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北海道神宮太鼓の案内文

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以前も書いたのですが、わたしが毎朝のように行く
北海道神宮本殿内にある太鼓の前に書かれている案内文。
この左側の文字が読めないし、意味もわからないということだったのですが、
こういったわたしのような声が神宮側に伝わったのか、
同様の意味を表現した日本語案内、その下には英語の案内まで
追記されておりました。
言葉の意味は、右の日本語表記と同じ意味で中国語なんだそうであります。
ついにわたしの小さな疑問が解決したのであります(笑)。
率直にうれしい。
どうやら、中国からの観光客のみなさんが増えてきて、
この案内文に書かれているようなことを間違ってされる方がいるようなのですね。
わかってしまえば、まったくわかりやすいことであります。
でも、説明がないときには、なにやらお釈迦様の梵語のようで
ありがたい偈のように感じられて、
「お願いですから、雑念を払って下さい、太鼓様」というような
まったくの誤解をしておりました(笑)。

というようなことなんですが、
中国のみなさんとの、あるいは国家としての中国との付き合い方は
相変わらず、難しさがつきまとっていますね。
朝日新聞は、嫌韓嫌中ヘイトスピーチ的な出版に対して
それが行き過ぎでおかしいのではないかという出版会内部からの声を
きょうの新聞で掲載していました。
こういう主張は何回か、朝日の誌面で見られます。
このこと自体はその通りだと思います。
わたしたちは心していなければならない。
中国政府や軍関係者の国家主義的・覇権主義的な
挑発的な行為や言動とは別に
国民レベルでは大いに共存共栄していくべきだと思います。
ただそのときにも、同じ漢字を使っているからといって、
なんでも通じ合えるわけでもない。
そんな難しさを、このちょっとした案内文からも感じます。
いちばんの民族的な相違って、
日本人はなんでも内面世界的に理解しようとする傾向があるのに対して
一方中国は徹頭徹尾、ありのままそのまんま、という傾向を感じます。
この一文でも、わたしは、内省的にというか、
漢字の雰囲気で、精神性の部分で理解しようとしたのですが
意味本来は、直接的なことであった、というようなすれ違い。
中国の観光のみなさんは、こういう太鼓を見たら
無邪気に叩いたりするのでしょうね、神社は困るけれど。
しかもそうした違いが、
外面的にはほとんど違わない人間なのにあるということ。
そういう難しさを踏まえて、どのように向き合って行くべきなのか、
たとえ中国が世界の基本的な価値観を受け入れて
民主主義社会が実現したとしても
大国として、日本のごく隣接した地勢的な位置にありつづけるのは事実。
日本人のアジア世界での国際感覚が問われてもいると思います。

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