
先日の「建築研究所発表会」には、たくさんの国費を傾けた研究成果が
発表されていましたが、
そのなかでもわたしが、きわめて興味深く拝聴していたのが
東日本大震災を契機とした地震研究の最新知見。
東大地震研究所から建築研究所に「客員研究員」として派遣された方が
詳細に歴史年代の地震記録を調べ上げ、もって
今日の建築がなにをなすべきかの基礎研究に供しているのです。
東日本大震災のときにいち早く、平安時代初期869年の「貞観地震」との類似性が
多くの在野研究者から指摘があったのですが、
建築研究所としての国費を使った政府組織の研究として
被災し冠水した土地の調査を行って、その地層分析から
貞観の大津波地震は、今回の海水冠水地域とまったく重なる規模に及んでいると
解明されていました。
そして遺されている歴史記述記録のうち、
政府組織の公式記録と言える多賀城の記録での被災模様を
今日の「震度相当」に置き換えていって、
その地震の規模、揺れの大きさを確定させていって、
歴史に残っている記録を今日的な評価軸に置き換えていく方法を試みている。
そして、さらに今日的には、
その貞観地震の後、どのような自然現象が出来したのかの研究も行っている。
歴史的には陸奥の地では、このあと、八甲田山系で噴火が起こり
その自然災害に苦しみ、しかも苛烈な収税、官僚腐敗のつけ回しという
当時の政府の最北政庁であった秋田城官僚への民衆の決起
「元慶の乱」も878年には起こっている。
自然災害の連鎖が、政治的な混乱の引き金も引いてしまった。
また、特筆すべきは、貞観地震後、数年を経て、
関東地域の直下型大地震も惹起して、
大きな被害を及ぼしたという記録も発掘されてきている。
その連動には、大きな根拠がありそうだとされていた。
こうした手法を深めていくと、記録の多く残されている
江戸期の江戸・関東に起こった地震も解析可能になってきて、
関東大地震の先行事例としての「安政地震」の規模も同様に解明されていました。
この関東地域直下型大地震には、規則性が認められるということ。
そういった意味で、
近い将来に関東直下型地震は必然性が高いと結論されていました。
まぁ衝撃を受けて思わず、会場を見回してみた次第です。
メディア関係の方の姿を探してみたのですが、
どうもこういう「固い」研究組織の発表会には興味がないようで
そのあと、メディア関係にこうした記事が掲載されたようには記憶していません。
どうもこの見方は、かなり公式の見解になってきているようで、
より注意深く、
起こってくる事象を把握していかなければならないと痛感させられました。
Posted on 3月 16th, 2013 by replanmin
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本日のブログは、タイトルまんまであります。
この写真は、宮城県の歴史施設で展示されていたもの。
人間が権力欲に駆られたり,上昇志向を持ったりする動機って、
さまざまなんでしょうが、わかりやすい理解はやはり食べ物だろうと思う。
日本列島に権力機構が形成されたごく初期から
贄、というような庶民から上層階級に対する貢納は
いわばごく自然なシステムとして機能してきた。
大王権力、のちの天皇制には、根深くこうした痕跡が見て取れる。
まぁほんとうにナマな欲望がそのまま形式化されていて、すごい。
そうした貢納システムの中で官人の役得として
このような食事が饗されていた。
多賀城という地方政府組織で、最上級権力者に供えられた食事であります。
さて、メニューです。
上段、中段、下段に分けて、
まず、上段左側から右側へ順に。
1 枝豆、栗、里芋の盛り合わせ
2 鮎の醤煮
3 汁〜イワシを浮かせた海草の汁物
続いて中段左側から右側へ順に。
4 ホヤ・米麹を使った飯鮓〜いずし〜
5 漬け物。ナス・青菜の塩漬けとウリの糠漬け
6 調味料・酢
7 調味料・塩
で、下段左側から右側へ順に。
8 メインディッシュ
鹿肉を細く切り、醤と酢で和えたもの。薬味に野蒜。
9 白米
10 糟酒
というディナーメニューであります。
こういった官人のために調理人も雇い入れられており、
豪華な食事を食べていたらしい。
いやはや、まさに垂涎の豊かな食卓でありますね。
栄養バランスもすばらしい。
こういう食事を取りながら、蝦夷社会への侵略を計略していた(笑)。
まことに犯罪的と感じるか、必然と感じるか、
まぁ、ひとによって見方は分かれますが、こういうのが事実なのですね。
う〜〜〜む、うまそうだ。
Posted on 3月 15th, 2013 by replanmin
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ことしのわたしのブログ、
いつの年になく、天候や降雪に関する記述が多い。
ことしは現在時点でも、平年の倍の「積雪深」だということなので、
まぁやむを得ないのですが、
で、このような豪雪だと、今度は融けていくときにもいろいろ問題が多い。
幸いにして、今週になってからは温暖な気候になって来ました。
きのうなどは雪ではなく,雨がけっこう降ってきていた。
そうすると降り積もっていた道路の固く層になっている圧雪が
陽気と水分補給を受けて、緩んでくる。
この「圧雪」、たとえばわが家周辺では道路上に推定50〜60cm程度の
固い路盤面を形成していたのですが、
その上層の方から、緩みぬかるんでくるのです。
住宅はおおむね道路に面しているので、
自分の家の敷地部分は除雪しているけれど、
当然、自宅前道路まで除雪は完全にはできない。
そこに大きな段差も生じてしまうのですね。
道路から自宅敷地までやや、傾斜が生じてしまう結果になっている。
その路盤面が大きくぬかるんで、行き交うクルマもぬかるんだわだちに
タイヤが嵌まり込む寸前のような状況でなんとか通行している。
わたしのクルマ、4WDの車高の高いエクストレイルですが、
それでもハンドルを取られて、やや危険を感じるほどですので、
一般的なFF車や、最近多い軽自動車などでは、見ていても不安なのです。
2車線幅がある道路なのですが、いまは1車線幅。
ひょっとすると、スリップしたクルマが角地のわが家に衝突するかも、
というようなスリリングな状況になっていました(笑)。
まぁ、笑い事ではないのですけれど・・・。
で、やむなく自宅前のぬかるんだ雪の上層部分を除雪作業。
・・・、これがきついのです(笑)。
なんといっても、チョー重たい!
敵わないのですね。
身体中、あちこちが悲鳴を上げてくるような筋肉痛になるほどなんです。
こうなるとやはり、公的な除雪作業に頼るしかない。
幸いわが家の前の道路は「通学路」なので、
さすがにきのうは夜になって、除雪ブルドーザーが出動してくれました。
写真は、わが家の前の今朝の状況。
八甲田山のような雪の山並みが目の前に出現しています。
あの思い雪がブルに押され、積み上げられている状況なのであります。
やれやれ、ほっとひと安心。
本日から青森に出張なのですが、これで後顧の憂いなく、
出発できる次第(ほっ)。
しかし、この大雪が消えるまでには、
同じような状況が2度3度は繰り返されるような気が致します。
たぶん、4月くらいまでこんな状況が続くと覚悟しております。
ふ〜〜、やれやれ。
Posted on 3月 14th, 2013 by replanmin
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きのうは札幌市内で、事業承継セミナーというのが
札幌商工会議所の主催で開かれておりました。
右肩上がりの時代には、それこそ税金対策というようなことが
主要なテーマだったのでしょうが、いま、時代は大きく変わってきて、
そもそも事業環境基盤が不確実なものになってきて、
どんな業種においても事業継承というものの本質的意味合いは
大きく変わってきているのです。
「下流志向」などの概念を提起された教育学専門の
神戸女学院大学の内田樹先生の最近の発言に、よく気付かされるのですが、
そもそも国民国家とグローバル資本主義の相克という現代社会の
主要基底テーマを念頭に考えていくと
地域の中小事業者というのは、どのようなモチベーションで
「事業継承」ということを考えていけばいいのか、
非常に悩ましいなぁと思わされるのです。
先生のお説でいけば、そもそも「近代国家」という存在も歴史的存在であって
たかだか400年程度の歴史の検証を経たものでしかない。
わたしたちは無自覚的に、国という概念のなかで
その一構成要素としての自分・個人という存在を考え、
またそのように「教育」されて、
国といういわば共同幻想との関係を無自覚的に前提にしている。
しかし、現代においては経済の主体的存在である企業は、
グローバル資本主義の方向性、価値観認識の方向に大きく影響されざるを得ない。
そもそも事業環境が、世界的な規模での価値観に大きく変化してきている。
もっとも安価な資源と労働力にシフトして
企業はもっとも有利な立地を求めて遷移していくだろう。
さらに、もっとも市場性の得られるマーケットでビジネスを展開する。
もっといえば、市場性の低いところにはシフトしなくなる。
最小のコストで最大の利益を追求する。
国境はとくに関係がないし、「国民」的義務にも無関心であることが必然。
原発事故によるエネルギー問題がクローズアップされる中で
グローバル資本主義としては、そうであれば、
日本に企業の根幹的な立地を求める意味は
どんどん過小になって行かざるを得ないと言われていた。
日本が原発を停止しているなかで中国やインドは原発投資に積極的なのが現実。
それは、グローバル規模で考えれば必然の企業誘致策。
そのようなグローバル資本主義が支配する事業環境の中で、
地域に根ざした企業という存在は、どのように「永続」させる道があるのか。
あるいはその必要性はあるのか。
いうまでもなく、もっとも基本的な存在意義は、
その地域の中でかけがえのない「雇用」を生んでいるということでしょう。
その一方で、企業の寿命は平均で7年だとか言われるようになって来ている。
わたしは創業から30年以上にはなっているのですが、
その程度の存続で社歴が長い、というように言われて驚く次第なのです。
どんどん目先価値にしか着目しないように
事業環境が激変していく中で、
それでも地域でビジネスを展開していく、さらにそれを
「事業継承」していくことは、並大抵のことでないことは自明。
まぁそんな問題意識で聴講してきた次第なのです。
日本国家としても、
このような地域経済主体の雇用確保努力について、
ようやくその価値を確認しようとはしているようなのですが、
さて、その意思の法的表現はあまりにもお粗末、というのが実感でした。
国の施策としての地域中小事業存続努力は、
まだまだ事実認識のレベルからして
「なにそれ」という状況なのだと言うことが再確認できた次第。
こういった想像力の欠如・不足、あるいは無知が
ここまでの日本社会・その表現たる官僚機構システムに
根強くあり続けているのだと思います。
東日本大震災からの「復興」のダイナミズムの欠如とは、
この基本的な基底問題への国家意識が空虚である証左なのではないか。
グローバル資本主義に対して政策的におもねり続けるのであれば、
それと同等以上の施策を地域中小企業に対して行っていく必要がある。
その萌芽は見えるけれど、いまのところ、
ほとんどこれでは機能しないだろうと思われました。
<写真は、江戸あるいはそれ以前から存続してきた商家民家建築の店頭>
Posted on 3月 13th, 2013 by replanmin
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きのうは札幌、比較的に気温も上昇し、
猛吹雪から解放されておりましたが、
しかし、3月も半ばになって来たというのに、積雪の多さは驚異的。
白という色は、ロシアでは悪魔の色とされているそうですが、
日本民族たるわれわれも、そのようなDNAへの親近感を持ちそうであります(笑)。

写真はわが家の1階のわたしの書斎大窓からの眺め。
家の形がちょっと変わっているので、
このような鋭角で外部と対しているのですが、
どうしてもこの部分に堆雪させておきたくなるのです。
本当は窓ガラスにとって厳しい環境になるのですが、
わが家の窓は3重ガラスなので、強度には問題ないだろうと思って放置しています。
できるだけ、家の外壁面側に堆雪するようにしていたのですが
今年については、もうやむを得ない。
しかしまぁ、どう考えてもこの状況は1カ月くらい季節感が遅れている。
2月の真冬、というのが今の札幌の実感。
これまで何度も、これが最後の冬の峠か、
というような降雪に見舞われてきたのですが、
必ずもっとひどい降雪がそのあとにやってくる(笑)。
山高ければ谷深し、と言われますが、
さて今年の春は,どんな風にしてやってくるのかどうか、
あまり大きく期待しないように、冬将軍さまのご機嫌を損ねないように、
毎日をやり過ごしている日々であります。
東日本大震災からきのうで丸2年。
そこを起点として活動してきた流れもあるのですが、
住宅復興というのは、なかなか顕著には見えてこない現実がありますね。
きのうのYahoo意見箱では、
住民合意形成よりも、スピード感重視で復興せよ、
という世論が大勢、79%だとか。
まぁしかし、そもそも設問の仕方にちょっと疑問も感じました。
復興について、どっちを重視する? 住民合意、スピード?
という設問では、大衆ヒステリー呼び起こしにしかならないのではないか。
また、フジテレビには石巻の地域商工会の方たちが出演されていましたが、
津波防御と地域景観・伝統の維持をどう両立させるのかという
合意形成には、やはり地域に根ざした知恵が不可欠なのだとも思わされました。
海と生きてきた地域社会にとって、
長大な防潮堤をこれでもかと築くことは、やはりもう限界に来ている。
問題は、日本のいまの意志決定システムや、その基盤的な考え方が
起こった現実に必ずしもアジャストしていないということではないか。
そんな思いも起こってきます。
息が長い活動になっていきそうですが、
できることは継続していきたいと思っております。
Posted on 3月 12th, 2013 by replanmin
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いやぁ、きのうのWBC、日本打線大爆発でしたね。
また、投げる方ではマエケンが目の覚めるようなピッチング。
素晴らしい胸のすくような勝ち方で、安心させられました。
しかし、大量点でも手を緩めることなく、
がんがん気持ちを出して積極的な姿勢が見て取れたので、
あとのゲームで大振りになる、という不安はなさそうに感じました。
しかし、決勝ラウンドではまた厳しい戦いが続くでしょう。
「野球は格闘技だ」という気持ちを前面に出す戦いを心がけて欲しい。
とはいっても、格闘は一球一球に対して発揮すべきものであって
間違っても、カナダーメキシコみたいな事ではありませんので(笑)。
それにしても、この試合の前までは
どうにも戦い方がぎこちなかったですね。
やっぱりプレッシャーでガチガチに固くなったまま、融けない。
どうにも選手個々の潜在能力の1割も出ていないのではないか、
というような歯がゆい戦い方。
そういう状況でもここまでこれたことが奇跡的なのかも知れませんが、
やはり国際試合と、ふつうの野球の戦いはまったく違うように思います。
日米とも、野球先進国の戦い方はリーグ戦を基本にしているので、
そういう環境の中での戦い方が身についている。
しかし、日本が過去2大会で優勝できたのは、
日本の選手たちが高校野球のトーナメントの経験をベースに持っていることで、
なんとか、野生の血を思い出せるのに対して、
アメリカの選手たちは、
どうもそういった戦い方を経験していないのではないでしょうか。
通常の野球に比べて、メンタルの影響がきわめて大きいと思う。
メンタルと言うことでは、やはり失うものの小さい方がはるかに有利。
「金持ちケンカせず」というのは、
そもそもケンカというのはなにが起こるかわからないギャンブル性が強い
ということを表しているのだと思います。
偶然の確率が高くなって、攻めることが出来る側の方が優位に立てる。
まぁそういう状況に置かれながらも、
ここまでぎこちない戦いでありながら、勝ち進んできたことの方がすごい。
山本監督「神さまがご褒美をくれた」と発言したようですが、
偽らざる実感だったのではないかと思われます。
逆に言うと、プレッシャーの管理というような
そういう実践研究がもっとも大切なのかも知れない。
個々の選手の技量力量がバツグンであることは間違いあるわけがないので、
そうであれば、当然懸かってくるプレッシャーとどう戦うか、
というのが、もっとも肝要な作戦領域なのだろうなと思います。
首脳陣のみなさん、本当にご苦労様と思いますね。
さて、観客側としては
とりあえず野次馬ですから、大興奮であります。
日程を見ながら、ぜひまだあまり調子の出ていない選手のみなさんも
なるべくのびのびと実力が発揮できるように祈って止みません。
頑張れ、わがチームの中田・稲葉!
頑張れ、侍ジャパン!
Posted on 3月 11th, 2013 by replanmin
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最近、高齢化社会のなかで
ペアである男女の寿命の違いによる人生岐路のことをよく聞く。
あるケースでは、奥さんの方が先に亡くなることは想定外ということで、
遺された男性のみではなく、その子ども世代の人生行路にも
大きな影響を与えてしまうケースを知りました。
男性にとって、パートナーである妻が自分より先立つというのは
耐え難い人生苦難をもたらすものだと実感させられる。
とくにいま、高齢者になっている世代は、
夫唱婦随というのが、人生行路の基本的思想だったので、
夫は経済的に妻を支え、妻は夫に尽くすというのが基本の社会だった。
写真のような祝福の席を経て、人生は開かれていった。
そういう風潮の中で、とくに男性は
家庭的サービスについては、なによりも大前提で考えていた。
まるで空気のように存在しているものだと思い込んでいた。
それが「想定外に」条件が破綻したとき、
そういったことへの対応策というのがまったくない場合、
その「破綻」が、大きく拡大せざるを得ない。
途端に、毎日の衣食住生活全般において、
対応準備がないことに,自分自身が驚愕せざるを得ない。
そこに精神的負担が大きくかかり、それが健康状態にも悪影響して
多くの病魔が襲ってきたとき、
男の人生というのは、まことに脆さをさらけ出さざるを得ない。
団塊の世代よりもやや若いわたしのような年代では、
男も調理をしたり身の回りのことを自分で出来る男性というのが
すこしづつ増えていって、
より若い年代に行くに従って、そうした傾向が強まっている。
社会の変化への対応として、無意識レベルで対応した結果なのか。
わたしは、子どもたちからよく
「お父さんの作る○○が食べたい」と言われることがありますが、
母の味より父の味、みたいな社会変化が起こってくるかも知れない(笑)。
それは極端な例えかも知れないけれど、
男にしろ,女にしろ、人間単独でも身の回りのことは
自分で裁量し、最低限のことは果たせるようになっていかないと
生存自体が厳しい社会になっていくのかも知れない。
長生きは誰もが希望することだけれど、
それが幸せに送れるかどうかは
保証されてはいない、というのが
今日この国で進行している「高齢化社会」なのでしょうね。
もって瞑すべし、そんな思いに駆られます。
Posted on 3月 10th, 2013 by replanmin
Filed under: こちら発行人です | No Comments »

きのうは東京で建築研究所の研究発表会を取材。
たいへん面白い発表が続いて、
さすがに国費を傾けた、国を代表する建築知識の数々に
最新知見を得ることが出来て、たいへん有意義に過ごすことが出来ました。
会場では、内田祥哉先生のお姿も見ることができました。
日本を代表する建築の知性にしてご高齢にもかかわらず、
先生にしてなお、こういった機会に知見を新たにされようと務められているのかと
畏敬の念を覚えさせられました次第。
さすがに先生の前には、入れ替わり立ち替わり人波が切れない様子でした。
発表では特に、東大地震研究所から建築研究所の客員研究員になられた方の
東日本大震災からの列島の地震活動調査の最新知見を興味深く拝聴いたしました。
これについては、いずれ、どこかで発表させていただきます。
で、この発表会の前後に、有楽町・銀座周辺という地の利を活かして
ほかの要件もコンパクトにまとまって片付いたので
翌日に予定していた用件も済んだので、1日早く札幌に帰還することに。
きのうの東京は梅も各所で開花しているように
25℃を超える、5月の初夏の陽気。
北海道帯広からの連続移動なので、コートは真冬のダウンジャケット(笑)。
さすがにかなわないので、袋にしまって都内では行動しておりました。
で、予定終了して羽田からの出発便を待っていたら、
「目的地荒天のため、羽田に引き返すこともある条件付きフライト」
という、寝耳に水の案内。
おいおい、であります。
いくらなんでも、25℃の初夏だという一方で、吹雪かよ〜〜であります。
しかし、飛行機は出発が若干遅れましたが、
定刻から約30分遅れで無事に千歳到着。
少しは吹雪いていましたが、まぁ、そうひどくはない状況でした。
で、帰宅後、坊主とWBCの大応援大会! やってくれましたね、男、井端!!
そしてわが中田クン、なんとかチャンスをものに出来ました。
よくやった!
外の吹雪を気にはしつつも気分良く就寝いたしました。
で、今朝の状況が写真のようなことであります(泣)。
わが家は中学校のグランドに面している立地で、
吹きだまりの出来やすい立地条件ではあるのですが、
それにしても、すごい吹きだまり状況でして、
家の玄関ドアも開かないかも知れない、というあぶない状況。
なんとか、勢いよく開けることは出来ましたが、
吹きだまりの雪は重たくて、しかも30cmくらいの積雪。
カミさんとふたりでたっぷり1時間かけてなんとか、周辺の「啓開」を。
啓開って、軍事用語だそうですが、
道を開く、交信を確保する,というような意味です(笑)。
大袈裟ではありますが、
しかし、わが家前を走行していたクルマはあっという間に
降り積もった雪にタイヤを持って行かれて、たちまち立ち往生。
わが家のクルマは4WDですが、この積雪ではちょっと無理だと思っていたので
無謀なクルマを見ていて、「大丈夫かよ・・・」と思っていたら案の定なのです。
まぁ、今朝の札幌市西区山の手の状況はそんなことで、
本日はわたくし周辺の「啓開」作業で、一日振り回されるのが濃厚な状況です。
事務所までの道、500mほどですが、4WDでも安心できそうもないのです。
あまりの彼我の違いに愕然とさせられますが、しょがない。
考えてみたら、1日早く帰ってきたことで除雪作業ができるのでラッキーでした。
こんな状況ですが、まだ除雪車も来ない。
ふ〜〜〜、やれやれ。
Posted on 3月 9th, 2013 by replanmin
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どうも困った問題が起こってくる可能性が指摘されている。
省エネ基準は昨年末に大きな改定が行われ、
その後、順次詳細な開示が行われてきている。
で、基本的には2020年には、この基準が「義務化」される。
断熱の基準レベルが99年基準レベルで固定されたことで
一方でその内容に不十分という声も出ているけれど、
しかし、1次エネルギー抑制という方向性が明確に打ち出されて
それが「義務化」の方向に向かうということでは、
やはり大きなステップにはなっていくというのが、大方の受け止め方。
しかし、関東以南の建築に関連する一部のみなさんたちから、
そういった規制は、「表現の自由」に反しているのではないかという
そのような「内語」が交わされて来つつあるのだという。
住宅の性能要件を満たそうとすれば、
おのずと建築デザインには枠が嵌まってくる。
基準を無視した住宅建築にはそもそも「建築確認」が下りなくなるのだ。
このことはこれまでそのようなことに一顧だにしてこなかったみなさんにしてみると
「表現活動に権力的な制約を受ける」というように感じるのだという。
・・・むむむ。
さすがに「表現の自由」という論理になってくると
かなりの違和感を覚えざるを得ない。
表現の自由というのは、社会性と個人主義との相克のなかで折り合いを付けるという
一般社会常識レベルから逸脱して、むしろ個別的な個人権利の全面主張に近く、
それをある程度の社会的立場のある方が言うとなると、
やや、言葉に窮してこざるを得ない。
まぁ、北海道などの寒冷地ではユーザーの生存権というようなレベルで
断熱とか気密とかはごく当たり前に遵守すべき約束事になっていて、
そういった住宅は現実にはあまり見かけないのだけれど・・・。
しかしそれ以外の地域だからとはいっても、どんなものでも許されるべきだというのは
論理的立場として、あまりにも飛躍を感じさせられる。
しかし逆に言うと、
かなり本質的な問題に迫ってくるなぁという予感もしてきます。
デザインとはなにか、どうあるべきか、
という根本的な問題ですね。
見た目の美しさだけを追求して、社会的約束事で満たすべき基準を無視できるのか。
エネルギーには限りがある中で、
それを無視するようなエネルギー大量消費は許されるのかどうか。
そんな論議のきっかけになる可能性もあるように思います。
ただ、「表現の自由」というのには、さすがに違和感がある・・・。
建築の作り手たちの先には、建て主という「社会的」利用者も居るわけで、
責任が自己完結する芸術活動一般とは、
建築は明確な違いがあると思うのですが・・・。
大きな関心を持っていかなければなりませんね。
<写真は、国の実験施設のガラス面のすさまじいオーバーヒートの様子>
Posted on 3月 8th, 2013 by replanmin
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きのうはある住宅関係団体のセミナーに参加。
そこで、以前から感じていたことを再確認いたしました。
タイトルどおりのことなんですが、
東大工学部という、
日本の建築に対して最高水準の頭脳を供給する機能を持った集団内では、
ある不文律があって、
それは、住宅なんていうものは建築の全体に比較すれば
きわめて国家的価値の低い領域であって、
東大で男子たるものは、もっと国家の進むべき道を照らし出すような
そういう研究をしろ、と言われ続けているという御説。
住宅の研究なんて言うのは「婦女子のなすべきことである」というのですね。
東大に籍を置いた研究者のみなさんから、何度も耳にした経験があります。
東大というところでは、
こういう考え方というのが連綿として伝わってきているのでしょうね。
それが日本の国家発展を支え続けてきたのも事実でしょうから、
ある意味では是認せざるを得ない。
もっと論を突き詰めていくと、
ある東大出身者の方から、戦争末期の学徒動員のときに
日本の再建のためには実学たる工学部学生が必須の存在になるから
学徒出陣の順番を一番最後に回すように考えていたというのですね。
東大生という、国家の中枢を担うべき将来の「タマゴ」たちに
日本国家の意思として、そのような不文律としての強制力が存在するのは
ある意味、理解出来るところだと思います。
そうした種類の「使命感」には、わたし自身は賛同する気持ちがあります。
やはり、だんだんと国に対していろいろに取材を進めてくると
こういったタイプの「国家意志」というものが見えてくるようになる。
市井に暮らし続けてきたわが身にしてみると、
まことにすさまじき世界だなと思い知らされること、頻りであります。
このようなことは、
いい悪いはまったく別にして、
厳然として存在し続けていくだろうというのも
明瞭に理解出来ます。
逆にこういったタイプの「使命感」が喪失したら、と考えたら、
そのことにも、大きな不安感が迫ってくる。
明治以来の、国家意志の実質部分というものを
感じさせてくれる瞬間でありますね。
<写真は,初めて泊まった千歳空港のホテルからの眺望であります>
Posted on 3月 7th, 2013 by replanmin
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