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日本人による刺身食文化

1818

歴史をいろいろ興味を持って学んでいくウチに
だんだんとイメージがシンプル化してきています。
というのは、現生人類がこの地球上に繁茂してきた流れというように
理解を単純化させると、見えやすくなってくるのです。
現生人類がアフリカを出てから、約5万年。
で、さまざまな食べ物をあさって生き抜いてきた。
そのなかでアジアに向かった一団のなかから
やがて弧状列島に住み着いた人々がいて、
約12000年前くらいから、縄文という土器を作って
森からの採集と、海からの海生動物の捕獲を旨として暮らし始めた。
その食文化は魚類を食べることを基本にしていた。
わたしたちの今日の刺身や鍋料理って
こういった歴史性を単純にわかりやすく伝えているのではないか。

1819

でも、そういうなかでもわからないのが
「しょうゆ」の来歴であります。
Wikkipediaでは、

日本における最古の歴史は弥生時代とされている。
肉醤、魚醤、草醤であり、中国から伝わったものは唐醤と呼んだ。
文献上で日本の「醤」の歴史をたどると、
701年(大宝元年)の『大宝律令』には、
醤を扱う「主醤」という官職名が見える。
また923年(延長元年)公布の『延喜式』には
大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、
この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。

というような記述が見られる。
刺身という食習慣も、同じくWikkipediaによれば

新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べることは
人類の歴史とともに始まったと言ってよいが、
人類の住むそれぞれの環境に応じて、生食の習慣は或いは残り、
或いは廃れていった。日本は四方を海に囲まれ、
新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあったため、
魚介類を生食する習慣が残った。
「なます」は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理で、
「なます」の語源は不明であるが、「なましし(生肉)」「なますき(生切)」が
転じたという説がある。一般には「生酢」と解されているが、
それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる
付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。
この伝統的な「なます」が発展したものが刺身である。

というのが通説のようです。
それにしても、ナマの魚介としょうゆという単純な食文化、
たぶん、縄文にルーツを持つに違いない文化は
日本人は長く保持し続けるに違いない。
・・・こんな興味を書きしるしていたら、
無性に寿司を食べたくなってきた(笑)。
本日の昼か、夜、回転寿司に直行しそうであります・・・。

盆踊り・仮設やぐら建築

1816

いつも早朝散歩の起点になる北海道神宮駐車場。
全面アスファルト舗装のこの駐車場真ん中に
この季節らしく、盆踊りの仮設やぐらが設置されています。
仮設とはいえ、けっこうな人数がそこに上がったりする建築でもあるので
まさかアスファルトに穴を開けて基礎を作っているわけでもないだろうし、
こういう場合、どうやって足許を固めて行くのか、
つい興味を持ってみてしまう。

1817

やはり案の定、足許は田型のような枠が据えられて
それに対して4本の柱や、筋交いなどが接合されていました。
仮設建築の範囲内では、余り過度ではない荷重であれば、
この程度で必要十分なんでしょうね。
櫓、やぐらというのは、
建築の基本構造でもある。
十年前くらいに、信州松本城を見学したけれど
あれはやぐら構造建築なんだそうです。
そういえば、この仮設櫓のように
頂部に向かってややほっそりと立ち上がっていく感じがある。
そういえば、日本海側から中部山岳地帯には、
三内丸山的な縄文的建築の伝統が感じられます。
そういった流れが松本城なんかでも垣間見えた。

Wikkipediaを見ると
櫓(やぐら)とは日本の古代よりの構造物・建造物、または構造などの呼称。
矢倉、矢蔵、兵庫などの字も当てられる。
木材などを高く積み上げた仮設や常設の建築物や構造物。
(見世物小屋や相撲、祭りの太鼓櫓・火の見櫓などの物見櫓等)
古代からある城等に建てられた矢を納めた倉庫兼発射台、
防衛用の仮設の掘立建物。(物見櫓(井楼)など)
近世の城郭に建てられた矢や鉄砲を発射するための
重層または単層の建造物。
構造部位の名称(船櫓・炬燵櫓など)・技の名称(相撲の技・将棋の陣たて)

建築構造で見ればこういった理解になるけれど
一方で、このやぐらの右側には
この盆踊りに協賛している企業の広告が掲示されている。
建築にはお金がかかり、その費用を集めてくるのも
もっとも重要な「構造」ともいえます。
足許と横と、両方を見て建築を通しての
社会観察、理解をこどもたちに教え諭す機会でもありそうです。
というのはあまりにも俗物的で、
こどもの夢を破壊する考えかも知れませんね(笑)。

お盆に般若心経を忘れる・・・

1815

本日はお盆の入り。
たぶん、日本中であちこちと移動している人が多いでしょうね。
札幌の街でも、朝から市内移動の高速道路は
けっこうな渋滞が発生するようになって来ています。
札幌では、公営の墓地として「里塚霊園」という集約的な墓地があり、
そこに向かって毎年、渋滞するようになっています。
で、里塚にはカミさんの実家もあり、その霊園に関係する3つの墓もあるので
いっぺんに盆の入りの日、それも朝早く5時には家を出て
いったん、カミさんの実家に寄ってクルマに同乗して行くのが年中行事。
で、何人か、ことしは合計4人で墓参するのですが
そのときにはわたしが僧侶代わりに読経いたします。
とはいっても唱名できるのは般若心経だけなんですが、
このお経はどんな宗派でもオッケーという便利さなので、
たいてい、どんな家に行ってもわたしは重宝されます(笑)。
で、本日も読経を始めたのですが、
1軒目で、ややや、と途中がどうも怪しくなり、
2軒目では、止まってしまった。やむなく途中から憶えている読経だけした。
で3軒目、わが家、父母の眠っている墓で、ついに記憶が繋がらなくなった。
やむなく、これも、途中を飛ばさざるを得なくなった。
むむむ、ダメであります。
暗記していることと言うのは、そうは忘れないものとタカをくくっていて
その曖昧さを咎められたような心境であります。
と、同時に老化という現実と、否応なく向き合う必要に迫られる感じ。

カミさんからはスマホにダウンロードしておけば良いとか、
そうだ、インターネットに読経があるんじゃないか、とか、
あれこれ後部座席でやり出したわけですが
当人は、それ以上に、もの忘れという現実と心底向き合っておりました。
わたしと般若心経は、いろいろ経緯がありまして、
学生時代に学生運動をやっていた友人からこのお経について
その由来とか、インド哲学とかの話を聞いて
自分でも面白くなって研究というか、調べたりしていたのです。
その流れで、インドの古代叙事詩ラーマーヤナを読破したりして
たいへん興味を持ったのです。
遙かな後年、アップルのジョブズさんがインドでヒッピーしていた
という話を聞いて、そういうヤツならパソコンも面白そうだって
アップル製に決めたいきさつもあります(笑)。
そんなことがあって、父親とよもやま話をしていて、般若心経のことになり
諳んじていたので、読み聞かせたあと、その解説まで父にしたことがある。
父は、それがヒッピーたちに受けていることなんだは知らずに
大喜びして「そうか、お前はそう見えて勉強しているんだ」と
勘違いながら、ニコニコしていた。まぁ、誤解ですが
なにかと都合は悪くないので、わたしもニコニコしていた(笑)。
で、父母を20代末、30代はじめに亡くしてから
家族の中で、ずっとわたしはエセ僧侶役を担ってきたのであります。
そのわたしが・・・、
ついに、化けの皮が剥がれてしまった(笑)。

本日より、記憶力の低下を受け入れて
スマホに般若心経を常時入れておいて、不安箇所をしっかり確認しながら
エセ僧侶を、なんとかこなしていくことにします。
合掌。

オリンピック首都改造

1807

写真は品川地区再開発の予測図から抜粋。
2020年の東京オリンピック開催に向けて
東京の都市改造が大きく進みそうだ。
そのなかでも、この品川周辺の改造は、今後の日本の都市計画での
大きなランドマークになることだと思う。
というか、日本の経済発展を考えていくときに、
この東京改造は、その持っている意味がきわめて大きい。

東京という都市は、
縄文からの10000年スパンで考えるという中沢新一さんのような思想も出て
そのおもしろさが際だってきていると思う。
現代世界の中でも、そのメリーゴーランド性はとりわけ突出している。
日本の歴史を考えてみても、
畿内地域に成立したヤマト王権、その後継国家である「日本」とは、
関東地域はかなり違った歴史を刻んできた。
ハッキリ言えば、本来日本列島地域には、ヤマト国家と、関東国家、
さらに東北国家、南西地域国家、琉球国家、アイヌ国家などの
大きく分けて6つの国家が並立するような地域だったように思います。
そのなかでも、基本はヤマト国家と関東国家が基本的には相対峙しあう
そういった関係性が保たれてきたのではないか。
古代国家による東北征服戦争からの変転推移による奥州藤原政権という
事実上の独立権力の樹立が、関東の自主独立気運を高め
主に南西地域を基盤とした平氏政権末期の混乱期に乗じて
鎌倉独立政権が発足したといえる。
であるからこそ、この鎌倉政権は、抜けがたく
平将門の反乱への追憶を政権基盤として持っていた。
たぶん、そういった列島権力史というようなものが、
もう少し研究されていっても良いのではないか。
今現在は、南西地域に基盤を持った権力が天皇制を乗っ取る形で
権力を握ったあと、世界の趨勢であった「国民国家・民族国家」を成立させ
はじめて列島社会に均質な権力を樹立した段階だと思う。
関東国家地域の方が江戸時代以来、対アメリカを中心とする世界関係において
畿内地域よりもはるかに利便性と合理性が高かったから
国民国家は、関東地域を征服するかたちで成立した。
こんな脈絡の中で、やはり今後も日本の首都圏は
東京地域に置かれている方が合理的なのだと思う。
たしかに震災被害などを考えれば危険性は高いけれど、
どこであっても五十歩百歩という災害列島であれば、
利便性では、やはり東京がいちばんいいのだろうと思う。
そういった大きな流れは間違いがない方向なのではないか。
そのなかで、地方地域はどのように生き残り繁栄策を構築すべきなのか
じっくり考えていかなければなりませんね。

日本語と 5-7-5

1811

土曜日に高校同期の同窓会に参加しました。
ことしは「川柳大会」をやるというアナウンス。
なので、当日あれこれ頭をひねったけれど、通常散文を書いているので
なかなか5-7-5の短歌の世界に慣れていけない。
ではあるのだけれど、いろいろ考えていくとやはり5-7-5の世界に
いかに日本語が合っているか気付かされる。
「義理と人情を 秤に掛けりゃ、義理が重たい 男の世界」
という高倉健さんの世界があったけれど、
見事に5-7-5であり、基本的に日本語の独特の「韻」を踏まえている。
そしてもうひとつ気付くのは、
そうやって紡ぎ出される世界観が短調的なリズム感ではないかと思う点。
「津軽海峡 冬景色」
ではないけれど、こうした韻が、長調的ではなく、
独特の湿り気を帯びた雰囲気を醸し出すのを感じる。
たぶん、日本人の心情世界の基本旋律に、演歌的な、短調的な
そういったものが色濃くあるのだと思われる。
そう、恋はかならず悲しい旋律にともなって語られることこそがふさわしい。
義理と人情の枠組みの中で、悶え続けるのが生きることだ
そんな基本旋律が伝わってくるような気がする。
誤解だろうか?

で、同窓会。
多くの「川柳」が披露されて楽しめた。
最優秀作は
「企業戦士 手になり足になり クビになり」
というものだった。
自虐的で人生の悲しみをたたえつつ、ペーソスを感じさせるという作品だ。
メンタリティとして、こういった会合ではこのような作品に
ひとびとの笑いを引き出す共通認識があるだろうから、
そういう意味では、日本的常識にかなっていると思われる。
しかし、同時に気付いたのは、
こういった表現手法では、明るく前向きに生きていくという
そういった作品は出てきにくい部分がある、ということ。
自分でもその場のTPOを踏まえていくと、そのような気分に
作品制作の心根が置かれるようになるのを感じていた。
そんなことを感じながら、
歌謡の世界では、ある時期からこうした短調的な演歌世界が流行らなくなっていて
もうちょっと膨らみのある世界観が主流になっていることを想起する。
恋はいま、もうちょっと違う語られ方で歌われている。
それは世代的な変化を表しているのか
それとも、日本人の変化、社会の変化を表しているのか、
このことを契機に、考え始めております。
ありがとう、良い企画でした(笑)。

ブラインド類のメンテナンス

1813

ここのところ、わが家各所で住宅設備のメンテナンスが発生しています。
お風呂の混合水栓金具の交換については
まだ、連絡が入っていないのですが、
その他の1階の照明の交換がきのう朝、実施されまして
蛍光灯からLD照明に更新されました。
また、居間のハニカムサーモスクリーンと1階書斎のブラインドの昇降不具合
ようやく昨日昼前に来ていただけて、無事修復完了。
とくに写真の居間のハニカムサーモスクリーンは
先日現場で見ていただいたのですが、
そこで応急的には改善させられず、持ち帰って補修していただいたのです。
巻き上げの糸が破断したり、絡まっていたりして
どうにもならなかったのです。
業者の方に「こういうの、自分ではメンテナンスできないのでしょうか」
と、聞いたのですが、まずムリという答え。
「なにか不具合があったら、気軽に言ってください」とのこと。
なるほど、やっている内容を観察していると、
たいへん専門的な知識理解が必要そうで、素人はムリっぽい。
しかし、毎日毎日使用する部材であるにもかかわらず、
DIY的にできないというのは、なかなかきびしいなぁと思いました。
やはりカーテンのような、ほぼ専門知識のいらないインテリア製品のほうが
お金のかからない保守管理ができると思います。

家の保守管理って、
昔の設備機器の少なかった時代とは隔世の感がある。
しかも設備の進化がよりいっそう加速化して
同時に住宅の方の「個性化」も加速度的に進行している。
そういったなかで、未曾有の「メンテナンス」需要が発生する。
家をながく大切に使っていくためには、不可欠になる。
これを回避するには、いくつかのパターンが考えられるけれど
たぶん、一番多く発生する対応は
「めんどくさいしお金もないから、なにもしない」というものになりそう。
自分でそういうことに向き合うようになると
業者さんとの連絡、時間決め、作業内容への可否判断、
実際の施工立ち会いなどなど、
一応の製品への理解があるわたしですら、
一連のことに面倒を感じざるを得ない。
まぁ、愛着もあるわが家、ということで乗り越えられるのですが
一般的にどうなるか、と考えれば、しない方向が多数には
なると考えられるのですね。
中流意識の拡散した成熟社会である日本で、
大量に存在している社会資本でもある戸建て住宅の保守メンテ
これからどんな趨勢を見せていくのか、
興味は尽きませんね。

トウキビ詰め放題1袋500円

1812

おととい・きのうと弾丸の青森出張でしたが、
そこからの帰り道はクルマでのんびり帰還。
で、やや遠回りして、函館ー長万部ー岩内方面を回って帰って来ました。
まぁいろいろのんびりポイントがあったのですが、
そのなかでも楽しみにしていたのが
岩内から札幌への国道沿いに店を出している
「佐藤農園」さんの直売所に寄ることであります。
前からちょくちょくとお伺いしては、
たのしく買い物をさせていただいていたので、懐かしくて。
で、きのうも帰省中の食べ盛り坊主の食欲も考えて
買い込んだ次第であります。
久しぶりに行ってみたら、なんか、ずいぶんと店構えも立派になっていて
しかもお店には、3人も女性の方がいて、活気がある。
で、店前には山のように積み上げられた「トウキビ」。
「これなにさ?」と聞いたら、備え付けのビニール袋に
「詰め放題」で500円なのだという(笑)。
即決であります。
ただし、皮は剥いたらダメ、そのまま皮付きでの入れ放題。
はじめ、袋の下の方から横向きに入れていたら、
「タテに入れた方がたくさん入るよ」というありがたいアドバイス。
って、お客さんの立場になってくれている(笑)。
でも、損して得取れなんでしょうね、
わたしはつい他のものも買い込まされたので、おとり販売大成功。
まぁしかし、そういうことで袋詰め必死にがんばってみた。
なんでも、やや小ぶりなんで、こういうサービス品にしている
でも味は絶対遜色ないよ、ということ。
すっかり洗脳されていますので、信じ込んでいる。
このあたりも、先ほどの「お客様の立場」効果か。

で、買い物を終えて、ふと我に返り、家に帰ってみると
買い込んできたトウキビはなんと、20本でありました。
考えるまでもなく、こんなに食べられるわけがない(笑)。で、
朝もぎたてなので、もったいないから、すぐに蒸かしたり
レンジで蒸かしたりして、会社のスタッフに食べてもらったり致しました。
20本が500円ですから1本25円。
笑えるくらいに安かったけれど、
でも言われたとおり、味は遜色ありませんでした。
それ以上に、皮付きのトウキビをダイナミックにムキムキするのを
坊主に手伝わしていたら、
歯の治療中でトウキビ、そんなに食べられないのに、
「そうだ、こがしてあま醤油で食べたい」と、
食欲がモリモリ状態になっておりました。
スタッフからの食味報告もおおむね良好。
やっぱり北海道の夏の風物詩、朝もぎトウキビのうまさは格別ですね。
楽しかったです!

駆け足青森出張

1810

お盆前、懸案の件があり青森出張です。
早朝4時半に出発してクルマで函館まで走る。
いろいろ経路を考えるのですが、今回はあえてクルマを選択。
というのは、函館から9時19分だかの特急があって、靑森に11時18分に
到着する、という時間もぴったりのがあったのです。
これはいい、ということで、接続を確認したら、
当日の札幌からの汽車での連絡はムリ。
ということで、クルマで出たのです。
札幌を出るときはけっこうな雨降りで心配していましたが
道中は特段の天候の崩れはなく
おおむね順調な走り。
途中、3回くらい朝食も含めて休みも入れての走りです。
で、函館駅到着は予定通り、8時半。
余裕で時間クリアでした。
意気揚々と、駅に入ったのですが、靑森方面行きの案内掲示には
10:21が「次の列車」欄に案内されているのみ。
9:19というのは表示されていない。
で、恐る恐る駅員さんに、事前に自由席乗車チケットを購入していた
「琴似駅」でもらった運行表を見せて尋ねたら、
「あ、それはお盆期間用の特別列車で8日からの運行です」
「本日は7日なので、まだありません」
という説明・・・。おい、であります・・・。
そう言われてからはじめて子細に見たら、
列車の表示の前に●があって、その下の欄外に小さい字で
「8月8日〜17日運転」と、確かに書いてある。
大失敗であります(笑)。う〜〜む。
憤懣やるかたない。でも、自分の不注意が原因であります。
で、件の10:21ならば、札幌始発6:36の汽車で接続しているのです。
クルマでわざわざ走る必要は、なかったわけであります(泣)。

まぁ仕方ありませんね(笑)。
年を取ってきて、ややあわて者ぶりは進行しているようです。
この結果、靑森県内、青森市と弘前市の2箇所での打合せ日程が
ややタイトになった次第。
で、アポの13:00靑森には直前の12:14到着。やや10分ほど遅れですから、
約束までは事前に片付けるべき仕事も出来なかった。
で、靑森と弘前の間の移動をJRでするとなると
時刻が縛られて不都合なのと、どうせ駅に着いても
そこからタクシーを使ったら、往復で4000円近く飛ぶので
靑森駅前でレンタカーを借り上げ。
なんですが、これが「靑森ってこんなにひと多かったっけ」と
あきれるほどのねぶた最終日の混雑に巻き込まれ、
アポ先には時間ギリギリヒヤヒヤで、滑り込みセーフ。
終了後、時間を見たら、次の弘前のアポ時間16:00の1時間前。
移動距離は60km近く。やばそ。
そこからの「ねぶた渋滞」で、次のアポにもギリギリ到着。
終了後、靑森駅前のレンタカー屋さんに返却したのは
これも時間ギリギリ。
で、19:09発予定の列車を待ったのですが、
ねぶた最終日の花火大会混雑で、「列車は満員かも」という
駅員さんの説明を真に受けて、すぐにホームに直行です。
ところが、これもまぁ大袈裟なおせっかいで、
並んでいるのは、到着時約2名のみ。
まことに、ふ〜〜〜であります(笑)。
で、さすがに疲労困憊の極みで、函館にて1泊であります。
っていうか、靑森で泊まりたかったのですが、
さすがにねぶた最終日、靑森のホテル満室間違いなしという特異日。
という珍道中でありました。
まぁ、きょうはすこしゆとりを持って行動したいと思います。
ふ〜〜〜やれやれ。

慰安婦問題〜傍観者的な朝日記事

1809

さて、きのうの朝日新聞、やはり購入することにしました。
この問題、それほどメディアからは大きく扱われてはいない。
NHKでの放送もきわめて抑制的。
読売がやや批判的ではあるほかは、産経以外は静かな扱い。
で、件の朝日新聞。
1面になぜか、団塊世代を含めての好感度バツグンの吉永小百合。
朝日の意図を感じざるを得ない。
まぁしかし、商業新聞なので仕方ないでしょうね、こういう「配慮」。

前日に続いて検証記事と銘打っている割りには
自社取材記事は1ページだけで、
あと1ページは「識者の声」で占められている。
で、その1ページも、まるで傍観者的に
日韓関係と慰安婦問題の推移が、まるで他人事のような書き方で
延々とつづられている。
韓国側の対応については、どうしてこうなるのか、の
背景解釈のまるでないまま、いわば出来事を傍観的になぞっているだけ。
これが「記事か」とため息をつかされられるような無内容な駄文でした。
識者の声に至っては、いまの日本国民の心情との乖離の甚だしさが際だつ。
吉見某という中央大学の教授に至っては
「吉田証言が虚偽であっても、この問題への影響はない」とまで言っている。
そうか、はたして。
32年間、朝日が真摯に検証しなかったことで
国際社会のなかで、日本だけが性奴隷を容認しているかのような
そういった根拠の曖昧な誹謗にさらされてきたことに無反省な
あまりにも無責任な論議だと思う。

これは、朝日新聞の国会喚問は避けられないと思う。
報道の自由を守るためにも、無軌道な報道を32年間も放置し続けた罪は
やはり問われるべきだと思う。
自由には、それを担保するだけの責任が絶対にある。
そして朝日新聞は、国会喚問の機会が訪れたら、
むしろ好機として、大いに自らの「報道の自由」を訴えれば良い。
戦後社会を覆っているヌエのような報道という権力もまた、
しっかりと検証される必要がある。
自己検証をここまで放置したということひとつとっても、
朝日にはその責務があることは明白だと思う。
かつて、わたしも投稿した意見が、朝日で「声」欄で掲載されたことがある。
だから、自分自身をも問うというような気分ではあるのだけれど、
やはりここまで生きてきて、責任の感覚こそ、もっとも必要なものだと思う。
朝日は、正面から責任に向き合ってもらいたい。

朝日新聞よ、どこへいく

1808

きのう5日の朝日新聞で、ついに朝日自身がいわゆる「慰安婦」問題に触れた。
1面では戦時の性について、それが女性への耐え難い冒涜であるという
人権的一般論に、ことの「本質」をそらそうという論説を書いた上で
中面で見開き2ページを使って
自社の慰安婦問題キャンペーンの検証を行っている。
そこで書かれている事実は、まさに常軌を逸した報道の暴走「事件」といえる。
写真では、慰安婦募集において強制性があったと
繰り返し証言したとされ、朝日が都合16回も登場させた吉田某という人物の
証言の信憑性について、ハッキリ虚偽だと認め、
そのうえで、朝日の対応として、「記事を取り消します」としている。
また、女子挺身隊という言葉と、「従軍慰安婦」とを混同したということについて、
自らキャンペーンを張った言い出しっぺにもかかわらず、
「当時は研究が進んでいなかった」という、外的要因に混同の原因を求め、
自らを免責しようとしている。

暗澹たる気分で、この報道に接した。
これが700万部売っているというメディアの責任の取り方なのか。
朝日新聞というメディアは、わたしはリアルタイムではもちろん知らないけれど、
戦前は日本を戦争に引きずり込んでいった
軍部独走のお先棒を先頭に立って担いできたそうだ。
そしてその反省からか、戦後は一貫して反権力的な立場で
あるいは、アメリカのリベラルに依拠した親「欧米」、
人権派的な立場で戦後民主主義の論壇を率いてきたと言える。
戦争の前後で180度立場を変えた、と言われているけれど、
はたしてそうなのか、体質はまったく同じではないのか。
冷静な判断能力を持っているとは言いがたい体質ではないのか。
いま、世界の中で日本が危機に立っている問題の
初源的当事者であるのに、「記事を取り消します」で済ませられるのか。
もとより、戦時の性の問題は人類社会が克服しようとして
これまでできなかったテーマであり、このことは
人類共通の負の遺産として、戦争を抑止し、平和を求めることでしか、
解決のしようのない大問題だと思う。
そのことは、当然のことだ。
しかし、いま、日本が置かれている立場はそんなことでないことは
誰の目にも明らかであるのに、それに問題をすり替えるとは。
朝日新聞よ、なにを血迷っているのかと思わざるを得ない。

しかし、本日も朝日はこのテーマでの検証を続けると言っている。
その記事をも再度読んでみて、
朝日の今後の「記事の取り消し」とは、どういうものになるのか、
社会に対してのメディアとしての責任は、どう取るつもりなのか、
もうすこし、注視して行きたいと思います。

<このブログは、5日遅くに書き上げているものです>