
昨日郡山での一般向け講演会を終えて
クルマで仙台空港まで戻って、深夜に札幌へ帰還。
本日は、たっぷりと寝られて、起きたら6時という、
わたしとしては大変な寝坊でありました(笑)。
で、ここんところ風邪気味だったりで、できなかった早朝散歩、
っていっても、福島できのうも出かけていたんですが、
本日、札幌でも1週間ぶりくらいに出ました。
ところが、いつも停めている北海道神宮の駐車場、
きょうは行列になっていて満杯、っていうか、
そもそも駐車場スペースにはたくさんのテントが林立している。
事情が飲み込めませんでしたが、
やむなく大回りして、遠くの駐車場に移動。
で、散歩中の北海道神宮参拝時に、ようやく事情がわかった。
「にいなめさい」という神事、祭事なのであります。
神様が行うバザーのようなことなのですね。
散歩が終わってクルマで帰還する段になっても
付近一般道でのクルマの駐車数は増える一方でした。
楽しそうなので、ぜひ見たかったけれど、
駐車場からは、大回りになるし、散歩道からもはずれるので断念。

一方、神宮の門の屋根には雪止めが設置されていました。
銅板葺きという最高級の屋根仕上げ材なので、
それに対して鉄製の「雪止め」を打ち込むのは、
はばかられるということなのでしょうね。
また、異金属素材同士で互いに干渉しあって思わぬ腐食もあり得る。
そういうことなので、メンテナンスもしっかり出来ることから
このように木製の雪止め設置ということになるのでしょう。
駆け足気味に冬支度が進む北国・北海道でありますが
しかし、気温的には今朝など、かなり温暖。
きのうの朝の福島の方が数段寒かったと思います。
こういう季節変化の様相を、しっかり楽しみながら暮らしていける
そんな小さな幸せ、いいなぁと思って過ごしております。
Posted on 11月 23rd, 2014 by 三木 奎吾
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きのうは札幌から仙台へ移動。
本日、郡山で講演を頼まれまして、その前乗り。
なんですが、先週末以来、風邪気味でなかなか抜けない。
散歩なども出来ないし、運動不足。どうもスッキリしません。
そんなことでまだ、講演パワーポイントデータを制作できていない。
ヤバいので、早めに福島県入りして、ホテルで制作しなければ。
ただしホテルチェックインまでに若干の時間があるので、
仙台空港からレンタカーでややゆったりと南下。
途中、なにやら心惹かれる古社が・・・。
わたし、こういう古社には弱いのであります、つい写真を撮りたくなる。
北海道には、いわくのある古社がないというコンプレックスからか、
本州地区にいると、無性に焦がれる部分があります。

諏訪神社: 延元元年(1336)に鎮守府将軍・北畠顕家が、
義良親王を奉じて陸奥に下向した際、信州諏訪大社から
諏訪大神の分霊を勧請し、(この地に)古くからあった佐久良(佐倉)神社に
合祀されたと伝えられている。
その後、伊達政宗が、相馬遠征の際当社に戦勝を祈願し、
その凱旋のときに金幣帛や烏帽子・日色鈴を奉納して、
天正18年(1590)に社殿を造営したと伝えられるが、
現在の社殿は、本殿が享和3年(1803)、拝殿は文化4年(1807)に、
村民の寄進によって建造されたものである。
建築様式は、本殿が一間社流造り、拝殿は入母屋造り平入で、
妻飾の虹梁・蟇股・木鼻などは華やかな彫刻で飾られ、
江戸時代後期の特色があらわれている。
石鳥居は、安政4年(1857)に建立された明神鳥居で、
高さが約4.2m、笠石は約5.7mあり、市内の石鳥居の中では最も大きい。
というような由緒書きであります。
いきなり、「鎮守府将軍・北畠顕家」が出てきますね。
ちょうどいま、南北朝期の動乱期のことを記述した
「戦争の日本中世史」という電子書籍を読んでいまして、
自分の所領を増やしたい一心で、しかし動乱の中で浮沈せざるを得ない
かれら武家の経済戦争ぶりが丹念に研究されている一冊であります。
もともと南朝側の京の公家でありながら
奥州の武家あるいは蝦夷たちの統領になって活躍した
鎮守府将軍・北畠顕家というのは、興味ある人物なのですが
それ以上に、かれを擁立して所領拡大を目指していた
奥州の武家・蝦夷たちのギラギラした欲望も、残照のように見えてきます。
この公家に率いられた一軍はなだれのような急行軍で
足利尊氏軍を京都から駆逐したことで有名。
日本史において、東北の武権が日本中央政局を席巻した唯一の戦史。
ただし、その後も浮沈変転きわまりない状況が続き、
また、強固な政治的基盤を持っていない孤軍であったので、
天下に覇を唱えるまでには至らなかった。
という故事を想起させる神社でした。
日本の古社には、こういった血生臭い来歴があるものが多い。
戦争と信仰は深く結びついて存在していると思います。
Posted on 11月 22nd, 2014 by 三木 奎吾
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きのうは朝一番で、旭川でのインタビュー企画取材。
雑誌の企画でふたりのビルダーさんと対談企画であります。
なんですが、お相手は業界団体の会合などでいつも顔を合わせている
芦野組・芦野社長と、新濱建設・新濱社長。
いわば勝手知ったる相方なので、話題には事欠かず、
あとでまとめてもらうライターさんには苦労を掛けたかも知れません(笑)。
それと会場として使わせていただいた家具メーカー・カンディハウスさんも
会長の渡辺直行さんとは高校時代の友人。
なんとなく全体的にアットホームな雰囲気で、進行させていただきました。
ただ、こうやって改めて旭川での家づくりについて
取材してみると、いろいろ発見もあって有意義。
旭川は日本の最北都市圏で人口規模50万人の拠点都市。
ふたりも出身は旭川ではなく、近郊町村。
近郊という言い方は他地域のみなさんにとっては言い過ぎ(笑)かも。
新濱さんに至っては、利尻島出身と言うことですから
距離は200kmくらいあって、しかも海を隔ててもいます。
しかし北海道は人口集積がまばらなので、それくらいの距離感でも
圏域が形成されています。
現代の日本の「地方」は、まったくのクルマ社会。
そういう条件では、これくらいの距離感も一体的な圏域になっている。
ちなみに新濱さんは、漁師さんの家の息子さんでしたが、
なんと船に酔うということで、やむなく建築の方向に進んだということ(笑)。
おいおい、であります。そんな初めて聞ける話もあって面白い。
で、旭川という地域は、寒さは日本でも最高レベルの地域。
しかも積雪も多い。
温暖地のみなさんにはこの辺の知識が少ないかも知れませんが、
北海道でも、雪は多い地域、少ない地域に分かれます。
また相対的に気温が温暖な地域と寒さが厳しい地域にも分かれ、
さらに、冬場の日照が多い地域、少ない地域にも分かれます。
よく比較される道東・十勝地域と気温条件はほぼ同じだけれど
それ以外では正反対になっている。
そういった地域区分のすべての条件において厳しいのが旭川・道北圏域。
寒く、雪がたくさん降って、しかも日照が少ないという地域なのです。
新住協・鎌田先生が研究開始当時から
そのもっとも厳しい条件地域のパートナーとして協同してきたのです。
日本の高断熱住宅の来し方から現在、さらに未来展望まで語っていただいた次第。
日本でもっとも厳しい気候条件の中で、地域の工務店が
どんな家づくりを行ってきたのか、
その姿を浮き彫りにしてみたいと思います。
他地域、温暖地域で高断熱高気密住宅を志向されているみなさんにとっても
有益な人間情報になっていると思います。
次号12月末発売のReplan北海道に掲載されますので、
ぜひご一読ください。
写真は札幌ー旭川の行き帰りの道央高速から見える「暑寒別連峰」。
日本海の季節風から手前の石狩平野地域をガードする山並み。
冷たく湿気を帯びた季節風が、山並みにぶつかってモヤがかかったようになる。
冬の初めでしたが、おだやかな姿態を見せてくれていました。
もうすぐ、風景が一変する荒涼とした厳冬がやってきます。
Posted on 11月 21st, 2014 by 三木 奎吾
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私どもでは、高断熱高気密住宅の啓蒙のために
マンガを制作し続けておりまして、わたしは交渉作業から考証、脚本創作など
総合的な役割を果たしているのですが、
この表現形式は、まことに面白い可能性を持っていると感じます。
目に見ることのできにくい「快適性」を伝えるには
写真表現や文章表現では難しい部分もあるのですが、
マンガであれば、かなり肉薄できるのではないかと思っています。
それもストーリー性のある、ドラマがそこに展開されれば、
人間の理解力にかなり深く迫っていくことができる。
こういう「マンガ文化」をひとつの流れのようにして
ニッポン社会は持っていると思います。
この鳥獣戯画は、その最高の古典であろうと思うのです。
他の国ではどうか、詳しくは知らないのですが、
ことニッポンでは、芸術の一ジャンルとして、
写真の鳥獣戯画や、信貴山縁起などの説話ものなど、
マンガの古典と思われるモノが数多い。
デジタル時代になって、アイコンという文化が象徴的だけれど、
ひと目で大つかみに状況なり、流れ、空気感であったりするような
そういったもの・ことを伝達する力というのが不可欠になって来た。
LINEが韓国企業のグループ会社だけれど
ニッポンで大きく市民権を獲得し、世界に広がりつつあるのは
「スタンプ」の表現力が大きい要素だと思う。
あれなどは、典型的なニッポン的マンガ表現の力でしょう。
テキストの情報がインターネット上などで、洪水のようにあふれている中で
こういった時間節約的な情報伝達の手段は
今後とも、大きく展開していくだろうと思われます。
それが、インターナショナルに展開していって
どんなふうに発展していくのかどうか、注目できる
「バーチャル化」文化資産なのではないかと思っている次第です。
Posted on 11月 20th, 2014 by 三木 奎吾
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上野の西洋美術館の庭に置かれている「考える人」彫刻は
フランス公認の「オリジナル」作品と言うことで有名ですが、
とくに入場料などは必要ではなく、
だれでも気軽に近づいて楽しむことが出来ます。
だんだん加齢してきて、上野の美術館や博物館などをめぐると
ちょっとひと休みしたくなるとき、
ここで休息するのが、楽しみであります。
ちょうど写真をこのように撮影できる場所に、ちょっと腰掛け可能な
庭石があって、腰掛けると実によく「座りが良い」(笑)。
考える人と同じポーズをしたり、
テイクアウトのコーヒーを楽しむのに、ちょうどいい。
この考える人彫刻オリジナル、というのはフランスに「鋳型」があって、
それを使って作られた作品が世界に21あるのだそうです。
そう考えると確かに「本物」であるのですね。
背景になっていて、シャープな日影を落としている建物は
国立西洋美術館であり、これも建築家・コルビジェの作品。
いま、世界遺産登録を目指している建築です。
そういったまことに豪華なとりあわせが、
まったくの無料で楽しめるというのは、不思議な感じがしますね。
現世人類というのは、約40000年の歴史を紡いできていますが、
現代は、さまざまな政治体制の変遷を経て
いわゆる市民社会と民主主義が実現してきている。
こんなふうに、ごくふつうの市民が個人的な楽しみを享受することが
許されるような社会が実現できている。
ちょっと前まで、このような来歴の芸術作品を
こんなふうに楽しむと言うことなど、権力構造が許さなかった。
いわゆる権威主義的な押しつけや規制というものが
徐々に力を失ってきている時代に生きていられるのは、幸せなのでしょう。
いまは皇居も、東御苑が一般に開放されてもいる。
一彫刻ですが、考える人といえば、
誰もが知っている人類的な名作品。でも、こんなふうに
ごく普通に接することが出来るようになると
それほど話題にもなることが少ない。
そういう意味で「稀有な時代」をわたしたちは生きていると
認識していく必要があるのだと思います。
Posted on 11月 19th, 2014 by 三木 奎吾
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きのうは札幌市内で、公的な仕事の会議。
いわゆるエコといわれる設備についての「よき選択・使い方」がテーマ。
住宅関係が主戦場のエコ設備機器ですが、
今後、消費者トラブルがどのように予測できるか、
それに対してどのように対応していくべきなのか、
というようなテーマが設定されているわけです。
たぶんこのような設定自体、ある進行しつつある事態を想定している。
国の施策としては、断熱を推奨しながらエコ設備機器の
進化発展を促すというのが基本。
可能な限りの省エネを推進して、最後は太陽光発電(PV)で
それでも残る必要エネルギー以上を「生み出して」
ゼロエネルギーや創エネを実現しようというストーリー。
たいへんわかりやすい図式になっているのだけれど、
その大前提になっているのが、太陽光発電への信頼感。
家庭で必要なエネルギーを太陽から得るというのは
OMソーラーシステムをはじめ、住宅分野で多くの試みが続けられてきた。
そして不幸な原発事故以降、
やや過重なまでに太陽光発電に期待が寄せられて
いわば魔法の杖のように扱われてきていると思います。
いま進んでいる太陽光発電導入へのユーザー側の動機は
ほぼ金銭的なインセンティブ、補助金政策、高額な売電システムが
すべての前提になっていると思います。
そういうなかで、ユーザーに対して「選択の目」を提供することは
大変有意義なことだと思います。
この太陽光発電についてそのように考えるとすれば、
この金銭的なインセンティブ図式が、破綻した場合のことを
しっかりとユーザーに示していく必要があるのではないか?
現にいま、大規模な売電を前提とした大規模ソーラー発電に
各電力会社から、見直しを求める声が発せられている。
いまはそのことが焦点だけれど、
その先には、早晩、各家庭での太陽光発電についての売電も
論議の遡上に上っていくことは、想像に難くない。
現にドイツでは、ソーラー発電に関わる費用負担を
全電気料金に上乗せして、普及を促進させるという
国家としての政策が行き詰まりつつある。
太陽光発電で受益するひとの利益を、それとは無関係なひとの
電気料金でも負担させるという政策に無限性があるとは思えない。
日本では原発事故の経験から、論議が十分とは言えない中で
いわば当時の管首相の政治的判断でゴーサインが出され
いま、その路線が進められてきているけれど、
いずれにせよ、そのような政治的な動きだけで
振り回されている「エコ設備」論議にはムリがないだろうか?
政治的な「判断」で、太陽光発電の買電が停止され、
それまでに受益した人たちから不満が提起されたとき、
いま太陽光発電を無条件に善なるものとして
想定していて本当によいのかと、不安な気持ちがしてくるのは
はたして私だけでしょうか?
Posted on 11月 18th, 2014 by 三木 奎吾
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長かった出張ですが、きのう仙台市内での取材でようやく終了。
本日は久しぶりに札幌の自宅で目覚めました。
なんですが、置き土産でのどに違和感。
仙台で最後、寒風の中での取材だったので
どうやら、キャッチ・ア・コールドかも・・・。
忙しいので休めないし、ちょっと大事にしていたいと思います。
出張に出かけると、ときどき、意に反したことも起こる。
先日の千葉県千葉市美浜区での住宅訪問のときであります。
このツアーは、コーディネイトしてくれた側と連絡しあっていた
こちら側団体の担当者が、なんと今回のツアーに参加しなかった(笑)。
で、参加者の一員であるわたしには、1枚の連絡書がきていた。
その連絡書通りに向かったのですね。
まぁ忙しいので、まさか、事前に確認はせず、
その連絡指示のままに交通機関を乗り継いで向かった。
目的駅は「検見川」と書かれている。
東京にはそれなりに土地勘はあるけれど、
千葉県にはそれほどはない。
検見川ということで、スマホの経路検索アプリの言われるままに
京成線・検見川駅に向かった。
で、30分前くらい早めに着くようにしていたのですが、
最終確認と思って、最終乗換駅で先方コーディネーターさんに
ケータイから電話連絡したら、どうも要領を得ない。
その上で出てきた言葉が
「あれ、駅は検見川浜だよ」というひと言。
なんでも検見川と名のつく駅は3つあるのだそうで、
京成線もあるし、JR線もあるのだという。
オイオイオイ、であります。

しかも最終乗換駅のJR幕張は「総武線」なのに、「検見川浜」は京葉線。
京成線も含めて、それぞれが並行路線になっていて、
お互いをつなぐ連絡ポイント駅を過ぎると行き来できない。
近距離ではあるけれど、鉄道を乗り換えて向かうとすれば
いったんは千葉まで行かなければ行けない。
たいへんな大回りを強いられるのであります。
約束時間まで、そんな時間はない。
しかも、ひとりだけ、別行動で向かっているひともいる。
そのひとに間違いを連絡しようにも、ケータイに出ない。
まさにボタンの掛け違い、2重奏・3重奏であります(笑)。
まぁやむなく、本来のツアーコンダクターとも連絡を取り合って、
われわれ一行は、幕張で電車を降りて4km弱の道のりをタクシーで
住宅現地の住所を聞いて、直接向かうことに。
そんな珍道中でありましたが、なんとか、時間ギリギリ滑り込みで到着。
しかし、もう一名は見知らぬ土地・電車経路に
ついにギブアップ宣言で到着できませんでした。
あまりの事態展開に、道中では全員でもう笑うしかないということで、
ご覧のように、お互いの絶望ポーズを写メ撮り合ったりしておりました(笑)。
人間どんな状況でも、つねに笑いは元気の源。
そんなことを学ばせていただいた次第であります。
まぁ、疲れたけれど、同志的な結合感は深まりましたね。
今度、このネタをサカナに1パイ飲みたいものだと思っております(笑)。
Posted on 11月 17th, 2014 by 三木 奎吾
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東京にいるといいなと思うのは
第1に美術館の数がハンパでなく多くて
どこかここかで面白い展示が行われていることです。
地方では、これはどうしようもない「格差」。
とはいっても、人口集積の違いが圧倒的なのですから仕方ない。
で、今回も上野の国立博物館で「国宝展」開催。
これは見るしかない、ということで行ってみましたが、
今回は特に宗教性に絞った展示。
否応なく、芸術のパトロンとしての宗教ということを考えさせられました。
西洋絵画にも、こういった傾向は色濃くあって
日本人にはどうしても理解出来ないキリスト教の絶対場面などが
主なテーマとして描かれた絵画などに名作が多い。
しかしマリアさんがキリストを生んだ瞬間など、
仏教徒としては、まず基本的に興味を覚えるわけがない。
しかしそういう文化圏にいれば、宗教的恍惚感を
わかりやすく信仰者に伝えるメディアが不可欠だっただろうと理解出来る。
同じ要因が、日本社会での仏教信仰への
膨大な作品群、絵画・書画・仏具・仏像などを生んだことはわかる。
今回の「国宝展」では、「祈り」ということにテーマを持ってきたので
最後のクライマックス展示でも、仏教寺院の国宝などが
これでもかと、集中的に展示されていました。
・・・どうもわたし、こういうベタなの、ダメであります。
しかし、日本では宗教施設でそこにまつわる芸術コレクションが
継続的に創作もされてきている。
風神雷神・信貴山縁起などと並ぶ、そういう国宝の名品として、
「鳥獣戯画」があると思います。
これは高山寺というお寺に納められているもの。
はじめて教科書でこの絵柄を見て、
その奔放さに驚愕した記憶が強く残っている。
国立博物館で宗教をテーマとするのであれば、
こういった、日本民族的な「猥雑感」がたっぷりとある
そういう民族性を伝える展示が欲しいなぁと強く思いました。
ただ、いまは鳥獣戯画は平成の修復を終えて
京都国立博物館・平成知新館で展示中なんだとか。
こちらは11月24日までで展示が終わるのだそうで、
残念ながら、実物を見るチャンスはなさそうです(泣)。
この写真はある美術館でカレンダーとして販売されていたもの。
マンガ表現人の端くれとしては、これを神のような存在と崇めております。
よくもまぁ、こんな表現が宗教寺院のなかで存在してきたものと
いつも崇敬の念を抱かせられる次第。
まさに合掌、であります。
Posted on 11月 16th, 2014 by 三木 奎吾
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ついに札幌、冬のたたずまいに突入のようです(泣)。
きのう朝、カミさんから写メで送られてきた画像に目が点。
予想されていたとはいえ、まぁ11月半ばだし、
「そんなには降らないべさ」と慰めあっていたのですが
そういう期待を無慈悲に裏切るほどの積雪状況のようです。
冬の間、家を留守にしていると困るのは、家の除雪であります。
やっぱり北国人、除雪の役割分担は、どっちかというと男。
「まだ除雪はいやだ」
というカミさんの嘆きの声をメールで聞くと
申し訳ない気持ちになって来ます。
わたしはきのうも都内で、さらに週末に仙台で要件があって、
まだ札幌に帰れない。
やむなく札幌の状況を報道やら、メールやらで心配するしかない。
「帰ったら、さっそく筋肉痛だなぁ」と嘆息するしかありません(笑)。
SNSでは、札幌の雪景色がいろんな人からアップされている。
みんなのため息とか、ある種の興奮が伝わってきて可笑しい。
先日の初雪から、一気に雪たっぷり感に変化して
まぁ楽しくもあるワケであります。

一方、こちらは秋のおだやかな表情の東京・上野の様子。
木々はまだまだ色づき半ばと言ったところ。
気温もどうなんでしょうか、20度くらいはある実感。
ときどき汗ばんで上着を脱ぎたくなるほど。
なんですが、やはり
さすがに東京4日目となって、クルマ移動の多い札幌生活との違いが
足のハリになって明瞭に現れて参ります(泣)。
体調と相談しながら、11日から16日までの
今回の長い出張を乗り切りたいと思います。
ふ〜〜、やれやれ。
Posted on 11月 15th, 2014 by 三木 奎吾
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さてきのうは、朝から新橋で札幌からのメンバーと待ち合わせして
千葉市美浜区に建つ住宅の見学へ。
先般、北海道で講演していただいた松井郁夫氏設計の
伝統木造住宅の見学です。
本州地区に来ると、わたしどものような北方圏住宅雑誌は
当然のようにガチガチ高断熱高気密派、って見られるようで、
まぁそれはそれでいいのですが、
個人としては、日本中の古民家を見て歩くのが最大の楽しみで、
見る度に、民族的な血と知のゆらぎを感じて
DNA的に喜んでいるタイプであります。
そういう感受性を持った作り手も北海道には多く存在しています。
また北海道の施主さんも、それが寒くなければ、
別にデザイン的に拒否感を持つということはないと思っています。
北海道は、開拓入植の初期、
それなりに農業などで成功した人たちが、それぞれの出身地から
大工を呼んで、日本各地の「民家」を造った。
開拓初期だったので、そこで使われた建築材は、
周辺に自生していたナラなどのすばらしい木材がふんだんに使われた。
それなりの建築技術を持ったその時代の
伝統的な日本各地の住宅建築のプロたちは
しかし、北海道の気候風土に決定的な完敗を喫した。

夏の「通風重視」の住宅では、過酷な屋外気候と大差のない室内という
決定的な間違いを犯し、人が辛く住み難い粗大ゴミを生産してしまった。
困ったことに、建てた人間たちは建ててすぐにこの地を去って行った。
「出稼ぎ」感覚で作り続けて、その後の家のありようまで
責任を取り、看取り続けることは出来なかったのです。
その失敗の残滓は、北海道人の意識の底に残った。
そうした伝統的なものへの忌避の感情があるとすれば、
そういった体験から来るモノではあるのですが、
しかし、同時に百年を超えて住みつづけてくるなかで
その記憶が消えてきて、徐々に「伝統」への愛着の念も起きてきている。
辛いことは薄らいでいって、やがて過去は美化されると言われるように
そんな意識の転換はあるのだと思うのです。
わたし自身、北海道で年に数百棟もの住宅を見続ける中で
そのなかから、日本人的なアイデンティティを強く欲するようになった。
高断熱高気密という徹底的に合理的なスタンスでの家づくりを求めつつ、
同時に、生きてきた感受性の部分で、日本的なるものに
逃れがたい郷愁を持つようになってきたのでしょう。
そういうふうに考える北海道の人間も多いのです。
いま、わたしたち北海道発祥の高断熱高気密住宅技術や
ドイツパッシブハウスに代表される欧米的合理主義価値観に
強い同意を持ちながら、同時に日本的なるものの復元力にも
大きな期待感を持っている次第なのです。
せがい造りの豪放な空間構成力に
まさに民族的なデザインDNAを感じておりました。
Posted on 11月 14th, 2014 by 三木 奎吾
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