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【羽黒山五重塔で感じたナゾ】

きのう書いた国宝・羽黒山五重塔続篇です。
五重塔という建築はお釈迦様の墓、というような意味だそうですが、
宗教性を持った建築そのものですね。
住宅というのは、こういう志向性を持つということは少ない。

いわゆる大工という存在は聖徳太子が四天王寺を建てたのが
日本における国家的宗教建築の最初であり、
そのときに朝鮮半島地域からいまも存続する「金剛組」の始祖が
日本に来て、その後「宮大工」として建築を管理し続けることで、
徐々に各地に宗教建築が建てられるようになったとされる。
日本全国に「国分寺」を建てるという詔勅を聖武天皇は発するのですが、
そこから主に「社寺建築」という公共事業のゼネコン的仕事として
いわゆる大工という仕事は広がっていったのでしょう。
ただし、この羽黒山五重塔は開基伝承として平将門の名が記されている。
将門という人物は関東の独立を志向して、
政府軍に鎮圧された関東の武家のシンボル的存在。
また、怨霊信仰としては菅原道真と並び称される存在。
「ひそかに」であるのか、公然とであるのか、
かれを始祖伝承に持つというのは、出羽三山という存在のありようの
日本社会での位置の一端を示してもいる。
菅原道真は怨霊として政権中枢を揺るがして、その鎮魂のために
各地に「天満宮」が造営されてきた。
一方で将門は、こうしたいわば公的な「鎮魂」はされなかった。
その彼の名を縁起にせよ、持っているというのは特異。
おっと、また、歴史ネタで空想が広がってしまう(笑)。

建築的に面白かったというか、ナゾを感じたのは2点。
1 いわゆる「心柱」が、基壇部には接続していなくて、2層目から
立ち上がっているのだということ。
2 この「心柱」は、つる性の植物繊維で「結びつけ」られている、ということ。
1については、400年前の再建時に心柱下方が腐っていて
それを除去して2層目からとしたのだというのです。
一般的に塔の建築では心柱が耐震性の基本のように思っていたのですが、
それが2層目からのものとなると、どのように地震の力を
受け止め、いなしているのか、大きく疑問に思った次第。
今回、明治以降で初めて公開されたということで、
建築力学的な解析研究も進むのではないかと期待しています。
2はもっと不可思議。実際に内部を見て確認もしました。
つる性植物をこのように使うと、
「揺れなどの力が加われば加わるほど、捕縛力が強くなっていく」
という説明をいただいたのですが、
こういう力学的な解析もぜひ、期待したいなと感じていました。
読者の方でこれらについて知見のある方のご意見をいただければと希望します。

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