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注文住宅の「施主力」

NPO住宅110番への最近の投稿から。
ある設計者に依頼して、工事も進んでいるけれど、
詳細な仕上げなどを確認したいが、なかなか取り合ってもらえない。
っていうような投稿がたまにあります。
書かれている内容自体は、
大きな問題とは言い切れず、確認の不足とか
相互理解の不足という問題のように思われます。
なんですが、こういう問題、最近たいへん多いように感じています。

設計事務所への依頼、というのは
これまでは、頼む側でも、ある種の思い切りがあったように思います。
これまで、というか、わたしたち、20年も前、建てた人間からすると
詳細な仕上げの品番まで確認するような考えはなかった。
そういった部分は、トータルとしての
まとまりのある統一感を持ったデザイン領域であり、
そういう部分は、ある程度信頼して、
その設計者の技量とか、センスを信頼し、
できあがりにある種の驚きも感じたい、と考えていたと思います。
そっかぁ、ここの仕上げはこうしたんだ、と新鮮に思えた。
それは、態度の問題として、プロへ託したことを楽しむゆとりでもあった。
まぁ大まかには、というか、こだわる部分では
詳細にお互いの認識、感じ方に大きな差異がないか
確認はもちろん、していた。
けれど、その辺の重要か、そうでもないかという、
呼吸の部分は、お互いに認識があったと思うのです。

結局、すべてがこういう問題になってきている。
想像力が不足して、
なんでも直接的にわかりやすくないと、
すぐにでも裁判になっていきそうな雰囲気一杯になっている。
注文住宅という、もともと不定型なものを依頼しているのだから、
完全にすべてのディテールまで把握するのは
そのこと自体だって大変です。
ましてやお互いの信頼感は、お互いに作り出すように努力すべきもの。
やり取りを読んでみると、そういった部分が透けて見える気がします。
同じことを言っても、言い方のニュアンスひとつで
ユーモアになったり、逆にクレームになったりする。
一緒にモノを作り出す以上、
そういった部分で、信頼関係への想像力が不足すると、
まことに残念な結果になる。
どうも、こういうことが、マニュアル教育の結果、
すごく想像力不足を招いている。
どうも、そういうことが蔓延してきているのではないでしょうか。
建て主としては、プロを使って
自分の理想の家を建てるのだ、という意識が欠けてきて
細かいことにばかり意識が集中してしまい、
結局は、既製品に近いような家を求めているんじゃないか、
どうも「施主力」というようなものが、
論議される必要があるのかも知れませんね。
<写真は一昨日宿泊した仙台のホテルから、夏雲を>

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