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【職住一体・町家内部空間のサスティナビリティ】


住宅を取材して帰ってくると、不思議と好ましい写真に出会います。
この写真は福岡・博多の祇園山笠でおなじみの櫛田神社近くの町家。
ちょっとした飛行機待ちの空き時間、
ホテル周辺で散策していたときのワンカットであります。

わたしもいまは、「職住一体」という暮らし方に変化しています。
こういう暮らしようって、昭和中期までは日本人にとって
どっちかというと多数派のライフスタイルだったと思います。
都市での暮らし方では、武家以外の庶民はこういう空間で過ごすケースが多かった。
主人一家は当然、こういう空間での職住一体生活空間であり、
使用人たちは、こういう「商家」が仕事ですごす主要な空間。
かれらの日常の暮らしは「長屋」のような賃貸住宅が一般的だった。
こういう「町家」では、間口が税金の単位になっていたとされ、
間口が狭く奥行きが長い、という形式が合理的間取り選択になっていた。
必然的に真ん中に土間通路が移動動線として確保され、
その左右に、あるときは接客的な空間、商売のための空間、
またあるときは一家団欒の空間と、役割が多様に展開していた。
こういった多様な用途に対応した空間に対して、壁面には
さまざまな収納装置が仕込まれていて、場面転換が仕掛けられていた。
また、土間という空間はまことにあいまいな多目的空間で、
それは往来の延長であって、来客も遠慮なく内部奥深くまで
導き入れる融通無碍な空間がまっすぐに奥まで貫通していた。
こういう空間性が持っていた人間行動規則、倫理観というようなもの、
たぶん意識下の世界で日本人に相当刷り込まれている部分が大きい。

ちょうど自分自身も、いま、こういう空間性を追体験しているので、
いろいろなイマジネーションを刺激される部分がある。
ただし、北海道なのでこういう融通無碍でありながら、
高断熱高気密であるという機能的与条件が加わる。
これから、日本は人口減少社会を受け入れて行かざるを得ない。
ヨーロッパ諸国などのように、急激な移民政策にまでは踏み込めないだろう。
そういうときに、住宅はコンパクトで多様性に対応できることが、
大きな価値感を持つのではないかと想像しています。
町家には、そんな想像力を豊かに掻き立ててくれる、
日本人の空間の知恵が凝集されている気がしてなりません。
<本日は更新が大幅遅れました。ご容赦を>

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