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永平寺で考えたこと 1

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北陸の旅、続いて向かったのは「永平寺」であります。
NHKの「行く年来る年」での中継地ではたぶん回数NO.1独走でしょう(笑)。
それこそ、おごそかさでは日本人の意識構造に刷り込まれた存在。
宗教にそれほどの関心を持っていない人でも、
名前を聞けば「あぁ、NHKに出てくるお寺ね」とでも答えそうです。
なにを隠そう、わたしもその程度の知識くらいしかありませんでした。
ただ、わたしの場合、それが禅寺であるくらいのことは知っておりました(エヘン)
って、そんなのだれでも知っていますね(笑)。
わたしの家は真言宗で、よくお世話になっているお寺のお坊さんとも話すので
まぁ、そこそこ宗教的な予備知識はありますし、
般若心経くらいは、暗記していてそらんじることは出来ます。
でもまぁ、両親を亡くしていて葬式や供養に関わることが多くなれば、
大人であれば、それくらいはわかる常識でしょう。
その程度のごくわずかの予備知識しかありません。
宗旨は違うけれど、いっぺんくらいは機会があれば詣りたいと思っていた次第。

ということで、福井県を目指して宿泊地・金沢から南下しました。
石川県と福井県の位置関係も北海道の多くの人はわからない(笑)。
現代の最大の行動半径拡大装置は、なんといってもクルマとカーナビ。
道を探すという手間がなくなって、
どれほどのひとの思考→行動の時間短縮に繋がっているか計り知れませんね。
で、1時間ほどで永平寺の山門前駐車場に到着。
早起きは三文以上のトクで、ガラ空きの駐車場にスイスイ入庫。
で、そこから永平寺探訪のはじまりであります。
でも現代ではこんなにラクですが、
人里からはかなり離れた深山にあります。
途中、かなりの森を抜けてきましたから、
昔の人たちは、ここに至るまでで「修行」の門をかなりくぐったと思いますね。
さて、写真は最初に見学者が通される「大広間」。
わたし、こういう障子越しの光が絶妙に室内を照らし出す光景が大好きです。
不思議と、こころが休まる気がする。
きっとだれでもそうであるに違いないと思っています。
建築側は、こういった空間にそのような意味合いをきっと仮託するに違いない。
日本の建築に顕著なこういう空間性の意味、
あんまり実証も出来ないだろうけれど、
科学の洗礼を受け続けた現代中高年たちは、そろそろ
解明していかねばならないでしょうね。
長寿社会を生き、日本の未来社会になにがしかのものを残していくのに
こういった部分も、解明する義務があるのではと思っています。
こういう静謐だけれど、ある明瞭な秩序感のある建築空間構成。
そこに展開するひかりの微妙な表現力。
欄間の模様が、静まったひとびとのこころに染みこんでいく仕掛け。
最初に「ここは禅の修行の場です」とわたしたち見学者には宣明されるのですが、
通されるこの空間でまずは、
「自分と向き合うこと」という修行の姿がおぼろげながら伝わってきます。

どうにも長くなりますので、
また明日、続けることにします。

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