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看板建築

江戸時代以来一般的だった商店(店舗兼住宅)は、軒を大きく前面に張り出した「出桁造」と呼ばれるものであり、立派な軒が商店の格を示していた。
関東大震災後の復興では土地区画整理事業を実施し、街路を拡幅したため、各商店は敷地面積を減らさざるをえず、軒を出すのは不利であった(道路上に軒を出せば違法建築である)。また、耐火性を向上させるため、建物の外側を不燃性の材質(モルタル、銅板など)で覆う必要があった。加えて、庶民層の間にも洋風デザインへの志向が強くなってきていた。
こうした条件が重なり、震災復興の過程で大量の看板建築が造られることになった。擬洋風建築が大衆化したもの、という見方もできる。
典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で、屋根裏部屋を造り、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつける。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名された。建築物の造作に商店の「看板」を作りつけたものではなく、看板建築の平面は看板・広告スペースとして用いられるものではないことに注意。

っていうようにWikipediaには紹介されている「看板建築」。
擬洋風建築っていうのが、デザイン的なポイントなのでしょうが、
だからといって、2階のさらに上に
パラペットを回して、そこに洋風建築のように見せかけるというのは
なんとも、植民地的なデザイン感覚だったものだと驚く。
木造であるのに、あたかも木造ではなく
組石造のように見せかけたい、という心理状態に多くの日本人がなっていた。
また、関東大震災という民族的体験が
道路の拡幅という結果をもたらし、その結果から狭小敷地化も
スタートしたかのように思えてくる。
日本はこの百数十年にわたって、欧米信仰のなかに集団的に突入していた。
どうもそんなような印象を覚えてならない。
まぁ、徐々に姿を消していったわけですが、
つい最近までの「輸入住宅」への憧憬というように
ときどき発作のように流行ったりする。
まことに、日本人にとって、決定的な刷り込みがあったと思わざるを得ない。

北のくらしデザインセンター
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