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沖縄から北海道へ

1837

きのう、11:50発の便で成田経由で沖縄から札幌に帰還しました。
千歳到着は16:55くらいだったので、おおむね5時間ほどのフライト。
これくらいの時間がかかることを考えると、
たとえばヨーロッパでは、イタリアとスウェーデンくらいは違いがある。
そういう地域同士だけれど、言葉は通用してすぐに親しくなれることを考えると
日本は広くて良い国だなぁと思います。

帰って来て夜21:00には完璧熟睡モードで、
起床は午前04:30。7時間半もたっぷり寝たので、疲れはおおむね取れたのですが
やはり娘の家の大掃除での筋肉疲労が・・・(笑)。
まぁ楽しい痛みと言うことですね(笑)。
今回の沖縄は初めての「仕事」ツアーでした。
わたしの仕事の住宅研究視察がメーン、しかも日本建築学会会長吉野博先生の
一行の一員ということでしたので、
たいへん貴重な見学旅程に恵まれ、また有為なみなさんとの交流ができました。
私的なツアーの範囲ではなかなか知り合えないだろうみなさんと
オリオンビール・泡盛を酌み交わしながら、じっくりと交流できて
感謝している次第です。・・・ちょっと飲み過ぎでしたが(笑)。
ってまぁ、沖縄の気候風土は酒飲みには最高なんでしょうね。
わたしのような下戸でも、毎日おいしく飲めてしまう。
きっと高気温と高湿度が人間の蒸散作用を高めて
夜になるとやってくるほのかな気温低下機会のここちよさが、
アルコール摂取を、より快適な体験にさせてくれるのだろうと思います。
やや二日酔いでも、活発な蒸散が復活を早めてくれる(笑)。

これから、お知り合いになったみなさんと本格的に
機会を捉えての情報交流を深めていきたいと思っています。
宮古島や沖縄で、北海道の建築家の名前が出て
お互いの考え方の違いと類似性を確認できたりもします。
北と南でいろいろな違いはありますが、
おたがいの住文化の良い面を交換し合っていくことで
この国に暮らす豊かさを大いに深めていけるのではないでしょうか?
メディアにはこういった役割があるものと思っています。

やっぱり沖縄そば最高!

1829

沖縄滞在も5日目であります。
前日で東北フォーラムご一行、吉野博日本建築学会会長視察同行は
無事に終了し、私的な滞在であります。
沖縄で暮らしている娘との1日。
あれやこれやと、買い物や住宅の整理整頓、大掃除などに。
ひとり暮らしではどうしても手が回らなくなっていることもあるので
家事をいろいろとこなしてやっておりました。
親から子どもに伝えていくことって
さまざまなことがあるでしょうが、
口で言えることなどたかが知れている。
やっぱり一緒に家事をこなしていく中で、あ、そうだと思い起こす。
きのうは、普段は出来ないだろう「大掃除」をしてやりました。
Pカーペットの床の汚れが出ていたので、
洗浄も含めた大掃除を行ったり、カーテンの更新など。
照明も、電球をLEDに更新させたりしました。
そのための買い出しを含めて朝から夕方まで楽しく家事です。
で、わたしも東京での暮らしのときに
母親が大掃除してくれたことを思い起こしていました。
そんな話を娘にするのですが、面白いものですね。
子どもにこんなことをしてあげられるのは幸せであります(笑)。

1828

そんな1日の句読点に、
昼は近くの沖縄そばの名店に食べに行ってきました。
「すーまぬめぇ」という名前のお店。
娘の家から歩いて5分ほどなのに
「クルマで行こう」と。
レンタカーを借りていて、ふだん運転はあんまりしていないけれど
車の好きな娘が1日運転してくれましたが、
道が狭く、駐車場も入れづらいので、ここだけはわたしが運転担当。
那覇の住宅街のなかで、伝統的な赤瓦の古民家。
さすがはわが娘で、「こういう店、好きでしょ?」。
確かに雰囲気も良いのですが、
味は、まさに絶品であります。
風情ある古民家で味わえるのは、ソーキや三枚肉と、
店主自慢のてびちが一度に味わえるボリューム満点のスペシャルそば。
かつおベースのスープとコシのある麺とのバランスが絶妙だ。
というのが、ふれこみであります。
店名は変わっていますが、さてどんな意味なのでしょうか?
そういう詮索をするいとまもなく、
スペシャルそば700円を食べました。
うまさは、言葉では、まったく伝えられません。

やっぱり沖縄そば最高!

沖縄のモダンデザイン住宅

1836

きのうは那覇市周辺の住宅を何軒か、見学しました。
こちらの家は、1軒目に見た住宅。
有限会社門・金城優さんの設計作品です。
建築は独学で学ばれたそうで、就職先として沖縄で設計事務所に入り
その後、イタリアに修行に行って
帰って来てから独立されたという方です。

沖縄の住宅建築の歴史は第2次世界大戦後、
戦争の惨禍からのスタートで、
占領軍であるアメリカ軍の住宅施設建設から始まったそうです。
そこでは米軍のカリフォルニアにおける建築仕様規定が適用されたそうです。
こうした規定はハワイにもあるそうなのですが、
なぜか、カリフォルニアの規定が採用されたと言うこと。
推定ですが、米軍なりに気候風土・材料調達条件などを研究して
より合理性が高いと判断して採用したのだろうと思います。
たぶん、建築材料として木材の入手が難しいと判断し
台風被害への対策が優先されて、
コンクリート住宅が採用されたものと思います。
こうした建築仕様での最初の建築需要を、復興経済として
沖縄の建築業界は生きていくために受注していった。
こうした経緯はある合理性を持っていたようで、今日に至るまで、
9割の住宅がコンクリートで建てられている起因条件になった。
しかも台風への対応が、先験的な与条件なので
その後の住宅「性能」要件においても、ユーザーへのアピールとしても
「より頑丈」という競争が促進された。
その結果、より分厚い、野太い力感優先のデザインが
多くの住宅で採用されていた。

そういうなかで、
基本構造はRCながら、屋根は軽く木造で架ける混構造を採用し
イタリアンデザインらしい、より繊細なコンクリートのディテールを
金城さんは追求されているようです。
写真はリビングへの日射を遮っている長大な庇ですが
これもコンクリートで作っている。
先端部分は、厚みを徐々に低減させていっている。
端部の厚みは25mmということで、
ギリギリの細さで、繊細なデザインを実現させている。
ほかの沖縄のコンクリート住宅が、やや鈍重な印象を与えるのとは対照的。
また、屋根も構造梁端部を鋭角にカットしていて、
どちらもシャープな形態でモダニズムを表現している。
一方で、与条件としての台風対策も
ディテールでさまざまに対応している。

やっぱり、実際に建てられている住宅からは
人間たちの与条件との格闘の軌跡が伝わってきて
まことに面白い。
住宅になぜ、わたしが惹かれているか、
もう一度、再発見もさせられる思いでありました。
で、沖縄の家は、平屋が多い・・・。
いろいろ面白く見学させていただきました。

宮古島から那覇へ

1835

きのうは宮古島での市街地型エコハウス宿泊体験を経て
集合住宅などの事例を見学。
主に公営住宅を見学しましたが、たいへん面白く見学。
なんですが、最近、出張時おなかの調子がよくなくなる。
どうも食べる内容に問題がありそうなのですが、
きのうも見学時、かなりきびしい状況に。
やむなく一行から離脱して、現地の案内者の方に聞いて
周辺の海水浴場のトイレに向かいました。
しかしながら、welcome標識と思いきや、
ご覧のような案内看板。
さすがのわたしもクマとサメはだめであります(笑)。
すごい。
沖縄の子どもたち、泳げない子も多いのは、
海が決して安全とは言い切れないからなのだそうです。

見学終了後、美しいリゾート施設で昼食時、
たいへんきれいな青空の景色を見て、トムヤムクンを食べていたら
「那覇への飛行機欠航」の情報がもたらされました。
まさに「青天のへきれき」。
情報によると、なんでも航空会社SKYMARKの使用機材が故障発生ということ。
で、予定していた13:00ころの時間の機材が宮古島に来なくなって
必然的に出発便もキャンセルになった・・・。
振り替えの時間は、そのあとの17:30だという。
おいおいおい、であります。
そのあとの旅程はきっちり予定されているのでしわ寄せはハンパない。
那覇での建築関係者との会合は17:00スタート予定。
どうやっても間に合うわけがない。
本当に、人生はなにがあるかわからない(笑)。
しかし、幸いにして、午後の予定はおおむね移動だったので、
こういう状況にも、甘んじて受け入れようという余裕がある。
というか、どうしようもないものはどうしようもない。
しかし、そこは団体行動の良さで、
幹事進行役の方が八方努力して
別の航空会社の「キャンセル待ち」に申込みをしてくれました。
会長の吉野先生、発言役の2名と徐々に
別航空会社の便で五月雨式に那覇へ移動しました。
残されたわたしたちは、
空いた時間を同行メンバーのみなさんとの情報交換に利用。
まぁこれはこれで大変有意義でしたが、
16:45のJALでわたしともうひとりもようやくギリギリ搭乗。
別便の航空券は割高になるのですが、
SKYMARKとの「差額」は、SKYMARKが負担してくれるのだそうです。
でも、搭乗時間ギリギリだったので、
まだ残っている団体メンバーの方が払い戻しもやってくれた。
たいへんありがたい。

っていうようなトラブルも発生しましたが、
那覇での建築関係のみなさんとの情報交換会は
まことに活発で真摯な内容でした。
北と南で分かれていて、抱える問題は大きく隔たっていますが
しかし本質的にはどちらもひとの暮らしに寄り添う仕事。
その大きな共通認識が徐々に距離を狭めてくれて
ホンネの話が2次会まで延々と活況を呈しておりました。
人生、いろんな面白さがあるものですね(笑)。

蒸暑8月宮古島市街で無冷房の一夜

1834

さて、きのうから吉野博日本建築学会会長と同行取材の開始。
蒸暑8月の南西諸島・宮古島の「エコハウス」視察です。
詳しくはまた、稿を改めますが、
きのうは、表題のような体験をさせていただきました。
実験住宅であって、宿泊体験も出来るので、
わたしを含めて4人が「市街地型」エコハウスに宿泊した次第。

環境省の「エコハウス」事業では
全国で20箇所でのモデル住宅が建設されました。
そのなかで宮古島市では、「郊外型」と「市街地型」のふたつの
モデルハウスが建てられています。
はじめに郊外型を見学後、市街地型を見学。
郊外型では、周辺にも緑地・サトウキビ畑も多く
緑の総量も多いので、無冷房環境でもいけそうな印象を持ちます。
さらに夕食会場になった「かたあきの里」は、
すばらしい緑地環境の中、降るような星空が感動的に迎えてくれました。
まことに感無量であります。
なんですが、その後の「市街地型」での宿泊への
一抹、どころではない不安感が、酔いを常に醒めさせてくれる(笑)。
日中気温は間違いなく32度を超えていて
そのうえ、湿度をたっぷりと含んだ重たい暑気が不安をいや増す。
無冷房ということで、
基本の涼房は通風によって獲得されます。
台風を考えたRC造に内部は木が貼り込まれたインテリア空間。
夜、宿泊に帰ったエコハウスは、重たい空気感に満たされている。
そのうえ、歓楽街の真ん中に建てられた立地環境からは
外部を通行する人々の視線や歓声などがかまびすしい。
なんですが、こうなれば徹底的にモルモット化しようと
決意して、お風呂に入る。
さすが蒸暑の日中の汗はハンパなく、
ひと目は気にもしている余裕もなく、シャワーが肌に心地よい。
で、歓談後、就寝であります。
しばらく、周辺環境からの騒音が寝付かせてくれないけれど
わたしは鈍感な方なので、眠りに落ちる。
しかし、外部騒音・若者たちの大騒ぎは、増幅されて
「通風」のために全開された窓から室内に響き渡ってくる。
ということで、眠りが浅めのように思います。
というか、気になってなかなか熟睡は出来てはいないようです。
外部の若者騒音は、断続的に朝方3時頃まで続きました。
(ようです・・・よく確認できなかった)
なんですが、4時過ぎ頃からはそれも収まり、
徐々に「通風」も軽く体感できるようになる。
気象台発表も確認していないのですが、
さすがに「市街地型」とはいっても、宮古島市では
朝方は気温が、体感的には5度以上、下がって来ているように感じます。
その「涼気」が肌にまことに心地よく感じられます。
なにやら、「心頭を滅却すれば・・・」の修行のようですが、
それなりに人間感覚はこの無冷房状況に対応を見せるもののようです。

ということですが、
やはり社会的環境、騒音やプライバシー確保の面では
いささか問題でしょうね。
しかし、たいへん貴重な体験をさせていただきました。

伝統的「豪邸」の価値観

1832

さて、本日から沖縄・宮古島へと取材研修出張であります。
現・日本建築学会会長の東北大学・吉野博先生一行での研修視察。
高断熱高気密の家づくりを本願とする寒冷地、北海道東北地域ですが
もう一方の、蒸暑地域でのエコロジカルな住宅探求の実際に触れて
「よき住宅」ということを
もっと広い視野で捉えてみようという取り組みであります。
なんですが、わたしは結構、沖縄に縁があって、
なんども来ていることは、このブログの読者のみなさんはご存知ですね。
ということで、本日からは研修であります。
ただ、団体行動なので、ブログを書けるかどうか不明のため
ブログの「おせち料理」を作っておいて、時間予約でアップするかも知れません。
その節はご容赦ください(笑)。

で、本日が、表題のテーマであります。
写真は、以前に行った北陸地方の「豪邸住宅」です。
北前船交易、あるいはそれ以前からの環日本海交易での繁栄、
または、農業生産力の飛躍的向上による大地主層の形成など、
この地域は、江戸期を通してこういった建築が数多く建築されてきている。
経済的にゆとりを持っていたごく一部の層が存在した。
見学したある豪農住宅では、
一軒の農家で千石のコメ生産を誇っていたのだそうです。
1万石で「大名」だった時代に、そんな繁栄者が存在していた。
こうした経済的成功者は、その時代の文化の粋を集めるのが好き。
なので、この時代のひとびとの心理の中の
「わかりやすい豪華さ」が伝わってくる。
写真は玄関から入ってすぐの土間に繋がる空間。
この家の豪壮ぶりは、高い吹き抜けと、そこに組み上げられた
太い横架材がたくさん貯えられている様子。
江戸の大火が繰り返されることで
常に木材というのは、基本財産であり続けたことは明白。
よくこういった様子に空間的デザイン性を強調する見方がありますが
やはりわかりやすい富の強調だったのだろうと思います。
すべて人力で太い構造材を山から切り出して現地で組み上げるというのは
富裕のわかりやすい表現だったに違いない。

なんですが、
それ以外の、いわば文化的な部分で見ると
茶などの精神性を強調した文化装置が最上位に位置づけられて
その建築的な表現があるほかは、
書院などの様式的な美感の追求や、
ふすま絵とか、屏風絵などのコレクション的趣味生活などに集約される。
たぶん、文化というものも支配の道具として
権力側が管理して存在していた、というように見える。
富の誇示において、個性があまりみられないと思うのです。
まぁそれが、時代というものだったのでしょうね。
逆にひるがえって考えると、
現代住宅は、「こんなふうに暮らしたい」という個性表現が明確、
という「時代精神」をわかりやすく表現している。
そう考えると、住宅デザインの方向性は、
個性表現の方向に向かうであろうことは、確からしく思われます。

還暦過ぎ・疲労軽減の働き方は?

1826

きのうはお盆休暇明けの月曜日。
わたしは前日ややお疲れモードで9時には就寝していたので
午前4時過ぎに起床しました。
まぁ、メチャ早いのは自覚していますが、カラダは軽くなるので
早寝早起きで、別に負担がかかっているわけではない。
で、きのうは朝1番から深夜中に送られてきた重要な文書をチェック。
これは時間がかかるので、内容だけ確認してあとの時間で処理。
それからブログを1時間ほどで書き上げて
早朝散歩に5時半前に出発して6時15分くらいに帰還。
そこから朝の食事の支度。
終わってからシャワーに入って、「花子とアン」を見て
8時半には会社に出社。
連休明けの諸連絡事項をチェックして作業分担仕分け。
終了後、朝会。その後、支店メンバーその他との
テレビ会議を約1時間ほど。
11時には銀行に要件片付けのために訪問。終了は昼。
メシを食べて、小休憩を自宅にて取る。
午後1時には、メールその他での連絡業務、
わたしが分担している編集作業仕掛かり。
で、大体4時半くらいに軽く疲れが沸いてくる。
それをなんとか紛らせて、午後6時から
ある団体の雑誌編集企画会議に参加。
大体2時間ほどで、午後8時過ぎにようやく終了。
ということで、疲労困憊して食事を口に「流し込んで」(笑)
10時前には就寝しました。
まぁ途中、食事などの休憩をおおむね4時間くらいは取っていますが、
午前4時から午後8時半くらいまで、12〜13時間くらいの働き方。
だいたいはデスクワークなのですが、
やはり連休明けだったので、ちょっと多めかも知れません。
最後の会議がなければ、普段は10時間くらいの実働でしょうね。

で、やはり最近、
働き方を工夫しなければならないなぁと思っています。
元気で働けることはありがたいことなので、
長く働けるためにも、
カラダを疲れさせないように、注意しながら働かなければならない。
わたしの場合は、事務所と自宅とどっちでも仕事しているのですが
なるべく自宅で出来る仕事はのんびりリラックスしながら
片付けるように心がけています。
まぁそういう自由業的な部分もある仕事だから可能なことなのですが
自分なりに、考えていかなければと思っている次第。
みなさん、といっても高齢者、還暦過ぎの方ですが、
どんな工夫をされているのでしょうか?
他の人の働き方、知りたいなぁと思っている昨今です。

北海道は野菜が美味い

1821

子どもも大きくなって家を離れたりしてくると
家族単位で行楽に行くというような機会がなくなってくる。
という当たり前のことに、ようやく気付いてくるようになる。
そうすると、夫婦単位や個人として、
ゆったりとした時間を楽しむようになっていく。
そんな楽しみ方に徐々に慣れていく必要があるのだなと思っています。
お盆休暇は、ことしはカレンダーの並びの関係で
けっこうな長さの休暇になりましたね。
みなさんどんな休暇を過ごされたでしょうか?

わが家では、カミさんが日頃の疲れが出て
あんまり出かけられなかったのですが、
でも1日だけは遠出してきました。
で、札幌のガラスのピラミッドにあるフランス料理の店の姉妹店
美瑛の街のお店に行って楽しんできました。
カミさんは炭水化物や砂糖類を摂取しないダイエットを3カ月くらい
やっているので、なかなか外食できなかったのですが、
まぁそのご褒美のように、1日フランス料理ランチに舌鼓を。
レストラン・アスペルジュ/Restaurant ASPERGEであります。
このレストラン姉妹店群では、北海道の野菜をおいしく食べられる。
北海道でなにがおいしいと言って、
野菜くらいおいしいものはない、というように言われていますが、
それを本当に実感できるレストランですね。
上の写真は、「前菜」の料理ですが、なんと20種類の北海道野菜を
それぞれ違った味付けで、でもシンプルに味わわせる1品。
おもしろい香味野菜が引き立て役になって
日頃食べている北海道の野菜が、堂々と主役になっています。

1822

で、メーンディッシュはこちら。
豚肉のハムに半球のタマネギのコンソメ煮が添えられていて
まさに北海道野菜の旨みが迫ってきました。
わたしたちは、いちばん廉価な2600円コースのランチでしたが
野菜のおいしさを引き立てるという嗜好なので
これでも十分すぎるほどの満足感が得られました。
しかし、ダイエット中のカミさんですが
これの付け合わせのパンもまた格別のおいしさで
幸せそうな表情で、楚々としておかわりしておりました(笑)。
よくがんばっているね、というご褒美。
ひさしぶりに楽しく会食できたお店でした。

Facebookがわからない

1814

友人たちとのグループの管理者になってFacebook利用しています。
なんですが、あんまり深くは考えないでやっていまして、
まぁなんとかできるだろう、というノリでした。
実際、普通にはまったく問題はなかったのですが、
先日、ゴルフの会があって、そのメンバーたちのスウィング動画をアップした。
で、自分でもよく憶えていないけれど、
2回ほど「投稿」というか、「送信」というか、
ボタンを押した記憶がある。
それほど問題があるとも思わなかったので、そのままにしていた。
というか、動画を14本も一度にアップした経験はなかったので、
「こんなアラートも出るのかなぁ」くらいにしか感じていなかった。
で、結果としてはグループのみなさんに個性あふれる(?)
各人のスウィングを楽しんでもらったと思っていた。
そうしたところ、あにはからんや、
あるメンバーから、「メールに動画が14本も配信されてきた」という苦情。
その方はゴルフをしないので、迷惑そのものだという意見。
まったくその通りだと思って謝罪した。
・・・まではいいのですが、
今後の対策として、そうならないにはどうしたらいいか、がわからないのです。
「わたしFacebookやってます」という人はいるけれど、
そういったみんな、そんなに面倒なことはやっていなくて、
聞いても、的を得た意見にはたどりつかない。
Facebookにメールを送っても個別の質問には答えられないというメッセージ。
「facebook 動画がメールに配信される」と検索に入力しても
それらしいアンサーにはなかなか巡り会えない。
っていうような状況に陥っております。

たぶん、わたしの「メール設定」によるのでしょうが、
そのあたりを探ってみても、わからない。
また、ある推定に至っても、それを確認するにはもう一度再現させる危険性を
承知の上でやらなければならない。
どうも、Facebookは機能がてんこ盛りのようになっていて、
ふつうのテキストエディターレベルではなく、
Word並みの多機能化に至っていて、
機能が多くなりすぎているのではないかと思っています。
LINEまで単純化は難しいでしょうが、
もうちょっとユーザーがわかりやすいように導く必要があるのではないでしょうか?
さてさて、どうするかなぁ・・・、困ったなぁ。

名家の光芒

1820

ことし訪れた住宅の中でもとくに印象深かったのが、能登の時国家。
家系伝承として、平清盛の弟で、大納言に叙任された
平時忠に出自をさかのぼることが出来るこの家は
確実に千年近く続いてきた名家ということができる。
わたしは住宅のことを仕事にしてきたけれど、
そういう物理的な「家」とは別に、日本人に根付いてきた「家」意識で考えれば、
この「千年続いた家」というのは、格別といえる存在でしょう。
現存する住宅自体は、江戸期の中期以降に建築され、
何回か、手を加えられてきた建物のようですが、
家系としての平家が、今日まで継続してきたのには
その時代にフィットするように、したたかに戦略的に生き延びてきたであろう
そのような気概を感じさせてくれました。
わたしの歴史の先生、故・網野善彦さんの著作を読んでいると
繰り返し、この「時国家」のことが書かれ続けていて、
この家のことが、まるでタイムカプセルのように記憶保存されていく。
前にも書きましたが、平家の伝承を持つ名家として
田中角栄に有罪判決を出した裁判官をこの家は輩出した。
なんども、日本の歴史に名前を登場させている。
たいへん上下対流の激しい日本の社会において、
このように永続しているということに驚き、感動しました。

わたしの仕事としては、「いい家、長持ちする家」みたいなことを
いわば、ものの側面から考えるという作業をしているのですが、
それに対して、この家では、
建築本体もなんども建て替えられてきているようなのです。
記録によると江戸中期以前には、もっと港に面した場所に、
もっと巨大な建物が建てられていたのだそうです。
そういった建築としてではなく、家として存続するには
平家であることを誇りとしながらも、ある時期にはそのことを秘したり、
時代時代の政治の変転の中でも、用心深く対処したりしてきています。
いま、時国家は上下ふたつの「家」になっていますが、
それは、江戸幕府体制の中で、領主である前田家と徳川幕府譜代との
微妙な政治情勢を察知して、保険を掛けるような意味から
当主が長男の息子に家長を譲って、自らは次男の家に移って
家を分割して、どっちの政治権力になっても生き残れるように画策した
そうした痕跡がしるされているようなのです。
そしてあくまでも交易で栄えた平家らしく、日本海交易を経済基盤として
日本の歴史の荒波を生き抜いてきた。
どんな時代になっても、生き抜いていくという経済的なたくましさ。
そういった魂魄のようなものが伝わってくる。
たぶん、3代は続かないような「家訓」とはまったく違う処世訓を
こうした「家」は保持し続けてきたに違いありません。

こういった具体的な家の永続性ということ、
とくに北海道にいると、ほとんど信じられない世界です。
一個の個人としての営為を超えて生き延びる意志のようなもの、
そういう部分を少しでも学びたいと思う次第です。