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電気の本質は「便利」なのか?

先般の「北の国から30周年」番組への雑感その3です。
作家・倉本聰さんの提言はいくつかのテーマがあったのですが、
その最後に語られていたのが、
便利さと、さまざまな「家電製品」、電気と言うこと。
富良野での活動の中で、
「富良野塾」という俳優養成私塾の活動が大きな部分。
その卒塾生たちが再度、倉本さんに集められて
あるアンケート回答をさせられていた。
それは、いまある家電製品がどれくらい大切かを答えるというもの。
富良野塾での活動当時は、自分たちが生きていくのに大切なものは何か
という問いに対して、
水とか、ナイフとか、食べ物という答が上位の生活をしていた卒塾生の
現在の意識を問うというものでした。
ちなみに、原宿で現代の若者に同じ問いを発したら、
1位がお金、2位がケータイ云々ということだったので、
そういう相違を浮き上がらせようという企画だったようです。

結果は、想像以上に明白なもので、
家電製品というものが、必需品とされているのに、
その本質というのは、やはり「便利」ということであって、
衣食住の基本が成立しないという部類のものではないという結果を出していた。
そして、富良野塾で、サバイバルな生活を体験した人たちでも
一般の暮らしの中では、
そういう種類の便利さに、大きく引きずり込まれていくのだということ。
それが現代社会の本質であるということでしょうか。
いうまでもなく、これは原発の事故の教訓から
電気への依存から自由になって行くにはどうすべきかを
倉本聰さん的にリードしていくような展開になっていたわけです。

ここで、豊かさについて
もっと突っ込んでいくことが面白いなと思ったのですが、
ある意味で、予定調和的なところに展開は進んでいました。
いまの社会の論議の中で、
世界の状況をも合わせて考えていくと、
より本質的には、16世紀くらいから開始した
資本主義国家間戦争の時代から、
資源大量消費型の「発展」という社会目標が今後、どうなっていくのか、
そういう論議が必要になってくるものかも知れません。

エネルギーは現在の生産活動維持、社会体制維持のためにも必須です。
もしそれがなくなってしまえば、
われわれの社会が成立しなくなっている。
そのような大きな転換は起こりえないとせざるを得ない。
しかし、エネルギー依存は低減させていかなければならない。
そしてそういう社会発展(?)のなかで
「豊かさ」について、
誰もがわかるような基軸を確立していかなければならない。
どうも、なかなかに難しい局面に立ち至らざるを得ないのが現代ですね。
わからないなかで、
それでも、前に進んでいかなければならない。
暗夜行路、というのが実感でしょうか。

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