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メディア報道の偏向性

どうもこのところのメディアの報道ぶりにはやや、奇異の感がぬぐえない。
消費税を巡っての大手マスコミの軌を一にしたような
「増税大賛成」の論調が顕著であります。
そして民主党から増税反対で離党した小沢新党に対する敵愾心は
メディアとしての「中立性」をかなぐり捨てている。
マスコミというのは、なぜこうまでかれを叩きたいのか?
もはや、異常なレベルのように思われる次第。

日本の大手マスコミというのは、新聞が一番顕著ですが、
もはや、30代以下の年代層の読者を基本的に失っている。
そういう意味では、存在自体が「既得権益層」になっているのではないか。
いつまでもステレオタイプの「政治と金」というような
殺し文句を書いていれば、民衆から拍手喝采でも飛んでくると
かたくなに、その地点にしがみついて、
蛸壺のような穴の中から世界を論難しているように思えてならない。
しかし、若い世代はそのような古い価値尺度の正義感の振り回しに
けっして同調しているとは言えない。
希望もなく、この国の絶望的な未来を見据えながら、
負担だけが増えていくことを「決める政治」を見つめ続けている。

新聞は再販制度によって守られた業界。
マスコミというのは、さまざまな利益供与を体制側から受け続け、
いつしか、体制の最大の与党勢力に変わってしまっているのではないか。
少なくとも、ひとつくらいは消費税反対を言うメディアが
普通の民主主義国家なら、あってもおかしくないと思うけれど、
ここまでみごとに体制翼賛であるというのは、まことに変な光景。
普通は少数意見を言う勢力に対して十分にその意見に対しての配慮を、
これまでのメディアは心がけてきたように思う。
それがいまやむしろ、寄ってたかっていじめているように思われる。
特定の政治的意図を持って流された可能性が高い
小沢の妻の「手紙」なるものが
なぜ、どのようにして、あの消費税政局のただなかの時点で流されたか、
そういう検証を行うメディアひとつもない。
素性不明な「怪文書」が、民主党議員全員や民主党支持者に郵送で配られていた
という謀略めいたことが白昼公然と行われたことについて、
読売新聞に至っては、それを事実と判定したように報道もしていた。
まぁ、事実関係については一般市民であるわれわれには検証しようもないけれど、
ああした文書が大量に配られたこと自体は、
なんらかの組織的な狙いがあったことは常識的に明らかだと思われる。
むしろそのことに、メディアは社会の木鐸として興味を持つべきではないのか?
しかし現実には、かれはまるで金権政治家の権化のように見えるから
事実なのかどうかは別にして、
小沢は叩いても当たり前なのだという「世論」が
メディアによって燃えさかっている。
ここ数十年にわたって、こうした状況が続いているけれど、
小沢一郎という人物は、そんなに悪い政治家なのだろうか?
メディアは、物陰から撃つようなことはやめて、
なぜ小沢を攻撃するのか、正面からその根拠を示すべきだと思う。

しかし変化というのは、こういう状況が崩れるときに
顕在化するというのも、これまでの日本の政治の特徴でもあったと思います。
日本のマスコミが願望するような方向に必ずしも日本の民意は
動いてこなかったのが実態だと思うのです。

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