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都市という快楽環境

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最近、いろいろと感じることで、一番興味を持っているのが
都市環境という、そのものの持っている快楽性ということ。
住宅という、それも注文戸建て、というのがリプランやわたし自身のフィールド
と思ってきたのですが、やはりそれを取りまく環境というものの影響力の大きさに、
いまさらながら、思いを抱かざるを得ないというわけです。
脳の研究者で、「バカの壁」でベストセラーを飛ばした養老孟司さんの
ご意見によると、都市とは人間の生み出した快適環境装置であり、
都市とそれを取り巻く周辺・田舎との関係は
脳と、他の体の器官との関係に似ている、ということだそうです。
人間の近代以降の歴史は、ひたすら都市化による類としての人間の快楽の追求であった、
というように、読み取らせていただきました。
まぁ、先生の御説はしっかり読んだわけではなく、
インターネットで読める範囲で知ったものですが、
先生のご意見ばかりではなく、今日の日本の状況、東京一極集中の進展による
「景気回復」「いざなぎ超え」というようなアナウンスの実感のなさ、を見るだけでも
十分に、体感させられる部分だなぁと、思います。
昨年、「ふるさと回帰フェア」みたいなものに参加したのは、
このブログでも触れたとおりです。
で、その会場がこれもまた、東京の都心・大手町だったのですが、
その会場に押し寄せる人の波を見ていて、
田舎の実態も知る側として、本音の部分では大きな疑問も感じざるを得ませんでした。
所得税とか、消費税とか、一応、税には地域間格差というのは存在しませんが、
その収受、配分の結果としての、富と快適性の格差は明瞭です。
単純に、東京が消費しているエネルギーの大きさに
快適性・快楽性は、はっきりと比例していると思います。
飛行機や、鉄道、公共交通手段の圧倒的な質量的快適感は比較のレベルを超えている。
都市内部の移動の快適性も、もちろん。
そして、そこで消費される文化享受にいたっては、他地域との比較など無意味です。
衣食住、といいますが、現代生活ではそれはたいした意味を持たず、
広い意味でのこうした「利便快適性」の方が、大きな問題です。
現代の都市というものが、もたらした人類史上でも希有な「快適性」というものを
もっときちんと把握する必要性があるのではないか、
こういう「富」の偏在、というものから、社会システムを再構築する必要があるのではないか、
そんな思いがどうしてもしてくるワケなんです。
大手町の「ふるさと回帰フェア」会場に、地下鉄駅からあふれ出してくる人並みを
会場側として受け入れながら、奇妙な違和感がわだかまっていったのですね。
もちろん、こういう都市環境がもたらすストレスというものもあり、
そのレベルも相当な高まりを見せていて、
飽和寸前であるという意見もそのとおりではあるでしょう。
しかし、総体としての都市性の貸借対照でいえば、
圧倒的に、この利便性の享楽のほうが巨大であることはあきらかでしょう。
戸建て住宅をほぼ中心的な興味分野として
出版をメインに活動してきているわけですが、だんだん、こういう部分が
実は、「人間・暮らしの快適環境」のなかで占める割合が
より大きいのではないか、と思いこむようになってきた部分があるのです。
まぁ、テーマが巨大なので、断片的にしか捕まえようがありませんが、
すこしずつ、ブログ書きながら、こんなこと、考えていきたいなと
ことしは考えはじめております。
さて、どんなところからはじめればいいのでしょうか、ね。ふむふむ。

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