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【不調のWinPCを、Macへまるごと移転】

カミさんとは夫婦別姓で、いっしょに仕事をしております。
で、ウチは出版の仕事がメインなので、社内でのパソコンはMacが大多数。
しかし彼女だけは会計ソフトなどの関係もあって
ずっとWinPCを使い続けてきています。
そういうことなので、社内のパソコン管理がMac対応が主流の中、
彼女のマシンへのメンテナンスはわたしには縁遠く、
ほかのスタッフの任せきりの状態でありました。
WinとMacの間では、WordやExcelなどの共通するソフトもあるので、
そうは不便は感じなかったのですが、使い続けてきて
たくさんのMacとWinのマシン間でソフトの不適合が頻発するようになって来た。
サーバに置いている共有データを扱っているのですが、
WordやExcelで作った書類が共有できなかったりするトラブルが出てきた。
個別対応するにしても、わたしとスタッフが二人がかりで対応しなければならない。
その上、いま使用中のWindows7パソコンも老朽化してきた。
特定のキーボードで不具合を生じたり、Wordデータが正常ではない。

という機会を捉えて、思い切ってWin環境をMacに移行させて、
システム管理はわたしの方で基本的に引き受けることにしました。
最近、こうしたWin-Mac環境共有では、Parallelsというブリッジソフトがある。
週末の時間を使って、その移行作業を行いました。
まずはWinの側に移行するためのソフトをインストールして
外付けハードディスクにMac移行用のバックアップデータを作成する。
ほぼ200GB相当のデータ量なのでUSBでは間に合いませんでした。
バックアップデータ作成は1時間弱。
一方の移行先のMacBookPro13には、SSD1TBの容量を用意。
そこに先述のParallelsをインストールして受け入れ環境を作っておく。
で、バックアップデータをまるごと移行させるわけです。
こっちは1時間半ほどと表示されていましたが、
その間、日帰り温泉に行っていたので,正確な時間は不明。
メモリも16GB積んでいるので、両環境同時作業でも不都合はないはず。
合計のデータ領域占有は500GB超で、写真のようなことになりました。
Macの基本環境の中で、そのデスクトップにWin7の画面が現れる。
この両環境でそれぞれ仕事して、データのやり取りもふつうに
ドラッグドロップすることで直感的に扱うことができる。
WordやExcelデータはこうして両方で扱って、
社内で共有するデータについてはMacの方で作成するなり、保存したデータで
他のスタッフとシームレスな情報共有になる。
・・・ハズなんですが、さて、それは本日以降の結果推移を見ていきたいところ。
カミさんは「こんな環境で仕事している人って、チョー少ないんじゃない」と
なにやら自慢げであります(笑)。
無事に大きなトラブルもなく、仕事に使えるようになって欲しいものです。

【札幌の森 動物たち「光の真夏」】


今週は「夏至」になりますね。
散歩路でも小動物たちの活動が活発に展開しています。
北海道神宮の例大祭も15日の前後で挙行されましたが、
北の街の小動物たちもにぎやかな季節がやっと巡ってきた。
わたしは北海道神宮に毎朝参拝させていただき、開拓神社も遙拝後、
円山公園緑地から円山自然林を歩くのが日課です。
その周辺には、水辺や湿気の多い森などが散在しています。
上の写真は、最近活動がたいへん活発化しているエゾリス。
森を住み処として、神宮境内敷地中を縦横無尽に走り回っています。
土日になると多くの市民がかれらとの交歓を楽しんでいる。
きのうもきょうも、まことにたくさんの個体数で、
沢状の住み処周辺では、それこそあちこちに活発な活動ぶりが見える。
また、気付いた人たちが写真を向けたり、餌付けしたりする。
やむを得ないなぁとは思うのですが、
こういったエサやり行為がどんなふうに生態系を乱すのかは不明です。
下の写真は、池に営巣しているカモの一群。
母カモが卵を産み、ヒナたちが元気よく活動しはじめています。
5−6羽のヒナを確認しましたが、もっといるかもしれません。
こういった親子連れのかわいらしい様子はこの時期特有のようですので、
池のまわりには、いつも数人のひとたちが様子を楽しんで見ている。
イキモノたちには、大忙しの北の一瞬の真夏。
その活動ぶりを楽しく見させてもらっております。

さらに、先日「オオウバユリ無惨」と題して
インターネットでオオウバユリにシカが食害攻撃しているという情報があると、
それを根拠にして、人為による自然変化についてブログを書きましたが、
これはどうもわたしの勘違いである可能性が高まってきています。
今朝の散歩時に撮った写真ですが、これはオオウバユリのつぼみっぽい。
このようなつぼみを本日の散歩中にきわめて多数発見いたしました。
これが無事に開花していってくれると、
わたしのエゾシカ告発記事は誤解に基づく「濡れ衣」と判明します。
不明を恥じるとともに、そのことをうれしく思います。
エゾシカさんたちへ、そうだったら、ごめんなさいね。
ということで、本日は札幌の夏至近くの自然の様子をお知らせしました。

【Replan北海道最新号vol.117〜先行予約開始!】

本日は当社雑誌群のフラッグシップ、Replan北海道の最新117号のご案内。
「住宅を伝える」ということは、とくに戸建て注文住宅ではその「魅力」を
大きく掘り起こし、感覚的にも実感できるまでつかみ出す必要がある。
たいへん「感性的」なコミュニケーションに属すること。
なにごとかを「表現する」仕事の中でも、ユニークな領域だと思っています。
注文住宅づくりの現場では、そういった濃い中身が建て主と作り手の間で
さまざまに意思疎通されている。
そういった部分が、ものづくりのなかでもきわめて特異な営為といえる核心。
住宅雑誌は、そのことを伝えていく存在だろうと思って日々活動しています。
誌面からライブな北海道の家づくりの現場をぜひ「体感」してください。

【特集】 小さく豊かに暮らす
ていねいに暮らしを見つめると、
自然と本当に必要なモノが見えてきます。
家づくりも同じです。
自分たちのライフスタイルをじっくり考えた結果、
ちょうどいい広さや高さ、大きさが見えてきて、
そこには慎ましくも豊かな暮らしを送る家族の笑顔が。
・・・この特集では、敷地や床面積に左右されず、
暮らしぶりにあうだけの空間を積極的に家づくりに反映した
「小さくても豊かな家」の好例を紹介します。
あなたの暮らしにあったスケール、探してみませんか?

Case.01「家族みんなで共有するフレキシブルな一室空間」
     ミズタニテツヒロ建築設計
Case.02「『兼ねる』で空間を有効活用」
    (株)エム・アンド・オー
Case.03「敷地の高低差を活かしたスキップフロア」
     富谷洋介建築設計
Case.04「シンプルライフを楽しむ3層住宅」
     エープラス建築設計 一級建築士事務所
Contents
●特別寄稿 北海道の建築家・圓山彬雄の 小さな家
●子育て家族の頼もしいパートナー スマート電化特集
●リノベーションで暮らし、広がる。
●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス10 〈東京大学准教授・前 真之〉
●新築ルポー住まいのカタチー
●北の建築家
 「白箱の家」 阿部 直人

2017年6月28日発売・2017年夏秋号・A4版、税込:500円
6月16日~22日までにご購入された方は、
一部地域の方を除いて、28日までに配送致します。

先行予約販売は当社WEBショップからどうぞお申し込みを。

【17才の自分からのイラスト画メッセージ】

お恥ずかしい絵で恐縮なのですが、
この絵は、母親が高校卒業後、東京に向かったわたしが札幌に残していた
「青春期の遺品」(笑)のなかにあったもの。
これは一種の自画像のようだと、見つめております。
まぁ、比較的に明瞭なモチーフなので
いま、見ていても子どもらしい部分が感じられてなつかしい。
こういう風に心象風景をピンナップしておくというのは、
自分自身にとって、貴重ななにかを感じることができますね。
カミさんからは当然のように酷評されましたが(笑)、
恥ずかしさを乗り越えて自分自身、まっすぐ見てみたいと思っている次第。
絵というのは、論理的に解析できる部分もあり、
同時に自分でも意識できていない深層での心模様も見えるもの。

描いたのは自分なので、おおむね状況意図的には理解しているし、
ディテールで表現したものも明解さはある。
描かれた地球の一部、陸塊の「切り取り」部分は
札幌の街をシンボリックに表象化させたものです。
描かれた山は札幌のシンボルの「藻岩山」。
わたしは札幌市のどっちかというと西側で過ごしていたので、
象徴的な山としては、「三角山」や「手稲山」もあるのですが、
小学校中学校とも、家から藻岩山に向かっての通学路で、
印象の世界では「札幌らしい」山としてこっちの印象が強かったのでしょう。
で、切り取られたエリア陸塊の形状も、上下を反転させてみると
なんとなく藻岩山のカタチに似ている。
で、こういうふうに一種の浮かぶ陸塊という発想は、
子どもの時に見続けていたNHKのひょっこりひょうたん島が
モチーフの部分で大きく与っていたに違いない。
空は、左側の闇から始まって、山の上にはアームが付いた
人工的太陽が照らしていたり、黒雲が湧いていたりもしている。
札幌は石狩川に向かって豊平側が合流し、
それがやがて石狩湾に注いでいくのですが、
なんとなくそういった地理的デフォルメが伝わってくる。
そういった陸塊がもたらしている影には、やや血の色が混じっている。
そういう「背景」に対して、自画像的な人物がなにを訴えるのか、
感情をぶつけるボディランゲージをあらわしている。
なぜか、かれのリュックには陸塊を切り取った表象なのか、
ツルハシやスコップが入れられている。
・・・まぁ、自分自身の正直なところが表現されていることは間違いがない。
自虐と諦念のような心理で、自宅自室の机の前に眺めております。

本日は、まったくブログ趣旨を逸脱しました。
明日以降、住宅ネタに復帰しますので、お許しください。

【オオウバユリ無惨 2017初夏札幌宮の森】


この時期になると、例年わたしの毎朝の散歩路には、
オオウバユリが可憐な姿を見せてくれます。
上の写真は昨年の7月初旬のもので、満開状態のものです。
やや湿気の多い日影、森の中などで散見される。
深い緑の中に凜と立ち尽くしている姿は、まことに心に染みる美しさ。
アイヌの人たちにとっては、その根茎が貴重な澱粉質であり、
ソウルフードとしてかれらの命を繋いできた。
そんな姿を、散歩路でずっと探していたのですが、
ことしはサッパリ目にすることがない。
代わりに、下の写真のような植生をよくみかける。
まるで見たこともない植物なのですが、どうも上の部分が欠けているかのよう。
ことしは、オオウバユリはなにかの自然条件で咲けなかったのかと
残念な気持ちを持ち続けておりました。
毎年あるものがないというのは、心にとってまことに欠落感が強い。

って思っていて、ふとインターネットで検索してみたら、
ある欧米人で札幌在住の方のブログ記事に、
気になる記述がありました。
それによると、ことしはオオウバユリに対して
野生動物、それもある程度大型の動物が食害を加えているというのです。
想定ではどうもエゾシカではないかということ。
オオウバユリの花の結実する部分、上部を狙ったかのように食べている。
まるで根絶やしするかのように食べ尽くされてしまっているのですね。
別にエゾシカに恨みを持つものでもないのですが、
アイヌの人たちの時代には、こういう事態はあり得なかっただろうと思います。
エゾシカにはたくさんの天敵、とくにエゾオオカミが存在していて、
その種としての生存数はある程度、抑制され、
人里までかれらエゾシカが出没することはなかった。
人間の貴重な食料であるオオウバユリは、ある程度、栽培に似た自然共生だった。
そこまでエゾシカは踏み至ることはなかっただろうと思うのです。
それが現代では、人間の都合でエゾオオカミは絶滅したので、
エゾシカはいま、北海道中にその生存域を拡大している。
しばらく前までは北海道の脊梁を形成する日高山脈の東側だけが生存域だったのが、
いまや、北海道中に拡散してきている。
それもいまや、人里、札幌市中央区宮の森にも出現してきた。
人為的な種のコントロールによって、こういったふうに地球環境は変わっていく。
わたしとしては、こういう自然の摂理には淡々とするしかないのですが、
一抹の寂しさは憶えるところがあります。
人間というのは、こういう事態に対してどうすべきなのか、するべきではないのか、
ちょっと考えさせられています。

【日本の核家族が建てた家は長期存続するか?】

先日から考え続けているテーマ、家族形態の変移ということです。
フランスの人類学者・エマニュエルトッドさんの文明論への反応。
人類の家族形態は8類型に納まり、人間はその生まれた「まゆ」としての
その家族形態によって意識がとらわれるという論です。
主に国家間の関係性や政治的な決定要因の基底とされるのですが、
それは置いて、わたしとしては以前から気になっていた
住宅の建てられようの決定因子としてこの考え方に大きな気付きを与えられる。

というのは、わたしたち日本人は戦前まで「直系家族」という分類形態が
一般的な家族形態だった。長子が家を継いでいくという
「家系意識」の強い社会に生きてきて、間取りでも仏壇とか神棚とかの
先祖崇拝型の「家」を、長期に持ち続けてきた社会だった。
その伝統が戦後社会に至ってほぼ一掃されて、
急激にアメリカ型の「核家族」形態を受容するようになって来た。
しかし、一方では「直系家族」の意識は払拭されず、
結果として核家族形態になって建てた住宅も、そこから直系家族相続が始まると
無意識に信じ込んできたのではないかと気付いたのです。
このことは日本人の「生き方」に関わることであって、
家を建てる、という行為の意味合いにも深く関与してくる。
「家を建てる」というコトバには、そこから「直系家族をはじめる」というイメージもある。
そういった「民族的幻想」は抜けがたくあるのではないか。
しかしアメリカ型の核家族化の結果、多くの「空き家」が発生してきている。
直系家族による存続を願望したか、あるいは無意識に想定したか、
それは別として、もっと長い存続を期待したけれど、
直系家族社会システムの方の存続危機の結果、家が余剰している。
住宅建築の側から言えば、長子相続型の資産「長期優良住宅」を進めるべきか、
あるいは短期(数十年)利用型の消費財としての想定であるべきなのか?
このあたり、国の施策でも人の意識に於いてもきわめて曖昧さがある。
少なくとも、戦後の社会作りの過程では、
都会で「家を建てる」夢を抱いてふるさとを離れた農家の次男3男たちが、
実際にジャパンドリームとして都市近郊に戸建てを建て続けて
そういった「直系家族」がそこから始まると信じていた部分もあった。
いまの「空き家」問題は、その住宅が多くは相続されなかったことを示している。
戦前までの長子継承型の家システムでは、住宅生産の側でも基本的に
長期優良型に建築意義を想定できるけれど、
核家族型の住宅利用はきわめて一過性的であって、
農家や漁家、商家のように生業との連関性が明確ではない「住むだけの家」に、
社会的な「長期存続性」はないのかもしれない。
やはり「核家族システム」とはアメリカのような「住み替え」文化の社会的受容が
ワンセットのものではないか、そうなるように思われます。その場合は、
流通性価値重視で「売りやすい家」であることが重視されるかも知れない。
ただまだ、日本では「住むだけの家」の質的価値感が根付いているとは言い難い。

こういった問題意識が、トッドさんの言説から刺激されてきています。
住宅を考える人間にはきわめて大きな問いかけではないかと。

【北海道工務店グループ「アース21」雑誌10周年】

まさに継続は力なりだと思います。
北海道は地域の工務店の技術レベルが高いのは常識ですが、
そのこと自体は、地域のニーズが自ずとそれを引き上げたという側面が強い。
その一方で、普通こういった「技術」については、
「自社の財産」として、市場での競争優位のために秘匿されて、
差別化戦略の大きな武器というのが、一般的な趨勢になるでしょう。
事実として、本州地域では抜けがたくそういった意識が強い。
それに対して、北海道の工務店グループは「情報共有」を優先させて
地域中小企業の全体としての底力を上げていく方法を選択してきた。
いわば門戸開放であり、対大手ハウスメーカー「市場戦略」として、
非常に有効に機能してきたと言えるでしょう。
個々の中小企業としては獲得がむずかしい市場での競争優位の位置を
グループ化することで全体レベルをアップさせることができた。
逆に言うと、こういった市場マーケティング活動が、
積雪寒冷という絶対条件のおかげで、グループ化にまで高まったともいえる。

そんな企業グループの中で「新住協」は技術に特化した存在で別格として、
この「アース21」のまとまりは、ある吸引力を持っている。
年間でも6回の全体例会のほかに、地域会なども取り組まれ、さらに
部会的な活動も行われてきている。
年に1回、そういった会員の活動を伝える「雑誌」を発行することも
大きな事業になっている。
これは、企業会員の家づくりの実際やポリシーなどを
一般ユーザーに直接コミュニケーションする媒体として機能してきている。
わたしどもReplanとして、その活動を応援してきています。
ことしもその第1回の打合せ、編集会議が昨日、当社にて「行われました。
あらたなメンバーの新陳代謝なども一部であり、
さらに活発な論議の深まりがありました。
ことしの発行号で、このオリジナル雑誌も創刊から10周年になります。
こういった地道な活動は、徐々にユーザーにも浸透していくので、
いまや、いろいろなユーザーの口コミでもグループ名が出てきたりする。
北海道という地域サイズも、こういった活動には適している部分もあります。
こういう出版活動ではメンバーの意思疎通が不可欠で
この雑誌を仕上げて行くには年に5-6回程度の会議が必要。
札幌を中心にしたエリアサイズとしても、ほど良さがあると思います。
たぶん、全国の工務店さんの生き残り、勝ち残りのためにも、
こういった活動が今後は不可欠になるのではと思います。

【魅力あふれる海への眺望と暮らす】

ことしは北海道、週末毎に雨というあいにくの天候で
なかなか土日、遠出も条件が整いませんね。
きのうは北海道の噴火湾沿い、伊達の須藤ホームさんの住宅見学へ。

須藤ホームさんは、新住協・鎌田紀彦代表理事の室蘭工大での研究を
その初めの頃からバックアップし現場で実験住宅に取り組んできた会社。
地元の公共工事などが主体のゼネコン企業ですが、
住宅に取り組んできた新住協のコアメンバーです。
伊達は噴火湾に面して、室蘭からは高速インターではとなりのまち。
温暖な気候に恵まれ、本州地域からの移住者も多い土地柄。
そういう意味では、デザイン志向に於いて本州的なセンスも感じられる家づくり。
近年は、ニセコ地区の海外需要にも対応していて、
その性能面の確かさと、デザイン面の秀逸さで地域一番店的存在。
いまは札幌にも支店展開して個性的な家づくりでファンを拡大しています。
この家は注文住宅として建てられたのですが、1年間ほどは
モデルハウス的に公開されている住宅です。
そういうことなので、外観以外の写真については非公開。
立地環境は、伊達市内の海岸線道路に面していて、
やや段丘状の敷地です。ということなので、1階からも海への眺望はありますが、
しかし、低灌木による景観遮蔽や道路のクルマの通行などを考えて
2階居間プランを採用することで最高の立地環境をより際だたせています。
耐震等級2をクリアして、屋根には太陽光発電も搭載する住宅。
Q値的には0.9、Ua値では0.28程度の性能を確保しています。
この「性能値」、要するに断熱材の厚みでの「性能値」が広く一般的に
本州以南地域でも認識が高まっていますが、
お話を伺いながら、やはり「あたたかい家」という現実の性能は、
丹念な気密技術、その企業としての努力追究が欠かせないと思います。
さらに木製窓は3重ガラス入りサッシをもう25年以上、
須藤さんは採用している。その性能と美観について、
多くの経験知を蓄積してきている。
その「納め方」についての詳細部分でのノウハウは、興味深いものがあります。
現在は札幌の2社の木製窓メーカーを指定しているそうですが、
他社ではカタチは似せられても水仕舞のディテールでは、というご意見でした。

耐震等級をクリアする意味でも1階に諸室スペースを配置して、
大空間は2階にしています。
ふと「北海道らしい空間美って遠近感、空間の広がり感かも」
と気付く部分がありました。
ワンルーム的な「視線の抜け」がどのように意図されているか、ではないかと。
まさにご馳走そのものの眺望を見ながら、実感しておりました。

【人生.zip 個人史情報の「重さ」におののく】


多くの人が、ITという道具を使いこなすようになった現代。
わたしたち年代は、以前のアナログな手段と現代のデジタルな情報手段と
両方を同時並行的に生きてきた年代だと思います。
下の写真は、就学前から中学校まで見続けていた
その当時のわが家の位置からの、まっすぐ東向こうの札幌植物園の景色。
札幌に引っ越してきた3才から15才くらいまでこの景色を見続けていた。
上の写真の三越の箱は、わたしが札幌を離れて過ごしていた
18才からの9年間以上、母親が大切に保管していたわたし自身の「情報の箱」。
なかには、わたしの小学校から高校時代の写真とか、
学校の成績通知であるとか、はてはラブレターの類とかまで(笑)、
取って置いてくれたものでした。
よくもまぁ、母親はこんなものまで丹念に「保管」していたものだと
半ば冷や汗を掻きながら(笑)、そのありがたさを噛みしめさせられる。
いろいろな人間との交友の記録が手紙など書類記録として残されている。
その「もの」となって残されている記録物から、
さまざまな情報が一気に堰を切ったように周辺記憶が生々しく蘇ってくる。
ときどき折に触れて、その「重たい」情報と向き合う時もありますが、
いろいろなひとの思いが今更ながらに想起させられて、
さすがに正面から向き合うのはためらわれて、放置しつづけてきた。

とくにわたしは、アナログからデジタルへという大きな転換の時代に
情報・出版の世界で生きてきたので、
こういった「原石」を情報に転換させるのが仕事でもある。
まぁ仕事としては住宅に関連する領域に基本的には限定ですが、
その手段や方法論は、同じように利活用できる。
わたしは普段、住宅のルポルタージュの方法やスタイルなどを
スタッフといっしょに考えたり、実験的な方法を試したりするのですが、
そのやり方を応用、援用していくことで、
いろいろなカタチで「情報の手掘り」が可能だと思われるのです。
自分自身のことであれば、即座に「取材・ヒアリング」することも可能。
古層に眠っている、いまは潜在意識に下りている情報にアクセスし、
その生々しさにおののきながらも、表現物にピンナップしていくことはできるでしょう。
写真とリアルなアナログ表現物・手紙などと照合させながら、
その生きた時代感覚の復元作業ということになる。

しかし、たぶん得られるゲインは、自分自身の罪業の重さの再確認(笑)。
「重たい」というのは、自分自身の生きた痕跡それ自体に
まっすぐ向き合わされる恐怖かも知れないと、そんな気分です(笑)。
逆に言えば、こういう手堀りでの「自分史」作成が誰にでも「手軽に」可能になる、
そんな時代がやってきているということです。
こういうことが、どんな「文化」に昇華していくのか、興味深いですね。

【住宅は社会の「家族形態」文化をあらわす】

きのう、フランスの人類学者・エマニュエル・トッドさんのご紹介をしましたが、
かれが解明した人類の家族の形態の8類型というのに
激しくイマジネーションが刺激されています。
1.絶対核家族〜自由。個人主義、自由経済を好む。英米アングロサクソン。
2.平等主義核家族〜自由に平等が加わる。フランス・南欧・中欧。
3.直系家族〜秩序と安定を好み、自民族中心主義。ドイツや日本。
4.外婚制共同体家族〜権威と平等。ロシアや中国が分類される。
5.内婚制共同体家族〜権威よりも慣習が優先。イスラム教社会。
6.非対称共同体家族〜母系のいとこの結婚が優先される。インド南部社会。
7.アノミー的家族〜基本的に絶対核家族、社会の結束が弱い。東南アジアや先住民族社会。
8.アフリカ・システム〜 一夫多妻が普通。母子家庭の集まりに近い

かれのこの分類に従ってこういった価値観がどのように人間心理を規定し、
そして住宅を考えていくときに、どのように結果するのかと
当然ながら、強く興味がそそられていく。
他民族についてはそれほど多くの知見を持っていないので、
日本人と住まいの「カタチ」で考えをめぐらせてみている。
わたしたち日本社会はユーラシア大陸をはさんでドイツと
東西に大きく別れているのに、同じ「家族形態」を持っているそうだ。
人間はほとんどの場合、まず「家族制度」のまゆのなかで生まれ育つ。
あらゆる文化をそこで先験的に取得して、意識も形成される。
身体化したこの「家族制度」が生活文化の基底に存在するのだろう。
この指摘はまったく不意を突かれるような卓見だと思う。
わたしたち現代人は、文明発展の結果、
1の「絶対核家族」文化に向かって「進歩」していくのだと
知らず知らずのうちに「刷り込まれてきた」。
トッドさんは、この「核家族」は現代世界をリードした英米アングロサクソン社会に
特徴的に現れている相対的存在にすぎないとしている。
いやむしろ、核家族というのは現代、科学革命が始まる前には
世界の中で相対的に「貧しい」民族社会で選択された家族形態と分析している。
この制度の特徴は、個人主義を大きく育むものとも指摘する。
このような分析を日本のいまの住宅のありようとアナロジーすると
この間の「変化」の「起動的要因」がきわめて明瞭になってくる。
そして、これからの住宅のありようについても、想像力が湧いても来ます。

戦前までの日本社会はたしかに「直系家族」主義で、家系意識の枠組みが
最優先された社会だったし、その結果としての家の間取りも、
先祖礼拝の神聖空間を家の中心としてきたのは間違いがない。
それに対して戦争に負けることで「住宅政策」もまた、アメリカから直輸入した。
あくまでも個室の集積というような住宅認識が広がっていった。
こういった視覚からは、さまざまな気付きが得られてくる。
そんな静かな驚きを感じ続けています。