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【投資金額超の中古住宅価格の実現には?】


一昨日のPHIJPの様子について、いろいろ反響が寄せられています。
工法というか、米国での「住宅改修」4要件の「連続性」について
興味を持たれるケースが多いようです。
とくに「気密の連続」という点では多くの意見が書き込まれています。
欧米では日本とはやや違っているようにいつも感じているポイント。

なんですが、わたし的にはユーザー側目線重視なので、
海外、とくにアメリカでの中古住宅市場についての興味が旺盛であります。
よく言われるようにアメリカでは住宅は「普通」その投資金額を上回って
中古住宅として売買が成立しているマーケット。
30万ドルで購入した住宅は、ふつう30万ドル程度で再販売されていく。
ここで持ち主が投資金額以下に「損する」というケースはむしろレアとされる。
それに対して日本では「普通」30万ドル・3000万円投資して得た
住宅が十数年後には、15万ドル・1500万円以下でしか売却できない。
日本のこの「常識」は世界的には「非常識」。
このことに対して海外の方は驚き、日本の不動産購入をためらうという。
わたし的にはこの現実をなんとかしたいというのが、
今後の大きなテーマになってくると思っています。
日本の中古住宅市場が「投資するに足る」ものに変わっていくことは、
中長期的に日本が経済的に繁栄し続けていくためには欠かせない条件。
海外からの「健全な不動産投資」があれば、日本の地盤沈下は避けられる。
不動産以外の、政治的安定性とか生活文化総体としての魅力は
世界の中でも最高位に位置するのが日本だと思います。
空前の海外からの観光需要は、飛行機移動の世界的な低価格化と
長期にわたる円安傾向の大きなメリットだと思います。
このふたつの要因は、日本の少子高齢化社会にとって
欠かせない「突破要因」を作っていく可能性が高い。
加えて日本社会の中で、不動産のこの現状が改革されれば、
反映する東アジアでも宝石のような位置を占め続けることが可能。
歴史伝統要因では長期にわたっての平和的継続性があったことで、
古くからの伝統文化が数千年単位で保持されているのが日本の最大資産。
奈良の大仏に蝟集している中国のみなさんは、
多くの戦乱はあっても千年を超えてこういう宗教建築が永続していることが
奇跡的だと思っているのだろうと思います。
かの国は、繰り返し王朝が「全否定する革命」を繰り返してきたのでしょう。

ただ、不動産市場だけは日本はいびつになっている。
たぶん高度経済成長期に、土地価格が以上に膨張したことで
その上に建てられる建築への価値感に
民族ごとすっかり鈍感になってしまったのかも知れない。
日本社会で住宅投資することがそのまま資産形成になり、
30万ドルは換金可能な「資産」として3000万円相当であれば、
そこに大きな「安心感」が醸成され,善循環が生まれるだろうと思います。
そのために今回のアメリカからの情報をしっかり読み取っていきたいと思います。
写真下は、プレゼンで見せられたアメリカでの既存住宅への
「性能の数値ポイント化」のセールス的「可視化」データ。
アメリカでの現行住宅性能基準に対する
ある集合住宅地での各戸別の「エネルギー消費」割合数値のようでした。
性能要件を数値化して直感的に把握しやすくしている。
こういう数値把握をユーザーに示し、さらにデザイン要素で需要を喚起していく、
そういった不動産市場を、どうやったら日本で作れるか、
問題はそういうことではないかと思う次第です。

【身近な気候多様性 パラダイス関東&北海道】


もう何回往復しているのか、と思いますが、
やはり北海道の「となり」は東京なのだと強く感じます。
飛行機という移動手段がコスト的にも非常に身近になって、
北海道の人間が訪問する先としては
東京がいちばん行きやすくなって久しいのだと思う。
で、冬の時期に移動する度に、ため息の出るような相違を感じる。
関東の冬はやはり適度な寒さがあって、基本的に好天が続く。
写真のようなダイナミックな関東平野の色彩感が
五感に迫っても来る。
この国の発展を考えて、歴史が徐々に関東地方に首都を動かしてきたのは
やはりこの広大な関東平野の四季感覚が惹き付けたのではないか。

で、きのう夜9時頃に札幌に帰還しました。
お出迎えは自宅周辺の積雪、10数センチでしょうか。
ここ数日は福井県などの積雪がまさに災害的な猛威だそうで、
東京での会合でも福井県から来られた方から、
「北極から来ました」と自虐されてしまった。
まぁ、札幌はそれほどでもなくて幸いなのですが、
それでも夫婦で小1時間ほど自宅周辺の除雪作業であります。
まぁ元気なうちは一種の健康維持運動でもありますから、
そう苦にはなりませんが、たっぷり汗ばむほどの作業量ではある。
都内の移動から飛行場への移動でしっかり運動したあと、
最後のシメで除雪運動が待っていた(泣)。
しかし、それを果たして迎える除雪されたわが家周辺の光景も
まことに清々しい独特のいごこちを感じさせてくれます。

こういった季節での気持ちのゆとりをもたらせてくれるのは
やはりなんといっても、冬の北海道の住宅のいごこち品質のよさ。
断熱気密が、多様な気候のなかで暮らせる楽しさを
たのしいコントラストで浮き上がらせてくれる。
わたしたちは、昔の人たちがまったく想像もできないような「快適」を
ごく普遍的に実現できているのだと実感しますね。
さてひと休みして、本日も重要な打合せであります。

【多様な気候対応パッシブハウス PHIJPセミナー】


さてきのうは東京出張にてアメリカパッシブハウスの事例紹介、
とくに断熱改修を中心とした紹介とアメリカパッシブハウス研究所の
認定基準についてのセミナーを取材してまいりました。
同セミナーには、ご案内していた東京大学・前真之准教授も参加され、
アメリカボストンで活躍されている建築家・岡田早代さん、
施工のビルダーを経営されているBRIAN BUTLERさん、
日本のPHIJP理事である京都工芸繊維大学の芝池先生などの講演、
その後のパネルディスカッションなどで意見交換を行いました。
意見交換はさらに会食機会を捉えて続行し、
活発な日米交流が展開されていた次第です。
岡田さんはもちろん、BRIAN BUTLERさんも日本語が堪能で、
技術的な細部では英語単語なども交えながら、意見交換が有意義に実現。
実務の住宅改修に関わる報告では、北海道での事例とごく近似した
手法、原則的同一性が随所に確認できて、経験知を共有できました。
また、かれらが活躍しているボストンは開拓期以来、
北海道ときわめて縁が深く、彼の地の建築関係者が「開拓技師」として、
多数北海道に来てくれていた故事があります。
アメリカ北東部と北海道の気候的類縁性が高いことを表しています。
そういうことなので、わたし的には見聞きするすべてが共感できた。
会場での前真之准教授も交えた意見交換では
彼の地での「気密重視」の手法について、気密を捨象した日本の基準との
対比について討論があり興味深いものがあった。
北海道では国の基準がどうであれ、基本通り気密が最重視され
普遍的な構法技術原則になっており、まったくアメリカに同意するところ。
アメリカ側の講演では、上に掲示の下図の各層の「連続性」が繰り返し
強調されていました。北海道の気密層の連続概念とも共通する。

今後、詳細な取材まとめを行っていきたいと考えていますが、
とくに芝池先生の講演で指摘の世界の気候傾向分析、やはり興味深い。
大洋と大陸の位置関係によって、大きく地球レベルで気候が変位するという。
大西洋と太平洋、それに対して陸地がどのように位置取りするかで
いわば「蒸暑」と「乾燥」に大きく気候区分されるとされている。
ヨーロッパ北米西岸は基本的に大西洋に対して東側に位置しているのに対し
北米東岸地域は西側に位置している。
同様に極東人口密集地域である日中朝3民族地域は太平洋に対して西側。
この位置取りと地球の自転方向が大きな変位を生むとされていた。
このことは最近話題の古代アンデスの気候区分でも顕著。
太平洋に面した西側は砂漠気候なのにアンデス高地を挟んで反対側の
大西洋岸方面地域では湿潤なアマゾン地域が広大に広がっている。
こういった巨視的な判断からも、北米東岸地域とアジア極東地域には
きわめて類縁性の高い共通基盤があると思われますね。

【アメリカパッシブハウス基準セミナー取材へ】

さて年も改まっていろいろな活動が本格化してきています。
1月下旬,29日には日本建築学会環境小委員会「地球の声」メンバーが
たくさん北海道に見えられるようで、北海道の建築設計実務者のみなさんと
意見交換的なセミナーも実施される予定。
それに関連しての住宅視察についてのアテンド役を委託されております。
「環境」という建築テーマ、いろいろな展開を見せそうですね。

一方で、世界的に省エネルギーな建築についての志向は
どんどん強まってきているといえるでしょう。
ドイツパッシブハウスなどの「基準化」の動きは各国政府も
それを大きく取り込む動きを誘発してきている。
そういったなかで、世界的にはアメリカパッシブハウス教会(略称PHIUS)が
その急拡大ぶりで注目を集めています。
各国の気候風土条件を折込んだ、柔軟な基準ということで、
とくに蒸暑の夏を持つ気候条件が日本と近似するアメリカ東部ー中部ー南部で
顕著にその基準適合住宅が量産されてきているという。
こうした動きについては本ブログにて既報の通りですが、
そうした動きを伝える国際セミナーが本日開催されます。
PHIUSと連携する日本のPHIJPが主催するセミナーであります。
日本ではドイツ基準の紹介がされてきていますが、
いまのところ、それほど多くの適合住宅例は増えていないのが現実。
とくに寒冷地、北海道では適合させるには現実的コストでは
ほぼ難しいとされていて、ビルダーの間でも話題が聞かれなくなっています。
では北海道の最先端住宅は省エネではないかと言えばそうではない。
暖房効率は極限的に少なくなってきているし、
今現在でも大きく低コスト化、高性能化が同時進行している。
そういった現実の中で、多様な気候風土に対応した「基準」への興味が高まる。
ということで、本日このセミナーに参加して取材いたします。
参加メンバーの方はアメリカからもということですので敵いませんが(笑)
やはり北海道からと言うのも、距離的なバリアがあります。
しかし住宅関係の多くのみなさんにとっても注目は高いと思いますので、
しっかりと取材して、このブログでもその一端はご紹介したいと思います。

年明けからさまざまな住宅を巡っての「交流」が活発です。
こういうことは業界の活性化にそのまま繋がっていくと思いますので、
住宅のメディアとして、情報の面でお役に立てるように
あちこちと駆け回っていきたいと思います。

【コンクリートブロック外断熱は北海道PRIDE】

きのうはわが社の再起動、始動日。
仙台のスタッフも集合しての全社会議などが連続。
で、ことし移転予定の新社屋をスタッフに披露しておりました。
もともと現在でも登記上の「本社」ではあるのですが、
ながく「遊休資産」化してきた建築であります。
総床面積は86坪ほどあり、事務所として再活用する面積も、
約63坪ほどの広さを確保することができます。
スタッフ15-16人には収まりの良い事務所として利用が可能。
はじめて見るスタッフがほとんどだったので、
建築の説明などをしておりました。

なんといってもこの建物は、地域としての北海道が独自に開発してきた
「コンクリートブロック外断熱」という工法を採用しています。
コンクリートブロックは北海道特有の火山灰土を成型して得られる
地域風土に根ざした建築材料です。
その「かすり」にも似た風合いは、ハードでありながら質朴で、
素材としては内部に空気を保持している。
空気中の湿度も保湿し、同時に蓄熱性も持っている。
室内空気との温湿度のマイルドな「応答」がなされるのですね。
この素材で建築駆体を構成すれば容易に「気密化」施工ができる。
その外側で断熱層を設ければ理想的な「外断熱」構造が出来上がる。
室内側での暖房熱の保温性に優れた空間を構成することが容易。
構造としてはコンクリートブロック内部の中空部分に鉄筋を通すことで
コンクリート建築並みの長期的強靱姓を担保しうる。
同時代に展開していた安藤忠雄・無断熱コンクリート住宅の
過酷な室内環境に対してはるかな環境性能的優位性がある。
また、意匠的にもたいへん愛着を持てる建築だと思う。
当社建築でも築27年目ですが、経年劣化はほとんど見られない。
開口部には、当時の最先端木製3重ガラス入りサッシを入れた。
スウェーデンからコンテナで直輸入して使った窓は、
いまでもほとんど劣化は見られない。
建築当時に考えていた通りの長期的耐久性を見せてくれている。
適切なメンテナンスをして行けば、百年寿命もクリアすると思われる。
外断熱のその外側外皮は、当時の最新素材、ガルバリウム鋼板角波と
1/3程度の外壁には本煉瓦1丁積みを施工した。
これは煉瓦を正しく水平垂直に単純に積み上げていく仕様で、
施工技量がもっとも端的に表現される技法だった。
ブロック積みとも合わせて施工いただいた畠山レンガさんには
すばらしい仕事をしていただいたと今でも感謝している。社長さんが
ブロックとレンガの積み上げぶりを確認していた姿が忘れられない。
このような建築なのでなんとか「活かして存続させていきたい」と考えた。
北海道内で建てられたコンクリートブロック外断熱の建物は、
その後の在来工法木造技術の発展もあり、施工の難度もあって
徐々に建築棟数が少なくなっているし、代替わりもあって、
取り壊される事例も増えてきているのが現状なのですね。
この貴重な「北海道遺産」とも思える建築工法を遺していくことは
わたしたち年代の役割でもあるのではと思っている次第です。
きのうはそんな思いをスタッフに話すことができて楽しかった。

あ、写真の手前の「蓄熱暖房」は東大・前真之准教授から
繰り返し「口撃」を受けている(笑)ものであります。
こうした設備についてはそういった指摘を踏まえて柔軟に対応し、
今回の改造で撤去したいと考えています。
ただ、これもこれで「北海道遺産」でもあろうと思いますので、
どのように「再生活用」が可能か、考えているところであります。
前先生からもぜひ、お知恵をお借りしたいと考えています(笑)。

【原初的人類記憶 水上住宅と移動の自由】

さて本日から仕事も再起動であります。
年明け早々からきのうまでは、今後事務所として活用する遊休資産、
眠っていた86坪の面積の建物を改装に向けて準備作業。
やってみるとそのまま「断捨離」の気分が盛り上がってきて、
娘の指揮の下、たのしく片付け作業に没頭していました。
会社スタッフにも新しいオフィスとして、想像力を持ってもらうために
本日以降、公開していきます。
やってみて、やはりわたしはこの建物に深く愛着を持っていると実感。
結局人間は、居を点々と変えるよりも暮らし方の想像力について
だんだんと深めていくというか、本然を求めていくものではないかと、
そんなふうに思わされてきています。
わたしの場合は、ブロックの建物というものに縁を感じています。
それは親が札幌に移転してきた60数年前にはじめて家に手を加えて
増築した建物が当時最先端であった「ブロックの家」だったこと。
はるかな後年、1991年にわが家兼用住宅を建てて
なにか挨拶をしなければならなくなったときに、
そういえば、とその親の建てたブロックの家の記憶が鮮明に蘇った。
結局、親と同じような縁に導かれているようで、おかしかった。

そんな建物と人間の関係を想起していて、
片付けの最中にたくさんの旅の写真が出てきて、
バンクーバーによく旅していた頃の写真に再度、見入っていました。
いろいろな住宅を見学したけれど、いちばんこころに残ったのが
写真のような海辺、波止場に建てられた住宅群。
行動の自由を象徴するような船が各戸にあり、
まるで定住しながら移動の自由を主張しているかのようだった。
その光景になにか、原初を感じさせられる思いがしていた。
いま知人のアイヌ文化、考古学の碩学・瀬川拓郎さんの最新作を読書中。
「縄文の思想」という本ですが、昨年耽溺していた「サピエンス全史」からの
流れで、人類の全大陸への拡散経過について深く興味を抱いてきて、
水運と人類というようなイメージが強くなってきています。
瀬川さんは縄文は定住的ではあったけれど、同時に海民にその文化が
色濃く残滓として残っていると解析されていた。
人類は海から、その延長としての河川へというのが、
農耕以前の普遍的行動様式であったことを書き綴られている。
人類はアフリカを出て東西に分かれて以降、ずっと陸上よりも
海沿いの移動が中心だったのではないか。
そうすれば陸上で出会う大型肉食獣からの退避が容易だったという仮説。
そしておよそ2万年前くらいにこの列島にたどりついたときも
海上ルートがメインルートだったと自然に考えられる。
西に分かれた西洋人たちも基本的には似たルートをたどったに違いない。
そんな人類的記憶が、海辺に住みたいという自然な欲求を生む。
移動の自由というのは、原初的な人類のパトスなのではないか。
バンクーバーで、こんな光景を見て強い印象を持っていた。

【食事カロリー管理アプリ導入!】

年明けから娘がわが家の「断捨離」手伝いに来てくれています。
今年はわが家建物の再活用計画が進行中なので、
その準備の整理整頓のために、娘の力が絶大なのであります。
なんといってもわが家を知り尽くしているし、
父親にも母親にも最強の権力を持っている(笑)。
身の回り的なことではなにを言われても父親というのは、娘には無条件に従う。
カミさん以上に、あるいは母親と同等くらいな強さがある。
こういう存在は、まことに得がたくありがたいものと深く認識。

そんな娘はデジタルネイティブでもあるので、
わたしなど、市場調査的に彼女世代の常識を教えてもらったりもします。
で、最近教えてもらったひと言、
「父さんなぁ、最近ダイエットが待ったなしに必要なんだけど、
食事の記録管理、それもカロリー管理のできる方法を探している」
「そういうiPhoneアプリ、あるよ」
「え、ホント?こないだから探していたけど、あるのか?」
みたいな会話でありました。
実は12月中旬から食事を写真に保存するアプリは使っていたのですが、
それではカロリー計算まではできなかったのであります。
ということで、あれこれ探していたら、数種類のよさげなアプリを発見。
さっそく試してみて、写真の「FoodLog」というヤツを使っております。
これは食べるものを写真で撮影して保存し、
そのなかで、自分で食品や食材を部分選択して、
さらにその目分量も仕分けしてカロリー計算結果を保存してくれる。
そういった操作が、たいへん直感的に可能になっているのです。
以前、10数年前にわたし自身、そういうアプリができないかなと
友人に相談したりしていたことがあった生活管理機能アプリであります。
まだ使い始めて数日なので、使い方は習熟していませんが、
とりあえず直感的に使えて、過不足なく用は足りている。
なによりも、カロリー計算が一種の楽しみになるので、
目に見えて自分の健康を管理している実感を持てるのが素晴らしい。
食事って、外食もあるのでほとんど「一期一会」に近い。
たいへん「変化に富んでいる」ので、その分、面白さがあるのですね。
「えっと、この食材はと、おお、あった。で,分量はこれだけと。
ほ〜、これくらいのカロリーなんだ、じゃ、きょうはこれを食べても大丈夫」
みたいに科学的分析感での満足感が得られる。それは食事での満足感と
相互作用にもなるので、快感が倍増するかのようなのです(笑)。
医者からあれこれ言われても、食事の自己管理はたいへん難しい。
そういう意味で、わたしには満足度が高い情報ツールであります。

なんですが、この「食品の分量選択」について娘からキツい一発。
「お父さん、1人前のところ都合の良いように1/2人前とかしていない?」
「え、そんなことはないよ、ゴホン」
「お父さんはね、だいたい1人前っていうのが平均より多いんだからね」
う〜む、やさしいばかりではないところなど、母親以上の難敵でもあります(笑)。

【太陽神崇拝としての日本神道信仰痕跡?】


2年連続で訪れた淡路の地。たいへん気候が温暖で
なんといっても、海を架橋でわたる体感が気分よくわが家的お気に入り。
今回は元気の良い初老夫婦の二人旅でしたので、
行きたいなと思う場所をごく自然にたどってみると
結果としては神社仏閣の類に歴史の痕跡をたどるような行程でした。
そういうなかでも、この淡路の「伊弉諾神宮」にはやはり惹かれる。
北海道にはこういう類の史的痕跡はなかなかない。
そういう一種のエキゾチズムを感じさせられる。
「イザナギって、どう考えても神話、つくり話だろう」という近代日本常識、
いわば、そういう思想体系で北海道はいるように思う。
で、その神宮の庭で写真のような石版を見入る。
この伊弉諾神宮を起点にしての日本神道の主要「配置図」だという。
それによると、太陽の季節毎の移動軸線上にあるのだとされている。
いわく、この神宮の同緯度には、伊勢神宮内宮と対馬国一の宮海神神社があり、
古代の飛鳥藤原京があったとされる。
また、夏至の日の出、日の入りの方角にはそれぞれ、
信濃国一の宮・諏訪大社、出雲大社があるとされている。
さらに冬至の日の出、日の入りの方角にはそれぞれ、
熊野那智大社、そして高千穂・天岩戸神社が配置されているとしていた。
たしかに日本神道は、抜けがたく太陽信仰ではないかとは思うけれど、
さてこの「配置図」はそのまま受容して良いのかどうか?

ちょうどマチュピチュの古代文明の検証番組を
正月のBS-NHKが放送していて、古代には農業の「施政方針」として、
太陽の運行を精密に把握することが権力には不可欠だった、
そういう趣旨の番組を視聴していた。
天文「科学」知識と権力機構が深く密接に結びついていただろうことは応諾できる。
人類の文化発展で、農業の科学的管理はそのエンジンではあっただろう。
とくにマチュピチュでの農業は高地でのトウモロコシ栽培であり、
ほかの普遍的作物、コメや小麦以上に繊細な気候予測が必要だった可能性は高い。
一方、ニッポンでは皇祖神・アマテラスは読んで字のごとく天照。
日本では基本的な人間集団組織形成の初源は弥生以降、
コメ生産に特化した「ムラ社会」が基本であっただろうことは疑いがない。
それ以前の縄文や海民による狩猟採集経済とは違う「科学的」根拠を持っていた。
その科学とはすなわち、天文知識による季節把握だったことも蓋然性がある。
そのように考えれば、この「神社配置図」にも、一定の周縁的根拠はある。
しかし、遠距離での配置がどうやったら可能かなど、
しっかりとした「解読作業」は不可欠ではないかと思わされた。
さらにいまの神道に太陽の季節運行についての「科学性」残滓はあるか、など
そういう裏付けがないといわば、牽強付会・ネタの域は出ない。
そもそも伊弉諾神宮は朝廷から、『日本三代実録』貞観元年(859年)1月27日条で
「伊佐奈岐命」の神階が無品勲八等から一品勲八等に昇叙されている。
逆に言えばそれ以前には、鄙の「島神」とされていた事実がある。
ただブログの「正月特集」ネタとしては、許されるかなぁと思った次第(笑)。
可能性のあるユニークな説とは思われますね。どうなのかなぁ?

【街並み熟成には古い建物の再生活用】

京都でふと道を尋ねたときに、
「もうちょっとこの道を下がったら、昔ながらの八百屋があるから・・・」
というように案内された建物に遭遇した。
この「昔ながら」ぶりは、まことにそのものズバリで、
特段の変哲はないけれど、いわば普遍的なイメージ通りで存在感がある。
いまもこの地域の暮らしに欠かせない存在のようで活気もある。
同時に、角地としてランドマーク的な愛情も持たれていることがわかる。
気取らずにごく自然に店内に吸い込まれてみれば、
なんとなく食材選択を通して、どんな食卓を地域の人が囲んでいるかの
想像力も匂い立ってくる。
そういう「建築の力」というものは計量してみればすごいと気付く。


わたしはよく住宅施策についての意見を求められることがあります。
北海道からのケースが多いのですが、
その都度、よく「街並み」ということが論議されます。
もちろんいろんな立場や考え方はあろうかと思うのですが、
どうしても行政的立場では、実践的主体者の視点が見えないといつも感じます。
「よい街並み」ということについては、特段の異論はなく、
またそれぞれ「個性的」に街区が形成されて、
それが地域の人にとって愛着を生み、地域自体の価値が高まるのであれば、
カタチについてはそれぞれ個別的に考えれば良いのだと思っています。
ことしは明治維新から150年の節目だそうで、
明治とともに近代史が始まった北海道の「都市」も、
熟成を考えていかなければならない時期に差し掛かってきている。
写真は京都でふと目に付いた「町家再生型」の住宅再活用事例。
街歩きしていると、上の八百屋さんのように名もない建物でも、
その街の空気感に対して大きな役目を果たしていることがわかる。
街並みを論議するときには、こういう生活者目線が最重要ではないか。
とくに古くから存在する建物は、安易に全交換すべきではない。
「あ、あの家、こんどケーキ屋さんに替わったんだ」
みたいな、いわば外観からのコミュニケーションが街には必要ではないか。
変化し続けることは、時代を生き抜くために絶対にされなければならない。
でも、地域がロングスパンで愛着を持って存続するためには、
こういった個別建物への価値認識、眼を豊かに情操教育しなければならない。
天才的建築家の仕事と言うよりも、コモンセンスを磨く、高める、
というような部類の努力が必要なのではと思い続けている。
ことし当社でもそういうことに実践者として取り組んでみたいと考えています。

【全国物流管理が生んだ近江商人の景色】


今回の年末旅行で風景的にいちばん惹かれたのは
近江八幡の琵琶湖湖岸から北方をみた写真上の光景。
このように見る風景を「湖北の山並み」というのかと思ったのですが、
湖北というのはもっと東側で北国越前に近くなる長浜などの周辺、
あるいは伊吹山もそう呼ばれるということだそうで、
そうすると、この景色は大津市北部の琵琶湖畔の山並みでしょうか。
大津という街は、県庁所在地でありながら、
他県の県庁所在地都市・京都と隣接し、それも10kmほどという
日本ではいちばん近いツイン都市なんだそうで、
歴史的に京都ときわめて近接した成り立ちだと言われます。
この写真の山並みは、京都の北部にも連なっていて、
北方の山並みが人口密集都市を守っている様子が明瞭。
北側のことを「玄武」というように方位学では言うようですが、
ながく日本の都であった京都は風水合理的だといえる。
風景の極限表現として水平線と山並みというコントラストは印象的。
短い滞在ではあまり聞くことが出来なかったのですが、
こういった情景を謳った歌などはないのでしょうか?
日本最大の琵琶湖らしい光景だなぁとシャッターを押しまくっていました。

琵琶湖は歴史的に日本の物流の大動脈であり、
ながくその主役・日本海交易と京都都市圏への流通を担ってきた。
そういう地理的な位置が「近江商人」を生んだとされる。
北陸地方は北前船交易の残滓が各地で見られますが、
その資本家は近江商人たちが関わっている場合が多い。
物の値に日本社会でもっとも影響力を持ち続けていた存在でしょう。
物流という現物の推移をウォッチし続けることで、
自然とその感覚が錬磨されていったのだろうと思います。
そんな近江商人たちの築いた街が近江八幡。
琵琶湖からの水運を街に引き込んで、ここから京都方面に出荷され、
また各地へ京都の先端商品、呉服ファッションなどが出荷された。
戦国期にこの地域で織田軍と浅井・朝倉連合が覇を争い、
秀吉や光秀が領地を与えられ、さらに信長が安土城を築いたのは
こういった近江の決定的な地理的経済的要素が大きかったのでしょう。
秀吉が大阪に天下の物流機能を移していったのは、
日本経済史上、たぶん相当大きな革命だったのでしょうが、
その経済機構運営を握っていたのは、五奉行の石田三成らの近江人脈。
三成は秀吉による征伐で疲弊した薩摩藩の経済復興に入れ知恵して、
大阪市場に商品を送って商いをすることを事細かに教授したと言われる。
さらに複雑な理数計算の必要な朝鮮出兵の兵站をも完全に仕切っていた。
日本で全国規模の物流を管理させたら、この近江のひとびとの素質には
敵わない部分がきっとあったのだろうと推測されますね。