
かねてから準備が進んでいた北海道ビルダーズ協会のシンポジウム
「北海道の省エネルギー住宅の現在とこれからの課題」が
来週の土曜日、平成27年10月31日(土曜日)13:30〜16:30
札幌市中央区北4条西3丁目1
北海道建設会館 9階大ホールで開かれます。
このシンポジウムは北海道の住宅の作り手たちへ
いまの課題である住宅技術について、ひとつの方向性を指し示すもの。
住宅省エネの基準については、いま国交省が2020年に
「断熱の義務化」を掲げてロードマップも示して来ている一方、
温暖地域で比較的に指標になりやすいドイツパッシブハウス基準も
その目指す方向性への理解が進んできている。
こういった日本の住宅技術をめぐる環境のなかで、
ともすれば明確な方向性が見えにくくなっているのが北海道の現状。
そんな状況にひとつの突破口を見出したいという
多くの住宅技術関係者のみなさんの熱意があって、
今回、北海道の住宅技術研究の先導者としての鎌田紀彦先生と
エコハウスの日本でのありよう、設備のありようを探求する前真之先生の
講演とパネルディスカッションが開かれることになった次第です。
現代日本の住宅技術研究の先端であるふたりの対論は
今回のこの機会がはじめてであり、注目が集まっています。
われわれにとっては、「北海道の」というタイトルがつくわけですが、
しかし同時に、日本の住宅技術革新をリードしてきた地域としての
北海道というとらえ方をすれば、まさに日本全体にとって
先端的な議論、意見交換になることが期待されます。
主催者の武部建設・武部豊樹社長から
おふたりのこの対論への意気込みも聞いております。
おふたりには長くReplan誌面で連載企画を執筆いただいています。
ユーザーをも巻き込んで、住宅性能の向上を願ってきた当誌として
このおふたりは、その方向性を示されてきた存在。
鎌田先生は、もう十数年以前から折に触れて執筆いただき、
とくに「Q1.0住宅」スタート時には、北海道版誌面で
全体を領導されるような原稿を書いていただきました。
また、前真之先生のことを「俺と似たようなことを言うひとが出てきたよ」
と、楽しそうにご教示いただいた経緯があります。
それに踏まえて仙台で「自立循環型住宅・準寒冷地版」発表会の折に
東京が主要活動地である前真之先生に、寒冷地住宅雑誌でありながら、
北海道への研究領域の拡大をお願いし
その後、先端的な研究成果をこころよく執筆いただいています。
いまは、「いごこちの科学・NEXTハウス」シリーズを連載中。
また、鎌田先生も当誌で再び、「Q1.0住宅デザイン論」という連載も
執筆をお願いし続けてきております。
世代的にも20数年ほどの違いがあるおふたり、まさに日本の住宅技術の
現在と未来が明瞭になっていく大きな機会になることを期待して
みなさんにお知らせ致します。内容は以下の通り。
<次第>
主催者挨拶:
北海道ビルダーズ協会 代表理事 武部豊樹 13:30〜
〜第1部〜 13:40〜15:20
講演:(一社)新住協 代表理事・室蘭工業大学名誉教授
鎌田紀彦氏 13:40〜
講演:東京大学准教授 前 真之氏 14:40〜
〜第2部〜 15:30〜16:30
パネルディスカッション
パネラー 鎌田紀彦氏+前 真之氏
コーディネーター 北海道科学大学教授 福島 明氏
お問い合わせは、一般社団法人北海道ビルダーズ協会
電話 011 215 1112まで
Posted on 10月 24th, 2015 by 三木 奎吾
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先日、カミさんの母親と話をしていて気付いたこと。
「最近、新聞を見ていても、どうしてこういうことが起きているのか、
さっぱりわからないんだよね」と端的に言われました。
で、わたしなりのお話しをしてあげたら、
目を丸くしながら、知的興奮を憶えてくれていたようでした。
どんな話をしたかというと、
インターネット時代になって、
既存の日本の新聞メディアは危機に瀕している。
これまでは、情報について読者をリードする独占状況があったけれど、
インターネット時代になって、その独占が崩れ、
読者は幅広い情報を得られるようになった。
もちろんそれは、玉石混淆というよりも、石が圧倒的に多いのだけれど、
ユーザーが自分で情報を取捨選択することを憶えるまでの
試行錯誤期間と考えればいい、というようなことです。
混乱期は一定程度続くにしても、
やがて、理性的に人間は進化していくものだろうと考えます。
とくに日本の新聞メディアは、
インターネット時代になって、それまではそれほど強調していなかった
「主義主張」のようなものを前面に出すようになった。
影に隠れてミスリードするよりは、ずっとマシだとは思うけれど、
論拠の薄弱な主張は、「こうあるべきだ」のプロパガンダになっている。
朝日新聞の直近の世論調査ですら、安倍政権の支持率の方が上昇し、
不支持率を上回っているという結果報道があった。
朝日はあれだけ明瞭な安保法制反対姿勢をあらわに
次から次へと金切り声を上げていたけれど、
読者は安保法制成立1カ月ですっかり常識を取り戻している。
さて非常識だったのはだれだったか、ということが明瞭になっている。
このような「報道姿勢」は、大きな新聞離れを促進させるのではないか。
インターネット時代になって、わたしは、
経済系の新聞のWEBサイトをよく見るようになった。
日本では日経で、海外ではWall Street Journalの日本語サイト。
やはり命から2番目に大切なお金の話を扱う経済系新聞は、
徹底的な「リアリズム」を常に意識した情報が得られる。
冒頭の義母の話からすれば、
「どうしてこうなるのか」という疑問や知的欲求に対して、
経済的な合理性が一番有効な物差しを提供してくれるのだと思う。
日経の記者さんで2014年のボーン・上田賞という
日本版ピューリッツァー賞を受賞した中澤克二さんの本を読んでいる。
「習近平の権力闘争」という本で、Amazonnの宣伝文句では・・・
「これは新たな「文化大革命」か。「反腐敗」で政敵を次々に
摘発、放逐、中華帝国再興の野望を追いながら、
暗殺の恐怖に脅え、側近は「友達」で固める……。
中国最高指導者の知られざる実像と、共産党内部の暗闘に、
ボーン・上田賞記者が緻密な取材で鋭く迫る本格ルポ。
激動の中国情勢を理解するために必読の一冊! 」<以上、引用>
というもので、まだ読んでいる最中ですが、
中国という難しい情報統制の中からでの情報収集ではあっても、
丹念に情報機関の発する小さなサインも逃さずチェックすることで
まことに生き生きとした現代中国の権力闘争を伝えてくれています。
まことに凡百の事実報道だけでは、得られない情報がわかる。
知的な探究心がよくわかる報道者の姿勢だと思います。
こういった出版情報も、インターネットによってもたらされてくる。
結局は情報リテラシーの問題になるのだろうけれど、
これまでのただただ受け身的な情報摂取姿勢ではなく、
自分自身も情報をふるいにかけるという姿勢が求められている。
経済というリアリズムから、現代をつかむのが正道ではないでしょうか?
<写真と本文は無関係〜あえていえば習近平似?>
Posted on 10月 23rd, 2015 by 三木 奎吾
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考古とか歴史とかの専門研究のみなさんの最新知見を
いろいろに興味深く、読んだり聞いたりさせていただいておりますが、
そのなかで、北海道島での住居の変遷でエポックメーキングなことがある。
それは中世のある時期、たぶん最近研究では11世紀から12世紀にかけてと
言われることが多いようですが、
いわゆる檫文時代から、「アイヌ文化」期への転換期に当たります。
この時期に北海道ではそれまでの
囲炉裏+かまどという暖房・調理システムから
かまどが消滅して、もっぱら囲炉裏によるものに替わるのです。
同時に、煮炊きの容器が土器から鉄鍋に替わっていくのです。
さらにそれまでの竪穴住居から、平地式に住宅工法も変化する。
余談になりますが、檫文からアイヌ期へって、この時代区分について、
北海道以外の人、いや、北海道でも歴史に興味ない人には
なんのことか、良く理解出来ないかも知れませんね。
檫文というのは、土器の最後の時代で北海道では、このころまで
土器文化が続いていた。一方の「アイヌ文化期」ですが、
こういう言い方だと、アイヌの人たちはこの時期に突然どっかから
この北海道に移住してきたような印象を与えてしまう。
そうではなく、実際にはアイヌの人たちがその以前からずっとこの地の
優勢民族であり続けていたのが実際であって、いわゆる生活スタイルによる
時代区分として、今に至る「アイヌ文化」の成立という意味合いなのです。
先日のシンポジウムでも民間の方から学会のみなさんに問題提起があった。
どうも北海道考古学の初期段階での「便宜上」の仕分けが
学会内論議を経ることなく、今に至っているということのようです。
で、どうしてかまどが消滅して、囲炉裏に暖房と調理が
一本化されることになったのか、その「どうして」という部分について
突っ込んだ研究は、不勉強で知見がありません。
そういうことなので、今のところは推測で考えざるを得ない。以下、私見です。
それまでの竪穴が平地式に替わったことについては、
江戸時代の北海道探検者たちが、より北方の民族住居について
室内の湿気対策がたいへんで、健康被害をもたらせていた実態について
報告されている文献があります。
「夏の家」と「冬の家」の両方を交互に住み替えている様子を伝えている。
10世紀から12世紀に掛けては気候も温暖期にあたっている。
竪穴は冬場はいいけれど、夏場には生活しづらかったのでしょう。
そこに、本州の和人社会から土器に代わる鉄鍋が大量に移入された。
かまどは、本州地域では農耕による炭水化物食材・コメの炊きあげ用として
強い存続性があったけれど、北海道島ではそういった食習慣はないなかで、
制作も面倒なかまどは、鉄鍋+自在鉤+囲炉裏調理のセットで不必要とされた。
きっと北海道島では、かまどは檫文土器とセットで、それも
鍋料理主体のアイヌの人たちの食習慣では、面倒があったのかも知れない。
かまどは排気を工夫する必要もあって、壁面側に据えられていて
暖房の場である囲炉裏で食事するのに、
いちいち、食べ物を取りに行かなければならなかったのかも知れない。
こういう「キッチン革命」が、この転換の主要因だったのではないか、
そんな素人の妄想を抱いている次第ですが、みなさん、いかがお考えでしょうか?
もし、知見をお持ちの方は、情報をお教えください。
Posted on 10月 22nd, 2015 by 三木 奎吾
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先日、娘と食事に出かけたモエレ沼公園・ガラスのピラミッド。
満腹した後に、腹ごなしに公園を散歩しておりました。
で、ごらんのような光景を見ておりました。
イサムノグチさんのデザインによる公園施設として知られていますが、
行ってきた土曜日、10月17日にはごらんの隣接する噴水も
まだまだ気持ちよく噴き上がっておりました。
HPにはこんなような案内が書かれています。
「自然と一体化できる、美しきガラスの建築物」
ガラスのピラミッドは公園の文化活動の拠点となる施設で、
公園を象徴するモニュメントでもあります。屋外の環境を直接に反映し、
夏には美しい芝生で切り取られた青空を、冬には一面の雪原の美しさを、
公園の風景と一体になったかのような感覚を味わうことができます。
ガラスで構成されたアトリウムは、「ピラミッド」と聞いたときに
思い浮かべる四角錐状ではなく、一辺が51.2mの三角面と四角錐、
立方体が組み合わされた複雑な形態となっています。
形状は違えども、設計当時建設していたノグチの若き友人である
建築家I.M.ペイによるルーブル美術館のガラスのピラミッド(パリ、1989)への
オマージュとも言えるでしょう。
館内にはレストランやギャラリー、ショップ、公園管理事務所が入っており、
週末には音楽やダンス、美術の展覧会なども開かれます。
また、環境負荷配慮のために館内の冷房システムに「雪冷房」を導入している
ことでも注目を集めています。
っていうようなことなのですが、
やはり単純形態の惹き付ける魅力は、さすがであります。
札幌はドライな暑さの夏を持っていますが、
欧米と似通った気候風土であり、こういった幾何形体も似合っている。
北海道らしい景観の中に、単純な幾何形体を持ってきた構想力はすばらしい。
まぁ寒風吹きすさぶ真冬には、あんまり来たことはないのですが、
そういうブリザード感も悪くはないのかも知れません。
一方で、札幌で誰かを食事に案内するときに、
ここのフレンチレストランは、やはり鉄板的な存在。


北海道の素材を使った楽しいメニューは
どれもこれもが、まったく美味しく美しい。
まさに「たまに行くならこんな店」でして、今回もたっぷり楽しめました。
自分でも料理が大好きなわたしとしては、
毎回、食べる度にいろいろと刺激を受けるお店であります。
Posted on 10月 21st, 2015 by 三木 奎吾
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どうも最近、瞬間的な「見切り」の感覚で現実とのズレを感じます。
日常生活で、ふつうに階段を上るとき、
つい踏み込み板の小口に躓いたりする。
どうも、ふとした「見切り」の見誤りが増えてきている。
やはり体動作上での、自分自身での筋肉使用感と
実際の物理的動作の間に数ミリ単位でのズレが、
主に老化原因で出てくるのかも。
「おっとっと」とバランスを取って、体勢を立て直せるのでまだいいのだけれど、
今後、この「体勢を立て直す」方の感覚が衰えてくることもありえる。
そんなことが、数日に1回くらいは起こるようになっている。
で、そういった体動作ばかりではなく、
見切りのいちばん必要なクルマの運転でも、
きのうはちょっと要注意ということがあった。
普段はさほど通行量の大きくはない4車線交差点で、やや多めの通行量。
わたしは右折車両の先頭車で、前方対向車線からの車両群の
通行の切れを待っていた。
対向車線側では、右折待ちの先頭車両は大きめの車体で、
その後続はよく見えない状況。
で、対向車線側では向かって右の、左折もしくは直進の車線側で
左折車が2~3台たまった状態になった。
信号は変換時に右折矢印案内が出るタイプではなく
赤になるとそのまま通行できなくなるタイプ。
そういう意味で、交差点内からは早めに離脱しなければならないし、
わたしの後方にも3台くらいの右折車両が後続車両がある。
右折して進入を考えている道路は幅の広い2車線道路であり、
その右側車線であれば対向車線・左折車からも邪魔にはならない。
こういう状況では、対向車線側右折車の後ろの状況を確認しながら、
「すみやかに交差点を離れる」方が通行の妨げにならないと判断して
右折を開始した。
<まぁ、対向車線の左折車が完全に全部終わってからでなければ、
こちらは交差点内に止まっていなければならないのかも知れませんが・・・。>
そうしたところ、対向車線の右折車の後方から
左折車群とのすき間を急ハンドル操作ですり抜けた車両が
速度を速めて直進、それもわたしのいる道路中央側車線に向かってきた。
そういう状況で、わたしは急遽クルマを停止させ
その対向車をやり過ごしました。
状況からすると、わたしの方に前方確認不注意があると思われる。
普段からときどきは通る交差点であり、
それほど通行量がない交差点だという感覚があって、
無意識で、「見切り」を行ってしまったように思います。
幸いにして事故に至るようなことはなかったのですが、
この場合、対向車線右折車の後ろに、
直進車があって、それが速度を上げて交差点に入ってくる可能性を
「普通、そんなことはないだろう」という見切りをしてしまったのですね。
普段の通行状況から考えてありえない、と判断してしまった。
こういう経験をして、どうも自分の安全限界の見切りについて
やや深く反省の思いを持った次第なのであります。
より慎重な運転、危険を避ける運転を心がけていきたいと思います。
Posted on 10月 20th, 2015 by 三木 奎吾
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以前も話題になっていたけれど、
ふたたび読売新聞に、記事が掲載されていた。
青森市中心部の商業ビルの競売不調のニュース。
以下、YomiuriOnlineから要旨抜粋。
買い手つかぬ駅前ビル、特別売却2度目も空振り
競売にかけられながら買い手がつかないでいる青森駅前の
「サンフレンドビル」(青森市新町)を巡り、青森地裁が8~13日に実施した
2度目の特別売却も“空振り”に終わったことが14日、分かった。
地裁が買い手を募ったのはこれで4回目。債権者側が競売の申し立てを
取り下げるなどしなければ、値下げした上で3度目の入札となる見通しだが、
隣接する複合商業施設「アウガ」の経営不振など青森駅周辺では
暗い話題が続いており、この先も買い手が現れるかどうかは不透明だ。
5~6月に行われた1度目の入札と先着順による特別売却で
設定された下限額は約1億3700万円。しかしいずれも購入希望者が現れず、
地裁は9月18~29日、下限額を約8200万円に下げて再び入札を行ったが、
これも参加者ゼロで終わった。このため、再び特別売却で購入者を募ったが、
やはり希望者はなかったという。<以上、引用>
1988年建築で、地下1階地上8階建て。
敷地950㎡もついているということだから、単純に土地代だけとしても、
坪単価で285000円前後という計算になる。
そこに上物のビルがついている。築年数も27年と言うことだから、
建築基準法に準拠していれば、まだまだ十分使えそうな建物だろう。
裁判所は、これからさらに値下げして入札を行うのだろうけれど、
わたしも何度も訪れているが、確かに青森の中心市街地は、
どういった都市計画が計画されていたのか、どうもよくわからないところがある。
なんといっても、中心市街地といってもバス以外の都市交通が不明。
わたしも青森駅前から、「港町」まで行く用事がちょこちょこあるけれど、
バス交通すらまったく路線がなく、
タクシーしか足がなく、とにかく便利が悪い。
港町にはそこそこビジネス人口もあると思われるのだけれど、
都市計画、運営の方向性がそこには向かっていない。
結局クルマしか交通手段がないのであれば、
ビジネス的にはわざわざ中心街区でなくても、集客は可能な時代。
どうも魅力づくりの根本において、戦略的失敗を重ねていると思われる。
ともあれ、地方都市中心街というのは、
今後、こういうきびしい現実から逃れることは難しいだろうと思われる。
そもそも、都市運営を役人に任せている時代は終わったのではないだろうか。
地方の首長には、政治党派的主義主張はあまり必要性がない。
それよりも、都市の魅力プロデュースのような能力が
いちばん求められていると思う。そのスタッフ能力も考えなければならない。
たぶん、そういった人材育成もなにもなされてきていないように思う。
「都市経営」というような視点からの再構築が、全国の地方都市には
いま必要だと思いますが、みなさんいかがお考えでしょうか?
Posted on 10月 19th, 2015 by 三木 奎吾
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今週から来週にかけてが、
今年の紅葉の札幌でのピークだそうであります。
朝はたいへん寒さが厳しくなってきていて、
散歩にはダウンジャケットを着込んで行っております。
ダウンジャケットと言っても、そこそこ軽めの時期向けのモノと、
重装備系のものとがあり、もちろん軽めの時期用ではありますが、
場合によってはフードも頭からかぶって、
かなりの防寒仕様のいでたちになって来ています。
こうした寒さが、紅葉をいちだんとあざやかに染め上げるのでしょう、
1日ごとに色めきが増してきて、艶やかな色彩が体を包み込む。
内面側からも、朱色に染め上がっていくかのように思われます。
足下の落葉も徐々に積層感が増してきているようですが、
落葉の進展をパーセンテージで表すと、
ある時点で、20%から一気に70%くらいまで進む瞬間がありますが、
まだ、いちどきにどっと落葉したという、あの豪奢な感じはありません。
でも、その瞬間がいつ来るのか、予感はある、といったところでしょうか。
きっと、ある寒い朝、そういった光景が一気に訪れるのかも知れません。
わたしは札幌でも自然環境がそこそこ保持されている
西部地域に住んでいるのですが、
自分自身は、JR駅も地下鉄もあり、高速道路へのアクセスも近く、
そういった現代都市的な移動自由度が高くて
しかも北方日本の自然のうつろいも感受できるこのエリアが大好きであります。
寒さや雪への対応を、いつも意識しなければならないのは当然の場所ですが、
しかし、生活の心理で夏場・冬場という明瞭な区切りがあるのは
ある意味、本当にしあわせなことだと感じております。
今の時期だと、いつスタッドレスタイヤに履き替えるかとか、
暖房のレベルをどのように調整するかとかを
日々の歳時記のように検討することが、
ある緊張感を伴っていて、凜とさせてくれる部分がありますね。
さて、きょうは里帰りしていた娘を送っていきます。
錦絵のような北の景色を見てこころの手土産にして欲しいです。
Posted on 10月 18th, 2015 by 三木 奎吾
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先日の白河出張の帰り、けっこう好きな宮城県南部の田舎を走りました。
この地域は、東北北部地域とは違って
古くから律令国家体制が根付いている地域だと思います。
米作を中心とした経済発展が早くからあって、
そういう時代からの文化の名残のようなものが
どことなく残っているように、わたしには感じられるのであります。
先日触れた、宮城平野に水利をもたらせた水神信仰の神社とか、
そういった米作文化の初源のようなものを感じる次第。
温暖な気候風土とおおらかな地誌自然が、
なにか、ノスタルジーを刺激してくれるように思うのですね。
たぶん、福島県中通りの地域とも通ずるような生活文化風土。
そんな田舎道を走っていたら、
古民家なんとか、という看板と建物があったので、
つられて見学して来てきました。
どうもおそば屋さんと併設しているもののようですが、
あんまり来客がないようで、施設の一部は機械が壊れていました。

古民家の内部なんですが、
この画像の中にいる「おばあさん」が人形で、
これがしゃべるようになっていたけれど、
どうも壊れてしまって、ただ不気味に(笑)端座するだけになっていた。
そういったことが不評になって、客足が遠のいたのか、
そもそも古民家の老婆人形というのも、かなり微妙ではある(笑)。
たぶん、ノスタルジックな「日本昔話」的ノリだったのでしょうが・・・。
というやや、残念感も漂ってはいた次第ですが、
古民家外観の大屋根のみごとな三角を基調とした造形の美しさ、
さらに2つの丸を見せている水車、
そして古民家内部の木組みが表れた室内の四角と、
丸・三角・四角という「かたち」の基本形がみごとに造作されている。
そんなことに気付いた次第であります。
わたし、なんとなく、この3つの造形は黄金律ではないかと感じている。
わたしたちが古民家に魅せられる心理の中に、
こういった、素朴だけれど、人間の生み出す初源的デザイン志向が、
力強いメッセージとして無意識の部分で受け止めているのではないか、
そのように感じたのであります。
秋のたおやかな陽射しの中で、穏やかなデザインにふれていました。
Posted on 10月 17th, 2015 by 三木 奎吾
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つい先日まで半袖しか着ていませんでしたが、
あっと思う間もなく、初雪の便りが聞かれるようになり、
日々の散歩路もごらんのような色づきを見せております。
きのうの社内の会議ではもう忘年会のことが確認もされていた。
まことに季節の巡りは駆け足であります。
ことしの秋、札幌地方はなぜか雨が続いていて
それも朝方雨ということが多くなっております。
なので、散歩にはなかなか出掛けられない日々が続いています。
まぁそうでなくても、娘が帰省していたりで
家族のために食事の支度などをするのが楽しくて
自分のことよりも、そっちの方が優先されることが多くなっている。
しかし、先日も友人と話していて
旅先で一番感動するのが、朝日が出たとか富士の山が見えたとか
夕陽の美しさに感動したとか、
どうもそういう単純なことについには、無上の感動を覚えるようになる。
自然のうつろいを肌で感受するようなことが
いちばんこころを満たしてくれる契機であるのかも知れません。
この季節の、どんどんと寒さがつのっていく感じは
やはり北海道でしか感覚できない独特のもの。
そういった視覚体験、体感といったものが、
人間活動の大きな資産にもなっていることが
自然と理解出来るようになっていくものだと思います。
道が雪に閉ざされるまで、いや、閉ざされても
多くの人がそこに道をつけてくれる営為があるのですから、
日々の自然感受機会、今季も続けられるだけ、続けたいと思います。
Posted on 10月 16th, 2015 by 三木 奎吾
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写真は先日訪れた母校・國學院大學博物館に収蔵されていた展示。
「北野天満宮瑞饋祭瑞饋御輿」模型とされていました。
京都の北野天満宮で10月1日から4日間行われる神事。
ずいきで神輿 (みこし) の屋根をふき、種々の野菜で装飾したものを
「ずいきみこし」といい、神体の行列のあとから担いでまわる。
っていうことなんですが、
わたしはこの御輿を見ていて、今更ながらではありますが、
日本の木造住宅文化について、ついつい考えさせられておりました。
教科書で埴輪の写真を初めて見たときから、
そのなかには家型のものがあって、
木造の、それも白木を構造材として使った建物が
ニッポン文化の中で「神宿る家」として
イメージに刷り込まれ続けてきたことに思いを致させられる。
「神棚」のイメージそのものであるワケですが、
一般人よりも3段くらいの「高殿」に鎮座している。
こういうイメージを刷り込ませた背景には、それまでの時代には
普通の住宅は竪穴住居であったに違いなく、
そういうものとの違いを、高さで表現していたということなのか、
「仰ぎ見る」という視覚効果を強制したのか、
などと妄想を膨らませられていた次第なのです。
そういえば、吉野ヶ里遺跡には復元建物として、
政庁とおぼしき高殿と、通常の生活空間であった竪穴住居が
併存的に建てられていました。
竪穴などの構造柱や梁などは、自然木が枝打ちされた程度で使われるのに
権威付けされた建物では、白木であったに違いない
構造部材が使用されていた。
常成らざる神聖感を表現するのに、ニッポンでは、
初源的にこういった建築デザイン手法が使われてきたのだろうか。
たぶん、はじめてこういう白木の構造材の建物を見ると
その美しさとともに、そこまで手が掛けられていることに
人々は驚きを感じたモノかも知れない。
ただ、こうした地面レベルからある高さを確保する建物は
どうしても高温多湿型の気候風土にジャストフィットした形式であろう、
というような類推を抱かざるを得ない。
竪穴住居が無意識に目指していた居住性よりも、
高倉造りにみられる通気性、見た目重視の意識伝統をそこに感じる。
こういった形態の御輿を、ニッポン人は千年以上も長きにわたって
崇拝し続けてきたことの重みを、そこに見る思いなのであります。
Posted on 10月 15th, 2015 by 三木 奎吾
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