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【機能進化と家族関係の「退化」 日本の大モンダイ】


写真下は最近の一般的な現代住宅のキッチンダイニング。
現代ではこういう空間が「家族団欒」の中心でしょうね。
このスペースに隣接してリビングがあってテレビが鎮座している、
というのが一般的な現代人の住まいといえるでしょう。
で、住宅企業としてはこうした空間についてその意匠性や機能性を
「差別化」要因として、建て主に「提案」することになる。
ただ、情報の画一化も進行しているのでなかなか差別化は難しい。
一方で上の写真は宮城県の古民家での囲炉裏端風景。
大体調理を行うのは土間空間であって、そこにかまどが装置され
「流し」などもあってそこで調理したモノを
この囲炉裏を囲んで家族で火を介在させながら食事した。
テレビなどの情報機器はないから、ここでの家族の会話が
最大の「情報摂取機会」でもあった。
家族の会話はおたがいの状況を知って対応をみんなで考える場にもなった。

さてどっちが、「より癒されるか」。

・・・って、いかにも示唆的なので
古民家愛好家であるわたしの感覚を知っているみなさんは、
大体の決まりパターンだと思われるでしょうね(笑)。
その通りだと、わたしも思うのですが、しかし、
こういう風に対比させると「なにが進化し、なにが退化しているか」
ということを検証するきっかけになるのではと思う次第。
機能的にみてみると、やはり家事労働の総量は減っているでしょう。
調理に要する「火力」だけとってみても、
古民家ではひたすら家周辺から採取してきた薪がエネルギー源。
人類進化のプロセスでこのバイオマス熱源の採取と利用のバランスが
人口密度を決定したという説も有力と言われてきた。
さらに食材もひたすら「自然食材」なので調理には手間と時間がかかった。
こういった調理労働への労力負担がきわめて大きい。
現代ではこうしたエネルギーはスイッチひとつになった。
なので人口密集度はきわめて高くなって、都市集住が多くなった。
食材についても、生産から流通過程すべてで家庭での調理を簡便化する方向で
進歩してきたし、家電などで食材のストックも容易になった。
総じて家事労働の負担は大きく低減化してきた。
しかし利便性の進化は、家族関係の相対的「退化」も促したのではないか。
下の写真で想定される「家族の会話」風景を想像してみる。
まず父親は夕食時、いっしょにいるのだろうか?
いっしょにいるとしても会話の代わりにテレビの饒舌が聞こえてこないか。

こういうふうに対比させてみると、
「家族」というもののありよう自体が、変化していることに気付く。
下の写真の現代住宅に「無性に還って来たくなる」気分が起きるかどうか。
世界は今、無意識のうちにアングロサクソン社会の「核家族」を
共通価値感のベースに据えてきているけれど、
きのう書いたように、そのイギリスが「孤独」社会化を迎えていることを
われわれはもっと深く受け止めなければと思う次第です。

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