
日本だけの「論壇」「政治論」だけでは正しい判断は難しい時代。
昨年引き続いたイギリスのEUからの離脱とアメリカのトランプ政権の成立。
これまでのグローバリズムを牽引してきていた英米両国でのこの歴史的変化は、
いったいどういう意味合いがあるのか、という問いに
フランスの人類学者・エマニュエル・トッドさんという論客の発言が注目されている。
どうも最近、日本の京大・山極先生とか、筑波大の西田先生、
さらにイスラエルのハラリさんなど、人類学者の意見に強く惹かれるのですが、
このトッドさんも人類学者で家族制度などの研究、人口動態の変化観察から
国家間の政治的対立など、現代の問題に独自の見方を与えてくれている。
とくに「歴史人口学」が専門とされて、家族の形態の相違・変化が、
その国の基底的イデオロギー動向を生み出すという卓見を表出している。
これら家族制度こそが、社会の価値観を生み出す。
人は特定の家族制度のもとに生まれることで価値観を先験的に身につけるからだと。
イギリスのEU離脱について、
世界中のいわゆる「進歩派」やメディアがおしなべて批判的であったのに対して
このトッドさんは明確にこの結果を予言し、また高く評価している。
はたしてEUは機能しているのか、ドイツ経済一人勝ちという結果は、どうであるのか。
そういった日本からは見えにくかった視点を明瞭に見せてくれている。
いま読んでいるのは、「ドイツ帝国が世界を破滅させる」という刺激的タイトルの本。
経済大国ドイツは、いびつな人口構成の社会を持っていて、
日本にも似て若年労働力が大きく毀損している社会であって、この社会構造から、
EU圏諸国、さらにイスラム圏の「安価な」若年熟練労働力を吸い寄せ続け、
ドイツの経済的実力からは信じられないほど安い通貨、ユーロを戦略的に活かし、
世界各国に輸出攻勢をかけ続け、ほぼ域内で一人勝ちしている。
そうした「労働力確保」の端的な政策表現が「進歩派」グローバリズムの衣をまとう。
メルケルの言っていることに象徴される価値観。いわく人権であるとか、
移動の自由とかの上からの「エリート」的価値観で世界を支配し、
ドイツはいまや、現代における「帝国」として立ち現れていると論破している。
っていうような知識人の種類は、日本の言論空間、政治論空間には存在しない。
なのですが、かれの「人類家族形態」の研究という視点は、
住宅のことを考えていくときに、非常に深い洞察であることが自明だと思います。
たしかに家族の形態認識、特定は住宅設計に於いても基本の基本。
トッドが示した家族型は以下のようになっている。
1.絶対核家族〜英米国社会が典型。基本的価値は自由。個人主義、自由経済を好む。
2.平等主義核家族〜同じ「核家族」でも基本的価値は自由に平等が加わる。フランス
南欧、中欧などに広がっている形態。
3.直系家族〜基本的価値は権威と不平等。秩序と安定を好み、自民族中心主義。
ドイツや日本がこのタイプとされる。
4.外婚制共同体家族〜基本的価値は権威と平等。息子はすべて親元に残り大家族を作る。
親は子に対し権威的であり、兄弟は平等。ロシアや中国が分類される。
5.内婚制共同体家族〜権威よりも慣習が優先。イスラム教社会と親和的な形態。
6.非対称共同体家族〜母系のいとこの結婚が優先される。親は子に対し権威的。
兄弟姉妹は兄と妹、または姉と弟は連帯するが同性では連帯しない。インド南部社会。
7.アノミー的家族〜基本的に絶対核家族と同じ、はっきりした家族の規則はない。
社会の結束が弱い。宗教に寛容。東南アジアや先住民族などの社会。
8.アフリカ・システム〜 一夫多妻が普通。母子家庭の集まりに近く、父親に統合されない。
アフリカに一般的なカタチ。
・・・確かに人間社会の構造分析におおむね合致しているし、
人類史的な視点、人類の精神構造発達史を踏まえているので分析として明晰。
どうも最近、知の領域で「人類史」史観や見方がわたし的には有力になっている・・・。
<写真はラスコー展での精緻なクロマニョン人復元マネキン>
Posted on 6月 9th, 2017 by 三木 奎吾
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みなさんきのうのブログ記事への反応ありがとうございました。
Macが仕事のツールとしてまったく機能しなくなって、
朝10時から電話と画面共有でのAppleのサポートを受けておりました。
今回はサポートの結果、iCloudの設定を解除することができて
無事にもとの環境に復帰することができました。
ことの顛末は、直接的には「iCloud」のソフトウェアとしての案内仕様が、
簡便さを追究するあまり、きわめて乱暴な仕様になっていることでした。
iCloudの設定で、「デスクトップ」をクラウド側に置くと応答した瞬間に
なんらの選択プロセスもなく、いきなりデスクトップデータが「消えて」しまう。
基本的にはデスクトップからクラウド側に「移転した状態」になるのです。
後戻りしようとしたら、その過程のMac側からの警告メッセージには
「ここでクリックしたら、全データが消える」というものまであった。
こういう警告メッセージが出てしまうと、データの保護を最優先することからして
ユーザーとして簡単には判断できなくなる。データが人質に取られるのです。
こういう場合、パソコンOSは各種条件を提示してユーザーに判断機会を提供する。
わたしの場合、Macの通算使用期間が20年を超えていて、その間Macの個体を
何回も乗り換えてきているのでデータ容量が430GB超になっていた。
これをいまの通信環境で「アップロード」させるというのが基本的に常識外。
それをApple側のショップのスタッフが、話し合いの中で安易にわたしに推奨した。
わたしも、それについうっかり同意してしまったということなのです。
その原因として、最近のMacの記憶媒体SSDの容量が
4−5年前の製品と比較しても1/2から1/3に減少していて、
継続してMacを使っているユーザーはデスクトップ上のデータ量を考えると、
容易にMacをアップグレードできないことが原因としてある。
その解決策として「iCloud」にデータを置いて利用するという提案だったのです。
わたしの場合、デスクトップデータ量が普通レベルよりもだいぶ多いけれど、
一般的にも数十GB、100GBを超えることはよくあるでしょう。
都合10数時間の有線LAN環境でも今回送れたのは高々、2GB未満だったので、
100GBであれば、500時間は超える計算になる。
20日以上かかるということだと思います。
いわんや430GBでは、数ヶ月かかる計算になる(笑)。
その間、Macを使うときには、つねに上の写真の「レインボーカーソル」が頻発して
手待ち時間が各段階ごと、それこそワンクリックごとに発生する。
当然通常使用には耐えられない状態になる。
ユーザーがこういう状態に置かれているのに、Appleの開発姿勢は、
ユーザー無視で機体内部アクセスはまったくできなくしている。
SSDの換装はもちろん、メモリの増設すらできないように仕様変更している。
今後ともこうした姿勢をAppleが取り続けるのであれば、
中小零細情報企業としては、防衛的な機種選択を考えなければならない。
やはりWindowsへの移行も視野に入れるしかないのでしょうか?
・・・というようなユーザーとしての意見をAppleのサポートの方には申し上げた。
サポートの体制としてはたいへん親切丁寧に対応してくれて感謝した次第。
しかし結局、基本的な問題、Mac個体のデータ容量が小さすぎて
仕事上での大容量データを継続利用できないことには、現状では解決策がない。
ハタで聞いていたカミさんから「そんな担当者に言っても迷惑だし時間のムダ」と
言われました。半ば以上はその通りとは思います。しかし、
どんなに大企業に対してであっても、ユーザーの意見は
きちんと伝える必要があると思います。サポートの方からは
「大変耳の痛い意見ですが正論として必ず上長に伝えます」と誠意ある答えでした。
Appleは長年のユーザー保護ということをぜひ考えて欲しい。
Posted on 6月 8th, 2017 by 三木 奎吾
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大失敗。
きびしいMacのトラブルに遭遇しております。
以前からMacの作業環境、その将来性について困難を感じています。
というのは、アップルではある時点からHDDを廃止してSSDに移行している。
このこと自体はIT発展のひとつのカタチではあるかもしれないし、
合理性はあるものと思っています。
ただし、この転換に於いてSSDの容量進化が予想以上に時間がかかっている。
結果として、あたらしい機種ほどディスクの容量が不足してきている。
以前(4−5年前)は500GB-HDD程度のディスク容量が普通だったけれど、
最新の機種では、基本は128GB-SSD程度になっている。
たぶんみなさん同様だと思うけれど、仕事をしていけば、
その必然として、過去データはどんどんと増えていく。
わたしの場合は換装可能な範囲でいまは、2TBのSSDにしている。
しかしMacでは最近機種ではほとんどが内部アクセスができなくなっている。
こうしたディスク容量のアップも、最近機種では不可能。
メモリすらもアップグレードできなくなっている。
ということで、わが社のMac環境総数30台ほどはこういった不自由な環境になった
直前の2012年段階までの機種選択に留めてきている。
仕事上のデータアクセスにおいてディスク容量を気にしながらの作業など、
考えられないからであります。
もちろん、社内での共有サーバ環境なども整備していくのですが、
それにしてもクライアントマシンのディスク容量は必要不可欠。
そういう状況で推移してきていたのですが、
やはり最新のマシンへの移行は徐々に進めていく必要がある。
壊れたり、買い換えたりという更新は待ったなしでやってくる。
そういった「作業環境管理」の考えから、どうしていくべきかと考え、
まずは自分自身で、どういう環境が作り得るか、
いろいろに試行をはじめようと考え、昨日アップルの店頭スタッフと話して、
必要なディスク容量確保手段として、iCloudの利用を勧められた。
たしかに作業環境の確保手段としてはひとつの考え方。
外部に大容量データが確保されれば、クライアントマシンでは
ディスク容量が小さくても作業の環境を維持することができる。
いずれは128とか、512GB程度のSSDディスクマシンに更新させる必要がある。
そのときの環境維持策の探索として、まずは自分の環境でテストしようと考えた。
中小零細DTP情報企業としては、トップがこういうことの判断基準情報を
身に付ける必要があります。
ということで、きのうiCloud利用を試行して見た次第。
きのうの夕方19:00くらいから「デスクトップデータ」をiCloudに移行させはじめた。
やってみたら、途端にデスクトップデータは「移行」し始める仕様。
すぐにデスクトップから「消えてしまう」のです。
最初はwifi環境で始めたけれど、遅くてどうしようもないので、
有線LAN環境にして、放って置いて7時間ほど寝た。
で、どうやら転送し終えたのは430GBの全データのうちの2GB未満。
まだ1%にも満たない(泣)。
しかしこの作業、中止して復元する方法はわかりやすくは示されていない。
わたしとしても、発見することができなかった。
いま現在はわたしのマシンの「デスクトップデータ」は「移行中」ということで、
うっかりは「中止」にもできない。
まさか、移行させるプロセスでいきなりデスクトップから消える仕様になっているとは
そこまでは想像することができませんでした。
現在は移行中なので、やたらほかの作業の処理速度が遅くなっていて、
しかもフリーズが多発している状態。大きく仕事環境が損なわれています。
ということで、写真のようにAppleのサポートに連絡して、
このドツボ環境からの脱出を計りたいと思っております。
あしたのブログでは、なんとか脱出できた報告をできればと念願しています(笑)。
やれやれ、ふ〜〜。
Posted on 6月 7th, 2017 by 三木 奎吾
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空間の嗜好性というのは、家具などの演出装置でかなり決まってくる。
最近の住宅取材でよく見掛けるのは、
家具とか、照明器具とかの住み手の「好み」の部分では
インターネット通販の利用率がたいへん高くなっているということ。
空間デザインについて、ユーザーの自由な反応が見られます。
戦前から団塊の世代くらいまでは、いまで言えば「断捨離」に近いような
最小限のモノしか持たない、持てない生活が一般的であって、
戦後、急激に取り入れられた欧米化、いや正確には「アメリカ化」が
そういう状況に対して集中的に日本人の意識に注入されていった。
最近、難波和彦氏の論の中で戦後は「アメリカの住宅政策」が津波にように
日本の国策として推進されてきたという件があり、納得させられた。
日本の国土伝統の中では戸建て住宅は必ずしも普遍性はなく、
生産設備兼用の大型農家や、都市部では中流以上の武家住宅など、
ごく一部の例外的にしか、一戸建て住宅はなかった。
町家とか長屋とかの木造集合住宅が庶民には中心的な住文化であり、
ヨーロッパやアジアなどの積層した住文化でもそっちが主流なのに、
戦勝国の価値感が有無を言わせずに刷り込まれてきた、とされていた。
戸建て住宅は個人主義価値感とセットでもあった。
このことは、戸建て住宅という住文化を豊かには持たない国民性に
強制的に「文化」が注入されたと言っても良い。
だから、その受容第1世代に近い団塊世代には「与えられた」住空間を満たす、
明確な「住まい方文化」の感受性はなかったと言っていい。
なので、テレビなどで拡散されたアメリカ生活文化が
乾いた土地に水を撒くように受容され、大衆社会が容易に実現していった。
畳の住文化の国民にいきなりソファを選べと言われても、
テレビで見せられたモデルを模倣するしかできなかったということでしょう。
この時代、「広告宣伝」の刷り込みは非常に大きかっただろうなと思えます。
そういった集中豪雨のような住文化受容があって、
それからようやく、各人が判断力を持ち始めて、
戸建て注文住宅文化のなかでの「空間デザイン」を考えるようになっている。
一方では、無印とかニトリとかの「規格合理性」への希求も生まれた。
日本人スタンダードへの志向というのは当然に生まれてくるのでしょう。
一方で、そういった流れとはまた違う動きとして、
Amazonなどのインターネット通販は、ロングテール趣向の購入機会としては
非常に優れた特性を持っているといつも感じさせられます。
家具には暮らし方のイメージ力があって、その部分を刺激してくれる。
写真の家具はある時代のヨーロッパの雰囲気をつたえるデザイン。
ユーズド通販オークションで16万円で落札し、配送料2万円で入手した。
この家具を基本イメージにして、ほかの家具や空間内装を決めていった。
20-21世紀のニッポン北海道でのライフデザインは、
時間の経過とともにあるデザイン傾向、文化を生み出していけるだろうか、
ふとそんなことを考えさせられていました。
Posted on 6月 6th, 2017 by 三木 奎吾
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きのうご紹介した北海道長沼町の住宅続篇です。
全室暖房が常識である北海道では、暖房方式をどう選択するのかは、
最大のテーマであり続けています。
全国とはまったく違う住宅進化を遂げてきた起動力は、
暖房をいかに合理的に安価に全室暖房として実現するかだった。
明治以来、ストーブという欧米文化がいち早く導入され、
石炭が北海道の主要産品として生産されるようになって、
北海道では暖房熱源として石炭が安価に道民に提供されてきた。
各家庭に「石炭小屋」が併設され、個別配送もされていた。
その後、国のエネルギー政策が石炭から石油輸入に転換し、
主要産業としての炭坑も閉山に追い込まれ、暖房も石油ストーブへ転換された。
そういった折りに石油危機が勃発し、未曾有の危機感を持って
住宅の性能向上がオール北海道として、官民挙げて必死に取り組まれた。
断熱・気密といった基本性能の解明と、木造在来工法の改良が推進され、
輻射熱暖房、石油温水暖房によるセントラルヒーティングが普及し、
それを追って「オール電化」による深夜電力利用の蓄熱暖房も広がった。
しかし3.11以降、電気ナマ炊き暖房への反省が生まれ、いま現在の状況がある。
一方で、薪ストーブへの憧憬はこれまた根強い。
東日本大震災以降、これは全国的ではあるとも思いますが、
北海道ではやはり、万が一の暖房方式として薪ストーブへの支持は熱い。
ただ、これはやはり高価であると同時に、熱としてはコントロールが難しいので
あくまでも「豪華な補助暖房」という位置にとどまっている。
いまはさまざまな熱源方式での暖房が同時並行的に試行錯誤されてきている。
石油やガス熱源によるエコジョーズなどのシステムや、
ヒートポンプやハイブリッド方式による温水循環輻射熱暖房などが普及しているが、
そのなかで、エアコンによる暖房もそのコスト面の合理性で受け入れられてきている。
ただ、北海道民には暖房での気流感への拒否反応がある。
FF石油ストーブ暖房の時代に、その吹き出す温風が乾燥感とともに
空気を撹拌してノドを痛めるなどの不快感に繋がった負の記憶があるのです。
高価ではあるけれど、輻射暖房が根強く支持されるのは、
そのような不快感が根本的にない暖房という評価があるのです。
そういった経緯に踏まえてか、エアコンも本州で一般的な壁設置型ではなく、
温風が直接人体に当たらないような設置法を各社とも工夫している。
このあたり冷房利用は顧慮されず、暖房としてのみ利用という北海道の特性かも。
このお宅では、上の写真のように温風吹き出しが「床面を這う」ように工夫されている。
設計施工のヨシケン・吉田専務によると、床下ピット空間に吹き出す方式も考えたけれど、
コスト面と効率を考えて、この家ではこういう方式を取ったということ。

この写真は昨年拙ブログでご紹介した「床下ピットへの温風吹き出し」型の
エアコン設置例です。設置法の違いが比較でお分かりいただけるでしょう。
このようにいまは実に多くの試行が行われている。
ダクトエアコンタイプの採用例も増えてきているし、まさに百家争鳴。
さらにこのお宅のように、エアコンとアナログ薪ストーブのコンビというのも、
一部では根強く支持されている暖房スタイル。
メーカーの開発方向や、研究者の意見や施工者の声などもさまざま。
設置方法のそれぞれの違いなど、いま北海道でいちばん「熱い」領域です。
Posted on 6月 5th, 2017 by 三木 奎吾
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北海道で暮らすという選択の中で、
もっとも大きな趣向性はなんといっても、大自然に抱かれた暮らし。
夏のここちよさはごく自然だとして、
大地を日々感じながら、冬のきびしい猛吹雪が吹き付ける中でも、
薪ストーブのあかりと暖かさに包まれて、家族で重ねていくくらしには、
無上のよろこびに満ちた、ひとが生きる味わいがあると思います。
父として母として、子どもたちにもっとも感じさせたいことでもあるでしょう。
この地は北海道最大の平野部、石狩平野を北東側から見晴るかす高台、
馬追(まおい)の山並み丘陵南西斜面に立地しています。
遠く札幌の街並みや石狩湾、暑寒別連山の山並みまでが遠望される
北海道でも有数のロケーションの土地柄。
この建物の周辺にはそうした環境に魅せられた家々が散在していて、
北海道らしい居住環境を楽しんでいる。
オーナーにお話しを伺ったら、札幌まで通勤されると言うこと。
ここからクルマで15分ほどの「北広島駅」へ。そこで駐車場を借りて
そこからは新千歳空港線も走っていて利便性の高いJRを利用する。
通勤に要する時間はおおむね1時間程度。
首都圏との対比で考えれば、通勤の時間は十分許容範囲。
それでこうした、まるで別荘に暮らしているかのような居住環境が得られる。


最近、移住者の方が明解にもつこうした志向性に
北海道のひとたち、とくに札幌などの都市部に育った世代の人から
同心するような志向性をもつひとが増えてきていると思います。
以前の北海道ネイティブには、こうした志向はあまり強くなかった。
すばらしい眺望が得られているのに、その価値感をむしろ
「山ばっかりしかないんだわ」と否定的にしか捉えなかった。
「コンビニもない」というような、ひたすら利便性に拝跪する考え方。
住宅の性能も向上して、こうした風雪に直にさらされるような環境であっても、
室内環境は、まったくの別世界が容易に実現できる。
そういった「つくる技術」の情報拡散が行き渡ってきて、暮らし方のイメージに
大きく幅が広がってきているのかも知れない。
シンプルに考えて、札幌のような都市文化とのアクセスも容易で
しかもこんなふうに大自然と対話するような暮らしもできるのだと、
若い世代ほど、多くのひとが気付きはじめているのかも知れない。
そういう楽しい暮らし方文化、自然との交歓、その土地らしい住文化が
さまざまに根付いていって欲しいと思います。
なお、設計施工はヨシケンさんです。http://www.daichinoie.co.jp/
Posted on 6月 4th, 2017 by 三木 奎吾
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きのうはわたしの出身中学校の「同窓会」。
札幌市中心部立地の中学校だったので、人口の膨張と周辺拡散時代に遭遇して
新設されてから十数年で廃校になるという数奇な運命をたどった。
急増する校区内学歴人口を収容するのに、既存の木造の女学校校舎を利用してスタートし、
その後、モダンな新校舎が設立後7−8年で建てられた。
わたしは「12期」で、そのモダンな校舎で中学校生活を過ごした。
しかし、その後、対象の子ども人口が急激な流失があって、
わたしが卒業してから数年後、あえなく「統廃合」されてしまったのです。
人口についての科学的統計が行われていれば、
こんなことは起こらなかったに違いないのですが、
戦後のベビーブームという大波のなかでの混乱の一種でしょうか。
そういった急変した人口動態のままに、
札幌市で育ったいま60代を超えるような世代は、生きる場所がゆれ動いた。
わたしの父親などの話を聞いていると、
祖父の出自である広島県とか、あるいはそこから入植した北海道栗沢などの
「地縁社会」で基本的には生きていたことが知れます。
たぶん、その地縁社会は江戸から明治大正昭和初期まで一貫している。
個人としてよりも、地域共同体という「まゆ」にくるまれて人間は生きていた。
そういった実感が強く感じられていました。
父の話の中で登場する人物は、そういった地縁が色濃かった。
ただし、大正元年に生まれ昭和の戦前から戦後を生きた父は、
そういった地縁の人間関係と同時に「職」に繋がる縁で通常は生きていた。
たぶん、地縁がほとんどであっただろう祖父の時代とは様変わりしていた。
しかし、父の代では自己認識としては「地縁」意識が大きかったと思います。
で、わたしたち、昭和中期に生まれて生きてきた世代は、
戦後の高度経済成長のただなかで、この地縁が大きく流動し、
ほとんど解体されてしまった。
多くの人間はその後、「職縁」というまゆのなかで生きることが基本になった。
この職縁で生きることで、住む地域はその生理構造の中で大きく流動した。
多少なりとも地縁が存在するとすればいまは「学」での縁、
言ってみれば「学縁」というものが多少は代替するのかも知れない。
しかしこの縁は地縁のように根がらみで生きることと繋がるのとは様相がまったく違う。
なによりそれがなくてもまったく生きていける。
たしかに江戸までの社会には流動する民、無宿人とか渡りというような人もいたし、
明治以降、戦前、戦後のある時期までにもフーテンの寅さんのような
流動民も多く存在はしていたに相違ない。
しかし、そういった流動民とはまったく違うような環境でわたしたち年代は
あらかたの人生を歩んできている。
そういった人間生存環境の変化の中で、
定年ということから職縁から切り離されるような状況になってきて、
また、人々は生きる環境を意識していくようになっていくと思う。
職縁から切り離されて、擬制的地縁の象徴と言える「町内会」活動に
大きく関与するようなひとも現れている(笑)。
一方で職縁がずっと継続するようなひともいる。
高齢化時代、人間の絆、どのように変化していくのか、興味深い。
<写真は意図的に「ぼかし」を入れています。>
Posted on 6月 3rd, 2017 by 三木 奎吾
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長らくiPhone6+を使ってきましたが、
5月の末になって、大急ぎでiPhone7+に機種をアップグレードしました。
自分からの希望と言うことではなく、契約しているキャリアからの提案。
あと、詳細は当社スタッフが担当しているので、
わたしは理由を詳述できるほどの情報知識はない。
基本的にはiPhoneであれば、アプリ環境その他、大きな問題もないので
即座に申し出を承諾致しました。
で、昨日、さっそく窓口に行って新機種にチェンジ。
事前にMacのiTunesに「バックアップ」させておいて、
そのバックアップから復元させるカタチで旧環境と同様の環境に移行。
わたしの旧環境の方が、新機種のiOSよりも最新だったので、
(10.2に対して、10.3.2だった)「古い環境には移行できません」みたいな
アラートが表示されて困った。
しかたなくアップグレード作業を中断して、新機種のOSを最新へ更新。
そこから再度作業を再開して、移行を完了させることができました。
なおその後、LINEはいろいろな設定がカンタンには移行出来ないので、
再度ログインして、ユーザー認証を受けなければなりませんでした。
でもまぁ、そう大きなトラブルはなにもなく、スムーズに移行。
っていうようなことで、スーズなのはいい。
だけれども、どうも「新機種だ」というパンチに欠ける(笑)。
大きさも重量感もそう大きな違いは感じられないし、
アプリの使い勝手にも変化は感じない。
指紋認証とかで若干は変わったポイントはあるけれど、
機種が変わった、アップグレードしたと言うよりも
個体を変更したという程度の実感しか得られません。
どうなんでしょうか?
で、調べてみると、・・・
ヘッドホンジャックの廃止。ユーザーは充電やヘッドホンで音楽を聴く際には
Lightning端子で接続しなければならない。
有線イヤホンを使いたいユーザーはアダプタを持ち歩かなければならない。

って、なにそれであります。さすが独走のアップル(笑)。
あとは、どうやら細かいアップグレードのようです。
う〜〜む、話題にならなかったのにはユーザー的に理由があったと実感。
まぁわたしの場合には、諸般の条件があったのですが、
あんまりチョーオススメとはならないアップグレードかも知れませんね。
でもまぁ、これから使い始めて意外や意外、となるかも知れません。
そのときは、アップルさんゴメンということで報告します(笑)。
Posted on 6月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
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現代の「住宅地」というのは、当たり前のようにクルマ交通が前提。
たとえ、クルマでの移動を選択していない場合でも、
住宅地というものの基本的価値感のなかに、
クルマ交通は大前提として組み込まれている。
まぁ首都などの一部の密集地域では前提されないエリアもあり得るけれど、
こと「戸建て住宅」を考える上では、当然の条件ですね。
こういう「移動の条件」というのは、たぶん人間居住環境では
普遍的に考慮されるべき基本要素だと思います。
江戸時代までの街並みも、馬や船の便が基本的な街並み構成要素。
また、もっとさかのぼって縄文の頃の住宅を見ても、
ほとんどが水運、船での移動交通手段が場所決定の大きな要因。
だいたい、船での移動のための船着き場の周辺で集落が営まれる。
古代の海や川の位置はいま見ているものとは違うのですね。
昔の地形を想起すると、必ずこの原則に沿っている。
先日、AIについての講演を聞かせていただいたのですが、
クルマの自動運転技術はほとんど完成していて、
いまは社会の側の受け入れ、法的環境整備の方に関心が移っているとのお話。
そういう変化がクルマの「所有形態」をも変える可能性に触れていた。
いわく、運転がクルマ=機械の側で自動化されると、
劇的に移動のコストが低減し、所有コストが問題になるとされた。
必要なときにだけスマホなりで「呼んだ」方がコストが下がるという意見。
たとえば家族の移動コストが1日で1000円以内になったら、
1カ月で30,000円。クルマを所有するコストがそれ以上ならば、
合理的選択として所有よりもレンタルなり、タクシーを
選択するのではないかというご意見でしたが、どうでしょうか?
AIは、タクシー業界にとって確かに劇的変化にはなるようです。
でも、ここまで自家所有が広がったクルマ文化を人類がカンタンに放棄するか、
どうも想像しづらい。やはり「移動の自由」に所有は欠かせないのではないか。
思い立ったときすぐに移動できるというのは、現代に至って
人類が獲得した「自由」のなかでも最大のものである気がする。
一度手にしたこの「快適性」は、なかなか放棄しないのではないかと。
このあたり、歴史がどのような未来を選択するのかは、
想像のレベルを超えた世界。
しかし、こと住宅の側からすれば、
人類の移動手段が仮にそのように変化したとしても、
クルマのための道路網は絶対に不可欠なものとしてあり続ける。
上空から見てのこの「住環境」は、この方向でしばらくは進化すると思われる。
しかし、上から見ると屋根の無落雪化はすさまじいです(笑)。
Posted on 6月 1st, 2017 by 三木 奎吾
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日経ビジネス2017年5月29日号のWEBでのアナウンスで、
「「黒船」の融和路線で普及加速か〜最大手・米エクスペディアが民泊に参入」
という記事が目に飛び込んできた。
最近、不確かな情報だけれど、東京ー大阪間で古民家が物色されているとのこと。
そういう古民家改修の仕事がビジネスになり得るのではないか、
といった情報がまことしやかにささやかれはじめていた。
そんな折からの記事だったので注目してみた。
「旅行サイトの世界最大手エクスペディアが日本の民泊市場に本格参入する。
米エアビーアンドビーなどの浸透で市場は拡大するが、
既存業界とのあつれきも大きい。「民泊新法」の今国会での成立も見据え、
地方活性化などで新たな需要開拓を目指す。」というリード文。
「オーナーが自宅や別荘を使用しない期間、第三者へ貸し出す
「バケーションレンタル」の専門サイトを運営。物件は一軒丸ごと
貸し出すのが特徴で、観光地・リゾート地の別荘などを多く抱える。」
というようなビジネス形態とされている。
「米国では平均予約単価・利用日数はA社は584ドル(約6万4800円)・4日間
ほかの対抗企業B社では1032ドル(約11万4500円)・6日間。」
いま話題の「岩盤規制打破」の政治主導の一環として、
政府は3月、民泊の透明性を高めるため、営業日数など一定の規制を
導入したうえで全国で民泊を解禁する「民泊新法」を閣議決定、
今国会で成立を目指す、とされている。
岩盤規制されている宿泊業界に対して、融和的な姿勢で迫りたいと
海外企業は浸透を図っていく考えだと、記事では触れられている。
岩盤的に規制してきたことには一定の意味合いはあってのことでしょうが、
それを頑迷に守り通して日本経済の将来性を担保できるわけもない。
いま札幌市内では旺盛な海外旅客需要で
日本人旅客の宿泊がままならない現実も発生している。
政府は、つい1−2年前には2000万人がどうこうと言っていた海外旅客を
4000万人まで倍増させる計画を推進してきている。
東京オリンピックという機会も呼び込んできた経緯に踏まえて、
さらに経済振興策として、この「民泊」ビジネスも視野にして動いてきている。
単純に4,000万人の旅客がどれだけのお金を落とすのか、
そしてそれがどんなビジネスに対して受益していくのか、
国内需要としては確実な縮小の未来しか描けない住宅事業者にとって
こういった民泊需要はどんなビジネスとして生み出されていくのか、
注意深くウォッチして行く必要があると思っています。
当社の住宅事業顧客先でも、パンフレット英語版を作るところが散見されてきた。
「まだ」はもう、という格言もあります。対応は不可欠でしょう。
Posted on 5月 31st, 2017 by 三木 奎吾
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