
きのうは夕方5時過ぎから夜10時過ぎまで
2年間にわたって行われてきた東大工学部・前真之研究室による
北海道の高性能住宅の実測調査についての発表会が
当社2階のイベントスペースで行われました。
北海道の高断熱高気密住宅技術については、これまで
地元の官・民・学の底の深い情報共有体制が、
その基盤を支えてきたと思います。そのなかで
国を挙げての「省エネ」への取り組みの本格化を背景にして
とくに住宅設備研究の最前線に立つ東大工学部・前さんが
北海道の積層した住宅研究、技術について深く探求されていることは
日本全体にとって、たいへん有益な動きであると思います。
きのうの「発表会」では、これまで抽象的にしか語られなかった
「温熱環境」についての詳細な検証が、
それぞれ具体的な数値に置き換えられて
明示的な「性能の解析」が浮き立ってきていました。
それぞれの対象の住宅建築が持つ微細な特徴レベルのことまで
しっかりとした科学的根拠で共有認識として論議できる。
Q値が1を切るようなレベルの住宅であっても、
その設計の細部の仕上げ方で、微妙に熱的なふるまいに違いが出る。
これまでは設計者の感覚的な領域でしか知り得なかったような部分も
かなり具体的に見えてきている実相が見えてきます。
こういった交流から、さらに
今の現状を前に進めていく可能性が広がると確信できました。
この研究は、前研究室の若い東大生のみなさんがスタッフとして
関わってこられていました。
メインになって調査に当たっていた米澤さんも、この報告会が
最後の関わりだそうで、この春には
大阪の設計事務所への就職が決まっているそうです。
温熱研究を通して、感覚として住宅性能を体験したこうしたみなさんが
日本の住宅環境を変えていく大きな力になるのだろうと思いました。
また、これからは新しいスタッフの方が、継続されていくということ。
帰り、ホテルまでお送りする車中でも、
いろいろな質問がわたしにも寄せられて、楽しい時間を過ごせました。
感受性のやわらかなみなさんの視点もまた面白い。
今後とも、日本の中心的な研究機関と北海道の交流が
永続的なものになっていくことを期待したいと思う次第です。
参加されたみなさん、たいへんお疲れさまでした。
Posted on 2月 13th, 2015 by 三木 奎吾
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きのうは休日ながら、夕方から
東大・前准教授、北海道科学大学・福島先生、北大・菊田先生を交えた
懇親会が催されました。どなたも住宅研究の最先端のみなさん。
前准教授は、本日、わたしどものReplanオフィス2階で
札幌地区で調査している住宅の温熱環境についての研究発表会を
予定していて、その前夜祭のような位置づけ。
住まいと環境 東北フォーラム事務長の酒井さんのプロデュース。
かれは、北海道の工務店グループ「ソトダン21」の世話役も兼ねているで、
そのメンバーを中心に、全員で12名ほどの宴会でした。
で、会場になったのが、ごらんのような穴蔵的空間。
札幌二条市場に対面した名前も不明の雑居ビル。

なんでも、住宅技術評論家の南雄三さんも
よく利用されているお店だそうですが、
人ひとりがようやく歩いて行けるような細い廊下を通って
いちばん奥に鎮座している洋風居酒屋といった風情のお店であります。
ビストロなんとか、という名前でしたが
申し訳ありません、名前はお酒とともに忘却の彼方へ(笑)。
こういう細道を通って、狭い穴蔵のような天井・壁の空間に至る、
というのは、舞台背景としては悪くない。
会食中、気になって壁をさわってみたら、みごとに結露水が
表面を覆っていました(笑)。
建物は木造とおぼしいのですが、壁はモルタルのような仕上げ。
前先生常備の表面温度計で見てみると
外壁に面した方の表面温度は17度ほど。
たぶん6畳間程度の空間に12人も集まって歓談すると
あっという間に換気不足になって、結露するようなのであります。
まぁ、そういう調査もこの会合では、格好のネタで、
爆笑が繰り返されておりました。
夕方5時から9時過ぎまで、歓談が尽きることなく
ふと、利休さんの茶とか、茶室とかは、こういった雰囲気を差しているものかと
思い至っておりました。
狭さは、ある意味で親近感を否応なく作り出す装置。
北海道の住宅は、限りなくワンルームの広さを求めてきた家づくりでしたが、
そういった文化の中にいると
かえってこういう狭さ・穴蔵感が珍しく、面白く感じられました。
さて、本日は遅れに遅れた週末の講演の準備を
絶対に仕上げないとまずい状態であります・・・(泣)。
なんですが週末に向けて、あれこれ、会合は続いて参ります・・・むむむ。
Posted on 2月 12th, 2015 by 三木 奎吾
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わたしどもでは、「青森地区限定」で、高断熱高気密住宅を啓蒙する
住宅マンガを制作し、頒布しております。
青森県内からのリクエストにお応えして発行しているのですが
おかげさまで好評で、2012年から現在まで4冊発行してきていて
4年間で、5冊発行している計算になります。
青森県庁などからも発行の度に、いろいろにご利用いただいたり
県の住宅イベントなどを通しても頒布されています。
その最新刊の第5号を、きのう上梓いたしました。
北海道から青森県に移動して、冬場に住宅街を歩くと
軒先からの「氷柱」の多さに驚きます。
街中のホテルに宿泊することが当然に多いのですが、
窓から外を見ると、木造の建物でびっしりと張り付いた氷柱が目に入ってくる。
いま、札幌市内でこういう光景はなかなか見ることが少ない。
というか、ほとんど氷柱は絶滅しつつあるのが、北海道的現実。
ご存知のように、氷柱は、住宅の断熱不良が結果するものなのです。

これは、マンガでの「説明部分」ですが、
本州地域の方には、こういうメカニズムについての共通認識はない。
まぁ確かに積雪がなく、冬場の温度低下がそうでもなければ
このような氷柱の問題は表面化しないと思いますが、
しかし本州地域でも、少なくとも東北・甲信越・日本海側地域では、
こういった問題はきわめて一般的な「住宅問題」。
だから、住宅の断熱・気密技術がすべての基本に必要なのですが、
青森県では残念ながら、むしろ顕著に無自覚割合が高い現実があるのです。
こういう住宅では、暖房効率は極端に悪いので
省エネで考えても、放置できるようなことではないのです。
住む人には、冬場の暖房費が重くのしかかってくる。
さらにこういう住宅は、木材の腐朽などが進行して、寿命も短い。

マンガの中では、主人公のうら若い女性建築士が
こうした住宅の現状改善に毎号、敢然と立ち向かっているのですが、
その様子がヒューマンタッチで描いてあります。
わたしが原作を書き、プロデュースもして
マンガは、札幌在住の西澤大さんという方にお願いしてきております。
ありがたくも、室蘭工大・鎌田紀彦名誉教授にも読んでいただいて
わかりやすいと評価いただきました。今後、電子書籍化も検討中であります。
1号は、住宅性能と2世帯同居
2号は、省エネ
3号は、高齢者と高性能住宅
4号では、性能向上リフォーム
5号では、賃貸住宅の未来形
というようなテーマ内容になっております。
1号は残部僅少なのですが、
2号以降は、ご希望の方には全国のみなさんにも
送料込み1部・600円で頒布も致します。
メール miki@replan.co.jp
まで、「マンガ希望」と書いて希望をお寄せください。
まるでセールスのようで恐縮ですが(笑)、
むしろブログ読者のみなさんとの交流の方が大きな希望です。
楽しく高断熱住宅が理解出来る素材として、ご利用くだされば幸いです。
Posted on 2月 11th, 2015 by 三木 奎吾
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日本史の中で、料理のことで一番のイベントと言われたら
やっぱり本能寺の変の直前の
信長による、家康供応料理なのではないでしょうか?
食いしん坊のわたしですが、
このイベントのことを司馬遼太郎さんの小説で読んで
いまにも、よだれが落ちてきそうで(笑)
死ぬまでにいっぺんで良いから、こういう料理を食べてみたいと
何度、妄想してきたか、わかりません(笑)。
そんな欲求、妄想にほんの少し、
リアリティを持てたのが、「信長の館」での展示でした。

この信長による家康供応は、安土でのこと。
前年に武田家が織田・徳川・北条の3カ国連合によって殲滅され、
それに信長も出陣しての帰途、富士山見物をしたいと
家康の駿河・遠江・三河の領土を
物見遊山しながら旅したことへの返礼だったと言われます。
織田ー徳川の連合は、信長が一地方権力者から
「天下静謐」を担う、天下人になることによって、
家康がその「臣下」になっていく直前段階だったのだろうと思います。
ひとを完全に道具と見なして、その能力発揮を
極限まで追求してきた信長と同盟関係を維持してくることは、
家康にとって、なまやさしいことではなかっただろうと思うのですが、
そういう部分を信長も、家康の態度に見続けていたのだろうと思います。
展示されていたメニューは、それこそ山ほどどっさりだったのですが、
その一部を写真に納めてみた次第であります。
それにしても、全部チョーうまそうであります(笑)。
Posted on 2月 10th, 2015 by 三木 奎吾
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土曜日、マッサンブームに沸く北海道余市町を訪問。
「オチガミ ワイナリー」でのランチがメインで行ってきたのであります。
とっても美味しかったです(笑)。よかった。
でも、土曜日のお昼時間にしては席もゆったりしていて、
札幌から1時間はかかる場所だから、どうなんだろうかなぁと・・・。
このレストラン、北海道でいまブームになりつつある
ワイナリーの嚆矢のような存在。
気候風土的に、ワインは北海道によく似合うようなのであります。
農とその加工産業、北海道には似合う存在だと思います。
ぜひ、大いに盛り上がって欲しいですね。
お天気がよくて、雪に反射する照り返しがまぶしく、
大きな開口に面した気持ちの良いテーブルでしたが、
薄目でしか、外を見ることができませんでした(笑)。
やや早いのですが、これから「光の春」が北海道にはやってきます。
この季節がわたし的にはなかなか好きであります。
関東の冬の陽射したっぷりの季節感もいいと思いますが、
真っ白な雪原の照り返しの光の春は、またいいものがあります。
この光の春が、だんだんと勢力を増していって、
北国の春になるのですが、この季節感のグラデーションも格別。
そんな気分もいっしょに愉しめた次第であります。
その帰り道、
久しぶりに余市のニッカさんに行ってきました。
折からの「マッサンブーム」であります。
たくさんの人が集まってきてくれていて
まことににぎやかでご同慶の至りであります。
郷愁を誘ってくれる洋風建築群がなつかしく迎えてくれます。
写真は、リタの家、と書かれていましたが、
スコットランドからやってきた竹鶴さんの奥さんの郷愁を慰める建築。
風景にこうした建築が似合う北海道で
彼女、どんな思いで暮らしていてくれたものでしょうか?
ドラマのエリーさんにイメージをダブらせながら、
楽しい空想に浸らせていただきました。
さて、本日は青森に来ております。東奔西走。
きょう、市内での打合せを済ませたら、トンボ帰りですが、
雪祭りの影響で列車が満員で、きのうは朝早くの移動でした。
仕事も春に向かって、まっしぐらで多数同時進行。
がんばらねば、というところであります。
Posted on 2月 9th, 2015 by 三木 奎吾
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日本のメディアとはいったいなんなのだろう?
一部メディアと一般人との受け止め方の乖離ぶりに愕然とさせられる。
殺害以降、メディアでは後藤氏は崇高なことに殉じたのだといわんばかりの
そういった報道の垂れ流しを繰り返していた。
死者への鎮魂や配慮、美化一般を否定はしないけれど、
どうして後藤氏のことを、いまそこまで賛美する必要があるのか?
イスラム世界のこどもたちの状況を伝えたいという気持ち自体は
かれは確かに持っていたのだろう。
しかし、それだけでかれが行動していたのではないことは明白だ。
渡航には費用もかかるだろうし、現地で案内人も雇うだろう。
そのお金は、どこかのメディアがカネを出して、
その情報を買ってくれる、そういうシビアなビジネスとして
かれは、このような危険を掛けても、こうした地域に入っていったのだ。
疑う余地なく、基本的に「下請け」報道ビジネスなのだ。
すでに週刊文春で「10分300万円」という具体的報道もあった。
どうしてその主要な動機を希薄化させて、戦場と子どもたちの実態報道
というきれい事ばかりをメディアは言い立てるのか。
推測を交えることを許されるならば、やはりメディアはこれまで
後藤氏から「買った」映像を繰り返し使ってきた経緯があって
それを自ら免罪する目的で、
「戦場でのこども」報道という人道目的とアピールしているのではと、
あらぬ懐疑まで、抱かざるを得ない。
欧米メディアからは、そのような危険を冒しての映像を今後購入しないと
宣言するメディアも出てきている。
そういった動きと比較したとき、テレビ朝日をはじめとする
日本の一部メディアの人道目的賛美に隠された真意について、
違和感と懐疑は、強くなってくる。
「I am KENJI」というメッセージとアナロジーさせて
「I am not ABE」と、
いまこの時点でアナウンス拡散するに至ってはやや言葉を失う。
テロで自国民が殺された結果を受け、自国指導者を非難するのが先とは・・・。
国際的に見ても、相当の違和感を禁じ得ない。
今朝の読売新聞で、直近の世論調査結果が発表されている。
〜危険地域のテロ被害「責任は本人にある」 83%
海外の危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、
「最終的な責任は 本人にある」とする意見についてどう思うかを聞いたところ、
「その通りだ」が83%に上り、
「そうは思わない」の11%を大きく上回った。
安倍内閣の支持率は58%で、
前回調査(1月9〜11日)の53%から5ポイント上昇した。
不支持率は34%(前回38%)だった。〜<要旨抜粋>
もちろん、少数の意見も大切だとは思うけれど、
このあたりが、やはり中庸な日本人の
多数派の意見の所在だと、確認できるのではないだろうか?
Posted on 2月 8th, 2015 by 三木 奎吾
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先日の北陸出張時、見学した金沢城であります。
前回行ったときには、いわゆる観光地にはあんまり足を向けなかった。
しかし金沢城は、再建に当たって建築当時の「技術の再現」を
大きなテーマにして取り組んだということなので、
木造技術のお勉強と言うことで行ってみた次第。
外観写真は、菱やぐらという場所でして、
まぁ美しいシルエットを見せてくれているのですが、
軍事的なこの城の要衝で、北方・能登からの既存地元勢力に対しての
備えが、最大目的だった建物だそうです。
実は、この建物、構造材がすべて「菱形」のものを使っているのだそうです。
そんなヘンなかたちの材料を、組み合わせていくのに、
まことに精緻・絶妙な「木組み」で造作されている。

展示の中では、この木組みの様子をビデオ映像で
イメージ解説しているのですが、
金物1本使わず、木組みだけで仕上げている。
超複雑なレゴ構造になっているのですが、
こんなのどうやって考えたのか、ほとんどマジックショーであります(笑)。
ボランティア解説の方の説明では
構造的な強度を増すのだとか、あるいは軍事建築技術として
前田家オリジナルな木組み技術を凝らした、とも言われている。
でも、目的自体はどうもあいまいな闇の中、ということのようです。
加賀100万石ということで、
江戸期を通じて幕府からの監視が厳しかったことから
保守すべき軍事技術として、このような複雑精巧な技術を
ながく伝えていくために、
あえてこうした複雑な木組みにしたのかも知れません。
今回の復元工事でも、
こうした前田家の伝統が生きていたのか、
石川県の木組み技術の再生延命のために、地元の大工さんたちが
精巧に昔の木組み技術の伝承を大きな目的として
取り組まれたのだそうです。
ややアンビバレンツで複雑な気分にはなりますが、
まことに、戦争というのはさまざまな産業技術にとって
不可欠な発展要因であるのでしょうね。
不断にこういう技術伝承をしていたから、前田藩の平和な藩風もまた
涵養されたものかも知れません。
アヒルの水かきではありませんが、目に見えない部分の
軍事的緊張感が、平和な社会実現には
むしろ絶対に欠かせないのだと思います。
そういう先人の教訓は、きちんと見なければならない。
Posted on 2月 7th, 2015 by 三木 奎吾
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日経の「ケンプラッツ」に掲載された記事です。
”「生きる」と「働く」を重ね合わせる” という記事でした。
〜本当は建築が好きで勉強を始めたのに、気がついたら
たいして楽しめなくなっている。
仕事も同じで、自分にとって関心の強い対象であるほど、
既存に用意されている枠に従ってしまうと、
そういう矛盾が生じやすいんじゃないか〜
っていうような部分、好感を持って読んでいました。
どうしても、最近で言えば「リクナビ」的な範囲でしか、
仕事を選ぶという選択をしなくなっているのが多くの趨勢だろうけれど、
でももっと「生き方」に向き合えるような仕事への姿勢もあると思う。
もうちょっと自由な、カタログ選択的ではない「選択可能」な生き方だってある。
こういうふうな若い人がいるって
やっぱり捨てたものではないのかも知れない。
自分自身の内側からの声に耳を澄ますような生き方で
チャレンジしていくのも、けっして悪くないと思います。
誰の人生でもなく、自分の人生なんだから、自己責任でいいと思う。
わたしは20代の終わりで独立したのですが、
最初、とにかくいろんなことを「決める」ということに戸惑った記憶があります。
決めれば必ず結果が、もれなく付いてくるので
すべては誰にも言い訳できない「自己判断・責任」にならざるをえない。
本当にこれは過酷なまでで、ボールペン1本の購入にしても
よいものを選べばムダを押さえられるし、そうでないものを選べば
あとで必ず結果から、自分自身が問いただされる。
それまでは、親であったり、会社であったり、
自分の行動について、ある管理がそこに働いて、
自分で判断する以前に、あるルートがそこにあるという感じだった。
それは楽なようでいて、そのなかにいると、いろんなことに気付かなくなる。
本来人間は、自分ですべてを判断するのが自然な存在なのだ、と、
そういうことを確認させられたような体験だった。
自分で、なにごとかの責任者になるという
自己責任ということについて、否応なく問い続けられる生き方を選択してきた。
そんな思いをいまに至るも持っているのですが、
最近の若い人の中にも、そんな思いを持っているタイプの人がいることを知って、
なんか、うれしくなった。
Posted on 2月 6th, 2015 by 三木 奎吾
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わたしは北海道に住んでいるので
この写真のような「町家」は普段まったく見ることがなく、
本州地区でしかお目にかかれませんが、実はたいへん憧れを持っております。
北海道のような「外地」から見て
こういったエリアで人とふれあう機会があると、
日本的な集住のもたらした感受性の洗練を感じさせられるのです。
人間が住み暮らしていくのに必要な社会性のよき部分が
こういった「町家」暮らしの共有ルールが基盤としてあるように感じられる。
「向こう3軒両隣」というような身近なコミュニティ意識が
現実的な息づかいでいまも明瞭に生きている。
NHKドラマ「マッサン」で昨年中まで舞台になっていた
大阪の町家暮らしの様子のようなものが、見えてくる。
「人情」という言葉の実質は、どうもこのような生活様式が
日本人の多数派になっていたからこそ、生成してきた情念世界ではないのか。
そんな思いを、はるかな、北の地で生まれ育った人間として、
日本的情念世界の繭のように仰ぎ見ていたのだと、自分で思っています。
町家にはそういった都市生活文化があるのだと思っています。
もちろんそこには目に見えない、個人主義的な部分での
「生きづらさ」も存在しているだろうとは想像しますが、
しかしメリットと引き比べて、それは昇華可能なものだったのではないかと。
わたしが育った北海道の戸建て住宅感覚では、
「同じ厳しい寒さを共有している博愛感」として、心理的な垣根はないと表現する
「なんもさ」という言葉のような同胞感覚は持っていると思うのですが、
「人情」的な、ややウェットな心情には距離感があるのですね。
もうちょっと距離が近く、ストーブを囲む距離感での「あたたかさ」に近い。
そんな町家暮らしへの憧憬があります。
で、日本がこれから生き延びていくのに、スマートシュリンク、
賢くコンパクトに生きていく、という大テーマで暮らしようを考えていくと
この「町家」文化の再活用がいちばん現実性が高いと思っているのです。
すでに日本人の生活信条に確実な根拠を持っている
こうした生活文化を再生させ、しかし、個別の生活領域では
現代の最先端住宅建築技術である、高断熱化が図れないか?
そのような集住の現代化、快適化への試みのようなものが
起こってこないものかと、密かに待ち望んでおります。
たぶん、こうした町家集住地は地価と権利関係などでの
障害が多く存在するに違いないのですが、
どうにかしてそれらを克服して、あらたな現代的集住文化を生み出せないか、
そういった願望を抱いている次第です。
Posted on 2月 5th, 2015 by 三木 奎吾
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本日は歴史ネタでの妄想であります(笑)。
仕事のことであれこれと煮詰まっている時って、
すっ飛ばして、妄想するとスッキリする部分があります(笑)。
先日、近江国、関ヶ原周辺、伊吹山周辺を走り回っていて
どうしても、表題のような着想から逃れられなくなったのです。
まず、日本歴史できわめて重要な変化である「壬申の乱」。
のちの秀吉による朝鮮出兵「壬辰の乱」と混乱しやすいけれど、
古代における関ヶ原合戦ともいえる政変戦争です。
この伊吹山・関ヶ原周辺も主要な戦場になった
この政変で、天武帝が勝利して天智帝からの王統交代が行われたこと。
そして、その軍事的勝利が伊勢神宮を出発点にして成功したことで
現皇室の伊勢信仰のスタートと見なしうること。
この壬申の乱の結果、「日本」国号と「天皇」名称が定まって
新たな古代律令制・中央集権国家の国造りが始まったこと。
その後、国歌として「君が代」が定まり、
そのなかに「さざれ石」が、象徴的に詠み込まれたこと。
その「さざれ石」は、伊吹山で主要に産出されることで知られること。
さざれ石とは、小石がたくさん集積して火山性の凝結作用で
巌のようになって「成長」していく岩石であって、いまに至るも多くの神社に
その印象的な位置に鎮座していること。
そしてこのさざれ石の様相は、古代の日本列島での「クニ」同士の
連合的ありようをアナロジーしていると考えられること。
国譲り前の、出雲での連合的国家形態を想起させる象徴性を
この「さざれ石」は容易にイメージできる。
八百万の神々が、出雲に集って会議していたという故事を想起させる。
というような、その土地に行って見ての着想が強く起こってきたのです。
現代、この近江の地域をクルマで走っていて、
高速道路上からも、伊吹山はきわめてランドマーク的に明瞭に見え、
そのふもとの東海道と東山道の合流地点に関ヶ原があって、
やはりこの列島社会では、この地域は大会戦が起こるとすれば、
まことにふさわしい地の理があると認識できます。
壬申の乱でもここで天武が勝利して
ここから「日本国」が生まれていった証として、
この山が主要産地である小石の集積岩石・さざれ石を
国家統合の象徴にしたのではないか、大いに蓋然性があったと思われる。
まだ整理のつかない直感ですが、きっと多くの方も同様に思うに違いない。
どうも確からしく思われるのであります。
どうだろう、おかしいかなぁ・・・・。
Posted on 2月 4th, 2015 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »