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記憶に残っていた札幌軟石の家

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長く住宅雑誌をやっていると、気になる家の記憶が積層してきて
いろんな場所をクルマで走っていて、気付くことが増えてくる。
札幌市内でも、いろんな場所を走っていて、ふと
「あ、あの家の近くだ」というような既視体験を味わうことが多くなってきます。
きのうは、天気もイマイチだったので、
遠出はあきらめて、ニセコや積丹周辺を回っていました。
・・・って、十分に遠出かも知れませんね(笑)。
先週のクルマトラブルによるトラウマを払拭するドライブでした。

なんですが、札幌市南区周辺から定山渓へと向かう
国道のバイパスとして利用されている間道沿いに建っている
この家は、ちょうど場所が憶えやすいこともあって
なんどもなんども見続けてきていた。
建物正面には、市の保護自然林施設があるようです。
きのうも、ふと見掛けていて、通りすがってから
「あれ、なんかいつもと違う」と思ってバックして確認したら、
ごらんのように「売り家」の表示。
札幌軟石という開拓時代の建築素材としてポピュラーだった
材料を使った建物で、よさげに木造を継ぎ足していて雰囲気は悪くない。
周辺にたぶん自生していたようなクリの巨木があって、
建物に陰影感を与えてくれている。
こういった軟石は、北海道の地元産材としてのブロックに先行する材で
歴史的建造物となっている建物も多い。
しかし、たんに保存だけするというのもなにかおかしいといつも思う。
やっぱり建物は使い続けて、手を加えていってはじめて艶が出てくる。
それぞれに時代に似合うように手直しして使い続けている姿を見ると
うれしくなってくるものだと思います。
というふうにこの建物を見ていたので、ちょっと複雑。
わが家はブロックで作っているという親近感もあるのでしょうか?
北海道らしい建築としての価値はあるかと思います。
たぶん、農家の倉庫建築として最初建てられて
その後、住宅に改造されたのではないかと推測していました。
建築として折り目正しさも感じられるので、
どうも誰か、知人の設計者が関与しているのかも知れません。
中古住宅として売り出されているという表示なので今回、写真公開しました。
情報公開に先立って、不動産屋さんに連絡し確認も取っています。
経緯としては、札幌市内の方が別荘として利用されてきたようです。
ただし、べつに宣伝的な意味はまったくありません。

奈良大仏と国立競技場、国家プロジェクト

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展開が急でしたね。
きのう安藤忠雄さんの会見のことを書いたら、
夕方にはあっという間に、安倍首相が「白紙」宣言。
国防問題という、あまり人気の出ない政策遂行で停滞感の出た
政治スケジュールに於いて、他の問題で国民の関心の高い
この問題で、即断的な対応を見せることで政権浮揚を図った。
結果、新国立競技場という国家プロジェクト問題が大きく動いた。
そもそも新国立競技場はオリンピックの推進のための
目玉的な事業であるワケで、基本的にはそういう事業主体が
統括し、責任を持って推進すべきことがら。
得体の知れない「政治力」というものを期待されて
事実上の推進司令塔に擬せられてきた森喜朗元首相の
「おれもあれはおかしいと思っていた」という発言で、
それがどうにも無責任体制になっていたということが明白になった。
たぶん安藤さんはこの無責任体制のスケープゴート。

で、こういった「国家プロジェクト」として
日本の歴史の中でいちばん象徴的なのは何かと考えたら
この「奈良の大仏」が想起されてきました。
完成披露の開眼会は、当時で考え得る世界の賓客を集めた。
隣国の朝鮮からは皇太子が来たと言うし、
遠くインドからの使節の記録もある。
東アジア世界へ向けて、日本国家をアピールする機会になったという
そういった意味では、たぶん今日のオリンピックをはるかに超えた
大きな「民族体験」になっただろうことは疑いがない。
国威を示す絶好の機会になったのだろうと思います。
仏教というのは、当時、国を超える「普遍的世界性」を持っていた。
今日の資本主義と自由というような「価値感」にも擬せられる。
その象徴的な展示物として、巨大な大仏像が企画され完成を見た。
長年の租税負担を生み、飢饉などの災禍もあって、
民衆の負担は極限にまで達していたに違いないけれど、
同時に、大きな経済発展機会としての公共事業にもなった。
もっともわかりやすいものとしては、
「仏師」というビジネスが大きな産業にもなったことがあると思う。
その後の平泉・中尊寺の発注金額の天文学的規模を見ても
日本ではこういうかたちの巨大生産「企業群」が成立したことが知れる。
その上、この事業の最終過程では、
奥州から産金のニュースが飛び込んできて、
時の天皇、聖武が狂喜したと伝えられている。
その後の日本史の進展の中で大きな存在になっていく鉱物資源が、
この事業の結果としてもたらされた。

今日では、国家としての経済規模もまったく違うから
単純に比較できるものではないけれど、
きっと、いまの混乱と似たようなことは起こっていたに相違ない。
天皇・聖武にとって、
逃げも隠れもできない責任感を持って、立ち向かった事業だろうと。
今回のオリンピックは、前回の東京オリンピックと較べて
「国家の責任感覚」においてどうなのか、
また、はるかな奈良の国家の責任感覚と較べてどうなのか、
考えてみる大きな機会になって来たのではないかと思っています。

安藤忠雄「新国立競技場」記者会見

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住宅建築の世界から出発し、さまざまな建築の世界で活躍してきた
安藤忠雄さん。先般、札幌に来られたときの講演を聞いて
その「ものづくり」の精神性には共鳴できるものを感じています。
きのうは、いま話題になっている新国立競技場建設費の件で
オープンな論議を巻き起こすための序幕の役割を引き受けるかたちで
記者会見を開かれていました。
以前の札幌での氏の講演を聞いていて、
なぜか不思議と、司馬遼太郎さんと似た部分を感じていました。
まぁ、不幸にしてわたしは司馬遼太郎さんが生きているときに
そのお話しを聞く機会はありませんでしたが、
テレビや映像など、さらに講演記録の音声などに触れています。
同じ大阪人であり、市井を感じさせられるという意味合いなのか、
その雰囲気の同質性を強く感じさせられました。
そういえば、司馬遼太郎記念館という建築は、氏の設計なんだとか。
ぜひ一度、その空間性には触れてみたいと思っています。
彼が作る空間について、その温熱環境性については同意できないけれど、
しかし、ものを作って行く考え方・感じ方、情熱の部分では
大きなリスペクトを感じさせられています。
こういったアンビバレンツな思いを起こさせるのはかれの人間力でしょう。
意見は違っても尊敬に値する人、というのはいるようなものですね。
そういうかれが、東大の教授になったり、
新国立競技場設計コンペの「審査委員長」になるというのは、
わたしたちの社会のいまのありようとも関わっているのだと思うし、
ある意味で、妥当なことであろうとも思っています。

会見では、かれらしくざっくばらんに、会場を埋めた報道陣に向かって、
「写真なんて撮っていないで、言いたい聞きたいことをドンドン言ってほしい」
と、まさにストレートに投げかけていた。
で、5〜6人からの質問内容が出終わったあたりで、
そういった声に応えるように語っていったと思います。
設計コンペ審査委員長としてのかれの役割を明確にしていた。
まるで今回の混乱の責任がかれ個人に帰せられるような
そういったタメにするとしか思えない情報の混乱の中で、
このようにきちんと情報開示されれば、まことにその通りと思う。
これは国家プロジェクトであり、
進められていったプロセス自体にはそう大きな瑕疵はないと思われました。
そしてデザイン案としてのザハ・ハディッドさんの案の説明も
おおむね了解可能だったと思います。
多くの人に、あるイメージを喚起する建築デザイン選定根拠として
妥当性を持った説明であると思われました。
安藤さんも自ら言っていたけれど、この記者会見を起点にして
大いに、国民的論議に発展させればいいのだと思います。
設計コンペ審査委員長としては、今回その選定意図は伝えられたと思う。
日本社会で起きていることなので、
その解決も、日本のいまの「民主主義」を発揮して論議し、
「落としどころ」も含めて考えていければ、
世界に向かって、なるほどいまの日本社会はリスペクトに値すると
そういったアピールにもなると思います。
シャレではないけれど、それこそ「建設的」な論議をすべきだ。
安藤さんの言葉の中で、繰り返し、日本のものづくりへの言及があった。
その部分で、司馬遼太郎さんが重なっていたとも感じたのだと思います。
現代の日本が、過去と未来の民族の歴史に向かって
いま、どのような建築を作れるのか、と
そういったアジテーションにもなっていたと思いました。

北のアジサイ、いま満開

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火曜日の東北・仙台ー盛岡での猛暑のなか
冷房を効かせたクルマでの行き帰り、
どうやら、冷房風邪の原因になったようで、
きのうは午後から猛烈に頭痛がやって参りました。
喉の変調も、いっしょにやってきて、大合唱(笑)。
どうもよくありませんね。
運転中、開始直後はあまりの猛暑のためか、アタマはボーッとしてました。
どうにもすっきりしない、モワッとした感覚。
たぶん、熱中症ってこういうのが進展していく先になるような予感。
なので、冷房を効果的にと考えすぎたのかも知れません。
運転については、その後ガムを噛んだり、ソフトクリームを食べたりして
すっかり体調も戻ったので良かったのですが、
過ぎては尚、及ばざるがごとし、ということなんでしょうか。

ということで、きのうは朝の散歩もひと休みしていたのですが、
本日は、頭痛の残滓を払拭するかのように散歩。
で、北海道神宮周辺で、ごらんのようなアジサイを。
あ、1枚目は違いました、これは土曜日に立ち寄った北海道共和町の
「アジサイ寺」と呼ばれているお寺の境内の様子。
下の写真が、アメリカ式の自然公園デザインの円山公園でのもの。
東京に住んでいた頃は、アジサイにいちばん心が奪われていた気がします。
あまりの美しさに、一度だけ花泥棒をしてしまったことがある・・・。
道はしに飛び出していた、美しく咲き誇っていた一輪を
深酒の帰り道、ついつい、
手折って、自室に生けてしまった記憶があります。
深く反省しておりますが、ま、時効と言うことでここに自供します。
そういう罪を犯したという後悔の気持ちを持っていますが、
その美しさには、そんな情念をもたらすものがあるのかも知れません。
さまざまな色合いのグラデーションが、魅惑的。
その後、北海道は高温多湿な梅雨がないからか、
たまにアジサイをみかけても、そこまで蠱惑的な情感は伝わってこない。
気候的な違いが大きいのだと思いますが、
あの蒸暑のなかで魅惑的な美しさを見せるアジサイに
深くとらわれる部分があるのだなと、思わされる次第。

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そのお寺のなかには、
こんなアジサイをテーマにした金屏風画も襖に描かれていました。
やや気候と情感を異にするこの北の地でも
アジサイの美に、遠い思慕を抱くひとたちも多いのだなと、
そんな気分のなかでゆったりとした時間を過ごしておりました。

現代生活とクルマ、常識・非常識?

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きのうは仙台市内で1件、打合せを済ませたあと、
仙台から北上、盛岡をクルマで往復しておりました。
仙台の事務所のクルマ・カーナビに入力した走行距離は、
片道でも190kmくらいになっていた。
ほとんどが高速を利用するコースなので、
わたしとしては、特段、非日常的なコースではありません。
北海道と東北全域を営業エリアスパンとして活動しているので
どうという感覚もなくなっているのですが、
盛岡でひとと会っていたら、えらく驚かれました。
片道だけでなく、その打合せを済ませたら、仙台に戻り、
さらに仙台から札幌まで帰るのです、と言ったらさらに驚愕された。
たしかに、仙台ー北上ー盛岡往復に、仙台空港ー千歳ー札幌も
プラスすると、1300kmくらいの移動距離になるので、
「そうか、そう言われてみれば・・・」とは思うのですが、
さりとて、まぁ日常的にこれくらいは良くあるパターン。
しかし、その方の言われる距離感覚では、仙台ー盛岡のクルマ移動というのが
そもそも想定外のスパンなのだそうです。
これも400kmくらいにはなっている。
盛岡から岩手県最南部の一関くらいでも、新幹線を考えるのだそうです。
そういう風に言われて、
ふと立ち止まって、すっかりふり返って見た次第であります。
こういう風なのが普通であるというのは、やや異常ではあるのかも、と。
落ち着いていろいろなことを考えていく、
地に足を付けて地域に密着しながら考えていくという視点こそが
もっとも求められていることではないのか、という反省ですね。
う〜〜む、と考え込まされました。

そういう反省機会は、先週土曜にもありました。
その日は走行距離が、300kmくらいになっていまして、
国道5号線、倶知安から余市に抜ける上り坂の「追い越し車線」走行中、
クルマのエンジンにトラブル発生。
どうもエンジンが回転しなくなっている感覚。
アクセルを踏んでも無反応という状況に。
で、やむなく追い越しをあきらめて、通常の走行車線に移動し、
ほどなくあった「パーキングエリア」に退避しました。
この直前にも、エンジンは無反応状況で、ほぼ惰性運転に近い。
フロントパネルには見たことのないアラートが点滅していた。
で、メーカーの営業所に連絡したけれど、
どうやらケータイの電波が弱くてまともに話せない。
一旦、エンジンを切って、3分くらいしてから再起動させた。
どうも最近のクルマって、デジタル制御をしているようで、
パソコン操作の感覚もありますね。
そうしたら、再起動できて、アラートは出てこない。
そこで、ゆっくりと運転を再開させて、メインの国道を札幌まで移動することに。
ふだんは、ショートカットの道を通るのですが、
いつ不調が再発するかも知れないので、通りの多い道の方が安全率が高そう。
で、メーカーとも連絡が付いて、小樽ー札幌の高速道路入り口直前の
メーカーのドックに入ってチェックして欲しいということ。
再起動後は、信号なども多い国道なのでひんぱんにエンジン停止、再起動が
繰り返される状況だったのですが、エンジントラブルは再発せず
順調に持っていてくれました。
で、メーカーのカードックに入れて、待つこと1時間ほど。
聞いたら、エンジンへの着火システムが不具合を起こしていて
それを取り替えた方がいいけれど、いまはその部品はここにはない。
応急的だけれど、しっかりチェックして
札幌までの走行にはまったく支障はありませんので、ということ。
安心して運転を再開し、500-600m先の高速入り口との三叉路直前の
信号でエンジン停止後、発進させたら、今度は車体全体が震えるような
異常状態に突入。
とっさに高速への入り口方面を断念して、三叉路を一般道方面に。
で、数十メートル走った場所で、やや退避可能な引き込み場所を発見して
クルマを緊急に停止させられました。
で、そこからケータイで異常をメーカーに知らせ、
追ってカードックからピックアップ用の台車が来て、写真のような状況に。
そこから再度、カードックにクルマを入れて再度修理に。
フロントマンからは、「直しますから、このクルマで帰ってください」との
申し出があったけれど、その後店長さんが話に来て
「このまま、このクルマで高速走行するのは、不安」という旨を伝えたら、
ようやく代車を手配してくれて、それで家に帰れることになりました。
ようやくひとごこちが付いて帰って来られた次第でした。
翌日日曜日に、メーカーから修理したクルマが帰って来て、
一連の事柄について、メーカーからの事情説明を詳しく聞きました。
で、その後も、このクルマに乗っているのですが、
まぁ、トラブルの原因は解決できているようです。が・・・。う〜〜む。

鎌田紀彦「Q1.0住宅デザイン論」新連載

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さて、Replanでは東北版の次号7月21日発売号から
新住協代表理事・鎌田紀彦先生による新連載企画として
「Q1.0住宅デザイン論」を掲載開始いたします。
新連載に当たって、文中「はじめに」から、要旨を抜粋してお知らせします。

・・・デザインをいくら追求しても、北海道でその家が寒くては
何にもならないと思ったし、また大きな吹き抜けや大きな窓を設け、
それによる寒さを床暖房でごまかしているような家が、
いわゆる建築家と言われる人が設計した家には多かったのである。
「高断熱・高気密住宅」はそのような家も暖かく快適に、
且つ省エネにできることを説き続けてきた。そのせいか、
私は「断熱オタク」とみられているようである。
・・・しかし、振り返ってみれば実は私は、薄い断熱を当初は主張していた。
断熱材がきちんと効くような工法を取り入れるのが先で、
これを無視して厚い断熱を施しても無意味だと考えていた。
また、普及するためには、あまりにかけ離れたコストになっては
いけないと思っていた。この30年、コストを徐々にかけながら
最近のQ1.0住宅にまでたどり着いたのである。
・・・私のこうした活動の中で設計した住宅、或いは私と共に
新住協を支えてきてくれた会員の設計などを紹介しながら、
そこから生まれた新しい技術や、「高断熱・高気密住宅」ならではの
デザイン、計画手法を紹介していきたいと考えている。

というのが解題・趣旨であります。
きのうは、今後の連載企画について鎌田先生と編集方針の打合せ。
3時間以上、たっぷりと論点を整理したりしておりましたが、
やはり先生が探求されてきたこと、日本の寒冷地住宅が求めてきたことは
日本の木造技術にとって、いまここにある伝説と言えるのかも知れないと
そんな思いを持って話し合っておりました。
今後とも日本の木造住宅が世界標準の作られようと乖離せず、
技術進化していけることを担保してきたと言えるのだと思います。
そうしたことを、デザインという明瞭な切り口で
一般のみなさんにも、現場のみなさんにも、
広くその真髄を伝えられたら幸いだと思っております。
先生の活動拠点が、北海道室蘭から仙台に移られたこともあって、
この連載企画は、東北版からスタートしていくこととしました。
北海道版については、9月発売号から掲載して参ります。
近々、WEB販売のご案内もこの場でしますので、
ぜひ、全国の多くのみなさんにご一読いただければと思います。

ちょっと変わった「窓」が好き

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すっかり暑くなってきた今日この頃、
1日活動した後は、1日たっぷり休みたいということでぼーっと。
なんですが、本日のブログのお題は「窓」ということで。
2日間にわたって取材した「板金屋さんのイベント」ネタから、
もうひとつ、面白かったのが上の窓。
といっても、この窓は、「壁の穴」と言った方が正確なのかも。
いわゆる「サッシ」ではなく、現場造作的につくった窓なのです。
ポリカーボネートという素材は、その透光性と断熱性で、
主に、北海道で「面白そうだよね」と話題になっていった素材。
そうなんです、断熱性を基準にして、独自の素材発見があるというのが
北海道の住宅マーケットの面白さの一断面でしょうね。
この略称「ポリカ」も、その住宅建材としての利用は、
たぶん北海道が初めてではないかと。
北海道の設計者たちは、断熱性能が高くて、という素材の性能に
きわめて敏感に反応する「風土性」を持っている。
で、その断熱性と透光性に着目して
開口部素材として使ってみたくなるものなのです。
この樋口板金さんの太陽光発電屋根の実験建物は
通常は車庫として利用しているのだそうで、
ごらんのように横長に開口部を取っています。
たぶん、面材として使った建材の長さがこの高さに必然的になるので、
その上の位置で、ぐるりと横長窓が構想されたものでしょう。
でも車庫だし、ちゃんとしたサッシを設置するほど余裕はない。
そこでポリカで開口部を作ったのでしょうね、・・・わかる。
そうなると、今度はサッシ並みにさせるにはどうしたらいいかなと、工夫する。
ポリカの連続部を重ね張りして、山の部分でネジで建築木部に接合させていた。
「接着材で、接合後、透明化するヤツがあるから・・・」
と妄想が膨らんでくる。
ネジと透明化接着材で接合部分を構成すると、そこそこの気密ができないか。
うまくやれれば、ポリカ窓ができるのではないか。
そんな雑談を交わしておりました。
たぶん、多くの現場でそんな工夫はされてきていると思うのですが、
まだ、公的認証レベルのものは不勉強で知らない。
でも、こうやってみると、デザイン的にはなかなかに魅力的だと思われます。

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っていうことを妄想して帰ってきてわが家を見たら、
そういえば、わが家のファサード部分に45度回転させて設置した窓が。
リフォームしたときに、遊びで、こんな設置をしてみたんです。
実用的には玄関窓なので、そうは開け閉め頻度は高くはならないし、
他の部位に利用していて、余った木製サッシだったので、
こんなふうに使ってみたのであります。
3重ガラス入りなので、性能面は心配はないし、
実用としてはそう開閉しなくてもいいので、思い切って斜めにしたのです。
あれ以来、20年近くなっているけれど、別段の問題もなく持ってきています。
こういうファサードにしたのには、もうひとつ理由もあった。
それは、角地に位置しているので、カーブを切りきれずに
クルマがわが家に接触事故してきたことがあったのです。
なんとなくそんな不安心理から、レンガで花壇を作っていたのが幸いして
それが建物を守ってくれていた。
そのときに、この窓が「注意サイン」としても機能したような気がします。
年取ってくると、こういう窓の話題から、違うことも思い出すようになる。
なにやら、考えたことの備忘録のようになってきたブログであります(笑)。
今後とも、お付き合いいただければ幸いです。

樋口さん家の板金ワールド・「壁材」篇

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きのうのブログ、思った以上の方に見ていただきました。
gooの方だけで「閲覧数2,063」ということ。
樋口板金さんは札幌の「カリスマ板金屋さん」として、多くのファンがいる(笑)。
きっとそうした方たちが、見てくれたものでしょう。

近年というか、屋根の仕上げ材ばかりではなく
壁材としての板金も非常に増えてきています。
わが家は、築24年なわけですが、「ボルトレス角波鉄板」という外壁仕上げ材の
名前をそのときに初めて知った。
気候条件の厳しい北海道で、耐候性が高く、
しかも真物の材料で、しかもなるべくメンテナンスの労が少なくて済む材料と
そういうふうに検討していった結果、それまで工場などに使われていた
この角波鉄板が面白い仕上げ材として浮かび上がっていったのですね。
世界中でもきわめて稀な外壁への法規制として
「不燃化」というものがあって、モルタル仕上げの手間という条件の下
ほぼ市場がサイディング仕上げ一色になってしまっていた。
そういうの、おかしいよね、という声も大きかった。
こういう素材選択の面で、北海道には用とデザインの選別眼が
地域オリジナルなかたちでしっかりあるのだと思います。
「ガルバリウム鋼板」という、それまでの表面仕上げとは違うものが登場して
一気に市場が拡大していった時期に相当するのでしょうか?
わが家が竣工した頃には、たくさんのみなさんが
「ほう、これがガルバリウム鋼板仕上げか・・・」みたいに見ていっていました(笑)。
で、外壁を鉄板で仕上げていく文化が盛んになって来て
1枚目の写真のように、そのなかでのバラエティも豊かになって来た。
窓の下の「菱葺き」というのは、一世を風靡した板金仕上げだったのですが、
他の仕上げに対して手間がかかると言うことで、最近は目にしなくなってきた。
なんでも、昔あったアルミの一斗缶を再利用するのに適した葺き方だったそう。
四角くそろえやすいので、屋根の材料にしていくのに、
こうした葺き方を考え出したのだそうです。
まさに「用」が生み出したデザインそのものだったと思いますね。
その下の写真は、いまの外壁仕上げ見本。
耐火ボードの外側で防風シートを張ってヨコ胴縁をかけ、タテに鋼板を張っていく。

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もちろん、ヨコにも張っていくことができる。
写真は、タニタハウジングウェアさんが
建築家の伊礼智さんと開発した「ZIG」という鋼板。
いろいろな形状の鋼板が開発されている中で、三角形状のものがなかったので、
開発したものだそうです。
ただ、三角の頂部は平面にしています。
デザインにまた柔らかみも加わっているかと思います。
シャープさも進化してきていると感じますね。
ということで、樋口板金さんの展示会、本日まで開催されているそうです。
ではでは。

樋口さん家の板金ワールド〜屋根篇

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きのうから、友人の「樋口板金」さんで板金の仕事の展示会。
12日の日曜日まで3日間やっているということで、見学して参りました。
https://www.facebook.com/events/818339384916041/828107017272611/
北海道では開拓の初期、日本の屋根の基本だった瓦屋根が、
端部に発生する氷柱が巨大に成長して、それを叩いて落下させると、
もれなく瓦も落下するという、致命的な事態が相次いで、
「そうか、北海道では屋根は違う葺き方にしないとダメなんだ」
という共通認識が広がって、圧倒的に洋風の鉄板屋根になっていった。
別に瓦屋根がきらいなんじゃないんだけど、
まぁしょがないんですよ、という経緯でトタン屋根が圧倒的に普及した。
どうもこのあたり、北海道と鉄、というテーマでは
歴史的にもたぶん、2度目の大きな体験だったのではないかと思っています。
というのは、北海道ではアイヌ期に先行して、檫文文化という時代があるのですが
日本の側で鎌倉時代前後の、その両者を分ける最大の変化は
どうやら、煮炊きの基本道具がそれまでの「檫文土器」から、
「鉄鍋」に変わっていったことが、最大の変化ではないかと言われているのです。
それまでは、かまどに土器を据えて煮炊きしていたけれど
自在鉤で囲炉裏に鉄鍋を下げて加熱調理することに変わった。
アイヌには製鉄技術はなかったけれど、
ヤマト社会から交易で、鉄鍋を入手して生活の合理化、「近代化」を図った。
鉄製品に基本的な部分を委ねるようになった、
そんな先行事例を想起するほどに、この屋根の変化もドラスティック。

いまや、板金は屋根から壁にまで及びつつある。
樋口さんにすると、住宅全部が営業範囲になりそうで、まことにご同慶の至り(笑)。
で、本日はその屋根の方であります。
樋口さんは以前から「太陽光発電パネル」を板金屋根に据え付けるコトへの
抵抗感というか、警鐘を乱打されていました。
どうしても設置するのに屋根に穴を開けるしかないので、
そこから漏水などの問題が発生すると、警告を発していたのです。
しかも、屋根板金はメンテナンス上、塗り重ねが不可欠なのに
そのときに太陽光発電パネルを「一旦はずして、再度設置する」のは非現実的」。
そんな警鐘を鳴らされていたのです。
でも今回は、その樋口板金さんが、太陽光発電の屋根を推奨するという。
おいおい、そんなに180度の大転向か、節操というものはないのか(笑)
という興味深い投げかけだった次第であります。
行ってみたら、ごらんのような屋根一体型の太陽光発電なのです。
本来の樋口さんの営業範囲である板金工事は、端部程度。
太陽光発電パネル自体が、現代的な「瓦」装置のようになって
設置枠に着脱させるようになっているのです。
板金製品の「タニタハウジングウェア」さんの子会社
エコテクノルーフという太陽光発電の屋根を推奨していたのです。
たしかに一体型の屋根の方が、合理的でデザインも大変スッキリする。
下端部から通気を取って、棟換気で輩出させる構造になっていて
屋根下地の木材の保全や、太陽光パネルの冷却にも配慮がされていました。

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現状では、値段が割高にはなるようですが、
これに太陽熱給湯なども組み合わせられれば、さらに面白そう。
北海道は、やはり見てくれ重視の傾向は強いものがある。
設置型の太陽光パネルへの抵抗感はその辺にあると思います。
今後の主流は、一体型の方に向かって行くのかも知れませんね。
ということで、あしたは、今度は壁の方に触れたいと思います。

不審すぎる。わが家への怪しい薬剤散布攻撃?

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昨日は、終日書き物作業に没頭しておりました。
社内で共有すべき情報データを一生懸命に作成していて、
事務所と自宅を行ったり来たりしていました。
ここのところ、わが家周辺では、わが家もそうですが、
あちこちでメンテナンス工事流行り。
裏のお宅も、屋根工事をしたりしています。
そんな状況の中、夕方5時頃に自宅に戻って、書き物作業をして
ふと窓の外、玄関先方向を見たら、あれ、なんかヘン?
そうなんです、玄関ドアの周辺に
まるでアリ除けのような薬剤が散布されたような形跡。
ちょっと異様な胸騒ぎを喚起させられた。
で、外に出てみると、ありゃりゃ、

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ちょうど、わが家の建物周囲に薬剤のようなモノが散布されている。
いくらもの忘れが増えてきたとはいっても、
まさか自分でしたことを忘れたりはしない。そんな身に覚えはない。
時間的には、ちょっと小1時間程度の間の出来事。
家周辺を見渡してみても、わが家にしか、こういうマーキングはない。
近くの事務所にいるカミさんに電話連絡して、
「まさか、お前、こんなことしてないよな」
「ホエ〜〜、なにそれ?」という会話。
タチの悪いイタズラでわが家を狙ってのことだとすると、あまりにも気持ち悪い。
ひとに恨みを買うような覚えもないし、なにか、犯罪者のマーキング???
第一、散布されている薬剤は、一体どんな薬剤なのか、あまりに不審。
まさかサリンみたいな猛毒とかで、オウム真理教のような新手の反社会団体?
というような妄想も広がって参ります。
迷いましたが、あまりにも不審なので一応、110番通報。
万が一犯罪だとすると、その捜査という可能性もあるので、現状を維持して、
警察が来てくれるまでの時間で、自分で周囲を捜査してみました。
そうしたら、裏のお宅で屋根工事している職人さんから
「あ、そういえば、アリ退治の業者さんが・・・」という聞き込み情報。
でもアリ退治業者さん、明らかに違う家に
しかも勝手に散布はしないだろう、まさか。
しかし屋根職人さんが上から見ていた情報では、かれらは2人組で来て、
盛んに「間違えた」とか言って、片方が片方を怒鳴っていたとのこと。
で、裏のお宅のご主人もわが家に来られて、
「こういう業者さんにアリ退治を依頼しましたが」と名刺の提示とお知らせ。
一応、写メを撮らせていただき、来てくれた警察に事情説明。
警官の方がこの業者さんに連絡してみたところ、
「申し訳ありませんでした。間違えてアリ除け薬剤を散布しました」という供述。
その間違いを、その場ですぐにわが家に説明に来ることなく
そのままにして、会社に帰ってしまったのだそうです。

ということで、猛毒サリンのようなものではなさそうと一件落着なんですが、
やれやれ、こんな・・・という
持って行き場のない脱力感が襲ってきていた次第です。
ふ〜〜む、なんなのこれ?・・・。