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札幌の建築

きのうは東京から来客があって、
午後、築32年というコンクリートブロック外断熱の旧荒谷登邸を見学。
わが家もこの建て方なのですが、
断熱厚みが大違いで大変重厚で、FP板150mm+GW100mmというもの。
現在は先生のお弟子さんのイランからの断熱研究者・タギさん一家がお住まい。
家に一歩、足を踏み入れると
その温もりに深く癒される感じがいたします。
暖房熱源は灯油によるセントラルヒーティングなわけですが、
そういう暖房の存在よりも
断熱の威力というものが、実感として伝わって参ります。
灯油使用量も、床面積100坪の建物でありながら
以前住んでいた15坪ほどのマンションと変わらないのだそうです。
北海道での「断熱」は、
境遇を共有するもの同士の助け合いの感覚にも似た
「人権」的な要素を感じるのですが、
まさにそういった感覚が迫ってくる気がしました。
一方で、とくに関東以南地域での「断熱」は
ひとびとの理解がやや違うことが影響してか、
「差別化戦略」のひとつの道具としての技術、というように感じられます。
とくに断熱の効果が顕著になるこの時期、そういう思いが強まります。

で、夕食はごらんの時計台の近くのお店で。
こちらの時計台は、北米の建築様式を取り入れたバルーンフレーム工法。
在来木造構法が隙間だらけであり、それをむしろ積極的に取り入れた工法であって
寒冷地にはアジャストしない工法だったことから、
木造構法自体も輸入せざるを得ず、こうしたデザインも受容したものです。
しかしこうしたデザインが、明治期を通した「舶来趣味」に合致して
脱亜入欧の気分を、現代に至る日本人意識に植え込んできたとも言えると思います。
北海道は、日本人の新天地としての現実的意義は
明治中期くらいまででその中核的部分は失われたと言えるのでしょうが、
いわば気分としての、また体感気候としても、
欧米趣向・異国情緒を感得させる地域として日本の中で位置を占めてきたと思います。

いま、日本は歴史的に見て
脱亜入欧を経験して、そこからアジアを見てきた視点から
ふたたび、江戸期までの東アジア世界を中心とした世界観に戻るのか、
そうではなく、明治以降の世界観を継続していくのか、
だれも結論を出せない問題に直面していると思います。
時計台を見ながら、
そんな妄想にかられておりました。

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