
先日、某所にて思わず撮影した家であります。
まぁなるべく特定できないように配慮してみましたが、
いかがでしょう、なにかがおかしいとおわかりでしょうか?
そうなんです、家があきらかに傾いているのです。
建築では「不同沈下」というように表現します。
木造では、家の水平が保たれるように細心の注意が払われます。
そのために鉄筋コンクリートで基礎が打たれ、
その上に土台としての横架材が渡されて、そこに柱が立てられていく。
基礎は、建築年代によって置き石や束基礎などの変遷を経て
いまの鉄筋コンクリート布基礎に至っているのですが、
古い家ではいまだに束基礎が見られることがあります。
そのような基礎が経年の地盤面の変化で
ゆがみを生じ、バラバラに高低差が生じてしまって
「不同」な「沈下」状況が発生してしまう。
その典型的な事例だと思います。
なかなか見られないので、つい興奮を抑えきれなかった。
地盤面というのは一定の形状・状況を保っているように思いがちですが
寒冷地などでは冬場の地盤凍結、春になってのゆるみを
経年で繰り返すことで、平坦な地盤面に変化が生じやすい。
そのような被害を防ぐために、「凍結深度」以下にまで基礎を深く打ち込む。
凍結深度というのは、その深さからは凍結しないという地盤の深さ尺度で
地域によって違いがあり、札幌では60cm、道東では100cmという地域もある。
この事例では、まちがいなく束基礎で、
それがバラバラの高低差を生んでしまっている。
その結果、建物自体が傾いてしまったのですね。
まず第1に危険なのですが、
見逃せない大きな健康被害として、平衡感覚のマヒがあります。
わたしも水平が維持できていない建物の取材経験がありますが、
入っている間中、名状しがたい苦痛が感じられる。
目に見えない不安をもたらす疼痛とでも言うのでしょうか、
たぶん三半規管が異常信号を発し続けて、
脳に負担を掛けるのではないかと推定しています。
結果としては吐き気が襲ってきたり、目眩に似た感覚が出たりする。
わたしの体験では、ここにもう1時間いてくれと頼まれても
ムリ、という気持ちを抱きました。
このような家でずっと暮らしていると、どうなるのか、
ちょっと想像できません。
家と人間の関係、
こんな事例も含めて、奥行きが深いものがありますね。
Posted on 6月 26th, 2014 by 三木 奎吾
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きのう夜に札幌に帰ってきました。
今回の青森出張は、当初のJRでの往復計画が脱線事故の影響で
飛行機での往復に変更した次第。
JR北海道の方については、きのう書いたのですが、
きのうは朝には復旧していたのだそうです。
まぁ苦言も呈したわけですが、なんとかJR北海道のみなさんには、
信頼回復の努力を続けていただきたいと思います。
で、きょうはもうひとつの移動手段である
飛行機の方であります。
今回は稲盛和夫さんの大車輪の働きで企業再生に成功したJALでした。
予定ではわたしの要件は月曜日だけで済むハズだったのですが、
急遽きのう火曜日にも一件、ずれ込んだ。
で、それは午前中いっぱいギリギリの時間でした。
予定では朝一番の便で帰還するつもりだったのですが
やむなく次の便に変えたいと思ったのです。
朝一番は、11時半。1日3便ということは知っていましたが
3便目は最終20時半。ということで、2便目は当然14時か、15時くらいと
常識的に信じ込んでいて気にも留めずにいたら、
なんと、2便目は12時40分だというのです。
青森市内で午前中に仕事を片付けたら、
空港まで、間に合う移動手段がないのです。
ちょっと驚きの事態。
今回の日程は、最初から変更に次ぐ変更だったので、
汽車や飛行機会社の変更ももうイヤになって
ほぼ諦めの心境になって、仕方なく最終便で帰ることを選択しました。
なんやかや、考えるのが面倒になってしまった次第(笑)。
まぁ、参りましたね。
青森ー札幌間、移動手段選択は現状では、ほんとうに難しい。
それくらいビジネス的に交流がないということなのでしょうか?
お金は高いけれど、早くてラクと飛行機を信じ込んでいたのですが、
まさか、こんな時間設定とは思わなかった。
JR利用であれば、札幌まで6時間ほどはかかるけれど、
乗車の時間はある程度、自由が利く。
時間は大体2時間おき程度なので、そうは狂いも生じない。
それとなんといっても、わたし、函館とか道南が好きなんです(笑)。
駒ヶ岳や函館山を眺めながら移動するのは好き。
それに、時間はパソコンで仕事していたらあっという間。
かえって、まとまった時間なのでエクセル仕事とかには都合がいい。
出張の仕事について、あれこれの進行を車中でまとめることも多い。
ということだったのであります。
で、一方、きのうの飛行機利用での思わぬ空き時間(笑)。
結局家に帰れたのは、午後10時半過ぎでした。
JRであれば、たぶん、午後7時くらいなので、
3時間半は損させられた。しょがありませんね。
ということで、あれこれと思い悩む
青森ー札幌間移動事情なわけであります。みなさんはどうなんでしょうか?
<写真は青森で人気のお店の「お通し」。美味、きれい>
Posted on 6月 25th, 2014 by 三木 奎吾
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きのうから青森に来ております。
わたしはちょこちょこと青森出張があり、
そのたびに、JRでの往復を繰り返しています。
青森以外に行くには、やはり仙台に飛行機で行って
そこからいろいろ各地に移動を考える、というのが普通ですが、
青森の場合には、JR利用がいちばん合理的。
まぁ、移動に時間がかかるのが難点とは言えますが、
費用との見合いではほぼ適当かと思っています。
なんですが、最近のJR北海道の問題点の噴出で
函館ー札幌間の特急の本数が削減されたままになっていて
急に出張予定が入ると、その区間の指定席がまず取れない。
まぁやむを得ないなぁと諦めざるを得ない。
大体帰りの、函館からの便の指定が取れません。
自由席利用になりますが、通常大体は座って帰ってこられる。
そんなふうに利用していましたが、
今回の貨物列車の脱線事故では、HP上では
「江差線で運転見合わせ」というアナウンスなんですが、
実は影響の最も大きい「津軽海峡線」がまったく不通になっている。
この間のJR北海道の発表は、まことに不明瞭なものに終始している。
HPでは、先述のように「江差線が・・・」という書き方になっていて
一番多くの利用者の関心事である「青森ー函館」間のことが
まったく触れられていないのです。
やむなくインターネットのニュースとか、当事者外の情報にしか頼れない。
そのうえ、22日の時点では
「津軽海峡線も運転を見合わせている」と書かれていたのに
23日にはその部分が抜け落ちてしまっていた。
ですからわたしなどは、「あ、津軽海峡線は復旧したのか」と思ってしまった。
ところが事実は全然違っていて復旧のメドは立たなかった。
で、企業の明確な発表のないまま、誤解した人が札幌から函館まで移動し、
多くの人がフェリーに乗り換えざるを得なくなって
ターミナルには大勢のみなさんが押し寄せたということです。
青森のタクシーは突然のフェリー客で大忙しになっている。
たぶん、このHPの書き方を見て、
わたしのように誤解してしまった人は多いのだろうと思います。
函館に着いて、はじめて津軽海峡線の不通を知ったのでしょう。
JRの券売所窓口でも、22日日曜日の時点で、
翌日の運行についてはまったく状況の発表アナウンスがなかった。
「明日になってみなければわかりません」という対応でした。
わたし自身は、その時点でJR北海道に事故対応当事者能力がないと判断し、
即座に飛行機に変更して、仕事はきちんと片付けることが出来たのですが
北海道と名前が付いているインフラ企業で、こういう状況はちょっと困りもの。
で、きのう23日中に復旧させるというメディア情報が流れていたのですが、
きょうの早朝4時過ぎに、HPを確認したら、
「発表時間外(24時から5時まで)」ということで、なにも情報開示がない。
おいおいであります。まぁ、まったくどうなっているのか?
ユーザーへの情報提供が使命であるHPが
このような企業としての非常事態の時に時間外だから開示していないって、
企業ガバナンス能力を疑うような事態になっています。
たしかに広大な北海道で人口も少ない中で保守すべき鉄路は
企業規模を超えるような範囲になっているだろうことは理解出来るけれど、
それにしても、対応がずさんすぎる。
人口減少社会が本格化する中で
このようなインフラ企業は、今後ともきびしい状況に追い込まれていくでしょうね。
かつての北海道拓殖銀行のような事態が
北海道と名付けられたインフラ企業で起こらないとも限らないと
不安な気持ちがよぎってくる昨今であります。
なんとか信頼回復に努めて欲しいと祈念します。
<写真は神頼みのため(?)の北海道神宮内宮です、よろしく>
Posted on 6月 24th, 2014 by 三木 奎吾
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2週間から3週間ほど前には
全国一に暑い日が続いたりしていた北海道ですが、
その後、6月の観測ではもっとも長雨に突入。
まぁまぁ、来る日も来る日も雨ばっかりという憂鬱な天候続き。
いちおうわたしはゴルフ、お付き合いくらいはするんですが、
ことしはまったく行く気が起きない。
忙しいし、ちょうどいいからこれを機会にきっぱり止めてしまおうかと
まで、考えている次第であります、まぁそんなことはないでしょうが(笑)。
そんな雨模様がようやくきのう上がって、
カラッと晴れ渡ったのですが、夕方からふたたび曇りがちに。
どうにも、あの北海道の爽やかな初夏が消滅している。
地球上でも稀有な「天国に一番近い」北海道の初夏が、なくなった。
どうにもさみしくてなりませんね。
わたしは北海道で生まれ育ったので、
小さいときの記憶の中に、真っ赤な夕焼けとか、奇怪な形状の雲とか
あるいは、乾燥気味の空気感とかの身体記憶があります。
東京生活を始めた頃に
東京で知り合ったひとたちと話していて
「地平線って、見たことがない」みたいな人たちが多くて
おいおい、と呆れていた記憶があります。
人間は自分にはないものに深く焦がれるものだろうと思います。
わたしの場合には、北海道の自然がもたらしてくれる体感は好きだけれど
一方で人文の乏しさ、その積層感のなさがいやで、
本州地方の、たっぷり人文痕跡がある地域に憧れ続けた。
それが原因なのか、結果なのか、
わからないけれど、歴史が大好きというのは、
そういった部分が大きいのではないかと思っています。
自然が豊かであるって言うことはうれしいことではあるけれど、
でもそう「誇らしい」ことでもない、みたいな、
そんな心情を抱き続けてきた。
しかし、その自然が変調を見せているようになると
なんともいたたまれないような、豊穣さを失った気分に襲われる。
梅雨がないと言われていた北海道の
この今の時期のすばらしさが、消えてしまった喪失感は
心理の奥底に沈殿するかのようであります。
まぁ、神さまのきまぐれである天気に、
人間がどういってもムダではありますが、
もうちょっと、初夏らしい季節を取り戻して欲しいと念願します。
火の恋しい季節は、この時期の北海道、どうもふさわしくない。
Posted on 6月 23rd, 2014 by 三木 奎吾
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歴史に興味を持ち続けているわたしですが、
日本史を習っていて、いつも持ち続けていた疑問が
武士が政権を握って、ほぼ同時期に禅宗が導入されていったこと。
武士の発生と禅の興隆の2つのことには、
どんな内在性共有性があったのか、ということです。
鎌倉に政権ができて、日本が本格的な2重政権状況になり、
承久の変を経て、武家政権の優位性が確立した。
それとほぼ時期を同じくして、建長寺という年号を寺号とする禅宗寺院が
鎌倉に創建され、国家鎮護仏教として禅が導入された。
それは、当時中国大陸で最新の宗教として隆盛していたから
というような単純なことであるのか、
仏教は、奈良時代の大寺院たち、平安時代の比叡山と高野山、
といった天皇・貴族階級のためのものからダウンサイズして
武権にとって、より都合のいい教義を備えた禅がもてはやされたものなのか、
たぶん、そういったタイミングとかすべてを含んで禅が興隆したのでしょうが、
そんなことを永平寺見学をしながら、解明のよすがを求めていた次第。
結論から言うと
そんな大きなテーマは、浅学の一市井の門前の小僧の身には持ちがたく、
あえなく帰路に着くのみでありました(笑)。
まぁ当たり前であります。
武士という存在の出自にはいろいろな考え方があるようです。
が、一般的には地方の開墾地主が自らの権益を守るために
武装し、同時に中央政権側の認証を得たいという動機に駆られて
より政治力の強い源氏・平氏という武門を担ぎ上げていった、
というのが、多くの見方と言えるでしょう。
間違いはないと思います。
最近では、平将門の乱というのが中央政権貴族にとって未曾有の恐慌だったようで、
それを鎮圧した家系が、源満仲と平貞盛であり、
この両家が、清和源氏、桓武平氏であったことから、
地方の武家が祭り上げるのに貴族社会からの認証も得やすかった、という説があります。
で、頼朝という革命的な策略家が関東に武権を樹立した。
禅というのは、個人の内面世界的な安寧をもとめる部分があって、
このようなリアリズムに身を置く武士たちにとって
殺し合いの現場的な精神性の部分で
リアリティがあったのではないかと思っています。
「葉隠」に、殺し合いの時に極度の集中感から「周囲が暗くなる」という
描写があったのを記憶しています。
たぶん、相手だけが見えて周囲がまったく見えなくなる状態になるのでしょう。
そう極限的ではなかったけれど、類似した体験は身にも覚えがあります。
そしてそういう局面に立ったときに、どのように自由に体を動かすか
というような武芸者としての実践的な行動哲学が語られている。
そういった武士にとって不可欠な、「明鏡止水」というような心理描写は
それまでの仏教に比較して、格段に実践的だと認定されたのではないか。
そんなふうに考え続けています。
でもまぁ、なかなか禅問答のように
答は一発では出てこないものなのでしょうね、きっと。
Posted on 6月 22nd, 2014 by 三木 奎吾
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永平寺でいちばん感じたことは、すべてが修行であると言うことです。
この寺は禅のお坊さんたちが修行する場なので当然なのですが、
われわれ庶民にも直接関わることとして、
食事について、こういった禅の考え方が日本人には刷り込まれている不思議さです。
わたしたちは食事にあたって「いただきます」と唱えて、感謝の心を表している。
それは食を通して「いのちをいただく」という禅の教えに根ざしている。
あれは、まごうことなく禅の教義であるワケです。
修行のためのたくさんの伽藍を巡ったあと、
あるお部屋で、永平寺の「食」についての考えをまとめたビデオが上映されていた。
なんでも、典侍という永平寺でも3番目にエラい役のお坊さんって
食事の係なんだそうです。
で、エラいからと言って奥に籠もっているのではなく、
毎日毎日、3度3度、200人からの大人数の修行僧のための食事を
先頭に立って、作り続けているのだそうです。
開祖、道元さんは、食は大切な修行の機会であると説いて
その責任者に高い地位を与えていたのだそうです。
それが「精進料理」という文化を生み出し、
そして庶民隅々に至るまで、食文化伝統に染みわたっていった。

食を作ることの隅々にまで、こうした考え方は貫かれていて
どんな食材も、そのすべてを「いただく」ことに精魂が傾けられている。
それぞれの素材の「いのち」をそのままに感受出来るように
細心の配慮が施されて、ひとの口に入るように考えられている。
そして一方、食べることについても
そういった考え方を受容できるように作法として考えられている。
ひとハシ、ひとハシに行動の意味と、合理性を調和させている。
食事は早すぎても、遅すぎてもいけない、
そのような呼吸を得ることも大きな修行であるというのですね。
日頃、毎日のように自分でも食事を作っていて
しかもダイエットとかに取り組んでいるので、
こういった考え方に触れて、まことに一言一句がストレートに入ってくる。
宗教と言うこと、生き方と言うことが、
非常にわかりやすいかたちでひとびとに示されるという意味で
まことにすごいシステムを道元さんは考えつかれたものだと感心させられます。
雑念と煩悩にまみれた穢れた身でありますが、
永平寺に行ってから、ときどきその食事作法をまねてみようと試みています。
日常のもっともなにげない局面で、
「どうしなければならないのか」をしっかりと考えさせられる。
まことに実践的なシステムだと思います。
食への敬虔な態度を構築できれば、それが本然の修行の本質に関わってくるのですね。
まぁ、数週間が経って
すっかり習慣は忘却されていくのですが(笑)
それでも、こころの片隅には
食を思い知るよすがだけは残っていると思います。
たいへんありがたい体験を得させていただきました。
感謝。
Posted on 6月 21st, 2014 by 三木 奎吾
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北陸の旅、続いて向かったのは「永平寺」であります。
NHKの「行く年来る年」での中継地ではたぶん回数NO.1独走でしょう(笑)。
それこそ、おごそかさでは日本人の意識構造に刷り込まれた存在。
宗教にそれほどの関心を持っていない人でも、
名前を聞けば「あぁ、NHKに出てくるお寺ね」とでも答えそうです。
なにを隠そう、わたしもその程度の知識くらいしかありませんでした。
ただ、わたしの場合、それが禅寺であるくらいのことは知っておりました(エヘン)
って、そんなのだれでも知っていますね(笑)。
わたしの家は真言宗で、よくお世話になっているお寺のお坊さんとも話すので
まぁ、そこそこ宗教的な予備知識はありますし、
般若心経くらいは、暗記していてそらんじることは出来ます。
でもまぁ、両親を亡くしていて葬式や供養に関わることが多くなれば、
大人であれば、それくらいはわかる常識でしょう。
その程度のごくわずかの予備知識しかありません。
宗旨は違うけれど、いっぺんくらいは機会があれば詣りたいと思っていた次第。
ということで、福井県を目指して宿泊地・金沢から南下しました。
石川県と福井県の位置関係も北海道の多くの人はわからない(笑)。
現代の最大の行動半径拡大装置は、なんといってもクルマとカーナビ。
道を探すという手間がなくなって、
どれほどのひとの思考→行動の時間短縮に繋がっているか計り知れませんね。
で、1時間ほどで永平寺の山門前駐車場に到着。
早起きは三文以上のトクで、ガラ空きの駐車場にスイスイ入庫。
で、そこから永平寺探訪のはじまりであります。
でも現代ではこんなにラクですが、
人里からはかなり離れた深山にあります。
途中、かなりの森を抜けてきましたから、
昔の人たちは、ここに至るまでで「修行」の門をかなりくぐったと思いますね。
さて、写真は最初に見学者が通される「大広間」。
わたし、こういう障子越しの光が絶妙に室内を照らし出す光景が大好きです。
不思議と、こころが休まる気がする。
きっとだれでもそうであるに違いないと思っています。
建築側は、こういった空間にそのような意味合いをきっと仮託するに違いない。
日本の建築に顕著なこういう空間性の意味、
あんまり実証も出来ないだろうけれど、
科学の洗礼を受け続けた現代中高年たちは、そろそろ
解明していかねばならないでしょうね。
長寿社会を生き、日本の未来社会になにがしかのものを残していくのに
こういった部分も、解明する義務があるのではと思っています。
こういう静謐だけれど、ある明瞭な秩序感のある建築空間構成。
そこに展開するひかりの微妙な表現力。
欄間の模様が、静まったひとびとのこころに染みこんでいく仕掛け。
最初に「ここは禅の修行の場です」とわたしたち見学者には宣明されるのですが、
通されるこの空間でまずは、
「自分と向き合うこと」という修行の姿がおぼろげながら伝わってきます。
どうにも長くなりますので、
また明日、続けることにします。
Posted on 6月 20th, 2014 by 三木 奎吾
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輪島近郊の時国家という目的地に向かったのですが、
しかし、途中の道に点在する里山風景の美しさには圧倒された。
思わず何度もクルマを止めてシャッターを切り続けたけれど、
それが人間が作りだしてきた景観であることを思いつつ、
住宅というものに関わってきて、
これほどに「集住」の美を見せられたことはなかった。
まったくの不勉強で、この地域が
「世界農業遺産」に登録されている事実すら知らなかった。
というより、そういった制度があったことも知らなかった。
そうした権威とか、認定制度とかいうことよりも
まずは圧倒的にすばらしい。
平地面積が少なく、山がちの土地柄の中で、
水利もいい平地を可能な限り農地として利用して
人間の家々は、山裾に寄せて「集村」させ、
しかもその家々が、雪対策からだと思われる、きれいな切妻になっている。
それらが、冬の季節風からお互いを守るかのように微妙に配置され
屋根瓦は、これも落雪させやすいように黒く釉薬を施された瓦で統一されている。
自然と、農業生産と、人間の暮らしのハーモニーが
一個の交響曲のように絶妙にバランスされた美しさ。
まさに息をのむような思いを禁じ得ませんでした。
「北国」としての日本的な暮らしのありようのひとつの典型を見る思い。
広大な農地面積の北海道では
このような土地条件の開拓地は見られなかった。
というよりも、そういった地域よりも開拓しやすい地域が選ばれて
人口集積されていった。
農地が広大であることから、農作事の利便性を考慮して
北海道では「散村」形式が一般的になっていった。
その分、季節風などから家屋を守るというより以上に
家一戸の断熱性を最優先して技術発展してきたのだと思います。
そのような北海道住宅のルポライターの視線には
彼我の相違と、それによって生み出される美感に打たれます。
しかし、このような営み総体として
「世界農業遺産」に登録しようというこの地域のみなさんの発想には
もうひとつ大きな気付きをもたらされる思い。
また、ニッポンの「地方」がプライドをもって次代に生き残っていく
大きな力にもなって行くに違いありません。
こころに残り続ける景観に巡り会えたと感謝しています。
Posted on 6月 19th, 2014 by 三木 奎吾
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以前も書いたのですが、わたしが毎朝のように行く
北海道神宮本殿内にある太鼓の前に書かれている案内文。
この左側の文字が読めないし、意味もわからないということだったのですが、
こういったわたしのような声が神宮側に伝わったのか、
同様の意味を表現した日本語案内、その下には英語の案内まで
追記されておりました。
言葉の意味は、右の日本語表記と同じ意味で中国語なんだそうであります。
ついにわたしの小さな疑問が解決したのであります(笑)。
率直にうれしい。
どうやら、中国からの観光客のみなさんが増えてきて、
この案内文に書かれているようなことを間違ってされる方がいるようなのですね。
わかってしまえば、まったくわかりやすいことであります。
でも、説明がないときには、なにやらお釈迦様の梵語のようで
ありがたい偈のように感じられて、
「お願いですから、雑念を払って下さい、太鼓様」というような
まったくの誤解をしておりました(笑)。
というようなことなんですが、
中国のみなさんとの、あるいは国家としての中国との付き合い方は
相変わらず、難しさがつきまとっていますね。
朝日新聞は、嫌韓嫌中ヘイトスピーチ的な出版に対して
それが行き過ぎでおかしいのではないかという出版会内部からの声を
きょうの新聞で掲載していました。
こういう主張は何回か、朝日の誌面で見られます。
このこと自体はその通りだと思います。
わたしたちは心していなければならない。
中国政府や軍関係者の国家主義的・覇権主義的な
挑発的な行為や言動とは別に
国民レベルでは大いに共存共栄していくべきだと思います。
ただそのときにも、同じ漢字を使っているからといって、
なんでも通じ合えるわけでもない。
そんな難しさを、このちょっとした案内文からも感じます。
いちばんの民族的な相違って、
日本人はなんでも内面世界的に理解しようとする傾向があるのに対して
一方中国は徹頭徹尾、ありのままそのまんま、という傾向を感じます。
この一文でも、わたしは、内省的にというか、
漢字の雰囲気で、精神性の部分で理解しようとしたのですが
意味本来は、直接的なことであった、というようなすれ違い。
中国の観光のみなさんは、こういう太鼓を見たら
無邪気に叩いたりするのでしょうね、神社は困るけれど。
しかもそうした違いが、
外面的にはほとんど違わない人間なのにあるということ。
そういう難しさを踏まえて、どのように向き合って行くべきなのか、
たとえ中国が世界の基本的な価値観を受け入れて
民主主義社会が実現したとしても
大国として、日本のごく隣接した地勢的な位置にありつづけるのは事実。
日本人のアジア世界での国際感覚が問われてもいると思います。
Posted on 6月 18th, 2014 by 三木 奎吾
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わが家では1階の暖房にはエアコンを使っております。
1階は事務所兼用住宅として建てた1991年から事務所専用スペースでした。
で、スタッフの拡大とパソコンでのDTPの導入に伴って
夏場の過熱対策として、エアコンを冷房用として入れたのです。
約10坪ほどの場所に5人くらいがいて、
パソコンが5〜6台、さらにプリンターなどの光熱発生装置が集中したので
その過熱を抑える必要が生じたのですね。
ただ、導入はやや遅れて5年後1996年でした。
で、その後、2002年には増大するスタッフにスペースが追いつかなくなり
やむなく事務所を別に新築して移転させました。
事務所が移転してからは、専用住宅となったのですが、
広すぎて、1階はほとんど利用していない状態でした。
しかしそれももったいないので、3年ほど前から
わたしが、この10坪ほどの旧事務所の一角を書斎として
第2事務所兼用で使用しはじめた次第です。
暖房は、わが家は灯油式セントラル温水循環方式の床暖房ですが
灯油の高騰もあって、もともとあったエアコンで暖房しようと考えたのです。
それ以来、主に暖房としてずっと使ってきましたが
今年の冬に、やや挙動不審な動作をしていて、一時期使えなくなりました。
まぁ、導入からは18年が経っているので、寿命ですね。
だましだまし使っていたのですが、
やはり冬の暖房に利用しているので
万が一、おシャカになったら不安と言うことで入れ替えることにしたものです。
事務所に入れたものも1台おシャカっていたので
あわせてきのう、その入れ替え工事が行われました。
しばらく建築駆体の状況確認していなかったし、
その確認の意味もあって、立ち会っておりました。
写真は自宅の壁にエアコンの穴を開ける作業の様子です。
15cmほどのブロック+50mmの断熱材スタイロフォーム+通気層+外壁鋼板。
都合、250mmほどの壁厚に穴を開けていく。
専用のドリルを使って工事していましたが、時間にして2時間超。
ブロックの中空部にはモルタルセメントも封入されているので
頑丈さはハンパではない。
その先の断熱材も劣化は見られず、建築後23年経っていますが、
駆体はまったく問題がありませんでした。
これは間違いなくわたしの寿命をはるかに超える頑丈さ。
やはり建築計画の時に優先した長寿命ということが実証されました。
問題が発生するとすれば、木造で作られている屋根などの継ぎ足し部分。
しかしそうだとしても、軽微な追加工事で延命させることが可能。
構造点検は安心できるものでした。
エアコンは18年前とは規格が変わっていて
寸法が違ったので、既存の穴は使用できなかったのです。
使用済みの穴は、樹脂でふさいで中空部には吹き付け断熱処理。
という次第で、無事わが家の入れ替え工事は完了できました。
しかし、単なる設備入れ替え工事ですが
なかなか大変だと実感させられました。
Posted on 6月 17th, 2014 by 三木 奎吾
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