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省エネ基準義務化と「表現の自由」

どうも困った問題が起こってくる可能性が指摘されている。
省エネ基準は昨年末に大きな改定が行われ、
その後、順次詳細な開示が行われてきている。
で、基本的には2020年には、この基準が「義務化」される。
断熱の基準レベルが99年基準レベルで固定されたことで
一方でその内容に不十分という声も出ているけれど、
しかし、1次エネルギー抑制という方向性が明確に打ち出されて
それが「義務化」の方向に向かうということでは、
やはり大きなステップにはなっていくというのが、大方の受け止め方。
しかし、関東以南の建築に関連する一部のみなさんたちから、
そういった規制は、「表現の自由」に反しているのではないかという
そのような「内語」が交わされて来つつあるのだという。
住宅の性能要件を満たそうとすれば、
おのずと建築デザインには枠が嵌まってくる。
基準を無視した住宅建築にはそもそも「建築確認」が下りなくなるのだ。
このことはこれまでそのようなことに一顧だにしてこなかったみなさんにしてみると
「表現活動に権力的な制約を受ける」というように感じるのだという。
・・・むむむ。

さすがに「表現の自由」という論理になってくると
かなりの違和感を覚えざるを得ない。
表現の自由というのは、社会性と個人主義との相克のなかで折り合いを付けるという
一般社会常識レベルから逸脱して、むしろ個別的な個人権利の全面主張に近く、
それをある程度の社会的立場のある方が言うとなると、
やや、言葉に窮してこざるを得ない。
まぁ、北海道などの寒冷地ではユーザーの生存権というようなレベルで
断熱とか気密とかはごく当たり前に遵守すべき約束事になっていて、
そういった住宅は現実にはあまり見かけないのだけれど・・・。
しかしそれ以外の地域だからとはいっても、どんなものでも許されるべきだというのは
論理的立場として、あまりにも飛躍を感じさせられる。

しかし逆に言うと、
かなり本質的な問題に迫ってくるなぁという予感もしてきます。
デザインとはなにか、どうあるべきか、
という根本的な問題ですね。
見た目の美しさだけを追求して、社会的約束事で満たすべき基準を無視できるのか。
エネルギーには限りがある中で、
それを無視するようなエネルギー大量消費は許されるのかどうか。
そんな論議のきっかけになる可能性もあるように思います。
ただ、「表現の自由」というのには、さすがに違和感がある・・・。
建築の作り手たちの先には、建て主という「社会的」利用者も居るわけで、
責任が自己完結する芸術活動一般とは、
建築は明確な違いがあると思うのですが・・・。
大きな関心を持っていかなければなりませんね。

<写真は、国の実験施設のガラス面のすさまじいオーバーヒートの様子>

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