

世界全体では感染拡大がまだまだ収まらない新型コロナですが、
5月になって日本の状況はかなり収まってきた感じがみえる。
<下の図は5/11AM5:00確認のYahoo「新規感染者」データ>
これがなにを表現しているか正確にはまだわからないけれど、
緊急事態宣言などで社会収縮が急速に進み、
それが効果を発揮し始めているというように受け止められる。
しかし、そうであればあるほど平常復帰のやり方の難しさも出てくる。
経済活動をどのように「再起動」させたらいいのか、
一度縮小させた活動を再開することは単純ではない。
ひとびとの「行動抑制」でウィルスを抑え込んだ後、
行動抑制を解除するには、ある「指標」が必要になるだろうと思います。
たぶん行動と移動の自由を徐々に解除する以上、
ある程度の「感染漸増」はやむを得ないこととあらかじめ折り込んで、
その数量的な許容範囲を定めておく必要があることになる。けれど、
このウィルスの場合、表面化してくるには最低2週間程度の
「タイムラグ」があるというのが非常に困難。・・・
経済活動は、さまざまな社会制度を前提として行われるものなので
社会制度の側がどのような「指標」を定めるかで、
その選択肢範囲が決まって、正常な「競争」がスタートするのだと思います。
いわば基盤になる常識の範囲が決まってこないと動きようがない。
当面は「気をつけながら、徐々に・・・」みたいな
どうとでもとらえられるあいまいな基準が設定されるように危惧する。
・・・まぁ、未知のウィルスとの「共存」という困難なので
だれにも正解は導き出せないのだとは思う。
自然界では、弱肉強食、自然の摂理のまま自然適合力だけが
優勝劣敗を決めていくファクター。
さて人間界「新常識」基準は、どういうプロセスで広がっていくか、
企業人としては社会の状況をしっかり見ながらという局面ですね。
Posted on 5月 11th, 2020 by 三木 奎吾
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今回の新型コロナ危機から対外的な活動には大きく制約が掛かっています。
継続的ビジネスについては、顧客先もテレワーク環境でむしろ中身の濃い
打合せが出来てきたりもして、今後の環境の広がりが実感できる。
あらたなビジネスチャンスも展望できてきていると思います。
しかし開拓的な業務分野では、難しさもある。
いずれにせよ、各企業ともスタッフの「在宅勤務・テレワーク」体制が作られて
「あらたな日常」が否応なく始まってきていると思います。
で、これまで気付かなかったことが大きなテーマで浮かび上がってもくる。
仕事環境での「過密を避ける」というテーマ。
先日スタッフ相互距離を確保すべく、透明間仕切り壁DIYに取り組みましたが、
もっと能動的に、デスク配置管理も「あらたな環境対応」が求められる。
ということで、業務仕分けでの管理を考えております。
わが社には、スペース利用でまだそれほど利用できていない空間があるので
そちらに社内ネットワーク担当者のデスクを移転させることに。
雑誌・情報制作編集という仕事は、どっちかというと「文系」ワーク。
しかしこの30年という仕事時間は、同時にDTPという「環境転換」があった。
非常に変化の激しいベース領域だったわけですが、
なんとか「理系対応」して現代の情報産業の基盤は継続させてきたわけです。
ちょうど社内情報系の基盤についても再度進化変容させる計画進行中。
・・・っていうように仕事を継続してくると、大量の「残滓」も生産される(泣)。
そうなんです、一時期は必要があって経過的に使い、
またデータバックアップのために別途「保存」させる、という必要性もあって
外付けHDDの類や周辺機器、それらの接続コード類その他、
実に大量の残存物が残され続けてきている・・・。
もちろん何度も見直しながら必要な廃棄・交換などはしてきているけれど、
スタッフ20名程度ということでハンパなく残り続ける。
昨日、それらを整理すべく取りかかったら、重量だけでも100kg以上の
多様な「Mac/PC/周辺機器類」が「掘り出された」。
それらを取捨選択する作業に取りかかり、おおむね整理整頓の道筋をつけた。
写真はおおまかに外付けHDD類の整理ボックスと、
各種ケーブルコード類のボックスの様子。
とにかく一覧表示させておかないとこういう類はやっかい。
重層させておくとどこになにがあるのかすら、すぐにわからなくなる。
そのためには目的別に「集約」して一覧表示させて常時整理整頓が不可欠。
ラックに集約させてごらんのようにして見た次第。「管理作業」も大変と再認識。
これらも全部の機器類を初期化とか、作動チェックした上で収納した。
上の写真で右側のヤツは、なんとSCSI対応のHD類だった(泣)。
当然担当スタッフに月曜日以降確認の上で廃棄処分予定。
このほかにMac・PCの未利用品などが多数あって、
それらの動作確認、取捨選択も10台程度あった。
でもうれしいことに、まだまだやることは山積しております(泣)。
ほぼ1日、これらの作業で追われたのですが、中小零細情報産業企業、
環境整理整頓の大切さにふたたび三度、絶望的に気付かされます(笑)。
Posted on 5月 10th, 2020 by 三木 奎吾
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人間界は新型コロナ禍で世界中で非常事態が継続中。
そういうなかでは日本は「自粛」程度でゆるい社会閉鎖ですね。
一例ではイタリアなどでは自宅から半径200m以内でしか散歩も許されず
違反すると罰則があるとされていますが、
それに比べたら日本はかなりゆるくわたしも自宅から往復6km以上の散歩を継続中。
日本は死者数も世界とは隔絶しているけれど、
社会の緊張感はかなり高く、ストレスはどうしても高まる。
そういった情報の大洪水とヒステリーっぽい反応も見聞きすると「疲れる」。
心頭滅却にはやはり自然の変わらない様子が「癒やされる」。
昨日は自宅から1kmほどの琴似発寒川にかかる橋の上を歩いていたら
カモさんとおぼしき「つがい」の鳥さんと出会った。
こちらが、その動画撮影Youtube。こちらが、その動画撮影Youtube。
<リンクをクリックしていただくと動画画面に>
カモさんはいま「繁殖期」なのではないかと推察しております。
近縁種の「オシドリ」はあちこちで雌雄のランデブーが目撃され、
ときどき人間たちに直撃撮影されたり(笑)していますが、
カモもまた繁殖期のようで「雌雄のつがい」が目撃されます。
カモもオシドリ同様この時期メスは目立たない色彩の毛色でオスの方が派手。
この動画でも最初画面左側のやや色合いの強い方がオスであります。
様子を観察していると、メスの方が非常に活動的で好奇心も強そう。
夫唱婦随というコトバがありますが、
やはり様子からはむしろ「婦唱夫随」という印象を強く受ける。
このあたり、オスの様子を見ていてどうも身につまされる(笑)。
「おい、もっとオスの威厳を見せたらどうなんだ」とツッコみたくなる。
しかし現実はきびしく、メスが「わたし飛ぶからね」と先に行くと
「おい、オレも連れてってくれよ」みたいに追随している。
オレについてこい的な雄の威厳期待はあわく、もろくも潰えさる。
しかし、平和の時代というのはだいたいこういう婦唱夫随だそうなので、
このあたりは動物の世界に学んでいる人間界なのかも知れませんね。
きのう書いた「春雪融け時期の水音」も全編にこだましている。
1日も早い人間界の平常回復を期待して
それまでは、みごとに通常営業中の自然界の様子に学ばせていただきたい。
Posted on 5月 9th, 2020 by 三木 奎吾
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昨日から仕事再開ですが、諸案件が一気進行であります・・・。
こういった状況の中でも多くのみなさんが知恵と工夫で経済活動している。
もちろんいまは出来ないことも多いけれど、
逆に言うとこういう時間を最大限有意義に使っている事例もきわめて多い。
本当に素晴らしい活動ぶりだと深く教えられる気が致します。
自分自身でも、そうありたいと願いながら身近なことに取り組んでいます。
で、日々の情報活動も重要ですがそれらを「判断する力」というのは、
それ以上に重要だと思います。
わたしの場合、その一番確実だと思える基礎的なものって、
やはり四季のうつろいの中で訴えかけてくる自然の声だと思っています。
「とにかく家にいる」ということで遠出はしないという中で
でも健康維持増進のためには散歩などは格好の機会になった。
年も取ってきたので1日1万歩というのは「多すぎ」とも聞くのですが、
連休中は連日1万数千歩歩き続けておりました。
日々、歩き続けていると自然のすこしづつの変化が身体化する。
人間センサーというのは多種多様な情報を感知する。
いわばこの住んでいる地域の自然に同期するような印象を持ちます。
そういう感覚から「判断」の基本というのは出来上がっていると思うのです。
自然がさまざまなシグナルを人間に送ってくれることで、
それが身体の中に「常識」のベースになるものを叩き込んでくれる。
ごく当たり前のことの正しさというようなものが伝わってくる。
永続的なことというのは、奇をてらったようなことではなくて
ごく常識的な判断力から導き出されるものだということがわかりますね。
写真はわが家近くを流れている「発寒川」河畔の様子です。
この時期北海道では、冬の間の山の雪が融けてきて、
まことに爽快感そのものの水音が響き渡っている。
そういう水音にはあらゆる情報がそこに表れているのだろうと。
歩きながらその「リズム感」に自分を同期させると、
この自然の中での人間の道筋、やるべきことの根本が伝わってくるのでしょう。
年を取れば取るほど、こういう自然の声に謙虚でありたいと
自分に言い聞かせてきております。
新型コロナウィルス禍、なんとか平常心で克服したいですね。
Posted on 5月 8th, 2020 by 三木 奎吾
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明治の札幌開拓初期というのは、新型コロナ禍が始まる前、
このブログで「始原期」を発掘するシリーズを展開しておりました。
北海道は日本の本格的殖民が始まってからまだ150年前後であり、
まったくの自然と人工物とのあわい共存が各所で確認できる。
人の足跡の面でも比較的に「掘り起こしやすい」。
同時にもともとの原始札幌の様子も驚くほどに各所で見られる。
基盤になる「自然公園」思想が北米から開拓技官として来てくれた人々の献策で
色濃く残されてきている、日本ではちょっと変わった街であります。
開拓建設の司令塔であった黒田清隆自身も当時有数の国際人であり、
明治帝の信任も篤かったことから、こんな世界標準的な残滓がみられる。
いまは「札幌市中央区」という都心近接地域に「円山自然林」が
ほぼ手つかずのような開拓以前の面影を色濃く残して保存されている。
京都のような「和の情緒感」で徹底的にデザイン処理された街とは
対極的な位置にある「風と土のデザイン」そのままとでもいえる。
同じような「碁盤の目」状の街割りで似ているけど、組成はまったく違う。
この円山自然林周辺はわたしの2つの散歩道のひとつなのですが、
連休中は「とにかく家にいる」知事さんの方針に素直に従っていたので、
ふだんよりも時間をかけて散策しておりました。
おかげさまで同好のみなさんと情報交換させていただき、
目を奪われるような色合いの羽毛をまとった小型の「渡り鳥」を見たりした。
子どもさんたちといっしょにその姿カタチに目を瞠らされていた。
そんななかでふだんは気付かなかった「円山の森の主」と対面。
それがこの写真の「カツラの古木」であります。
相当の古木のようですが樹齢はよくわかりません、誰も調べていないようです。
円山のふもとの立ち上がりのような位置に自生して株分かれぶりが顕著。
自然的な力でかいくつかの幹先で、折れたりもしているけれど、
どんどんと株分かれして生命力旺盛な様子が伝わってくる古武士的な勇姿。
この古木を愛しているみなさんが、踏み固められた根周辺部の土を見て
「カツラが窒息している」と気付かれて、周辺にロープを張って
保存修復の活動を始められているということだそうです。
ふだんの散歩道からは数十メートル離れていたのですが、
この連休でどこにも行けなかったことで、新たな発見が出来た次第。
いまはまだ緑はそう多くはなく、冬枯れの中、
幹の様子が露わになっていて、これはこれで迫力がある。
根の部分の繁茂ぶりもハンパなくて、その生命力に深くうたれる。
人間には印象的な木というのがそれぞれ何本かはあると思いますが、
1kmほど離れた北海道神宮境内にはごらんのような「御神木」もある。

こちらの方は、円山公園駅から神宮本殿にいたる道に面しているので
わたしのような「ファン」もたいへん多く横綱のようにロープも渡されて、
丸い土俵のような地面区画とあいまってPOPな雰囲気が楽しい。
こちらは「カシワ」の古木であります。
自然林の中の歳月を経てきた古木たちには独特の気品がある。
これからも迷える衆生を見守っていただきたいと手を合わせております。
Posted on 5月 7th, 2020 by 三木 奎吾
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みなさん本日で「黄金週間」終了ですね。
忍耐に次ぐ忍耐の未曾有の連休期間だったと思います。
疫病という得体の知れない魔物との戦いというのは
こういうものだと世界中がその辛さを知った。
予期せざる形で「細菌戦争」が生み出す恐怖を実体験してしまったともいえる。
経済は、これも得体の知れない敵によって動くに動けず、
まるで身もだえするように凍結させられている。
しかし世界中、このままでは経済失速からの失業、不況によって
生活困窮を大量に生み出す危険水域に差し掛かってきて、
いよいよ経済復元に向かって歩み出すのだろうと思います。
世界最悪級の被害を受けたイタリアでも400万人口が
職場に復帰するとアナウンスされている。
その結果がどのようになるのか、ふたたび最悪の疫病進行になるのか、不安。
疫病蔓延への防御の工夫をみんなが不断に心がけなければならない。
疫病を回避しながら経済を回すという困難な未知の世界に向かうことになる。
社会収縮して忍耐し続けるということは、
ストレスからの集団ヒステリーを生みだし、それが蔓延することも知った。
きのうクルマで移動中道路まで占拠して騒がしいBBQ現場に遭遇。
路上違法駐車7−8台と子どもたちの自転車の散乱。
まぁ気持ちはわからないでもないけれど、やはり迷惑至極。
でもそういう「許せない」心理もやはりストレスからだなぁ、とも気付く。
医療関係者への「差別」など論外の事例も散見されるという。
政府の「マスク配布」計画に対して公共事業として応諾した事業者に対して
その家族にまで悪罵や嫌がらせを投げつけるような事例もあったとされる。
すべては悪しき疫病が生み出した集団ヒステリーとは言え、
社会の悪い面が象徴的に表現されていると残念に思う。
マスクは世界的な「奪い合い」状態が常態化し
通常一般ルートのドラッグストアルートでの販売はほぼ途絶している。
そういうなかで通常ルートとはまったく違う販売ルートで
「中国製」マスクが流通している。
にわかの「流通業者」がこれまでの数倍の値段で売っている。
50枚入りで500円程度だった価格がいま楽天の通販で300枚入り15,000円程度。
配送料金が掛かることを考えても5倍になっている。中国からの出荷。
身近な生活防衛としてのマスクならこういうものでも仕方ない。
しかし医療用マスクなどはぜひ国産品を最優先して欲しい。
いまは背に腹は代えられないと思うけれど、今後は中国製を買いたくはない。
資本主義世界はモノの生産でコスト最優先を追究した結果、
あらゆるサプライチェーンを中国に依存する体制になってしまっている。
経済とはなんの目的なのかと、目を覚ます必要があるのではないか。
現代社会での経済の目的は、ただただ「利益を上げる」ことだけなのだろうか?
新型コロナ禍の全過程での世界への中国権力の異様な姿勢には
みな等しくはるかな「隔絶」を感じている。
マスクや医療機器を「武器」にして「感謝しろ」と強要するような姿勢。
中国国内を独裁専制支配するその手法を世界に押しつけようとまでしている。
支配者である独裁者はつねに「英雄的」であって、謝罪などは絶対しない。
いや絶対に「できない」。
もし謝罪したりすれば、即座に独裁者個人は「粛清」されるのだろう。
中国共産党自身が、自らの独裁支配の正統性をまったく信じていないから
つねに自らは「無謬」であり絶対に正しいと押しつけるしかないのだ。
正直・公正という世界の支配的基本道徳規準には絶対に準拠できない。
新型コロナのあとの世界はどんな風景になっていくのか、
やはり西欧が培ってきた近代的民主主義思想で再構築するしかないのではないか。
Posted on 5月 6th, 2020 by 三木 奎吾
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昨日、6日までだった「緊急事態宣言期間」が5月いっぱいまで延長。
全国的にはコロナ禍は終息傾向に向かっているということですが、
きびしい状況が続いている地域と比較的おだやかな地域で
その対応策も変化がつけられるようになるとされた。
しかし相変わらず北海道では31人の新規感染が確認され
突出的に感染拡大が続いている札幌ではそのうちの29人を占めている。
市民としては「とにかく家にいる」という道知事さんの呼びかけに応えて
ひたすら家で自粛するしかないのですが、
こういう局面でどうして札幌だけが異常に感染拡大するのか、
どうも説得力のある説明がなかなか発出されない。
秋元市長さんの5/1youtube会見動画を再確認して聞いていても、
「感染が孤発的で経路がなかなかわからない」というお話しばかりされて、
具体的対応策についての「強い発出」が聞かれないように思います。
図は札幌市と、他の政令指定都市の感染者推移グラフで、
赤が他の大都市圏で、青が札幌市。
かろうじて半ばで朝日新聞記者さんから「なぜ札幌が多いと考えられるか?」
という核心の質問が出てようやく市長さんの回答があった。それによると
「札幌・北海道は第1波の中国発の感染拡大は抑え込めたが、
欧米発の第2波においては日本では大都市圏の感染拡大が進んだ。
それに加えてそれらの大都市圏との人の往来が活発化した」
・・・というような説明が行われていた。
説明そのままでは与条件で、東京・大阪を除く他の大都市圏との違いはなく
なぜ札幌だけが、という分析把握、その説明はされていないことになる。
残念ながらその点についてツッコミはまったくされずに淡々と会見は進んでいた。
記者会見での記者さんたちの質問というのには、
多くの市民・道民の素朴な疑問を反映させる必要がある。
そしてその質問に真摯に対応することで、ことがらの「真実」も見えてくる。
そのなかで多少関連すると思えたのは「院内感染」の多発ぶり。
このことは防護服などの決定的不足に由来するのかとも思われるけれど、
大阪では応急的にビニール製雨合羽の購入などの「対策」も聞かれた。
首長さんがそういったアピールをすることが意味もあったとされる。
誰が見てもグラフであきらかなように、他の地域大都市とは
札幌の感染者状況には明確に動向に相違がある。
このことを正面から受け止めて、対策を考えていかないと、
残念ながら、札幌だけが全体から取り残される危険性があるのではないか。
アメリカニューヨーク州のクオモ知事さんが、
気を緩めるとHokkaidoのようなことになると会見で語ったそうです。
「そこまで国際的に有名になっているのか」と驚かされるとともに、
大丈夫だろうかと、市民の危惧は高まらざるをえない・・・。
Posted on 5月 5th, 2020 by 三木 奎吾
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これまで生きてきて、やはり自分は日本人だと思うのが
毎年の桜との出会いだと思う。
春の暖気の中でこころをゆるめてサクラ並木を歩くことが、
そしてそれを多くの人と共有できることの喜びが、
日本人であることを強く自覚させる生活文化なのだと思う。
ことしもここ数日、札幌市内で桜を愛でていた。
しかし今朝、ブラインドを開けたときに路上に散っているサクラを見て、
「ことしのサクラ・・・」と強い念を持った。
北海道にいて毎年必ず愛でていたのは函館五稜郭のサクラ。
早朝暗いうちに家を出て300kmを走破して
あのサクラの海のような空間に身を委ねることで
無上の幸福感がカラダに刻まれてきていた。
札幌に住んでいるけれど、北海道でもほぼ最初に花開く函館五稜郭が
春を待つ強い北国人のこころを揺さぶるのでしょうか?
その五稜郭のサクラ、ことしは「臨時閉園」している・・・。
3密を避けるということなのでしょう。
公園管理者としては、やむなき対処であろう事は理解出来る。
「とにかく家にいる」ウィークであり、それは仕方ない。
そんな心情とけさの路上で無惨に散り始めたサクラの表情が
シンクロして、こころに刺さってきたのでしょうか。
しかし何年かして、「あの年のサクラ」ということが
やがて日本人に共通体験として語られるようにも思う。
この愛惜感もまた、日本人とサクラの心情にもう1ページ加わった。
これもまたサクラの持つ美感であるのかもと、
せめても、心理に語りかけてみております。
Posted on 5月 4th, 2020 by 三木 奎吾
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昨日、事務所スタッフオフィス部分の透明仕切り設置完了。
<透明間仕切りなので写真では表現しにくい(泣)よ〜く見て>
透明の塩ビ板で各人の相互飛沫の拡散範囲局限化作戦。
既報のようなテストモデルを仕様の基礎にして全16人スタッフの
常設執務環境への設置工程を終えたのであります。
現在は連休中ですが、連休前にテストモデルをスタッフに確認してもらい、
目的と仕様の概略を伝えて、意見も聞いた上で施工しました。
新型コロナの影響もあって在宅ワークを積極的に導入し、
今後とも分散型オフィス環境の体制は当面維持する考えですが、
そのなかでも打合せなどで出社するケースもあり、
また、テレワークも50%実施と80%程度実施で幾段階かに分けて
より長期的に実施して行く考えなので、このような仕切りを設置した。
上の図は、篠原直秀氏(国立研究開発法人産業技術総合研究所)
「新型コロナウイルスの感染対策に有用な室内環境に関連する研究事例の紹介」
に示されていた図表で、人間の会話などによる「飛沫拡散」イメージ図。
以下【飛沫の大きさと室内での飛散】部分からの要旨引用。
〜話すときや咳をしたときの呼気中の飛沫の大きさは0.01μmから数mm程度であり、
<μm(マイクロメートル)は1mmの1000分の1の大きさ>
個数濃度としては2μm前後と120–150μm辺りにピークを持つサイズ分布。
咳をした時の液滴を0.35μmから10μmまで測定したところ、
小さい粒子ほど個数が多くインフルエンザ患者で咳一回当たり75000個/咳、
治癒後は咳一回当たり52000個/咳の粒子が含まれていたという報告もある。
60μmを超える大きな飛沫は感染者から、
●通常の呼吸では0.5m以内、
●話す場合には1m以内、
●咳をする場合には2m以内、
●くしゃみをする場合には3–6m以内で
重力沈降で床面に沈着して気中からなくなる。
もしくは水分が蒸発して飛沫核になるとされます。
これらの研究を元にして現在多くの国において
2mや1.8mのソーシャルディスタンシングが求められている。〜引用以上。
まぁ、このような学術論文の「趣旨」に沿って
可能な限り準拠するように「透明隔壁」の工夫を試みた次第です。
以下は掛かった費用についての概算。
1 透明塩ビパネル1820×910×2mmサイズを全3枚
〜合計 12,000円程度
2 卓上据え付け用木材(加工費や備品なども込み)
〜合計 10,000円程度

3 DIY人件費 0円。
<設計段取り時間=約2日間、意見聴取=約1日間、施工=約3時間>
で、この卓上据え付けは土台の木材を塩ビパネル自立用に工夫した。
サイズは上記のようで真ん中に3mm幅で「切り込み溝」加工(店舗で外注)。
この切り込み溝に厚さ2mmのパネルを挟み込み、
その隙間(1mm)を短い釘で埋め「押さえる」ように打ち込んだ。
ただし釘頭は完全に打ち込まず、あとで容易に「抜ける」ようにした。
また、土台木材部品はテーブル面に対して「両面テープ」貼り付け。
これはあくまでも新型コロナ対策であり、時限的応急的対応と考え
1年間程度の「仮据え付け」仕様としたのであります。
なんですが、自立状況は比較的堅固で意図的にさわれば揺れるけれど、
タッチしなければ不動で自立しています。仮設置として妥当機能性範囲。
透明塩ビパネル1820×910×2mmサイズ品は、切断加工の際のムダを排除して
おおむね全5枚程度になるようにカットサイズを特定した。
(最初の1枚はちょっとサイズを間違えた)
通常の椅子に座っての作業時の人間スケールを想像して
その通常相互会話での飛沫双曲線を考えカットサイズを特定した次第。
・・・ということで総額2万円ちょっとで
相互の「ソーシャルディスタンシング」が可能になったと思います。
もちろん今後利用上での実態も見ていかなければなりませんが、
みなさんにもなにかの参考になれば幸いです。
Posted on 5月 3rd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 住宅性能・設備 | No Comments »

さて本日から来週6日までの「自粛ウィーク」スタート。
昨日は政府の「専門家会議」の記者会見が行われて、
現状についてのブリーフィングが行われ、これまでの対政府マスコミ質問とは
かなり様相の違った質問やり取りが行われていました。
これまでの安倍首相が対応した非常事態・新型コロナ対策会見に対して
まったく関係のない「サクラを見る会」の質問を平然と投げつけて恥じない
日本メディアの異常さ、場違い感は目立っていましたが、
専門家会議の会見と言うことでそういった異様な質問は除去され
バイアスの掛からない平常な質疑応答がみられて好感が持てた。
ことは純粋に疫病に関わることなので、
このような情報公開のありようがいまはいいのではないかと思いました。
あえて正面に出なかった政権の判断は悪くはないかもしれない。
いつでもどこでも政府批判に結びつけたい左派的意見は自由だけれど、
それはいま現にある国民の生命健康の危機とは関係がないと思います。
専門家会議責任者の尾見さんの回答で「日本は諸外国と比べ強い対応がとれない」
というくだりがありました。
普通の国では「非常事態」が国防マターとして当たり前に憲法で保証され
非常時に私権が制限されるのは当たり前であるのに、
日本では政治権力は国際的にみて異常に権限抑制されているのが実態。
危機事態ではほとんど機能しないような社会システム構造実態。
狭い範囲内で国家運営せざるを得ない状況が続いてきた。
そこに今回のような「非常事態」が勃発してしまった。
自治体首長の強い権力の姿を見せる政党会派が支持率を急速に上げているのには
国民的な意思がそこに反映されているのでしょう。
やはり危機は確実に勃発するし、国家はそれへの備えは絶対に必要だと。
・・・っていうことですが、いまは誰になにを依存することも出来ない。
季節は写真のような春爛漫ですが、自粛して過ごすしかない。
昨日北海道知事さんと札幌市長さん連名で以下のような「要請」。
1 札幌市民の皆さんは、とにかく家にいる
2 道民の皆さんは札幌に行かない
3 道内外の皆さんは、都道府県間の行き来はしない
この現憲法体制では非常時にはひたすら「自粛」お願いしかない。
逆らう自由は存在するが、強制するシステム基盤は「放棄」させられている。
いまは、国民の「自制」力にひたすら依存しなければならない。
いま現在の国と国民の「防衛力」は個々人の生活意識しかあり得ない。
まことに悲しく苦しいけれど、ことは命と健康に関わること。
ヒステリーを起こさず淡々と家に閉じこもり、忍耐するしかありませんね。
Posted on 5月 2nd, 2020 by 三木 奎吾
Filed under: 状況・政治への発言 | No Comments »