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移動の快適性と都市環境

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現代人を過去の人類と特徴的に分けるとしたら、
「乗る」という行動が飛躍的に増大した人類である、という説があります。
たぶん、1日の自分の行動を考えてみて、
それをたとえば、江戸時代の一般庶民の暮らしと比較してみれば、
すぐにでも理解できますね。
わたしの行動で見てみても、ちょっとした買い物でもなんでも、
自動車が必須の生活ぶりになっています。自宅からほんの200m程度の距離に
事務所があり、その前にセブンイレブンがあるのですが
そこに行くにも、どうしても車を利用しています。
子どもの時には、こういう距離は絶対に歩いていたものですが、
現代人と「移動」手段は、もはや切り離せないほどの関係になっているでしょうね。
日常的な都市生活、映画を見るとか、食事に行く、買い物をする、
といったごくふつうの行動でも、移動というのが前提になっていて、
消費行動時間を計画し、一日の暮らし方を考えている。
そして乗り物は、そのすべての局面で行動の必需品であって、
日常的な快楽感をもたらしてくれていると感じます。
公共的な電車や地下鉄などでも、基本的にそのスピード感がもたらす快楽、
次々と展開する都市の光景を眺める快楽、
雑踏の中の、ある種の無名性の開放感、
いろいろな姿形のひと、異性を見ることによる、スピード感の中の快美感など、
いろいろな要素で形作られているけれど、
そうした一切が、移動の中に快楽感として詰め込まれている。
たぶん、少なくとも、現代人は過去の人たちと比較して
視覚的な刺激とか、こういうスピード感において、すごい体験を
日々、享受しているのだと思います。
江戸時代でも、権力によって庶民の移動は制限されていたけれど、
それでも、宗教という隠れ蓑を使って、たとえば「伊勢参り」「四国霊場巡り」
などの移動・観光ツアーが大人気だったそうです。
移動することによる、非日常的な体験こそが、その快楽の根源的な要素だったわけですね。
ひるがえって、現代の都市には、そういう非日常性がふんだんに展開されており、
そのなかでも、その最大のスケールの首都圏では
たぶん、人類史上でも希有なくらいのレベルの非日常性快楽が存在している。
都市に暮らす、ということの快適性の中に、
こういう部分の「潜在的な快楽性」というものが、相当大きな部分を占めている、
そのように思えてならないのですね。
そして現代人にとっては、そういう快楽との「アクセス」という
ことのほうが、「住む土地選び」の大きな要素であるとも言えるのです。
一歩、家の外に出れば、豊富な興奮すべき快適性が存在するので、
そういう刺激に満ちた環境の中では、家に対する欲求も変わってくるのではないか。
どうも、わたしが首都のど真ん中で「ふるさと回帰」フェアに感じた違和感って、
こういう現代都市の刺激的快楽性に対して、
自然に帰る、みたいな単一に近いコンセプトで立ち向かおうとしているような
無力感を漠然と意識していた、ということのようなんです。
そりゃぁ、ドンキホーテじゃありませんか、っていうような。
たしかに豊かな自然には、ゆったりとしたリズムがあり、
そういうリズム感と時間感覚の中で、十分に充足できる暮らしの悦びはあるけれど、
さて、この現代最先端の都市快楽感のなかにどっぷりと浸かった人は、
そのように価値転換できるのでしょうか。
っていうような疑問点が、ふくらんできてしまったのですね。
で、こういう現代都市のなかでの暮らしのなかで、
現代の住宅って、いったいどういうことが求められていくのか、
というポイントになっていくのですね、わたしとしては。(笑)
このブログで、こんなことを書き連ねているのは、そういう目的です。
さて、さて、どんなふうに展開して行くのでしょうか、不安です(笑)。

住む土地を選ぶということ_2

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歴史的に見て、現代のわたしたちのように
戸建て住宅の用地を「自由に」選択しているというのは、珍しいことに違いない
ということは、前に考えてみたとおりです。
そして、都市の位置の選択、という部分では現代の都市は
多くは、近代以前からの選択の結果を引きずってきている、というのも事実。
そういう前提に立って、考えを進めていきたい。
次の考察ポイントとして、
わたしたちの住宅地選択の大きな要素になっていること、を考えてみます。
歴史的には、生産労働との直結性が住宅敷地の当然の前提。
現代での、そのポイントを考えてみたとき、
しかし、移動手段の飛躍的な高度化、
アメリカ的な車通勤の実現や、大量輸送手段での「通勤」スタイルの確立、
といったことの結果、一定の時間地理範囲なら
「生産労働との直結性」が拡大してしまった、といえるでしょう。
やはり「移動の快適性」の、量的な、そして質的な拡大が、
この点をほとんど無意味なものに変えてしまった、といえるでしょうね。
この変革が一番大きい部分なのだと思います。
で、付随的に、移動の快適性というものが、あたらしい都市生活享楽として生まれたのではないか?
というのが、ポイント。
もちろん、その負の部分、交通渋滞であるとか、
通勤地獄といわれるすし詰め電車状態などの社会的問題も生み出した、とはいえますが。
でも、日常的に仕事場に通う、ということだけでも
大変なエネルギーコストを掛け、すごい社会システムを構築したと言えるのですね。
この移動の快適性の実現が、
都市のまったく新しい生活上の魅力を生み出しているのではないか、
そして、そのなかでも、もっとも「都市基盤」が重点的に整えられた首都圏が
飛び抜けて「快適な現代生活環境」を作り上げているのではないか、
そういうように思えるのですね。
よく言われるように、現代生活は時間が最大の価値、という側面が拡大しています。
その点で、たとえば世界最先端の文化や情報に、
その現場に、思い立てば、ほんの短時間で「移動可能」である、
ということの「快適性」について、もっといろいろに論証・研究すべきだと思います。
現代で、「人間が暮らす」ということの快適性の多くの部分と、
このポイントの相関関係が、もっと厳密に論議されるべきだ、ということ。
戸建て住宅を取材していて、その快適性向上の側面では、というか
ボックスとしての生活快適装置としての完成度は、むしろ
寒冷地である北海道の方が進んでいる。
しかし、総体としての「住み暮らす満足度」は、そういうボックス性能を
超える部分こそ、本当には高いのだ、と思い知らされるワケなのですよ。
ブログ表現での、無謀とも言える日々、考察の試み、
さて、どういうように展開していくか、自分でも、まったく先は見えません。
自分の考えをまとめていくプロセス公開みたいなものですね。
こうしてすこしずつ、書いていくのって、
面白いスタイルになるかも知れません。
でも、原稿を丹念に完成させるようには出来ないので
飛躍しすぎたり、するかも知れません。
まったく書き進められなくなったら、まぁ、ちょこちょこ、
食べ物やら、日ハムやらに回り道して、のんびりしていきます。どうぞよろしく。
写真は吹雪の中、移動車両からの夕景。完璧手振れでの芸術写真(笑)。

感動の大型ゴミ処理

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ことしは仕事始め、来週9日からと、ゆったりしています。
おかげさまで、どこにも行かずに家でゆっくりと過ごす休みを楽しんでいます。
なのですが、そうやって休みを取ると、家の中のことを
いかにほったらかしにしていたことか、と思い知らされます(汗)。
そういう罪滅ぼしを兼ねて、年末から大掃除、模様替え、プチリフォームと
家のことを楽しく、やっております。(笑)
って、これがやると本当に、面白いんですよね。
年末押し迫ってから大掃除に着手したもので、
その間に出てきた大型ゴミのたぐいは、残念ながら物置や家の中で年越し。
それで、インターネットで調べて、大型ゴミをゴミ処理センターに
年明け、稼働が始まるきのう、4日に持ち込むことにしていたのです。
去年の分の大型ゴミは物置にも入れておいたので、
その物置の大掃除も、未着手。
って、そこまでやるかどうか、気が重い感じがしていたのが実際。
燃えるゴミは朝のウチに収集場所に出したので、
持ち込むことにしたのは、大型ゴミ、あるいは燃えないゴミ。
で、調べたとおりに札幌市西区の発寒清掃工場へ。
4WDの日産EXTRAILなのですが、後部座席を収納して、
大型ゴミを満載で出発。
やはりひとりでは積載も大変だったので、カミさんとふたり。
はじめていくのですが、工場は車でのアクセスを考えてあって、
標識がわかりやすく整備されていました。
入り口では、車ごと大型の秤に乗せられて、重量検査されます。
大型ゴミは重量で課金するシステムのようで、
どうやって計るのか、素人には想像も付かなかったのですが、
そうか、なるほど、と一発で納得させられました。
って、まぁ、だれでも一日くらい考えれば、同じような結論は出るでしょうけれども・・・。(笑)
そのゲートでの計量を終えて、車線に沿って進入していくと
自動ドアが開いて、係の方から誘導指示があります。
屋内は広大で、札幌ドームくらいの広さはあるでしょうか。
大型ゴミが山積みされた場所に移動して、ゴミを降ろします。
ここで、最終的に燃えるゴミなどと仕分けさせてくれます。
一部、燃えるゴミと認定されたものは、別の場所に置きます。
でも、自分たちで処理する必要はなく、職員のみなさんが整理していただけます。
「これは、プラスチックだからここじゃないのかなぁ」のように、
ゴミ分別って、けっこう考えさせられますが、
その辺はあまり素人が悩む必要はないようで、
どんなものも、スムーズに受け入れていただけますね。
家電品も、テレビなどの4品目以外は問題なく受け入れていただけました。
生ゴミや、可燃ゴミなどが注意を要する、ということのようです。
こうして出来上がったゴミの山を大型重機で整理して、地下の方に持っていって
処理するようになっているようです。いや、合理的。
無事、ゴミ降ろしが終わると、軽くなった車ごと出口に移動。
ここで、再度車ごと重量検査して、入り口との重量差で、課金金額が確定。
支払いを済ませて、それで、帰る、ということになります。
ゴミ重量は、110kgで、金額は1430円也、でした。
って、実はこの大型ゴミについては夫婦でずいぶんと悩んでいたので、
案外のラクチンぶりに、。思わずにっこりしてしまいました(笑)。
「こりゃぁ、らくだよね」という次第。
なものですから、すっかり大掃除が楽しくなってしまい、
懸案だった、物置の整理整頓、大掃除片付けにもやる気満々になりました!
考えてみたら、仕事の忙しさをいいことに、もう3年近く片付けもしていなかった(汗)。
それが、大型ゴミ処理のスタイルが、こうして確立したとたんに
意欲が出てくるものなんですよ。(笑)
ついでに、っていうことで、使わなくなった建具やらの処理、整理作業もやってしまいました。
そうして、また出てきた大型ゴミも、同様に運び込んで家中がすっきり。
とはいっても、一発で全部が終わりはしませんが、
すっかり、積年の鬱が晴れ渡るような心地がいたしました。
日頃、税金の使い道について、悪し様なことばかり思っておりましたが、
いろいろ考えて、合理的なシステムが運用されているのですね。
いや、たいへん勉強になりましたし、家はきれいになっていくわ、で、
大変有意義なお正月を過ごしていますね。(笑)

住む土地選びの基準って?

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さて、土地って、みなさん、どのように選んでいるのでしょうか?
人口の都市集中が始まるまで、って、たぶん江戸期以前までさかのぼるか、
しなければならないと思いますが、
そういうころは「住宅を建てる土地を選ぶ」、
というような概念は、あまりなかったのではないかと思います。
それぞれの「生産労働」のための土地との関係の中で
ほぼ自動的に決まっていたのだろうと思います。
武家はその主君である殿様の居場所までの距離自体が、身分をあらわすものであった。
したがって、必然的に屋敷地は決まっていた。
農家は、その先祖伝来の土地、生産手段そのものに縛られて家を持った。
漁家は自らの漁業権の浜に建物を建てて住んでいた。
町人は比較的に自由であったように見えるかも知れないけれど、
商人は、体制が定めた「街割り」で、同業者が一定地域に居を定められていた。
はるか後年の札幌の街割りですら、そういう機能集中都市の考えがあります。
その配下の使用人、一般的な町人はその商家から遠くない
共同住宅・長屋に暮らしていた、というのが一般的だった。
交通の手段が徒歩の範囲に基本的に収まっていただろうから、必然だった。
あそこよりはこっちがいいかな、というくらいの
2〜3の中からの選択くらいはあっただろうけれど、
そういう住むための土地選択の自由という概念はたぶん、なかった。
どうもそう思えます。
生きるための土地選択、というより大きな意味では、それが日本の戦争の
基本原因である、経済的欲望それ自体ではあったと言える。
そういう部分というのは、権力抗争の結果であって、選択の自由という概念ではない。
そういう武将同士の戦略部分って、たぶん、それぞれの条件の下で
誰が考えても、同じような結論に至ったような部類のことだったのだろうと思います。
伊達政宗は仙台をそういう土地と考えたし、おおくの地方権力者は
それぞれの条件の中でもっとも農業生産性の高い土地を
「血眼で」奪い合ったことでしょう。
秀吉は政治経済両面での日本制覇を考えて大阪を拠点とした、ということ。
ただ、秀吉が、家康に江戸を首府とすべきだとアドバイスした、
という歴史上の経緯は、たいへん面白いと思う。
なぜ、この土地に秀吉は着目したのか、ということはもっと研究されていい。
国の発展のポイントとして、首都の選定って
きわめて重要なポイントだろうと思うのですが、現代日本の
この点での選定作業って、この2人の時代までさかのぼって決定されているんですよね。
経済というものを相当敏感に扱っていた権力者、秀吉にしてみれば
関東の首府は、絶対に江戸でなければならなかったのでしょう。
そういう経済的発展の基盤を、かれはリアルに見定めていたのだろうと思います。
たぶん、かれの選定ポイントから推定すればやはり水利の優位性、
そして、耕地利用可能な後背地の広さというポイントが大きいのでしょう。
徳川政権崩壊時に、慶喜が江戸での戦争を考えもしなかったのは
江戸という都市が、防御的な性格を持たず、主に経済的な面での
「利便性」から選択されていた、ということを深く理解していたことも
大きかったのではないでしょうかね。
って、すぐに脱線するなぁ(笑)。
きのうから、「都市の快適」研究、みたいなカテゴリーテーマを考え、
このブログに書き留めていきたいと、はじめたところですが、
まぁ、ブログなんで、あっちこっち行きながら、楽しく考えをまとめられたらいいなぁと
のんびり行こうと思っています。
ブログって、結局は自分自身のために書き続けるものですよね。
さてさて、土地選びの基準って、どうまとまることやら・・・。
写真は、中国の巻物に描かれた墨絵のなかの住宅。
文とは無関係(笑)、ですね。

都市という快楽環境

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最近、いろいろと感じることで、一番興味を持っているのが
都市環境という、そのものの持っている快楽性ということ。
住宅という、それも注文戸建て、というのがリプランやわたし自身のフィールド
と思ってきたのですが、やはりそれを取りまく環境というものの影響力の大きさに、
いまさらながら、思いを抱かざるを得ないというわけです。
脳の研究者で、「バカの壁」でベストセラーを飛ばした養老孟司さんの
ご意見によると、都市とは人間の生み出した快適環境装置であり、
都市とそれを取り巻く周辺・田舎との関係は
脳と、他の体の器官との関係に似ている、ということだそうです。
人間の近代以降の歴史は、ひたすら都市化による類としての人間の快楽の追求であった、
というように、読み取らせていただきました。
まぁ、先生の御説はしっかり読んだわけではなく、
インターネットで読める範囲で知ったものですが、
先生のご意見ばかりではなく、今日の日本の状況、東京一極集中の進展による
「景気回復」「いざなぎ超え」というようなアナウンスの実感のなさ、を見るだけでも
十分に、体感させられる部分だなぁと、思います。
昨年、「ふるさと回帰フェア」みたいなものに参加したのは、
このブログでも触れたとおりです。
で、その会場がこれもまた、東京の都心・大手町だったのですが、
その会場に押し寄せる人の波を見ていて、
田舎の実態も知る側として、本音の部分では大きな疑問も感じざるを得ませんでした。
所得税とか、消費税とか、一応、税には地域間格差というのは存在しませんが、
その収受、配分の結果としての、富と快適性の格差は明瞭です。
単純に、東京が消費しているエネルギーの大きさに
快適性・快楽性は、はっきりと比例していると思います。
飛行機や、鉄道、公共交通手段の圧倒的な質量的快適感は比較のレベルを超えている。
都市内部の移動の快適性も、もちろん。
そして、そこで消費される文化享受にいたっては、他地域との比較など無意味です。
衣食住、といいますが、現代生活ではそれはたいした意味を持たず、
広い意味でのこうした「利便快適性」の方が、大きな問題です。
現代の都市というものが、もたらした人類史上でも希有な「快適性」というものを
もっときちんと把握する必要性があるのではないか、
こういう「富」の偏在、というものから、社会システムを再構築する必要があるのではないか、
そんな思いがどうしてもしてくるワケなんです。
大手町の「ふるさと回帰フェア」会場に、地下鉄駅からあふれ出してくる人並みを
会場側として受け入れながら、奇妙な違和感がわだかまっていったのですね。
もちろん、こういう都市環境がもたらすストレスというものもあり、
そのレベルも相当な高まりを見せていて、
飽和寸前であるという意見もそのとおりではあるでしょう。
しかし、総体としての都市性の貸借対照でいえば、
圧倒的に、この利便性の享楽のほうが巨大であることはあきらかでしょう。
戸建て住宅をほぼ中心的な興味分野として
出版をメインに活動してきているわけですが、だんだん、こういう部分が
実は、「人間・暮らしの快適環境」のなかで占める割合が
より大きいのではないか、と思いこむようになってきた部分があるのです。
まぁ、テーマが巨大なので、断片的にしか捕まえようがありませんが、
すこしずつ、ブログ書きながら、こんなこと、考えていきたいなと
ことしは考えはじめております。
さて、どんなところからはじめればいいのでしょうか、ね。ふむふむ。

IT時代的除夜の鐘

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どうもテレビを見続けるというのが出来なくなっているので、
最近は年末年始の番組って、あまり興味がありません。
そんななかで、わたしとしては、紅白が終わったあと、大体決まって日本各地の寺の
「除夜の鐘」を中継する「行く年来る年」が好きなんです。
っていうような人間、けっこういるものなんですね、
サンケイさんが面白い企画をやっていて
題して、「年末年始コンテンツ・叩けば鳴ります除夜の鐘」
というネット利用の企画をやっています。
期間限定とかで、1月いっぱいまでなんだそうですが、
http://event.sankei-digital.co.jp/nenmatsu-2006/jyoya/jyoya.html
これが面白い。
クリックすると、日本各地のお寺の梵鐘の音色が楽しめる。
まぁ、楽しめるっていうのは、罰が当たるかも知れませんが、
やっぱり面白い。除夜の鐘というヤツはその寺でしか聞けない。
大体がひとつしか聞けないのが普通でしょうから、
「聞き比べる」という楽しみが出来るのは、まず企画の勝利。
ひとに迷惑もかからずに、好きなだけ叩いて、煩悩を清めています。(笑)
叩いてみて、お寺によって、
こんなにも梵鐘の音色は違うのか、と再発見でした。
まぁ、デジタルなので、周辺の空気感、とでもいえるような
音の余韻、みたいな部分は感覚出来ませんが、
IT利用としては、中高年齢層をうまくターゲットにしていますね。
ビジネスとしてはどういう意味があるのか、???ですけど。
きのうは天候に恵まれて北海道神宮の参拝。
警備の警察のみなさんも大変だったことと思います。お疲れさまでした。
でも、マイクで「一番前の、テイダンだけ、入ってください」とかと、
アナウンスされまして、まぁ、なんとなくは理解できるけれど、
たぶん、軍隊的な用語なんでしょうね、
テイダン、なんて、ふつうは使わないでしょう。
なんだそれ、みたいな一般市民の反応がありましたね。(笑)
でも、そういう言葉を使ってでも、整理しないと大変なくらい多くの人出だったようです。
わが家も、娘の後厄の御祓いをお願いしたら
こちらも大賑わいで長蛇の列。慣れない巫女さんもてんてこ舞いでしたね。
あれって、みんなアルバイトだそうですから、ちょっと可哀想でした。
というようなことで、のどかな日本的年末年始休日を楽しんでおります。

新年も大改造・プチリフォーム続行中!

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みなさん、あけましておめでとうございます。
ことしもリプランの雑誌と、このブログ、どうぞよろしくお願いします。
年末から、すっかり大掃除が趣味になって参りました。
っていうか、大掃除しながら、各ゾーンの用途変更、目的の明確化をはかっています。
着々と、家中に及んできておりますが、
大晦日には、大型収納スペースと化していた、1階スペースを
大きく模様替え、プチリフォーム。ごちゃごちゃの収納を一カ所に集中して
写真左側にカーテンを造作。
って、ホームセンターで購入してきて取り付け施工したもの。
柄は、まぁ妥協の産物ですが、レールとカーテン本体で、約1万円の出費。
坊主とふたりで、作業。はじめは駄々こねていましたが、
工具を使って作業をはじめると、喜々としてお父さんに渡しません(笑)。
で、大きく空いたスペースに、事務所利用していた頃の
大型テーブルを真ん中に設置しまして、なんと卓球台に再利用!
できればビリヤード台にすればオシャレでもっとよかったのですが(笑)、
まぁ、予算の関係で(汗)・・・、でもこどもたちには好評。
ごらんのようにさっそくピンポン選手権が開催されはじめました。
冬の間、なかなか運動不足気味なので、
こういう広く使える場所を、体を使っての運動コーナーにするのは
メリットが大きい。
カーテンレールの設置から、模様替えにもずっと付き合ってくれた坊主は
この卓球台にすっかりハマっておりました。
家で友人たちと遊ぶのにも、ゲームばっかりだと心配ですが、
そういう意味でも、こうやって利用してくれるとうれしい。
で、このピンポンラケットセット、なんと近くの100均ショップで、100円で購入したもの。
こういう買い物情報は、さすが、買い物上手の娘が詳しい。
迷わず、ここへ行きなさいという指示通りでした。
親は、へぇ〜と感心することしきり。
デフレニッポンの生み出した低価格日用品文化、元気がいいですね。
ことしも、知恵とアイデアを絞って、
元気よくやっていきたいものと、勉強させられましたです、ハイ。
さて、大掃除兼用の模様替えは、年をまたいで
まだまだ、休暇中、続きそうです。
まぁ、家族団らんの絶好の機会にもなるし、
家のことに手を掛けながら、貴重な休みを過ごすっていうの、
北欧の人たちも、そういうライフスタイルが多いのですよね。
旅行に忙しく駆けずり回るのもいいけれど、
とても楽しくて、発見もあり、こういう休みも、けっこうハマってくるものです。
って、やっぱ、地味な楽しみ方ではありますね(笑)。
さて、こんどはどこをプチリフォームしてみようかなぁ〜。

年の瀬の買い出し

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みなさん、似たようなものでしょうが、
きのうはカミさん、家族と買い物に一日出かけておりました。
とはいっても、子どもたちは半分の付き合いで終わり。
その後、夫婦で「あそこがいいしょ、ここもいい」という
風に吹かれて状態でのあちこち買い物散策でした。
早めのお昼を、おばあちゃんも交えて、家族揃って回転鮨でにぎやかに。
どうも、魚の種類がイマイチの気がしたのは、
ここんとこ、海が荒れているせいなんでしょうかね。
その後、スーパーで食品の買い出し。
その間、娘を靴屋さんへ送迎、&支払い係やらされました、とほほ。
そのあとは、夫婦ふたりでお好みの買い出し。
まずは年末恒例になっている札幌中央市場への散策ツアー。
やはり年末になると、かにを中心に活気のある光景が広がっています。
こういうのに触れるだけでも、まぁ楽しいですね。
値切りのわたしで、駆け引きを楽しむのもいいですよね。
だいたい、寄る店は決まっているのですが、
お餅の専門店とか、惣菜屋さんのお気に入りおせち料理とか、
おいしい卵焼きとか、和菓子とか、いろいろ楽しめる。
甘いものは、最近人気の札幌スイーツ、ということで、
円山にあるお店で、フルーツたっぷりの洋菓子をゲット。
知らないうちに、札幌の洋菓子はコストパフォーマンスが最高とかと、
評判になっているんだそうですね。
確かに、他よりも競争が激しくて、おいしいと思いますね。
で、冬の夕景がかわいいコーヒーショップで、コーヒー豆を買いだして、
最後は、なじみのおそばやさんで、おそばの買い出し。
この時期は、休みなくそばを打っているのでしょうね。
打っているところ、撮影させてもらいました。
やっぱり日本人、こういう年の瀬の買い物で、
1年の無事を感謝する気持ちがわき上がってくるものですね。
とはいっても、買い物の前には、家の片付けの件で一発、夫婦けんか。
なかなかすべて丸くは収まらないようですが(笑)。
ことしもなんとか越せそうです。
みなさん、いい年をお迎えください。
さて、これから、いろいろと料理にかかりましょうかね、さてさて・・・と。

睡眠時無呼吸症候群

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聞き慣れない病名の診断を受けまして、
以来、どこへ行くにもお世話になっている医療機械です。
ちょっと眠りが浅い、
昼時に無性に眠くなってくる。
長距離運転していると、強烈な睡魔が襲ってくる。
っていうような症状が出てきまして、まぁ軽く考えていたのですが、
それはちゃんとした病気なんです、というわけですね。
確かに、運転中の眠気は、だんだんひどくなるような感じで
このままでは危険だな、と判断したので、家人の意見に従って
総合病院に行く決心が付いた次第。
睡眠時に、きちんとした睡眠が取れていないので、
体がだるいとか、眠気が採れない、といった症状が出るのですね。
進行すれば、場合によっては死に至る場合もあるそう。
無呼吸状態が連続した場合、自然死のように逝くのだそうで、
それは、と、否応なく治療をお願いしたのです。
で、いただいたのがこの機械。
というか、医療レンタル機器でして、月々医療費として支払う中に
この機械の使用料が含まれているのですね。
簡単に言えば、酸素呼吸器みたいなもので、
閉塞気味になっている気道に対して
強制的に給気してくれるのです。
お世話になってから、もう半年以上くらいだと思いますが、
おかげさまで、これを装着している間はほぼ無呼吸状態は
なくなっていまして、すこぶる元気な睡眠を取れている気がします。
以前のように、運転中の眠気、というのはなくなりました。
ただ、年間、出張日数が100日近くになっているので
これを持っていくのが、ちょっと面倒ではあります。
それと、つい病院への月1回の通院を忘れる。
その度に、医者の先生と漫談を交わしながら、頭を掻いている次第です。
あんまり模範的とは言えない患者ですが、
ただ、この病気のおかげで、出張中も、
できるだけ規則正しい生活と、正しい睡眠の心掛けは励行できます。
そういう意味では、健康に留意するという習慣づけに
たいへん役に立っている、とも感じますね。
「一病息災」の気持ちで、長くこの病気と付き合っていかなければなりません。

あぁ、ふぐ、食べたい!

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さて、年も押し迫ってきて、わが家にも
娘も帰省してきて、つかの間、にぎやかな家族の時間。
自炊している腕を振るってくれるということでしたが、
きのうはまだ疲れているのか、簡単なお料理でした・・・。
ということで、ブログでは最近、あんまり食事ネタがなかったので、
写真ばかりは豪華なヤツを・・・。
ことし食べた一番の豪華料理写真と言うことで、探したら
ありましたね〜! いまでも、垂涎の、ふぐフルコース!
昨年末、冬休みの坊主とふたり旅で食べ歩いた福岡での食事です。
あ、だから、正確には1年前、今年ではなく、去年ですけど
まぁ、いいでしょう。おいしければ。
玄界灘といえば、やっぱ、ふぐですよ。
出てくる料理、出てくる料理、
どれもこれもが、至福のしあわせ、そのものでした。
食べ終わってホテルに帰ってくるまで、
満腹のおなかを中心に、ふぐのようにころころと転がって帰った記憶があります。(笑)
写真を見ただけで、色彩からつややかな味が伝わってくる感じ。
って、写真を整理してPhotoshopで加工していたら、
もうたまりません、という記憶がよみがえって来ましたね。
食べたほかに、こうして楽しめるという、2度おいしい料理です(笑)。
そういえば、ことしは全般的にダイエットに取り組んだので、
あんまり、グルメ歩きはしていませんね。
おかげさまで、年末に至っても、体が軽い感じで、
最大、10kg近く体重が減少した1年でした。
もうすこし、ダイエットは必要があるようですが、
でもね、こういう写真を見ていたら、ごほうびもあげたいなぁ、と。
やっぱり、あぁ、ふぐ、食べたい!
年の瀬、しょうもないブログで恐縮です。
まぁ、写真で、お楽しみください。ではよろしく。