
というアナウンスで、急遽、au oneサービスというものに加入することになります。
そうしておいて、いったんauの保管場所にデータを上げて、
機種変更してiPhone端末から、データをダウンロードすればいい、
っていうことなのですが、
わたしの場合、この最初の会員サービス登録からしてトラブル。
会社契約なのですが、最初に設定している「パスワード」が必須のようなんですね。
パスワードって、みなさんどうやって管理されているか、
わたしは、まずそういうの、ダメなんですね。
で、3回違うパスワードを入力するとロックがかかって
その日のうちには操作ができなくなるのだそうです。
「下準備」のつもりが、簡単に泥沼に嵌っていく。
で、auショップでデータのクラウド上でのバックアップを確認したのですが、
au側で用意したと思われる移行アシスタントのようなソフトを
起動させるのだけれど、実際に始めると、途中でフリーズというか、中断。
会員登録なんとかは、社内での情報を確認して入力したので
それは良かったハズなんですが、どうもロックがかかっていたので、
見かけ上、うまくいったように見えていただけで、どうも実際には
保管されていない、アップロードがうまくいっていないようです。
機種の交換って、こういう難しさがある。
で、やむなく、データをSIMカードからデータカードに
コピーしてもらっておいたのですが、そちらを使ってMacに持ってきたら、
.vcfという記述言語のデータをテキストエディターで見ることができた。
それを、開いてみたら、どうもまちがいなく、アドレス帳のデータ。
で、それならついでにと、
iTunesで、Macのアドレス帳データと同期させて、
その差分を確認しようと考えました。
この作戦、大成功で、
そもそもMacのアドレス帳のデータ自体がいい加減にほったらかしていたので、
ちょうどいい機会ということで、Mac上でデータの整理整頓をしながら、
都度、iPhoneとMacを同期させ続ける作業をしておりました。
こういうデータメンテナンス、まぁ面倒ですが、
ちょうど夜なべ仕事に勢いを付けるにはまぁ打って付け(笑)。
細かい作業なんですが、悪くはないですね。
ということで、アシスタントソフトのお世話にはならずに
なんとなく自力っぽく、移行できたようであります。
電話は、電話帳から呼び出して掛けられ、
メールは、これまでとは違って、Macのほうのメールも一元的に全部来る。
なので、メールがリアルタイムになってくるので
これはいいかもしれませんね。
メール機能だけが、Macからこっちに来ただけでも価値はありそう。
入力は、Macほどはやりやすくはないけれど、
慣れれば、っていう感じでしょうか。ケータイメールよりも
管理しやすい点で、上手と思います。
さて、そういうドタバタを経ながら、
本日も、引き続き、原稿とデータと、格闘であります。
がんばるぞ、っと。
Posted on 10月 16th, 2011 by replanmin
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わたしの家や事務所の最寄り駅は札幌地下鉄の「琴似」という駅です。
徒歩で約15分程度の距離。
札幌市内では、ターミナル駅でもあり、そこそこの繁華街。
札幌市中心部からの地下鉄利用者がバスに乗り継ぐので、
そういった時間帯は、かなり流動人口は増えます。
商業施設の集積もあって、ダイエーがあったり、以前は
紀伊國屋書店も出店していました。
もともとは札幌市ではなく、琴似村という集落だったのですが、
札幌市の広域化によって、市西部における
副都心的な機能を持ってきた街です。現在は札幌市の西区役所もあります。
歴史的には、先住民の遺跡などの保存箇所は耳にしません。
そういうのは一番近くて、約5kmくらいの北大の構内にあります。
明治期以降では、屯田兵屋が集中的に建てられた地域で
現在に続くような街割りの基本がその当時に開かれています。
いまはそこそこの都市機能が充足してきていますが、
そうはいっても、歴史時間は高々、40年程度でしょうか。
地下鉄の開業から本格的に市街化してきた、といえる街。
わたしは一貫してこの周辺での暮らしが長い。
高校時代に、この街の東側1.5kmくらいのところに移転してきて
東京暮らしの時代の空白を経てふたたびその周辺に居住し、
その後、この街から見てやや南西側に住宅を建て、
事務所を建てて、という推移をたどっています。
人生のなかで、35年以上この街と関わって暮らしています。
(って、自分でも計算してみてびっくり)
前置きが長い・・・(笑)、そういう街なんですが、
本当にブルースの要素がまったく感じられない(笑)。
そもそも北海道は人々の暮らしようの集積が全然少ないし、
生活感の共同性も薄いありようなので、地域に通底するような
リズム感とか、メロディ、ハーモニーがどうにも想定できない。
そういう音楽の基本的な要素をあえて探すとすれば、
やはり都会的な、都市的な音の要素としての
クルマの音、地下鉄の音(って、音が少ないことで有名なんですが)程度。
街の音的な要素自体が少ないのですね。そんななか、
きのうたまたま、地下鉄駅のコンコースでJAZZをやると知って
おいおい、ということで聴いて参りました。
2人の掛け合いでの音楽会であります。
曲はどれもわかりやすいスタンダードでしたが、
なかなかにマグリットの絵画のような、偶然の出会い感があって
スウィングの予感のようなものがありました。
このような生成過程の街で、どういった音楽的創造があり得るのか、
「あ、これはちょっと考えてみたいなぁ」と思った次第。
確かに、この街ではひとびとはすれ違うことくらいしか、「関係性」が
いまのところないのだけれど、
こういう音楽を聴かせてもらうと、お隣にどんなひとがいるのか、
どんな表情で聴いているのか、面白く感じてくる。
こういう街で、固有のスウィングするリズム・メロディ・ハーモニーが
生まれるのかどうか、試してみたくなる。
そのジャンルがJAZZなのかどうかは、よくわかりません。
でも友人関係で音楽といえば、そういえばJAZZが最大公約数。
さっぽろって、民謡ではないだろうし、
流行歌はそれなりにブルースがあったとはいえ、
それは北国の旅情に近いものであって、地生えの生活感情とはいえない。
北国であって日本民族的であって、現代的といえば、
案外、JAZZは嵌りうるのかも知れない。
そんな妄想に浸りながら、少しカラダが微振動しておりました(笑)。
Posted on 10月 15th, 2011 by replanmin
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アップルのコンピュータを使い始めてから、
というよりも、わたしは
初めて触れたコンピュータがアップル製だったので、
必然的に、コンピュータ文化をアップルから教えてもらった。
わたしが始めたのは確か、1998年だったのではないかと
記憶していますが、どうも定かではない。
仕事が出版系なので、DTPといわれる作業のデジタル化の
先導役がアップルの企業文化生態系だったことからつきあい始めた。
どうして出版や印刷といった社会構成の中の文化系サークルで
アップル製品が優位性を保っていたのか、いるのか、
というのは、よくわからない。
はじめのきっかけはともかく、アップル製品の直感性が
「ものを作り出す」企業文化を持つサークルから支持されていた
という側面は抜けがたくあったように思います。
当時、数少ないエンタープライズ分野での強いアップル製品への
支持というのは、DTP分野だけだったと思います。
そこから始まって、わたし自身も
パフォーマといわれた製品からさわり始めて、
いまのMacBookProまで、何台使ってきたか、
そして管理してきたか、もうわかりませんね。
いま、わたしのまわりには、このほか、
iPod、iPad、そしてきょうには、iPhone4Sも届くかも知れません。
で、使い続けてきて
ときにはWindows製品も使うし、
特段、強くこだわりを持っているというわけではないけれど、
製品の洗練については、やはり大きな違いは感じ続けてきた。
やはり、制作総指揮というプロデュースの部分の
感受性の違いということを、意識させられ続けてきた。
わたしが最初に使い始めた頃のアップル製品は
その使い勝手の部分ではそういう部分はあったけれど、
マーケティング的には、普通のコンピュータメーカーという感じ。
スペック的なことが明示されてその比較検討を
ユーザーが価格と対比させながら、購入を検討するというもの。
まぁ、当たり前の常人のマーケティングだった。
それが、Jobsさんが復帰して以降、
まったく変わっていったと思う。
最初にやったキャンペーンが「Think Different」だった。
英語の文法的にはやや正確ではないそうだけれど、
あの時点でこういうキャンペーンを仕掛けるということには
分かる部分が大きかった。
そして起死回生的な製品ラインの整理統合、集約化とiMacの発売。
Windows製品の氾濫状況の中から、
そういう状況に対する、「世界を変える」戦いを実現してきた。
パソコンという領域の中でのMacの地位保全から始まって
OSをどんどん進化させていったことが大きかったと思う。
今日のAppleの成功のカギの最大のものはやはり、UNIXベースの
MacOS-Xへの成功的な移行、ということが非常に大きい。
Windowsが、市場はほぼ独占したけれど、
結局、コンピュータ業界の進化を先導できないという状況が明確になり、
そこをMacOS-Xの進化が完全に上回ったということなのだろうと思う。
で、市場をパソコン以外の領域に拡大させて
そういう新たに開かれた市場で、競争を仕掛けていって
Windowsを追い抜いていった。
iPodとか、iPhoneといった、非パソコン的な製品分野で、
マイクロソフトのモタモタを尻目に完全に独走していった。
そして、昨年だったか、株式時価総額でマイクロソフトを抜き、
いまは、Appleは米国最大の時価総額の企業になったそうだ。
キャッシュの保有残高がアメリカ国家を上回っているとまで報道されている。
まぁ、経営者としてはものすごい男ですね。
きょう、そのかれの最後の置き土産のような
iPhone4Sが手元に、来るのかどうか(笑)、
通話品質はどうなのか、やや不安ではあるのですが、
こうしたいろいろのことを思いながら、手に触れてみたいと思っています。
合掌。
Posted on 10月 14th, 2011 by replanmin
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きのうは8時過ぎに帰宅しましたが、
そういえば、ということでテレビにて日ハム観戦。
やがて家人が、といってもカミさんと坊主の総勢3人。
ちょうど見始めたところ、1アウト満塁の局面の攻撃。
それがなんと、ダブルプレーで一瞬にして好機を逸してしまった・・・。
っていうようなイライラの募る展開。
仕事で疲れているのがもう一歩、疲れとストレスの溜まる展開。
あぁ、まだやらなきゃならない仕事があるなぁ・・・、
いい加減、観戦も続けられないなぁ、
と思っていたら、延長10回裏の守りで、
ストッパーの武田久が1人目の打者にヒットを打たれる。
それをレフト守備の中田くんが残念ながら後逸。
で、ノーアウト2塁という相手チームの絶好機が到来。
むむむ、まぁ、しょがない、これは潮時と観念して
仕事の続きをしなければと、居間を後にして書斎へ。
と思ったら、坊主が
「え〜、ここで逃げるのはファンとして男らしくない」
っていう至極、まことにその通りの指摘。
まぁ、しかし、「父ちゃん、仕事も残っているのだよ」と
言い残して、仕事に掛かっておりました。
残念な負け方を見せつけられると、精神的によろしくないので
その後の仕事に影響してしまう、その防御的な意味もあったのですね。
でもまぁ、やはり気にはなる。
と、悶々としていたら、カミさんが書斎に来てガラス越しに
なにやら、外からブロックサイン的な笑いの表情を浮かべている。
「え、負けたの?」
「ブルブル(否定アクション)」
「勝ったの」
「ブルブル(否定アクション)」
っていう、早く言えよ状態。
「引き分けたんだって、
2位でクライマックスシリーズ出場決定なんだって」
ということなんだそうであります。
で、仕事しつつ、坊主に言われたとおり、
若干の自責の念も感じておりましたが、
まぁよかったよかった、という次第。
ことしはわがチーム、快進撃を見せてくれていたのですが、
その後の8月以降の成績が、驚異的な負けっぷりで、
あわや、2位も危ない、という厳しい戦いになっていたのですね。
ファンとしては、まことに辛く苦しい展開。
思わず、やや遠くから眺める、という心境でおりました、
正直に申し上げて。
しかし、そういった辛さもいっしょに受け止めて闘うのが本当のファンだ、
という坊主の考え方はまことに正しい。
そういうことで、深く反省している父ちゃんなのであります。
まぁしかし、本当に良かったよかった!
クライマックスシリーズも、がんばれ北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 10月 13th, 2011 by replanmin
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連休が終わって、
いよいよ、たくさんの宿題がどっさりと山盛りであります。
やらねばならないことがたまりまくると、TO DOを書きます。
きのうは、緊急のもので9つほどあって、
やや、どうなるかなぁ、っていう心境。
で、その間にも、ちょこちょこと緊急案件が上がってくる。
夜には会合があって出掛けなければならない。
疲労が困憊状態で、夜、書斎に向かってもどうにもの睡魔。
まぁ、こういう状態、
覚悟を決めて、すこしづつ片付けるしかない。
友人たちからは、還暦がどうしたこうしたっていう話が
盛り上がりの材料になっていますが、
とてもそんな優雅な気分にはなれません。
さて、記録的な失速で辛い日々を過ごしてきた
わが北海道日本ハムファイターズですが、
きのうようやく、よたよたになりながらも、
クライマックスシリーズ出場を決めました。
やれやれ、っていったところであります。
一時期は、優勝を決めたソフトバンクとマッチレースの様相で、
毎年のことで、ソフトバンクは秋から調子を落とすので
涼しい北海道本拠地のわがチーム有利かと妄想していたのですが、
あにはからんや、急速な夏の激しい終わり方のように
一気呵成に落ち込んでしまった(泣)。
まぁでも、そこから相手の方もそう勢いがなく、
お付き合いしてくれたような感じで
仲良く五分五分みたいな状態に落ち着いてくれまして、
現在、3位のオリックスとのゲーム差は4.5。
あと1つ、勝てば2位確定なんだそうであります。
厳しい状況から、すこしづつ、ゆっくりと建て直しながら、
改善しつつある、といったところでしょうか。
一度、絶望的な気分も味わって、
そこからの捲土重来、うまくいきますかどうか?
でもことしに限っていえば、
ソフトバンクさんは強かったので、
率直に、このまま優勝でもいいように思ってもおります・・・が。
<リーグ優勝はソフトバンクに決まっているのですが、日本一決定の
日本シリーズ出場の権利はまだ、ないのですね。>
ということで、きょうも試合があるそうです。
頑張れ、斉藤佑樹くん。がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
<写真は無関係です。まぁ、すこしづつ道が開いていくイメージ(笑)>
Posted on 10月 12th, 2011 by replanmin
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仙台の街を作った伊達藩は
その家系の躍進者である伊達政宗が藩主のときに
領内にその家系を伝えるべく、いくつかの純粋培養領を作っている。
そのひとつが、古川に隣接する「岩出山」。
先日の出張の折、時間を見てその遺構を見てきました。
有備館という藩の子弟のための教育施設が
観光施設としても有名なのですが、
東日本大震災で、もののみごとにぺしゃんこになってしまった。
たぶん、礎石から土台がはずれて、
柱が四方にはずれ、屋根がくずれたものと推測されます。
なのですが、庭園の方は問題なく存続しています。
こちらのほうは、
正徳5年(1715)に仙台藩石州流茶道三代清水道竿によって作庭された回遊式池泉庭園で借景として岩出山城の岩肌を見せ、池の中には茶島を中心として鶴島、亀島、兜島などを配しています。庭園の特徴として石や燈篭を使わず、自然物だけで構成している点が上げられ、大名庭園として旧態を保っているのは、ここと会津若松市の「御薬園」しかないと言われています。昭和8年に有備館は地方領主が建てた最古の学問所として国指定史跡に、庭園は国指定名勝となっています。
というものであります。
この写真は、竹の屏風の先に岩出山城の岩肌を見たところ。
特に予備知識なく行ったのですが、
この光景は、たいへん「建築的」で、
庭園という概念が、良く伝わってくる気持ちがいたしました。
大名庭園って、いったいなんの意味があるのだろうと、
ずっと思っているのですが、
このように建築的なたたずまいとして見せられると
作庭の意図とかがわかりやすく示されていると思われます。
で、こういう植栽をあたかも建築材料のように使うのは
自然な感じがしてきます。
日本人の造る庭って、こういった創作活動なのでしょうね。
創作活動ではあるけれど、
自然物を使っているので、
結局は素材の力が勝っていって、最後は自然に戻っていく。
そういうプロセスの中間に、人間の考え方が遺される。
そういうことではないのかなぁと、
そんな思念にとらわれておりました。
Posted on 10月 11th, 2011 by replanmin
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きのう、ようやく札幌に帰ってきたのですが、
夕方から再び富良野で要件があって、往復であります。
表題のようなことで、倉本聰さんが記念講演会を行うということで
お話を聞いて参りました。
富良野にとって倉本聰さんの存在は、地域のプライド。
今回の一連のイベントは、根強いファン層の存在をあらためて示したものでした。
講演では、原発災害を大きな契機として
それでも便利さを捨てずにリスクを覚悟しながらいままでの道を行くのか、
それとも便利さを抑制する覚悟を持って新しい道を行くのか、
そういった二者択一が社会に科せられていると主張されていました。
倉本さんが講演などでいろいろな地域でこうしたアンケートを採ると、
明確に世代間でくっきりと相違が浮かび上がるのだそうで、
中高年世代では圧倒的に後者を選択するけれど、
若い年代のみなさんからは、前者の考えが示されるのだそうです。
「覚悟を持っているかどうか」は別としても、
これまで享受してきた「便利さ」を捨てるというアプローチは
想像することが出来ない、という「恐怖心」を若い年代のひとに
強く感じさせるのでしょうね。
さて。
閑話休題。
その後、食事会が始まりまして、
昼食をあんまり食べていなかったので、おいしそうなフルコースの
メニュー書きが胃袋直撃であります(笑)。
けっしてこの食事目当てで来たわけではないのですが、
そしてそのために昼食を取らなかったわけではないのですが、
(って、ずいぶん言い訳じみておりますが)
まぁ、ずいぶん食べました・・・。

まずはウニが入った前菜。
新富良野プリンスさん、なかなかやりますね。

って、次は海の幸のマリネ。
つい写真を忘れて、一番上に乗っていたカニは食べたあと(笑)。

で、その次も食べてから気付いたパイの包み焼き。
季節のキノコなどが中に入っておりました。

まぁこうなってくると、何が何だか忘れましたが、
めちゃんこ、おいしい。このほかにもう1点あったはずです。

で、こちらがメーンディッシュですが、
牛肉のほっぺたのステーキであります。
頭のなかは、茫然自失でただただ、ナイフとフォークに神経は集中。
このほかに、牛肉の切り落としもサービスがありました。

で、夫婦で分担して帰りの運転をするので
お酒抜きということで、ふたり分のデザート(笑)。
まぁ、倉本さんのお話をしっかり聞けて、しかもこんなおいしい料理をいただいて、
表題のお祝いに、ちゃっかりあやからせていただいた次第。
あ、会費はきちんと払っております(笑)。
帰り道、運転しながら、
お腹の満足感で、幸せいっぱいの1日でありました。
あ〜〜〜おいしかった。
Posted on 10月 10th, 2011 by replanmin
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きのうは福島県須賀川市で、板倉工法の主唱者で開発者の安藤邦博先生の講演会を取材。
先生は、仙台市生まれで現在、筑波大学の教授。
今回震災ではつくば市で地震に直面し、
かなり大きな被害も出たと言うことですが、
身の回りの復旧がメドが立って、それからは東北のことが頭から離れなかったといいます。
それまでも伝統木工法の研究者として、
多くの古民家が残る福島県とは縁があり、
震災に加え、原発災害まで折り重なる福島県をなんとか支援したいと考えたそうです。
で、木造での応急仮設住宅の実現に大きく尽力されました。
詳細については、
この秋11月に発行予定の「東北の住まい再生」2で発表いたしますが、
最後に見せられた職人さんたちの、
仕事をやり遂げたあとの清々しい笑顔のスライド写真が
そのすべてを語っていると思います。
復興するんだ、という精神は、まず建築がその心意気を見せなければならない。
そういう気持ちが、木造を作った職人さんたちの表情に満ちている。
そう感じたのはわたしひとりではないと思います。
さて、そうなんですが、
そこからの帰り道が大変でした(笑)。
先生の話が、長い長い・・・。
まぁ、ものすごくいいお話しで、わたしも席を離れられない。
でも、1時間以上オーバー、3時半には終わる予定が、ほぼ5時まで終わらない。
わたし、仙台からフェリーで夜7時半には出港しなければならない。
おいおい、であります。
泣きそうなんですが、先生のお話は本当に素晴らしい・・・。
あぁどうしよう、であります。
ようやく終わって、先生にお疲れさまでした、とても素晴らしかったです、
この間、先生の仮設住宅取材した三木ですわたし、
この内容をまとめて雑誌で発表させてください、よろしく。
と、マシンガンのように先生に伝えて、
「あぁ、あなたですね、ハイわかりました」と言っていただいて、
確認を済ませたあと、即ハンドルを握って総距離170kmを発車。
いまの東北道は、例の無料走行制度もあって、2車線とも走行車線になっていて
ずっと渋滞が続いております。
ハラハラドキドキですが、まぁとにかく安全運転と、
疲労を最小化させるように努力しながら、ひたすら、走行。
さすがに140km以上来たあたりで、
疲労もあってややフラフラするので、パーキングでかけそばを一杯。
10分ほどの休憩後、再び走行開始。
最後の、仙台東から仙台港北インター間が渋滞という情報を受けて
仙台東で下りて一般道へ。
最後の最後で、道をちょっと間違えましたが、
滑り込みで、フェリー受付へ。
今回はクルマは残して、カラダひとつだったのでギリギリ間に合いました。
でもさすがにどっと疲れが出てそのまま、夜7時半からベッドで即死状態(笑)。
でもまぁ、なんとか深夜3時前に気絶から復活。
4時過ぎから原稿まとめに入って、こうしてブログも書き上げました。
その後、フェリー埠頭に迎えに来てもらって、わが家到着です。
でも、これからまた夜遅くまで出掛けなければならない(泣)。
それにしても、いい講演を聴くことが出来ました。
安藤先生、ありがとうございました。
Posted on 10月 9th, 2011 by replanmin
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青森県の住宅をあるひとと一緒に見て回っておりました。
その地域らしい特徴的な住宅を見て、
お互いに建築の専門的な知見を交換しながら、
鑑定団のように、いや、探偵団のように、
あちこち見て回った次第であります。
写真は、青森県弘前市の旧商店街の一角。
街は歴史的に意味があって作られ、そこにひとが住み継いでいく。
最初は城下町であったり、門前町であったり、
いろいろにするわけですが、
結局は「町家」という形式にたどりつく。
日本的な都市建築は、おおむねそういうことです。
しかし、現在一般的に「新興住宅地」と言われている考え方は、
欧米的価値観での「都市計画」に準拠していると思います。
都市を、その機能性で仕分けして、「住宅地」とか「商業地」とか、
そのように仕分けしていっている。
しかし、この写真のような、江戸期、あるいはそれ以前からの
「街割り」も混在していて、明瞭な計画性というのは
現代の都市にはなかなか感じられない。
また、そのような「計画性」というものも永続性があるとも思われない。
町家という形式は、
武家などの権力階級が都市庶民から住民税を収奪するときに
その外観性という一般的にわかりやすい認識項目に準拠することから始まった。
いわゆる「間口」ごとに税金の基準を定めたのですね。
ただ、民衆の側はそれに対して
ウナギの寝床のような住居形式で知恵を絞って対抗した。
そういうことの妥協の産物で出来上がった「都市計画」だった。
そういうものに対しては、現代のクルマ社会への対応だけを考えたような
敷地割りの「住宅地」もそれなりには意味があるのかも知れないけれど、
勢い、古くからの都市性とは相容れない部分があるので、
日本の多くの地方都市では、徒歩圏での都市機能の集約性があったのに、
それらがおおむね、クルマ移動中心の都市計画、商業施設中心の
そういった都市、人間行動を誘発して、中心部の過疎化が進行し、
幹線道路周辺部の都市化にチェンジされていっている。
いま、東北の沿岸地域では、
さまざまな「地域計画」が論議されているけれど、
なかなか地域住民の「コンセンサス」形成がむずかしい局面を迎えている。
先の「復興大臣」さんの発言って、
こういうコンセンサス形成を自治体側に委ねていることを
つい反発を招くような言い方になってしまったということだと思います。
結局、現代で、街はどうあるべきかなんて、
そういう根底的な論議を導き出せるような共有認識など存在しないのではないか。
そのような絶望感が、ひしひしと迫ってくる気がします。
で、こういうテーマについて、いま、生活自体の根底が揺らいでいる
ひとたちが、考えなければならないことになっている。
確かにそれは、「地方自治」ではあるでしょうが、かなり難しいことを丸投げしている。
この点について、みなさんいかが考えられるでしょうか?
あんまり論議が出てきませんが、大きな疑問を感じております。
Posted on 10月 8th, 2011 by replanmin
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わたしはいまは、仙台におりまして札幌を留守していますが、
メールその他をチェックしていたら、
事務所からメールが来ておりまして、
どうも、植え込んでいるヤマボウシに寄ってくる羽虫たちのなかに
ちょっと歓迎したくないスズメバチがいまして、
それに恐怖しているスタッフが、専門家に相談したようなのです。
で、家の虫問題の相談者になっていただいている
(株)青山プリザーブ 前林 十三男さんから親切なアドバイスをいただいたので
ご紹介したいと思います。
いつもおせわになっております。
以下の件、
ご近所に巣があると思いますが、探知することはほぼ不可能です。
南向きの建物で日だまりになる雰囲気のようですから、
この時期、死を待つばかりの彼らにとってわずかな暖かさのあるところに集い
盛夏を懐かしんで、
「次に生まれるときもハチがいいよね。」
などど余生を語り合っているのかもしれません。
この夏、運よく駆除されずに、一生懸命に生き抜いてきた者たちの生き残りです。
ひとを刺しにくることはない個体だと思います。
見逃してやってください。
対策にはなりませんが、、、
またよろしくお願いします。前林
っていう、心温まるお便りでした。
当社の周辺には広い庭を持ったお宅もありまして、
どこかに巣があるのでしょう。
わたしも、事務所の周囲を気をつけてみてはいるのですが、
わが社の近く、目に見える範囲には巣は確認できませんでした。
「管理責任」
という、倉本聰さんに言わせると
「いちばん、きらいな言葉」なんだそうですが、
そういうことからいえば、無視してはいられないことであるのですが、
このアドバイスのような考え方が至当のような気がします。
この「管理責任」というものが
現在の日本の状況の出口なしを、かなり形成していることかも知れません。
社会全体が、大きな決断を下すような構造を拒否し、
目先の「管理責任」というものに振り回されて
もっと大きな責任というモノに対して、
そんなものどうせ理解できないのだから、ということで、
ほんのささいなことばかりに血道を上げる人間を大量生産している。
ちょっとしたことしか理解しようとしない体質を作っている、
どうもそんな気がしています。
そういう「ささいなことに優秀な人間」が、たとえばマスコミなどで
きわめて矮小な価値観を振り回して独走している。
また、証拠がないのに推定だけでひとを有罪にした司法判断の状況など、
おかしなことが多すぎる。
今日の日本の危機の本質は、実はそういうことなのではないか、
遅々として進まない東北の状況報告を聞きながら、
重ね合わせて考え続けていました。
Posted on 10月 7th, 2011 by replanmin
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