
歴史好きにはたまらない山が伊吹山だと思います。
琵琶湖畔南側を東進すると、ずっと正面に見え続ける山が伊吹山。
平野部がその周辺から中部山岳地帯になっていく位置。
逆に東国方面から来れば、もう少しで畿内という最後のランドマーク。
それはまた、北国地方からの地上交通でも同様になっている。
畿内と東国・北国の接点の位置としてきわめて重要な立地を占めている。
いわば、東西日本を分かつ接点に位置しているのだと思うのです。
そういった古来の交通要衝地ということで、
日本史最初の「東西決戦」となった、壬申の乱の激突地にもなったし、
その裾野に含まれる「関ヶ原」も、戦国の東西決戦の舞台になった。
今回、レンタカーで琵琶湖南岸の平野部を東進してみて、
一般道からはずっとこの伊吹山が見え続けることを確認した。
わかりやすい雪をかぶった山体を遠目にも見せてくれていた。
古くは日本武尊がこの山の神と戦い傷ついてそれが原因で死に至ったとされた。
そして壬申の乱による故事からなのか、
この伊吹山で特異に掘り出される「さざれ石」が全国の神社には奉納される。
さざれ石は、小さな小石が再度溶岩で集結した石なので、
八百万の開拓ムラをそれぞれ「クニ」と考えたとき、それらを統合する
「日本」という中央集権国家をイメージさせるのにピッタリだったと思える。
壬申の乱で東国武力を統合して勝者となった天武によって、
その後、験のあった伊勢が聖域化され、さざれ石のようなギミックも
「君が代」のひとつの象徴にしていったのではないか。
天智の弟でありその子が正統と自ら認識しながら、政権を武力で奪取した
天武帝にとっては、数々の王統神話を造作する必要があった。
わたしはそのようなイメージを持ち続けています。
今回はじめて「関ヶ原」も見てきたのですが、
行ってみて、その場所が明白に伊吹山の山麓地域であることを確認しました。
この山麓台地に陣を構えた石田三成が、圧倒的に「地の利」を得ていたことは確実。
それに対して家康は、低地から高地に攻め上がるかたちになっている。
明治になって政府が招いた欧米の軍事戦略家たちが、関ヶ原のこの陣構えを見て
異口同音に「西軍勝利」を語ったとされている。
そうであるのに、家康はどんどんと自陣を前に前にと進めている。
司馬遼太郎さんもこの地を訪れたことを書かれていたけれど、
この陣構えを確認して、ことが軍事常識によって決したのではないことを
深く確認したに違いないと思われました。
歴史好きにはたまらない空間体験を持つことができた。
なかばあきれながら付き合ってくれたカミさんに深く感謝であります(笑)。
Posted on 1月 4th, 2018 by 三木 奎吾
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カミさんからも「大仏が見たい」リクエストがあって
今回も参観してきた奈良・東大寺であります。
世の流れにつれたびたび訪れますが、今回印象はやはり中国です(笑)。
まぁまぁ、すごい。伊勢神宮ではまったく聞かれなかった中国語が
ここでは、ほぼ満艦飾のようであります。
たまに日本語や英語を聞くという程度で、圧倒的多数派。
日本人は大仏の前で大声を出すような習慣がないせいもあるのか。
いや、欧米系もそう大声を出す習慣はないと思う。
それに対して、中国の人はやたら騒がしいという印象がある。
コモンセンスについての認識の根源で違う部分があるのか?
家族とか一族というような意識が過剰で、
それを超える社会性に対しての認識に違いがあるのかも。
まぁそれでも、せっかく来ていただいているのですから、
観光立国ニッポンの戦略としてはありがたいと思います。
ただ、京都などではそろそろ総量規制的な動きもあるといわれる。
なかなかむずかしい問題になってきているのかも知れませんね。
中国歴史では仏教は大きく発展したけれど、
かの国はそれ以上に専制独裁権力国家であり続けてきたので、
宗教弾圧が繰り返されても来た。結果、
仏教施設の破壊が定期的にもたらされてきている。
近くは中国共産党・文化大革命によって仏教は殲滅的被害を受けた。
そういうかれらにとって、千年以上、多少の災禍はあっても
文化が基本的に大切に継承されてきた日本仏教は興味深いのでしょう。
そのなかでも日本国家が成立して世界に大きなメッセージとして発信した
この国家巨大公共事業の嚆矢といえるのが、奈良大仏でしょう。
いまみても、そのスケール感には圧倒される。
この大仏殿がもっとも危殆に瀕したのが、平家による南都焼き討ち。
そこからの再生のために鎌倉時代に建立されたのが、
この阿吽の金剛力士像2体であります。
昨年東京国立博物館で展示開催された「運慶」展を見学したあとなので、
たいへん興味も増した「再見」でありました。
それとこの2体はまごうことなき「国宝」なのですが、
国宝の中でいちばん身近に親しむことができているものでもあると思います。
奈良再興の総合プロデューサー・重源さんの構想の中でも
この大仏殿を守護する役割の金剛力士像は、相当重視されたに違いない。
なんといっても、災難から仏を守る使命を込めた力士なのです。
依頼を受けた運慶さんになるこの力士像の力感、迫力は格別。
もう二度と戦乱で大仏を危難にさらしてなるものかという、
まさに民族的な強い意志をそこに感じる。
運慶さん的なリアリズムがその意思の表現に、まさにハマっている。
平和を達成するための力強い「防衛力」。
なにやら現代ニッポンにとっても、きわめて暗示的ですね。
Posted on 1月 3rd, 2018 by 三木 奎吾
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今回の旅の訪問先で面白かったのが、
石舞台見学から足を伸ばした飛鳥寺、飛鳥坐神社でした。
きょうは、こちらの「飛鳥寺」のことを探究してみます。
写真は飛鳥寺の現「本堂」と下の写真は東大寺大仏殿外観。
飛鳥寺の建築としての成り立ちとか、プロセスについてスタディ。
「古寺巡訪」という個人の方のブログを参照しました。
草創・開基
(1)建てたのは蘇我馬子。
用明2年5月、蘇我馬子は政敵・物部守屋を倒した。この戦いの結果、
蘇我馬子はほぼ全権力を手中に収める。それを確固たるものにするために
この飛鳥寺造立を行った。完成には約21年を要した。
・崇峻元年(588年)造営開始、
・推古4年(596年)一応の完成。馬子は息子膳徳を寺司にし僧を居住させる。
(2)飛鳥寺は我が国最初の仏教寺院
飛鳥寺は当時の朝鮮半島の先端技術によって建立された
本格的な伽藍をもった我が国最初の仏教寺院。
●建築技術は古代朝鮮半島の先端技術が導入された
飛鳥寺は蘇我氏と結びつきが強かった渡来人・朝鮮の百済国などから
6人の僧、寺大工、露盤博士、瓦博士、画工などの派遣を受けたと
日本書紀にあり彼らの指導の下に建立されたと考えられている。
仁和3年(887)と建久7年(1196)の火災によって伽藍が焼失し、
室町時代以降は廃寺同然となった。
江戸時代の寛永9年(1632)と文政9年(1826)に、旧金堂の跡に
小寺院が再建され「安居院」と称した。この小寺院が現在に至っている。
・・・というような沿革になっている。
日本最古の建築会社・金剛組は聖徳太子の「四天王寺」建設工事に
際して朝鮮半島から日本に移住してきたとされるので、
ほぼ同時代に建てられた最先端木造建築デザイン・技術とされる。
<578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって
百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である
金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。
〜Wikipedia 金剛組のページより>
その創建時のデザインが残滓として、いま残っている建築に
活かされているのかどうか、定かではない。
いま残っている寺院建築はまことにこぢんまりとしたたたずまい。
奈良の遷都に際して、寺院としてはそちらに移転して行って
こちらはその抜け殻のような位置付けのようなので、ムリもありません。
しかし、有名な止利仏師作になる「飛鳥大仏」が安置されている。
こういった飛鳥寺創建当時の状況から推移していって、
奈良・東大寺が「大仏開眼会」を行ったのが、天平勝宝4年(752年)。
この間、150-60年の歴史経過があるけれど、
この飛鳥の地を訪れてみると、ヤマト王権としての段階から、
「日本」国号を定めて、アジア世界で独自の「中華」国家をめざした
そういった空気感が、なんとなく感覚される。
行ってみて、ほんとうに小さな地域にこぢんまりと端座しているので、
この間の「国家創始」の動きの急拡大ぶりに驚かされます。
古代においても日本は経済成長国家だったという説がありますが、
そんな印象が強く感じられました。
Posted on 1月 2nd, 2018 by 三木 奎吾
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みなさん、あけましておめでとうございます。
本年も当ブログ、ご愛読いただけますように、お願い申し上げます。
年末最後のアップもそうとは考えずにふつうの取材記事を書いた。
書き終わって半日経って「そういえば大みそかだった」とようやく気付いた。
ということで、年末旅行も終わってきのう夜に自宅に帰着。
札幌の自宅は雪の具合がどうかと不安でしたが、
それほどは降ってなくて数センチ程度でしたので除雪は軽く終了。
けさは早起きしてカミさんと早々に北海道神宮に初詣へ。
おみくじは「末吉」という、これもごく普通でありがたい限り。
なにごとも普通で常識的というのが、いちばん平常心でいられます。
さて、年末旅行、ことしは夫婦だけの旅になったので、
行き先も高齢者に似合った寺社建築を数多く訪問させていただきました。
写真のお札の神さまなど。ほかに伊勢神宮内宮、淡路・伊弉諾〜いざなぎ〜神社も。
伊勢神宮内宮は日本の神様の元締めの「天照大神」なので、
そのお札は常置しているし、伊弉諾神社は一昨年も行ってお札購入済み。
神さまお札コレクションはわたしの個人的趣味なのですが、
今回は、この4枚のお札をあらたにゲットしてきた次第。
写真左の建部大社は、近江国一の宮とされる。ヤマトタケルが主祭神。
その右は、伊勢神宮外宮のお札です。
天照大神の食事を司る神さま、今から約千五百年前、天照大御神のお食事を司る
御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされたとされている。
一番右側は、奈良県「三輪山」を神体とする「大神〜おおみわ〜神社」。大和国一宮。
で、最後は真ん中右の「飛鳥坐〜あすかいます〜神社」。
場所は奈良県の明日香村であり、飛鳥寺の奥に鎮座している。
飛鳥の地元の方にその存在を聞いたので、はじめて訪ねてみたのですが、
神主さんがたいへん気さくな方で、お話しが面白く引き込まれていました。
その神主さん、お名前が「飛鳥」という珍しい姓だということです。
飛鳥寺というのは日本で初めての仏教寺院であり、
まだ日本には仏教寺院建築のデザイン・技術がなかったので、
朝鮮半島からの工人を含めた完全な輸入建築だったのです。
一方で、そのすぐ奥の小高い丘陵にこの飛鳥坐神社は鎮座している。
後の世の宏壮な宗教施設とは比べようもないこぢんまりとした寺社建築たち。
たぶん、この一帯は繰り返し建設された王権建築群集中地域であり、
草深いアジア辺境地域であったこの国に、発展を司る権力維持の戦略思想として
宗教を広め、管理していこうという「権力意志」の基礎になったのでしょう。
そういった実験施設的な印象を持った次第です。
飛鳥寺と飛鳥坐神社、面白い。
あしたはこのふたつの原初的宗教建築施設を写真で解剖したいと思います。
Posted on 1月 1st, 2018 by 三木 奎吾
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さて、年末の気ままな夫婦旅道中であります。
人間はそれぞれ、好みがあるので昨日は午前の部はわたし、
午後はカミさんの好みの散策としました。
で、午後は「京都街歩き」篇であります。
瀬田駅から京都駅に着いてから、地下鉄で四条御池で下りて
そこからあちこちと散策であります。
わたしは、カミさんに一生懸命に京都の街割り、通りを伝えるのですが、
何度言っても、なかなか伝わらない。
「地図を読めない」というワケなんですが、なんどでも話すしかない。
南北と東西での位置関係が、すぐに見えなくなるようです。
烏丸通りと、鴨川などが南北にほぼ「平行」していて、
それに対して四条通り、御池通などが「直交」している、というのが、
なぜか、すっきりと空間認識されにくいようなのですね。
札幌の街割りは京都をまったくコピペしたのですから
わたしなどには、全国一わかりやすいなぁと思えるのですが・・・。
まぁ慣れっこではあるのですが、いつも面白いなぁと思わされる。
でも、審美眼的な空間認識の部分ではいろいろ教えられることが多い。
位置感覚と審美感覚で男女にはそれぞれ得意が分かれているのではと思う。
今回は準備の時間もあんまり取れなかったので、
訪問場所の選定まで話し合うことがまったくできなかったのですが、
この「八百一本館」も彼女のイチ押しでの訪問場所。
平成26年の「京都景観賞」を京都国立博物館を抑えて受賞した。
インターネットで公開されている受賞理由は要旨以下の通り。
〜 青果物を中心とした物販店舗,飲食店及び屋上農場からなる複合施設である。
事業主の株式会社セントラルフルーツは,全国の百貨店に青果物専門店を
展開するとともに,農業生産法人として農業も営んでいる。
建設地は15m高度地区及び旧市街地型美観地区に指定されており,
商業・業務施設と住居が共存し,京町家や近代洋風建築が
歴史的風情を湛える歴史的都心地区に立地している。
建物のボリューム,壁面の道路後退,道路からあまり屋内を見せすぎない窓や
ブラインドの配置等により近隣へ十分な配慮がなされている。
スクラッチタイルを用いた微曲線のメインファサードが,素朴で優しくありながら
力強さも感じさせ,周辺の町並みと一体となり,通り景観の向上に寄与している。
さらに本物の畑土や里山の植栽,樹木を移植した3階の屋上農場では、
一般に開放された遊歩道から四季の農作物の生長や収穫を眺めることができ,
京都の都心部に「農場」という新しい屋上景観を創りだしている。
歴史的な町並みに調和しつつ,これまでにない
新たな優れた景観を創造した,極めて優れた建築プロジェクトである。〜
八百屋さんとして京野菜文化の担い手意識が昇華された店舗。
というイメージを受け取ることができました。
ただ、屋上の「見せる畑」はあくまでひとつの象徴でしょうね。
一品一品の販売商品についてもそれぞれこだわりがみられ、
ずっとみていても飽きることがなく時間を過ごせる。
サツマイモなど、旅の身の上を忘れて思わず買い求めたくなるほどでした(笑)。
Posted on 12月 31st, 2017 by 三木 奎吾
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みなさんは、旅行に出られたらどういった移動行動を取られますか?
わたしの場合は、だいたいがレンタカーを借りて、あちこち行動したい方。
カーナビが進化しているので、各地の高速網を利用すれば、
おおむね時間節約で行動できるのが最大メリット。
なんですが、やっぱりトラブルも避けられない。
きのうは、琵琶湖周辺の瀬田を朝早く出て、
適当に高速SAで朝食を済ませて、奈良周辺をあちこちと考えて出発。
最近は中途半端に関西の高速網になれてきて
安易に考えてしまっていた。
いきなり瀬田西のICへの道に迷ってしまい、名神の桂川SAを見失う。
どうも「京滋バイパス」を走行してしまった様子。
「でもまぁ、そのうちどっかSAがあるだろう」
と軽く考えていたのですが、どうも借りたレンタカーのカーナビがやや古くて
奈良方面への「木津」ICへの高速が反映されていない。
で、いったん大阪を回ってというルート選択になってしまい、
途中2つほどはPAがあったけれど、トイレだけか、コンビニ店舗だけのもの。
結局空きっ腹を抱えて、最終の「南阪奈道」葛城で下りてから橿原市内の
24時間営業のレストランまで約2時間超のドライブに・・・。
やむを得ない展開でしたが、なんとか、奈良県明日香村周辺中心で楽しい観光。
で、あちこち見たあと、シメで東大寺大仏殿を参観後、
カーナビの導くままに「木津」から高速に乗った。
ところが、最後の「久御山南」ICから先の高速道路をカーナビが認識せず、
高速道路で「迷子」になってしまった(泣)。
途中でカーナビの「古さ」を知ったのでカミさんがiPhoneアプリで
読み上げカーナビをやってくれていたのですが、
それでもとっさの判断が間に合わなかったりしたのです。
結局、いったん高速を下り一般道で「Uターン」という情けないことに。
最後は速度も上げられず慎重運転やや低速走行で、全車に追い越される(泣)。
で、なんとか、「瀬田東IC」に帰着できた。
道中のてんやわんやで、疲労感ハンパなく、食事も心ここにあらず状態(笑)。
あとの祭りで調べてみると、どうも
この最後で迷ったあたりは、各高速間の相互乗り入れが十分でないようです。
高速道路はどこでも「繋がっている」というように信じていたのですが、
一部相互乗り入れできない部分がこちらにはあるようです。
っていうか、連絡が取れてはいたとしてもナビ表示が十分ではないようですね。
まぁ単純な高速網しかない北海道に慣れているせいでしょうか?
う〜む、信じたわたしがバカだった(泣)。
今日以降は、もうちょっと事前調査してから、走行したいと思います。
深く反省、であります。
Posted on 12月 30th, 2017 by 三木 奎吾
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工務店という企業は、おおむね中小企業が占めています。
住宅建築が中心的な営業対象になる。
そうすると、競合相手は大きくは大手ハウスメーカーが対象。
大手ハウスメーカーはなんといっても巨大な資本力を持って市場専有している。
当然、社員教育に掛けられる費用も大きく、
大手の場合、数カ月間も新入社員を缶詰めにして導入教育する。
あらゆる「営業テクニック」を叩き込んだ末に巨大住宅展示場に配属し、
大量宣伝で集客した顧客に対して営業攻勢を掛けさせる。
それほど人生経験を経ない社員でも、大手の知名度で受注が可能だという。
しかし、そこで受注できた件数をもって自分の実力と勘違いして
他メーカーに転職すると、まったく受注できないことに気付くとされる。
ようするに体力勝負的な大手企業の「コマ」であるに過ぎない。
また、情報力も中央省庁などから直接に入手も可能になっている。
住宅についての情報は、全社的に共有され即座にスタッフで組織的に活かされる。
金融とか補助金など営業情報として即、入手活用される。
このような競争相手に対して、工務店が対抗していくためには
「地場」であること、その地域に根ざしていることが最大のパワー。
いわゆる住宅性能についての「差別化」も大きな武器になってくる。
大手ハウスメーカーでも性能に力を入れ始めているけれど、
地場に密着して、しかもまったくの注文住宅的な自由度を持って
なお高性能住宅であるという点では、優良工務店のプライオリティは高い。
しかし、そうであっても大手への対抗という意味では、
さらに「ネットワーク化での情報力の向上」が不可欠になってくる。
ネットワーク化することで、さまざまな技術の共有が可能になる。
こういった狙いから北海道で組織化された「アース21」は大きな成功例。
地域の中でも先導的に住宅技術を研究開発してきた工務店が、
横断するように情報共有のために組織化されてきた。
おおむね2カ月に一度程度、おたがいの住宅現場を公開し切磋琢磨する機会とする。
工務店がそのときどきで解決すべきテーマについて
徹底的に研究する勉強会も重ねてきている。
そしてさらに、ここで紹介するような「情報誌」を年に1度のペースで発刊。
大手ハウスメーカーの宣伝とはまたひと味違った手づくり感で
ユーザーに継続的にメッセージを送ってきたものです。
そうした活動が今回の発刊で満10周年、まことに「継続は力」。
今回は特別付録まで付いている。
付録〔創刊10周年特別企画〕家づくりお楽しみクーポン。
全国的にもきわめて稀な活動だと思います。
わたしどもReplan誌としてもその活動のサポートをさせていただいています。
全国の工務店企業のみなさんにとって、参考になると思います。
2018年1月10日発売 A4版・オールカラー184p(表紙共)
本体価格630円(税込:680円)
北海道内の主要書店、セイコーマート(一部店舗)、Replanホームページにて発売!
WEBでのお求めはこちらから。
Posted on 12月 29th, 2017 by 三木 奎吾
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きのう朝、事務所に出て年末の挨拶を済ませて、カミさんと年末休暇に。
ことしは夫婦ふたりで関西方面でゆったりしたいと。
きのうの札幌は寒気が戻って来てクルマで見たら外気温マイナス5度。
前日までの積雪と融雪で路面が滑りやすい状態で各所で事故多発。
高速入り口、新川インターが事故閉鎖。下道渋滞に巻き込まれながら、
ようやく「札幌北」で高速に乗ったけれど、こっちでも渋滞。
50km規制がかかって、そのうえ先頭は警察車両が先導(!)。
通常1時間見ておけば間に合う千歳空港までのクルマが倍の2時間。
ようやく民間の空港パーキングに入れたけれど送迎バスが一向に動けない。
普段と違ってビジネスではない人たちのピックアップに時間がかかる。
通常15分も見ておけばいいところが倍以上時間がかかる。
で、ようやく飛行場に着いたのがフライト15分前。やむなく走る、走る!
座席などの予約はすべて済ませていたのでチェックインは機械で
スムーズに済みましたが、最終の搭乗口付近も長蛇の列。
航空会社の案内の方に頼んで便を告げたらショートカットさせてくれて、
ようやく最後から数人という搭乗順で機内にギリギリ飛び込めた。
通常のビジネスツアーではこんなピンチには遭遇しませんが、
やはり年末移動には細心の注意が必要ですね。
でもきのうは、通常1時間10分で済む時間に対し2時間半くらいみていた。
それでもアウト寸前だった、ということは倍でも足りないことになる。
本日以降の移動予定のみなさん、ご参考までに。
ということで、ようやく関西に来られたのですが、
来て見たらこっちもかなり寒い(笑)。京都周辺では降雪も始まった。
移動にはどうせレンタカーを利用するので、やや遠隔の滋賀県瀬田にホテル。
県はまたぐけど、京都駅まで電車で17分という立地なので、
まぁ東京の感覚で言えば、上野に泊まって東京・八重洲に行く感覚。
ただ、北海道サッポロでこれくらい中心から離れれば、
街はゆったりとするものですが、さすがに関西圏ではここまで離れても
駐車場などかなり空間的なゆとりは感じられませんね(泣)。
ようやく見学地を調べたらことしも「京都御所」はタイムアウトで27日終了。
きのうはホテルに着いて人心地を付けてからだったので、
原広司設計の大好きな京都駅を見て周辺で軽く食事をしてきました。
駅ビルも数ありますが、京都駅はやはりモダン+(プラス)の感じが楽しい。
食事の方は京都タワービルの地下が写真のような様子で、
にぎわい感がハンパない感じで面白かったのでわたしたちも街に「参加」。
年寄り夫婦で、最近は繁華街など行かないことでの驚きもありますが、
食べるものはステーキから寿司、てんぷら、中華、野菜系などなど、
ないものはないような食べ物満艦全席ぶりであります。
こういう食文化空間は昨年行った高知「ひろめ市場」の雰囲気に似ている。
日本中でこういった店舗形式が流行っているのでしょうね。
たぶん、AEONのようなフードコートスタイルが支持されてきて
アルコールの入るディナーでも採用が増えてきているのでしょう。
店舗内装としては、剥き出しのコンクリート床と排煙ダクト、
直線的なLED照明などが相まって、さらにその間を
いろいろ多国籍な老若男女が行き交うという雰囲気、にぎわいが楽しい。
また各店舗それ自体も厨房が丸見えで、多様な演出感。
全体として「食べる街」といった雰囲気を醸し出している。
・・・ということで年末琵琶湖周辺から二人旅、探訪したいと思います。
Posted on 12月 28th, 2017 by 三木 奎吾
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先日関西を行脚したときに、京都市内のビルダーさんを訪問した。
いわば表座敷ではない、普段着の京都の街を走り回っていた。
やや郊外に位置する工務店が集結していた地域だったけれど、
そこを走り回っていると、そこかしこにこんな竹林に出くわしていた。
見る度にその姿に強く惹かれるものがあって気になっていたが、
ようやく訪問が終わっての帰り道、クルマを停めて
なにげない竹林にiPhoneカメラを向けていた。
竹というのは、その生態系がほぼ「コメ」と重なる植物種だとされている。
しかし、本州以南地域では普遍的に存在しているけれど、
北海道では「姫タケノコ」はあってもこの写真の「孟宗竹」を見ることは稀。
函館地方では見ることがあるとされているけれど、
わたし自身は確認したことはありません。
日本には中国から移植されたそうですが、日本の気候特性に似合うのか、
北海道から本州に行って一番目に付く植物種だと思います。
それも孟宗竹の竹林がこの京都近郊地域ではたくさん見られた。
工務店の数の多さを重ねて考えると、建築材として涵養しているように思えた。
北海道人は、こうした光景を見ることがほとんどないので、
その美感がたいへん新鮮に感じられるのですね。
Wikipediaを見ると,以下のような記述。
〜戦後の竹材需要の減少に加え、20世紀最末期になって以降は
中国産の安価なタケノコの輸入が増えて市場価格が下落したため、
日本国内の竹林は放任傾向にある。それによって引き起こされた
モウソウチクの他植生への侵入によって、広葉樹の生長が阻害され
枯死することが判明している。さらに、他の樹種の影響をうけにくい杉でさえも
モウソウチクの特性、柔軟で風が吹く度にしなってスギへ当たることから、
その生長が妨げられ、放置されたスギ林へもモウソウチクがよく侵入して
群落を拡大している。その竹林は、密になって荒れると同時に、
周囲の放置されている里山や休耕田などに広がる。中には山の斜面全体が
竹林と化した場所も見られて環境保全上の問題となっている。〜なのだという。
人間が管理しなければ、その美感も維持しにくいのですね。
こうした竹林から切り出された材料が、和風建築に多用される。
素材として、たいへん表情豊かな建材としてうらやましい限りです。
さて本日からわたしは年末年始休暇に入ります。
年始始業の方も、カレンダーの関係で遅めになりますが、
どうぞよろしくお願いします。
このブログについては、休暇中も休まず書き続けたいと思います。
住宅ネタも非住宅ネタも、最近は書く材料には事欠きませんね。
とくに非住宅ネタの多さには、やや困っていますが(笑)・・・。
Posted on 12月 27th, 2017 by 三木 奎吾
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さてわたしは明日から休暇を取ることになっていますが、
昨日は大きなビジネス上の契約があり、無事終了。
なんですが、すっかり風邪にやられてそこからはひたすら寝ておりました。
で、各所にご迷惑をおかけしてしまいました。
年末から年始へ途切れることなく、いろいろな案件が進行中。
そのなかのひとつ、
日本建築学会 地球環境委員会「地球の声」デザイン小委員会
(なんとも長いので、“日本建築学会「地球の声」”と略します)
さんから申し入れのあった、北海道での会合開催のご案内について、
現状をお知らせ致します。
幹事役の川嶋範久・東京工業大学助教と先般来連絡を取りあい、
来年1月29日(月)に先方の中心メンバー数人が
北海道に来られて、住宅見学や討論会などを予定される運びになりました。
昨年の「新建築住宅特集6月号」での環境住宅特集に端を発して
その論調に対してわたしが拙ブログにて疑問を呈して以降、
巻頭論文記事を書かれた川嶋範久さんと意見交換などを重ねてきた。
この特集記事を巡って東京で昨年夏場に開かれた学会・会合や
川島氏が年末になって北海道に来られて住宅関係者と会合したり
またことし11.24には日本建築学会「地球の声」が東京で開催された。
そうした流れを受けての北海道での意見交換となります。
わたしどもとしては、そのきっかけを提供したような形ですが、
やはり日本建築学会「地球の声」への対応は一住宅メディアの役柄を超える。
そこで日本建築家協会(JIA)北海道支部に受け入れ窓口を依頼し
わたしどもとしてはサポート役となる方向にいたしました。
もちろんこの間の経緯もあるので、繋ぎ役、あるいは
さまざまな「協力者」として関わっていきたいと思っています。
昨日朝、そのような連絡対応を関係者と行わせていただきました。
会合としては1.29夕方に北大で会場を設けて
各所からの参加も募ってのものとなる予定です。
荒谷登先生の提起された「開く・閉じる」論争以来、
北海道の住宅建築総体は、高断熱高気密として本州中央の流れとは
相対的に独立的な歩みを進めてきたのが現実だと思います。
わたし自身、北海道の住宅制度設計の諮問会議などにも参加し、
先人のみなさんの努力にリスペクトし刺激されることもまことに多い。
いま、日本の国の住宅基準が大きく変化してきた流れの中で、
実りある方向での「対話」が実現することを大いに期待したい。
また詳細が明らかになった時点で、この場で逐一お知らせしていきます。
Posted on 12月 26th, 2017 by 三木 奎吾
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