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ニッポンの神宿る家・御輿

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写真は先日訪れた母校・國學院大學博物館に収蔵されていた展示。
「北野天満宮瑞饋祭瑞饋御輿」模型とされていました。
京都の北野天満宮で10月1日から4日間行われる神事。
ずいきで神輿 (みこし) の屋根をふき、種々の野菜で装飾したものを
「ずいきみこし」といい、神体の行列のあとから担いでまわる。

っていうことなんですが、
わたしはこの御輿を見ていて、今更ながらではありますが、
日本の木造住宅文化について、ついつい考えさせられておりました。
教科書で埴輪の写真を初めて見たときから、
そのなかには家型のものがあって、
木造の、それも白木を構造材として使った建物が
ニッポン文化の中で「神宿る家」として
イメージに刷り込まれ続けてきたことに思いを致させられる。
「神棚」のイメージそのものであるワケですが、
一般人よりも3段くらいの「高殿」に鎮座している。
こういうイメージを刷り込ませた背景には、それまでの時代には
普通の住宅は竪穴住居であったに違いなく、
そういうものとの違いを、高さで表現していたということなのか、
「仰ぎ見る」という視覚効果を強制したのか、
などと妄想を膨らませられていた次第なのです。
そういえば、吉野ヶ里遺跡には復元建物として、
政庁とおぼしき高殿と、通常の生活空間であった竪穴住居が
併存的に建てられていました。
竪穴などの構造柱や梁などは、自然木が枝打ちされた程度で使われるのに
権威付けされた建物では、白木であったに違いない
構造部材が使用されていた。
常成らざる神聖感を表現するのに、ニッポンでは、
初源的にこういった建築デザイン手法が使われてきたのだろうか。
たぶん、はじめてこういう白木の構造材の建物を見ると
その美しさとともに、そこまで手が掛けられていることに
人々は驚きを感じたモノかも知れない。

ただ、こうした地面レベルからある高さを確保する建物は
どうしても高温多湿型の気候風土にジャストフィットした形式であろう、
というような類推を抱かざるを得ない。
竪穴住居が無意識に目指していた居住性よりも、
高倉造りにみられる通気性、見た目重視の意識伝統をそこに感じる。
こういった形態の御輿を、ニッポン人は千年以上も長きにわたって
崇拝し続けてきたことの重みを、そこに見る思いなのであります。

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