

写真下は最近の一般的な現代住宅のキッチンダイニング。
現代ではこういう空間が「家族団欒」の中心でしょうね。
このスペースに隣接してリビングがあってテレビが鎮座している、
というのが一般的な現代人の住まいといえるでしょう。
で、住宅企業としてはこうした空間についてその意匠性や機能性を
「差別化」要因として、建て主に「提案」することになる。
ただ、情報の画一化も進行しているのでなかなか差別化は難しい。
一方で上の写真は宮城県の古民家での囲炉裏端風景。
大体調理を行うのは土間空間であって、そこにかまどが装置され
「流し」などもあってそこで調理したモノを
この囲炉裏を囲んで家族で火を介在させながら食事した。
テレビなどの情報機器はないから、ここでの家族の会話が
最大の「情報摂取機会」でもあった。
家族の会話はおたがいの状況を知って対応をみんなで考える場にもなった。
さてどっちが、「より癒されるか」。
・・・って、いかにも示唆的なので
古民家愛好家であるわたしの感覚を知っているみなさんは、
大体の決まりパターンだと思われるでしょうね(笑)。
その通りだと、わたしも思うのですが、しかし、
こういう風に対比させると「なにが進化し、なにが退化しているか」
ということを検証するきっかけになるのではと思う次第。
機能的にみてみると、やはり家事労働の総量は減っているでしょう。
調理に要する「火力」だけとってみても、
古民家ではひたすら家周辺から採取してきた薪がエネルギー源。
人類進化のプロセスでこのバイオマス熱源の採取と利用のバランスが
人口密度を決定したという説も有力と言われてきた。
さらに食材もひたすら「自然食材」なので調理には手間と時間がかかった。
こういった調理労働への労力負担がきわめて大きい。
現代ではこうしたエネルギーはスイッチひとつになった。
なので人口密集度はきわめて高くなって、都市集住が多くなった。
食材についても、生産から流通過程すべてで家庭での調理を簡便化する方向で
進歩してきたし、家電などで食材のストックも容易になった。
総じて家事労働の負担は大きく低減化してきた。
しかし利便性の進化は、家族関係の相対的「退化」も促したのではないか。
下の写真で想定される「家族の会話」風景を想像してみる。
まず父親は夕食時、いっしょにいるのだろうか?
いっしょにいるとしても会話の代わりにテレビの饒舌が聞こえてこないか。
こういうふうに対比させてみると、
「家族」というもののありよう自体が、変化していることに気付く。
下の写真の現代住宅に「無性に還って来たくなる」気分が起きるかどうか。
世界は今、無意識のうちにアングロサクソン社会の「核家族」を
共通価値感のベースに据えてきているけれど、
きのう書いたように、そのイギリスが「孤独」社会化を迎えていることを
われわれはもっと深く受け止めなければと思う次第です。
Posted on 5月 29th, 2019 by 三木 奎吾
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やや旧聞なのですが、スライドは2018年1月にお話しを聞いた
近畿大学・岩前教授の講演での発表からです。
住宅を主要なテーマにしてもう35年くらい。
住宅の作られようを取材し社会の趨勢、志向性を見る日々。
そうすると現代人が好む「生き方・暮らし方」について
自ずとある「方向性」も見えてくる。家を考えていけば
家族のありよう、人の生き方に行き着く。
で、日本社会は明治の開国以降、太平洋戦争にいたる特定時期を除けば
基本的にアングロサクソンが主導的な世界観、資本主義的価値感を
「普遍的近代」なるものとして受容してきたのだと思う。
鬼畜米英というスローガンの破滅から戦後は一転して
明治以降の基本路線、日英同盟・日米同盟路線に復帰したとも言える。
そのマザーとしてのイギリス社会で「孤独」担当大臣が任命される
というのは、なにかを強く暗示している。
日本の住宅は人口減少と言われつつ
新築棟数は徐々に減少してきているとは言え、アメリカなどと比べれば
まだまだ人口対比で棟数は多い。
英米では住宅ストックが多いのでリノベの方が活発。
日本では家の棟数は増えているけれど家族数はどんどん縮小している。
いつか2世帯同居も可能なようにと親は立派な家を建てたけれど、
子どもたちは同居には同意せず、どんどん「個住」傾向になっている。
したがって大きな家に老夫婦だけが増え、さらには死別による単身化が進む。
やがてそれらの残骸が大量の「空き家」になって来る。
都市部であれば整理して売ることも出来るけれど、地方ではすでにリスク。
その根源には、この趨勢、単身住宅の方向性が潜んでいるように思う。
生き方の価値感に於いて、家族とか「家」意識よりも
個人という存在に限りなくフィットさせる方向に力が働いてきた。
伝統的古民家とかを見れば、その生き方の価値感の主要なありかは
いまを生きている人間よりも、連綿とつながってきた「家」意識のほうが
はるかに規範として優越していた様子が明らか。
家には神聖空間がかならず意匠されて、
それがもっとも重要で格式を持った空間として保持されていた。
それに対し現代の住宅はほぼそうした神聖空間は顧みられず、
個室とか、個空間といったものが重要になって来ている。
家族の団らんというものは意匠されても、その先の
ご先祖様というような「つながり」からは遮断されている。
そういう住空間に慣れた人間は、そういう意匠方向性を再生産する。
まぁいまさら、大家族的な集住方向に向かうとは思えない。
こういった生き方・過ごし方が定着していって
どういう住宅の変化が顕在化するのか、深くウォッチですね。
Posted on 5月 28th, 2019 by 三木 奎吾
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昨日は貴重な休養日。札幌近郊の日帰り温泉で休息。
なんですが、帰りにクルマに乗ったら車中温度がハンパない。
外気温計を見て36度とかになっていて、驚いた。
〜北海道・佐呂間39.5度=5月の全国最高更新-広範囲で真夏日・気象庁
日本列島は26日、高気圧に覆われて朝から晴れた所が多く各地で気温が上昇した。
特に北海道東部で真夏並みの猛暑となり、北海道佐呂間町で39.5度を記録。
5月として全国の観測史上最高気温を更新した。〜
そのうえ土曜日には千葉県で震度5を上回る地震。
その後も地球の反対側・ペルーで震度8の大きな地震。
さらに追い打ちを掛けるように茨城で本日4時過ぎに震度4とか。
異常気象というコトバは現在はあまりにも頻繁すぎて
こういった異常に対して人間を守る機能が求められている。
原因についてはどうもいろいろな複合的要因なのでしょう。
地球自体の「変動期」という要因と、人類が関与した結果としての
CO2濃度の上昇などがからみあっているのでしょう。
長期的には人為要素をコントロールしつつ、
地球環境となだらかに調和する対応を考えていかなければならない。
わが家はコンクリートブロック外断熱の築28年建築が主体構造ですが、
夏場になると、ちょうど「蔵」のような安定した気温が特徴。
きのうもフェーン現象のような外気温から帰ってきた
午後2時ころ、家に入った途端に一気にクールダウン。
室内気温は年間を通して大体20〜25-26度ですが、
今時期は大体24度程度で推移している。
冬期には暖房を入れる必要があるけれど、夏場にはほぼ断熱だけで
これくらいの気温を維持してくれています。
気候変動に対応するには、まずは外気温に左右されない断熱が
やはり最大のパワーを発揮してくれる。
気候変動の時代、まずはシェルターとしての安心感、いごこちこそが
住宅の最大の要素になっていくことはやはり自明だと思いますね。
その上で、写真のような納涼的な建築デザインの知恵が求められる。
Posted on 5月 27th, 2019 by 三木 奎吾
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きのうは山形におりました。
昼時前の予定がやや伸びて、大急ぎで仙台に戻って札幌帰還の予定。
お昼をどうするかなと頭をよぎった瞬間、やや田舎道で
「そば」の看板が目について、それに案内されてたどりついたら
どうもふつうの民家なんですね。
道路と周辺の方位的・位置的に目立ちにくい。
っていうか、ふつうの農村的郊外住宅地の中の民家。
隣接して池があって、コイとかが養殖されていて
そちらが借景にはなっているのですが、
中に入ってみると、まごうことなきごく一般的住宅。
で、居間に座卓、ダイニングとおぼしき場所にはテーブルが
置かれていて、そばを食べられる店なんですね。
「食べ放題1000円」というPOPもある。
そんなには食べられないので、ごくふつうのもりそばを。
山形はそば文化が根深く息づいているので、
こういうごくふつうの住宅でも、好きが昂じてということなのか、
そば店を営むというケースが多いように思う。
たぶん、そばをあちこちと食べ歩いているウチに
「これなら自分で打ったそばの方が美味い」という自信が昂じて
開店するケースが多いのではないかと推測できる。
あるいは、農家などでご近所から「あんたん家のそば美味いわ」
とか褒めまくられて開店する、というようなことも多いのではないか。
他地域から来ると、こうした草の根のそばワールドぶりに
刮目させられるワケですが、
こういうのはこれでワンダーランド的な強い磁場を感じさせられ愉しい。
そばは、食べてみないとわからないので(って当たり前)
そこにいたるプロセスを楽しむというのはありでしょうね。
こっちにしてみると、数寄こころを強く刺激される。
たぶん山形そばの本然の姿はどうもそのあたりなのかと。
そばはコメとも並ぶほどの国民食なので、
まことに奥行きが深すぎてハマらざるを得ませんね(笑)。
それと、漬物との相性はコメ以上なのではないかと思います。
こちらの店でも漬物は山菜のゼンマイなども無料食べ放題。
このそばー漬物の無限循環も日本人には病みつき要素なのでしょうか。
Posted on 5月 26th, 2019 by 三木 奎吾
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古寺社巡礼はわたしの基本的趣味。
その土地の歴史とか風土性。その時間の蓄積感がたまりません。
写真は山形市内中心部、駅から5分くらいの位置にある日枝神社。
前からちょっと気に掛かっていましたが、
ホテルからも近かったので、参拝してみた。
この写真位置の参道から正面というアングルは
車道からは見えない位置取りになる。
参道がほぼ道路に対して並行しているのですね。
道路は南北方向のようなので、社殿は南に対して開いている。
正面から見て唐破風の丸みと調和させるような注連縄の丸みが
ワンパッケージでビジュアル構成されている(笑)。
まるで神さまの目玉がじっとこっちを凝視するかのよう。
その目玉がなんとも「ぎょろ目」っぽくて
これはあきらかに狙ったデザインに相違ないと伝わってきた。
注連縄から下がる縄もまつげっぽい。
「唐破風」というのは名前とは無関係で
実は日本オリジナルの屋根デザインであるそうなのですが、
日本人はこのデザインがまことに大好きだといわれる。
神社などの宗教性、あるいは公共性のデザインに於いて
「和の国」ということにも通じる「民族性」表現なのか。
こじつけっぽいけれど、どうもある真実ではないかと思われますね。
しかし、この唐破風と対照させた注連縄の位置取り。
注連縄って,特段カーブの傾斜角度には限定性はないのでしょう。
なので、このようにけっこうな急角度にするのも
まったく自由に意図することができる。
「この手があったか」と一本取られた感に浸らされた。
で、面白くありがたく参拝してふと見上げたら
今度は鈴の色合いが、やや褪色してはいるけれど、
どうも伝統的な赤の丹色と緑色が左右で配色されていることに気付く。
おいおい、であります。創建時にはさぞ耳目を「賑わせた」に違いない。
この神社は日枝神社。日吉・日枝あるいは山王神社という
社名の神社は山王信仰に基づいて大山咋神と大物主神(または大国主神)
を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。
日吉大社では猿を神使とするが猿との関連性についてはよく分かっていない。
おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。
山形なので、山岳信仰ということから勧請されたものでしょうが、
サルを神使とするというキッチュさにおいて、
こういった建築デザインを受容する社風を持っているのでしょう。
宗教、建築、風土性など面白く一体で表現されていますね。
Posted on 5月 25th, 2019 by 三木 奎吾
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最近はどこのビルダーさんも「性能とデザイン」フレーズを使っていますね。
まぁ私のブログも2005年からなので、もう14年間もその看板。
ということで、住宅デザインということを深掘りするようになっています。
デザインっていうコトバは限定性よりも拡張性がある。
Wikipediaによると、
デザイン(英語: design)とは、審美性を根源にもつ計画的行為の
全般を指すものである。意匠。設計。創意工夫。
またオブジェクト、システム、 図画、設計図、回路、パターンなど)を
構築するための計画、または作成する行為など、
「デザイン」はさまざまな分野で異なった意味として用いられている。
〜って言う表記になっている。
ほぼ一般語扱いと言えるのでしょうね。
「審美性を根源にもつ計画的行為」という語彙でいえば、
住宅を作って行くことはデザイン行為そのものと言える。
そう考えると、温故知新、昔のそうした営為についてヒントを求める。
写真は先日訪れた「最上徳内記念館」隣接の「アイヌチセ」。
まぁアイヌの人たちの「家」なのですが、
北海道に縁のあった最上徳内さんらしく、北海道厚岸から
このチセを作りに来られてできた、という説明でした。
アイヌチセをこういう場所で見学するというのも、不思議体験。
わたし自身は北海道でほぼ年に一度くらいのペースでは
見学する機会がある。
で、デザイン的な志向から見てみた次第。
というか、アイヌのみなさんの「審美性を根源にもつ計画的行為」
という見方からして見たら、この「間取り」の考えに
すべてが思想として表現されているとわかる。
正面奥にはもっとも神聖な空間が「神座」として装置され、
その左手隅角付近は「家の守り神」が配置されて、
左手の壁面には「家宝」が端座するようになっている。
寒冷地住宅として、囲炉裏は家の中心にあって手前側に
日常生活の空間が広がっている。
アイヌの人たちのデザイン感覚の骨格が表現されているのでしょう。
よく考えてみれば、明治期以前の日本の住宅も
こういった「ハレとケ」に大きく分かれていたことは共通する。
敬虔な祈りを中心的に考えることがデザインの基本だった。
人間としての生き方・価値感に於いて共通だったように思う。
今日の住宅づくりではこの基本的な共通項が意識から後退している。
「なにがいちばん大切ですか」という問いかけから
家づくりがスタートするように思われる。
それくらい、個人の考えの方を優先する社会になったといえばそうだけれど、
そうなると「そんなことあんまり考えたことない(笑)」っていう
新たな困難なテーマが浮上してくる(ように思う)。
さてどっちが、美しく仕上がっていくのか、はよくわからない。
Posted on 5月 24th, 2019 by 三木 奎吾
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仕事柄、新千歳空港は週に2回北海道とそれ以外の往復で利用する。
たぶん、年間利用回数は100回くらいでしょう。
50-60数年前の少年期、わたしはJR札幌駅から2kmくらいの街中に住んでいた。
市電が走っていて最寄りの停留所まで100m、停留所3つで駅に着いていた。
どこか遠くへ行くという夢想をするには、鉄道駅がベースだった時代。
その当時、父親がときどき仕事上の技術移転のために東京に行くことがあったけれど、
そのときは飛行機に乗っていた。
それは珍奇なことであり、地元新聞に利用者名が掲載されていた。
記録を見てみるとその当時は1日あたり1000人程度。年間で30-40万人。
おおむね道外から北海道に来る人の方が多かっただろうから
地元の人間が出掛けるのは情報としても価値があったものかと。
そういった時代から、いまや、年間利用者数はうなぎ上り。
2330万人あまりというから、1日で64000人ほど。
なんと羽田の利用者の1/4強が千歳に来ている。
羽田と成田合計で1億2,800万なので、対首都圏で18%以上になっている。
関空と伊丹の合計の関西圏で4,500万、それとの対比では52%。
首都圏人口が3,000万とすれば利用者人口は4倍、
関西圏人口2,500万とすれば、空港利用者人口は0.55倍。
一方で北海道千歳は人口530万人に対して、利用者人口は4.4倍程度になる。
まさに国内有数の、というか世界的にも高いレベルだと思われる。
特に首都のある地域以上に人口比利用客割合が高いというのは稀有。
そのような状況なので、先日は空港と飛行機との連絡がバスで
その通路が飛行機で塞がれて大幅に時間が遅れたりした。(写真上)
交通渋滞が、飛行機まで巻き込んできている(笑)。
たぶん駐機場が足りなくなってきて、
こういったところまで管制が及んでいないということなのでしょう。
こういった傾向がしばらく継続してきている。
日本人の人口は確実に減少することが予測されているけれど、
ことしから労働力としての規制が緩和されて、
以前からの傾向、多国籍化には一層拍車が掛かっていきそう。
人口減少はすでに相当進行してきているけれど、
GDP自体はそれとはパラレルにはなっていない。
こういう移動人口は、消費という意味では非常に大きな位置を占めている。
関西などは、アジア圏からの流入が関空事故で途切れたとき、
繁華街で閑古鳥が鳴いていたといわれる。
住宅サイズの建築という需要では、しかしこういう移動人口増加とは
どうしてもパラレルにはならないだろう。
消費とは言っても、資産的な投資側面が大きいのだからムリはない。
しかし徐々にいろいろな影響は見逃せなく発生してくると思われる。
労働力として日本在住を認められた人々の住宅需要というものもあるし、
すでにニセコ地域で顕著な「投資案件」的な需要も旺盛。
どうも単純な「人口減少➡住宅需要の急減小」となるかどうか、
市場の変化、動向を注視していかなければならないと思う。
Posted on 5月 23rd, 2019 by 三木 奎吾
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祓川と須賀の滝 (はらいがわ・すがのたき)
昔、出羽三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、
水垢離をとり三山への登拝の途についた。
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より
約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。
国宝・羽黒山五重塔シリーズ(笑)であります。
出羽三山神社の一帯には、多くの建築と土木の工事がみられる。
建築はわかりやすいけれど、そこに至る道路や階段など土木の工事も
歴史年代あるいは、縄文以来とも思われるような
深遠な人力工事痕跡があちこちにみられる。
出羽三山地域という、遠景で見ても美しいパワースポットへの
多くの人々の敬虔な愛情表現とも受け取れてたのしい。
わたし的に「おお」と思わされたのがこの天然石の橋であります。
この「祓川」というのは上の記述のような「清め」の水浴場のようですが、
この橋の先には「祓川神社」という社が建っている。
たぶん、身を清めた修験たちは、この社に参拝してから
さらに登山を目指していったのだろうと思います。
そういう意味で、羽黒山全体として神域への通過儀礼箇所。
多くの人間が参拝する通路として、この橋は重要だったのだろうと。
で、その橋の掛け方がなんとも豪快な工事。
川幅は15-6m前後でしょうか。その岩場っぽい川底から石を積み上げて
3箇所の橋げた・橋脚を造営し、そこに平板上の自然石を渡しかけている。
万が一を考える手すりなどもなく、足を踏み外せば固い岩場の川底に落ちる。
神域への通過儀礼箇所らしく、自ら身を処すように仕掛けている。
川底から大小の石を積み上げていく橋脚自体は時間はかかったにしても、
そう大きな工夫はいらなかっただろうけれど、
この自然石の平板はどのように切り出されたモノか、
また、ここまで運搬して屹立させた橋脚部にわたす工事は
どのように行ったのか、その工事の年代も考えてみて興味を持った。
この神社と橋の手前には「朱塗りの美しい神橋」が掛かっていて
案内などはそちらについて記載されているけれど、
この自然石渡しかけの橋については説明がなかった。
はるか昔人の労苦に思いを至らせて、謹んで渡らせていただきました。
Posted on 5月 22nd, 2019 by 三木 奎吾
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きのう書いた国宝・羽黒山五重塔続篇です。
五重塔という建築はお釈迦様の墓、というような意味だそうですが、
宗教性を持った建築そのものですね。
住宅というのは、こういう志向性を持つということは少ない。
いわゆる大工という存在は聖徳太子が四天王寺を建てたのが
日本における国家的宗教建築の最初であり、
そのときに朝鮮半島地域からいまも存続する「金剛組」の始祖が
日本に来て、その後「宮大工」として建築を管理し続けることで、
徐々に各地に宗教建築が建てられるようになったとされる。
日本全国に「国分寺」を建てるという詔勅を聖武天皇は発するのですが、
そこから主に「社寺建築」という公共事業のゼネコン的仕事として
いわゆる大工という仕事は広がっていったのでしょう。
ただし、この羽黒山五重塔は開基伝承として平将門の名が記されている。
将門という人物は関東の独立を志向して、
政府軍に鎮圧された関東の武家のシンボル的存在。
また、怨霊信仰としては菅原道真と並び称される存在。
「ひそかに」であるのか、公然とであるのか、
かれを始祖伝承に持つというのは、出羽三山という存在のありようの
日本社会での位置の一端を示してもいる。
菅原道真は怨霊として政権中枢を揺るがして、その鎮魂のために
各地に「天満宮」が造営されてきた。
一方で将門は、こうしたいわば公的な「鎮魂」はされなかった。
その彼の名を縁起にせよ、持っているというのは特異。
おっと、また、歴史ネタで空想が広がってしまう(笑)。
建築的に面白かったというか、ナゾを感じたのは2点。
1 いわゆる「心柱」が、基壇部には接続していなくて、2層目から
立ち上がっているのだということ。
2 この「心柱」は、つる性の植物繊維で「結びつけ」られている、ということ。
1については、400年前の再建時に心柱下方が腐っていて
それを除去して2層目からとしたのだというのです。
一般的に塔の建築では心柱が耐震性の基本のように思っていたのですが、
それが2層目からのものとなると、どのように地震の力を
受け止め、いなしているのか、大きく疑問に思った次第。
今回、明治以降で初めて公開されたということで、
建築力学的な解析研究も進むのではないかと期待しています。
2はもっと不可思議。実際に内部を見て確認もしました。
つる性植物をこのように使うと、
「揺れなどの力が加われば加わるほど、捕縛力が強くなっていく」
という説明をいただいたのですが、
こういう力学的な解析もぜひ、期待したいなと感じていました。
読者の方でこれらについて知見のある方のご意見をいただければと希望します。
Posted on 5月 21st, 2019 by 三木 奎吾
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歳を取ってくると、ふつうに古寺巡礼のようなことが
趣味生活の大きな部分を占めるようになるのでしょうか?
WEBで発信される情報でも、こういう情報に敏感に反応してしまう。
明治以降ではじめての内部公開だという。
先般も「出羽三山の魅力に惹かれた民族歴史」みたいなことを書いたのですが、
その中核的な存在である出羽三山神社の「羽黒山五重塔」内部が公開される
という情報に接して、建築的興味抑えがたく、拝観してきました。
日本の「山岳信仰」の系譜として修験道は、飛鳥時代に役小角(役行者)が創始した。
かれ自身は生涯、特定の宗教に帰依しなかったようです。
というよりも、日本人に濃厚な「自然崇拝」は、やはり縄文以来の
この列島の地形・自然、なかでも特徴的な山岳に対する尊崇心が
そのまま、存続してきたモノであるように思えてなりません。
そのなかでも出羽三山に対しての尊崇心は特異に進化してきた。
日本人には宗教心よりも「美」に対する尊崇心の方が優勢である、という
そのような文化の深層への意見が強い。
廃仏毀釈とか神仏習合とか、日本は宗教への対応を経験してきたけれど、
宗教の側では案外柔軟に対応してきた、とされる。
日本人は「絶対的観念」への尊崇よりも、違う価値観が優勢している、
どうもそれは、縄文以来の自然の美への尊崇ではないのでしょうか。
役行者の「思想」のほうが先行的な精神といえるのではないか、
そういう気分が濃厚に感じられると思っています。
出羽三山というのは、そういう日本人的心性のなかでも
ある強い磁場を形成してきたように思われます。
都からは離れているけれど、日本海交易という長く主要物流航路であった
そういう視点から見れば、きわめて近接的であったのではないかと思う。
都人、その文化にとって熊野とならんで言の葉に上る、
そういう存在だったのではないか、と思えるのです。
さて、すっかり前振りが長くなってしまった(笑)。
この五重塔は神社全体から見れば里山にあります。
神社本殿は羽黒山山上にあるのですが、里の宿泊施設群、
寺院建築に特徴的な何々「坊」といわれる建築群にほど近い山林中にある。
このあたり、神仏習合が出羽三山の成り立ちであった証拠ともいえる。
ただし、自然信仰よろしく、神威を感じる瀧であるとか、
直立する杉林などの奥深くに建てられている。
すぐ近くには「爺杉」という樹齢千年を超えるとされる杉も残っているなかに
この古建築は建っている。
わたし的には、杉林がやや途切れた地面からの反射光が
この五重塔の木組み面を下から照らし上げて、
さらにその表面が白くなっているので、反射光がより際だっている、
そういう印象を持ちました。
塔身には彩色等を施さない素木の塔というのがこれの特徴とされるので、
そういうことなのでしょうか?
杉というのは経年して、このような皮膚表情になるのか、と思った。
ほかの社殿建築もほぼ同様の表情を見せていたので、
そういうことであるのは間違いがないのでしょうね。
杉の表面が経年劣化して行くとこのような表情になるとは、
案内のひとから聞いた次第ですが、今度、専門家にも確認してみます。
Posted on 5月 20th, 2019 by 三木 奎吾
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