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開口部の素材

北海道にいて、全国の住宅見るようになると
その違いはなんだろうかと考えるようになります。
で、そういうなかで一番大きな違いは、日本家屋の伝統的素材である
「紙」が北海道ではほとんど見られないこと。
まぁ、建具文化というモノ自体、
全国的にも衰退しつつあるようにも思いますが・・・。

しかし、障子などに使われている様子を見るに付け、
こういう繊細な感受性は、生活のシーンで日本人の心情に多くの影響を
与え続けてきたのではないかと
そういう風に思われてきてなりません。
紙のこうした建材は、たぶん、明治以降、
窓に透明のガラスが出現したことで、急速に衰退していったのでしょう。
実用と言うことで考えれば、
紙による建具の表装というのは、
風を通さずに、光を通したいという欲求から生まれてきたものなのでしょうね。
ガラスというモノ自体は江戸期にも知られてはいたでしょうが
それを住宅にふんだんに使うと言うことは想像も出来なかったのでしょう。
日本に洋館が建てられるようになって、一番変化したのは
窓のガラスだったのは必然の流れで
それを押しとどめようという考えはほとんどなかったに相違ない。

でも、この写真は宮城県のある古民家でのものですが、
建具の桟の繊細な格子模様が織りなす日本的デザインの「ゆりかご」感、
っていうようなものが感受されます。
子どもの頃、夢うつつにこうした格子模様を知らず知らずに眺めていて
タテ横ナナメと、頭のなかで繰り返し、なにかの
思考動作を繰り返していたように思う。
日本人が算数に強いのは、こういうエクセル的な格子模様を
生活の中で常に見続けていて、
それが習慣性になって、数学的な把握力が知らずに向上したのではないか、
そんな妄想を抱き続けていた記憶があります。
まぁわたしは、どちらかと言えば算数的素養は育たなかったのですが(笑)。
こういうデザインが日本の家屋からどんどん失われていくことに
やや、寂しさを感じ続けております。

Replan東北vol.34 発売

さて本日は、Replan東北の最新号発売のお知らせです。
昨年は東日本大震災の影響で、1号休止のやむなきに至りましたが、
ことしも元気に出版活動、頑張っていきたいと思っています。
東北でいちばん、「住宅性能とデザイン」にこだわった住宅の雑誌です。

【特集】わが家にとっての ゆとり? ムダ?
大切な自分だけの「住まい」。だからこそ「これだけはゆずれない!」
「ここは必要?」「これってムダかな?」と、悩むことも多いはず。

家には「ゆとり」があってほしい。それは決して広さではなく、
豪華さでもなく、そこに居るだけで、暮らすだけで、豊かな心になれるかどうか。
そして現実的だけど、できるだけ「ムダ」を省いた家にもしたい。
これも大切。

自分にとっての「ゆとりか?ムダか?」ちょっと立ち止まって
しっかり考えてみる必要がありそうです。

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contents
●特集/ わが家にとっての ゆとり? ムダ?
●エリア特集ー岩手・宮城・福島ー 今こそ大切にしたい家づくり
●「ふくしまの家・復興住宅供給システム」プロポーザル(提案コンペ)
●リフォーム特集
●青森の建築家集団〜A&Aマネジメント大特集
●NPO 住宅 110番
●TOHOKU ARCHITECT
 宮城県「不均質な家ー環境を知覚するポーラスな空間ー」脇坂 圭一
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Replan東北34号の書店発売は、1月21日です!

追伸
きのうの「秋田美人ポスター写真」について、
秋田県在住のNさんから情報をいただきました。
あの写真は、写真界の大家の木村伊兵衛さんの1953年に撮影した「秋田おばこ」とのこと。
その後、1991年に県の観光ポスターに採用されたのだそうです。
Nさん、ありがとうございました。

秋田美人について

ここのところ、夜の会合機会がありまして、
って、新年会シーズンというところですね。
でもわたしは、あんまりお酒は飲まないワケで、
帰りはまだ地下鉄のある時間に帰ることが多い。
で、先日、札幌地下街を駅まで歩いている途中に、東北各県の観光ポスターに遭遇。
そのなかに「秋田美人」というキャッチの写真を発見。
まぁ、観光用の写真なので、撮影して取り上げさせていただきます。

「秋田美人」の研究をしているという秋田の大学の先生もいるのですが、
この写真、どういうモデル選定でこういう「秋田美人」になったものか、
その大学の先生の説に添ったようなモデル選定であります。
というのは、秋田美人の肌の色素を分析すると、
黒海周辺地域、コーカサス地域の人種的特徴と似通っているといわれているのです。
この写真を見ると、どうもそういった説を踏まえている気がします。
なにか、日本人離れした肌の白さが伝わってくる。
秋田は、日本国家の北方の玄関口として機能していた歴史があります。
奈良から平安にかけて、北方交易の中心であった。
王朝国家が建設していた「秋田城」〜江戸期に建てられた武家の城ではない〜
では、迎賓用の「水洗トイレ」までしつらえられていた。
異国からの客人への対応の施設だったのですね。
そうすると、その対応した外つ国人とは、どんな人々であったのか?
やはり、北東アジアのアムール川河口周辺から海伝いに南下する人たちが考えられる。
そしてその先には、騎馬民族の人々が広いユーラシア大陸を
放牧を主要な生業として西に東に移動する世界がある。
その西の果てに、コーカサス地方がある。
そういう交易の世界が広く展開していたことは想像に難くない。
まぁ、そんな脈絡から、こうした写真のような雰囲気が
リアリティを持ったロマンとして感じられてくるのですね。

しばし、足を止めてしまって見惚れていた
秋田美人の顛末でありました。

ダルビッシュくん次のステージへ

ついにレンジャーズとの契約、決まりましたね。
契約についての駆け引きがいろいろあって
場合によっては急転、日本ハムとの再契約もあるのかと思っていましたが、
どうやら、かれ自身、次のステージへの思いが強かったものと思います。

レンジャーズにはライアンという、伝説的な大リーグの投手が
球団社長でいて、先日行ったときには会ったりもしているようです。
そのライアンさんの言葉がメディアに露出していますが、
非常にダルビッシュのメンタル面のことを好感を持って伝えてくれている。
向上心を強く持った、恵まれた素質に満ちた若者として
ライアンさんは評価してくれていると感じています。
そしてたぶん、ダルビッシュも
そういうライアンさんにリスペクトを持っているのだろうと思います。
野球は人間がやっているのですから、
そういう精神面の強い支えが非常に大きい。
素質と努力が基本的に不可欠でしょうが、最後はメンタルがどうであるかが、
超一流のアスリートにも非常に重要なのだろうと思います。
ダルビッシュは、プロに入ってすぐに、喫煙しながらパチンコ屋さんにいるところを
写真週刊誌に掲載されて、そのときの高田GMをはじめとした周囲の大人たちが
かれを守っていたことがありました。
謹慎させて寮に缶詰めにして、社会人としての教育に取り組んでくれたのですね。
そのときの寮長さんが急死したとき、
「恩人」として、ダルビッシュは悲しみの談話を語ったりしていた。
あの経験は、その後のダルビッシュにとって、
非常に大きな経験だったのではないかと思いました。
その後は、本来持っていた才能と素質をドンドン開花させていったのですが、
精神的に実にまっすぐな部分を持っていると感じ続けていました。
まぁ、女性に対してもまっすぐなんでしょうが(笑)。
その女性での痛い経験も整理が付いて
2人の子どもに対する責任関係も決着したようで、
次のステージにきれいに飛躍できることになりました。
いろいろあったのでしょうけれど、
この時点での決着には、若いふたりの間の善意の部分も感じ取れるのではないでしょうか?
プロのアスリートとしての、長嶋、王、イチローなどのビッグスターのレベルに
これからのかれは挑戦していくことになりますね。
恵まれたかれの資質と、向上心を持ってすれば、必ず瞠目させられるような
そういう活躍が出来ると信じています。
まだ25歳という若さが、無限の可能性を感じさせてくれます。

というところなんですが、
さて、戦力として超巨大だったダルビッシュ抜きで、
わが北海道日本ハムファイターズは、ここから戦いを始めなければなりません。
40億円近い置き土産をかれはわがチームに置いていってくれたのですが、
しかし、かれへのドラフト戦略から育成、成長までを見てみればわかるとおり、
あくまでも、外部からの既成戦力の力を借りると言うよりも
自分で育て上げた戦力で、その底上げでこの困難にも立ち向かって欲しいと思います。
世界球界屈指の選手を育てた自信を持って
若い戦力が大きく伸びていって欲しいと念願しています。
でもなぁ・・・、
毎年期待している吉川君など、若いピッチャーがイマイチ、出てこない。
でも、これも若い栗山監督、
そういう意味では前を向いて行くしかないので、
積極的に、実戦の中で若い投手をどうやって育て上げていくか、
また別の興味も深く湧いて参ります。
けっして素質や能力は劣っているものではない。
ダルビッシュに続く若者が彗星のように出てくれることを期待したいです。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!

札幌の建築

きのうは東京から来客があって、
午後、築32年というコンクリートブロック外断熱の旧荒谷登邸を見学。
わが家もこの建て方なのですが、
断熱厚みが大違いで大変重厚で、FP板150mm+GW100mmというもの。
現在は先生のお弟子さんのイランからの断熱研究者・タギさん一家がお住まい。
家に一歩、足を踏み入れると
その温もりに深く癒される感じがいたします。
暖房熱源は灯油によるセントラルヒーティングなわけですが、
そういう暖房の存在よりも
断熱の威力というものが、実感として伝わって参ります。
灯油使用量も、床面積100坪の建物でありながら
以前住んでいた15坪ほどのマンションと変わらないのだそうです。
北海道での「断熱」は、
境遇を共有するもの同士の助け合いの感覚にも似た
「人権」的な要素を感じるのですが、
まさにそういった感覚が迫ってくる気がしました。
一方で、とくに関東以南地域での「断熱」は
ひとびとの理解がやや違うことが影響してか、
「差別化戦略」のひとつの道具としての技術、というように感じられます。
とくに断熱の効果が顕著になるこの時期、そういう思いが強まります。

で、夕食はごらんの時計台の近くのお店で。
こちらの時計台は、北米の建築様式を取り入れたバルーンフレーム工法。
在来木造構法が隙間だらけであり、それをむしろ積極的に取り入れた工法であって
寒冷地にはアジャストしない工法だったことから、
木造構法自体も輸入せざるを得ず、こうしたデザインも受容したものです。
しかしこうしたデザインが、明治期を通した「舶来趣味」に合致して
脱亜入欧の気分を、現代に至る日本人意識に植え込んできたとも言えると思います。
北海道は、日本人の新天地としての現実的意義は
明治中期くらいまででその中核的部分は失われたと言えるのでしょうが、
いわば気分としての、また体感気候としても、
欧米趣向・異国情緒を感得させる地域として日本の中で位置を占めてきたと思います。

いま、日本は歴史的に見て
脱亜入欧を経験して、そこからアジアを見てきた視点から
ふたたび、江戸期までの東アジア世界を中心とした世界観に戻るのか、
そうではなく、明治以降の世界観を継続していくのか、
だれも結論を出せない問題に直面していると思います。
時計台を見ながら、
そんな妄想にかられておりました。

氷柱のあるなし

青森から帰還いたしました。
札幌ははるかに雪が少ないなぁと実感いたしております。
きのうも書きましたが、やはり北海道の都市としては
岩見沢が積雪の代表選手のようですね。
まぁしかし、青森の雪の多さは半端でない。

なんですが、見慣れた雪景色なんだけれど、
北海道で見ている住宅街の雪景色とはどこか違う?
って、気付いたのが「氷柱」であります。
北海道も雪は多くて寒いのだけれど、
最近住宅街を見ていると、ほとんどみかけなくなったのが氷柱なんですね。
まぁ、たまには非住宅の建物で「おおお」というようなのを
見かけることがあるくらいで、
一般住宅ではあんまり見ることがない。
ところが、青森の市内ではむしろ、氷柱が出ていない建物の方が少ない。
印象で言えば、北海道の40年前くらいの風景が展開している。
そうですね、わたしがまだ子どもの頃のような雰囲気に近い。
当時、除雪が追いつかない道路では
歩道は消えてしまっていて、うずたかく積み上げられた雪山の尾根を
子どもたちや、歩行者は歩いていたんですね。
道路脇の雪山から滑り降りるのもひとつの楽しみでもあった(笑)。
まぁだんだんクルマの通行量が増えて危険になっていったのですが。
青森の市街を見ていると、
そのころのことがオーバーラップしてくる。
巨大化した氷柱がいまにも落下しそうな形相で迫ってくる。
まぁ、住宅性能の基本のような話なんですが、
断熱気密がしっかりしていない建物では、室内の暖房熱が屋根面を温め、
雪が融けて、その水分が屋根端部で氷柱を形成するのですね。
すがもりと言って、その水分が建物内部に滞留するようになると
(ってそれが普通なんですが)
建物構造材が腐食していくことになります。
構造の劣化スピードは加速が付いたようになっていく。
北海道が、そこからなんとか抜け出したいとやってきたことが
そのまんま、現代、今、残っているのが現実の東北や北陸、信州や
北関東、中部高地地方、九州北部、総じて日本海側地域、寒冷地日本の現実なのですね。
いや、全国どこでも同じかも知れない。

こういうごく単純な住宅性能のイロハすら、
一般のみなさんはもとより、住宅事業者が無理解であるのが現実なんですね。
ある本州系の「ログハウス」屋さんが北海道に支店を出して
パンフレットを作っていて、その表紙に
自社施工建物の屋根端部の氷柱を撮影した写真を掲載して
「北国らしい風物・・・」というように宣伝していたのを仰天して見た記憶があります。
またある建築家が、やや寒冷地に建った自分の建築作品に氷柱ができるのはどうして?
と、わたしに聞いてきたこともあります。
無理解なんですね。
一般ユーザーは本来知らなくてもいいことだとは思うのですが、
しかし、一般のみなさんも自分の「資産」についてのことですから、
そういう認識は持つべきでもあります。
こういう環境の中で、長期にわたって耐久性を持った建物は
どのように普及させるべきなのか?
道遠し、という実感を持たざるを得ませんね。

大雪の北日本、岩見沢〜青森

札幌を出て、青森に向かいました。
途中、ことしの雪の多さを列車の車窓から再確認させられています。
まぁ、札幌は「ちょっと多いかなぁ・・・」っていう程度ですが、
同じ石狩湾低気圧の影響で雪が降る岩見沢方面は、半端ではない。
札幌と岩見沢、ほんのちょっとの季節風の具合で大雪の地域が変わるのです。
ここのところ札幌では雪かき、一段落しておりまして、
ややカラダは各所で筋肉痛症状はありますが、緩和してきていて、
まことに岩見沢のみなさんには申し訳ないくらいの気持ちで過ごしておりますが、
それにしてもことしはすごい。以下、ANNのWEBサイトから引用。

北日本で大雪が続いています。
北海道岩見沢市では積雪が180センチを超え、観測記録を更新。
青森では死者も出ています。

連日の大雪の影響で、岩見沢市では15日夜、積雪量が182センチを記録し、1970年3月以来、42年ぶりに観測史上最高値を更新しました。16日朝も大雪警報の出る吹雪のなか、市民は雪かきに追われました。
市民:「とにかくひどい。ここに住んで26年になるが、こんな大雪は初めて」「毎日、雪かきしているから、イヤになったことは確か」
岩見沢市では、15日午後7時の記録更新以降、アメダスの観測装置に不具合が生じ、積雪量は測れていません。16日朝から気象台の職員が修復作業にあたっています。高さ約6メートルの屋根の上で雪下ろしをしていた男性は頭から落下し、発見されました。事故当時、約1メートルの雪の山があったということです。
一方、青森市富田では、15日午後6時半すぎ、青森市堤町の無職男性(73)が雪山に埋もれて亡くなっているのが見つかりました。
近所の人:「屋根の雪、落としているのは見ていた。毎年、1回か2回は雪を捨てにきていた」
男性は、所有する空き家の除雪に出かけていたということ。
<ANNより>

青森市内で雪が多いのは、八甲田山系が原因といわれる。
青森地方気象台によると、シベリア大陸から冷たく乾いた空気が日本海へ流れ込み、
温かい海面から水蒸気を吸い上げ雲となる。
それが標高1500メートル級の山脈にぶつかり、ふもとの青森市で大雪になるという。
さらに、津軽特有の地形も影響する。北西から津軽半島に流れ込む風に加え、
西寄りの風が岩木山の南側を通り抜ける。
その二つの風が、青森市付近でぶつかることで、雪雲が発達。
五所川原から青森、野辺地にかけ大雪となるという解説。
いやはや、すごい状況になっております。
で、青森に着きまして、
市内中心部ホテル周辺でも、ごらんのような屋根雪の様子。
このあたりでは現状不適格の木造3階建て建築もあって、
屋根にはごらんのような雪庇もみられて危険です。
しかし一方で関東地方は雨が全然降らなくて
野菜が高騰する原因になっているとか。
そうなんですよ、キャベツが全然品薄になっている。
キュウリはずっと値段が高止まりしたまま動かない。
なんでもサハラ砂漠よりも現在の関東平野は乾燥した状態なんだとか。

人間の暮らしは、
こうした自然のもたらす地域性とともにあるわけですから
やはり謙虚な姿勢で日々を過ごしていかねばなりませんね。

地方と東京の関係

東京の地下鉄に乗っていたときに見た車内広告。
夕張は破綻自治体としてその名を全国に知らしめましたが、
必死の模索が続いているようです。
小泉流構造改革というものは、外交的には徹底した「対米従属」が基本であり、
また、日本をアメリカ的な「標準化」の方向にもっていくものだったと言えるでしょう。
その結果として、というかそれまでの流れをさらに加速するものとして
政策は機能して、地方の画一化、過疎化の加速は
どんどんと進んでいったのだと思います。
いま、住宅の外形的な姿は全国どこでも画一化が進み、
街並みからも「個性」が失われていっていると思います。
先日触れた伊東豊雄さんの釜石の復興計画での発言などを聞いていると、
そうしたことへの東京側からの反省のようなものは少し出てきているのでしょうか?
しかし、それはひとり建築だけが負うべきテーマではないように思います。
むしろ問題なのは、東北復興のテーマに際して
「世界的な建築家」という名声に単純に依拠して、
ミニ東京を全国に行き渡らせたひとびとが、地方性というテーマをも
リードしてきている現実、そうならざるを得ないことの方が問題だと思う。
いわば地方性すら、東京が仕切っていって本当にいいのか、
そういう論議がなかなか表出してこない。
もちろん、これまでの「地方の独自性」というものにパワーがなく、
全国的、あるいは全世界的にパンチがないから、
というように思われてならない。
しかし、そういう選択の末にどのような地域性が残っていくのだろうか?
日本社会は抜けがたく「貴種流離譚」が好きな国民性であり、
今回の震災復興でも、そうした構図が見えていることは
きわめて複雑な心境になります。
単純に、地域復興計画の実際は東京のシンクタンク企業が圧倒的に受注しているのが
現実なのですね。
東北地元の設計者が応募しても、そういうルートにはなかなか敵わない。
被災地域が広域だということが、このような流れを生んでいるのか。

北海道の一地域自治体が
東京でこのようにアピールをする、あるいはしなければならない、
という現実の中に、いろいろ考えなければならないことが
たくさんあると思わされた次第です。

ガラス建築と庇

先日、先代MacBookProが逝った日、
かわいそうなかれを背中に背負って、永代橋から
銀座Applestoreまで歩いた道すがら、
遠目に見て「あ、これは・・・」と思ってみたビルです。
COREDO日本橋という名前が書かれていましたが
たぶん、ビル名と思われます。

東京の新しいビルというのはガラス建築と言った方がいいデザインが主流。
仙台のメディアテークを設計した伊東豊雄さんのような手法が
「東京」というデザインを引っ張っていっているとは言える。
その手法とは、スケスケのガラスを全面に使ったような
「エッジの立った」手法というのが通り相場。
しかし、こういう手法はガラスの存在感というか
素材としてのガラスに大きく依存しているので
その耐久性というものについて、検証は十分に行われているとは思われない。
現に仙台メディアテークでは、東日本大震災後、
ガラスの破損箇所があり、それが外壁の主要構造を形成していることから
数ヶ月程度、使用が出来なくなっていた。
また内部でも多くの落下物があったというお話も聞いています。
しかし、デザインとしてはわかりやすく「透明感がある」ので、
その後、全国に似たような建築がごろごろ建てられている。
とくに東京では、素材としてモダニズムを端的に表現できる、
という思い込みから、それこそ山ほど建てられている。
最近、そうした建築からガラスが落ちたりする危険も取り上げられ、
検証が進んでいる過程だと思います。
で、取引先の会社もこういうビルに入っているのですが、
日射遮蔽はまったく考えられていないので、
年中、「透明な壁」のガラス面は開放されることなくブラインドが閉められている。
まともにブラインドを開けると、
それこそ冬でも耐えられないほどの日射取得で室内環境は高温化する。
目で感覚する「快適性」に目を奪われて(笑)
人間有機体の当たり前の皮膚感覚が考慮されていない。
断熱という概念のかけらも理解しようとしないデザインしかなく、
ひたすら原発由来の電気の大量利用による
冷房運転に依拠するしかない建築群だと思っていました。
まぁ少しでも考えれば、
まずは庇を設置することが最優先に考えられるべきでしょう。
そういう認識のかけらをこの建物に見た次第。

しかしこういう建築デザインは、
これからも、もてはやされ続けていくのでしょうか?

北海道と東北

きのうは北海道の工務店グループ団体ソトダン21の新年会合。
毎年正月が開けてすぐの頃に行われております。
今回は東北・宮城から東北フォーラムの氏家さんもお迎えしての会。
メインのお話しは北海道の断熱研究者の嚆矢ともいえる
荒谷登先生やお弟子さんに当たるイランからの研究者・タギさんの講演でしたが、
もう一方に、東北の実情の報告もあったわけです。
わたしも、そちらでの活動のご紹介、
住宅業界にとっての意味合いなどのお話しをさせていただきました。

わたしどもの雑誌、Replanは北海道で生まれて
その後、東北でも出版を行っているのですが、
この両地域って交流がありそうで、なかなかない。
まぁ北海道と行っても、函館などの道南地域は
青森との関係の方が、ほかの北海道地域と比べて大きいと思いますが、
道央地域、室蘭くらいから北の地域になると、
一番近い本州地域は、いきなり東京であるケースの方が多い。
たとえば札幌からいちばん早く行ける他県って、
その利便性も加味したら、絶対、東京なわけです。
千歳空港は羽田から来ても違和感が少ないし、
飛行機の便数で言ったら、千歳ー羽田は世界第1位のドル箱路線。

<資料>世界で最も忙しい路線は羽田千歳
順位 路線 座席数 就航会社数 便数(2011/9)
1位 羽田発新千歳行き 26万9500席 4 67

っていうことを知っている日本人の少なさに驚くほどです。
で、その一方で、北海道と東北の関係性は希薄。
地域性ということを考えていくときに、この点は大きいなぁといつも実感しています。
さらに東北は、各県ごとの違いが大きい。
非常に独立的な地域性がそれぞれ各県で残っていて、
「東北中央」的な視点は乏しい。
北海道は、その点、まったく札幌への集中度合いが高い。
たぶん、歴史経緯的な違いがこのように結果しているのでしょうが、
どちらも東京への志向が強くて
お互いへの関心はイマイチ、薄いというように言えるのでしょう。

まぁそういう印象を持ちながら、
でも、みなさん東北の現在の状況のお話には強く興味を持っていただいたようでした。
なにかしたいけれど、何をしたらいいのかわからない。
っていうような状況が北海道の現状なのだと思います。
少し考えていかなければならないテーマでしょうね。