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極彩色の建具ー東照宮3

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写真を再度チェックしていて、まぁ、圧倒される。
ここまでデザインもキッチュで、ファンキーなテーマで、
しかもカラフルでにぎにぎしい。
陽明門の左右の塀を飾っている間の戸、嵌め込まれた建具の様子。
柱の寸法は決めているでしょうから、
この彫刻建具は、たぶん、製作の工房で集中的に仕上げられたものでしょうね。
デザインモチーフと、下絵のような設計図が彫刻職人に渡されて
大量生産のように生み出されたものと思われます。
わたしたちが、日本の伝統とかいう場合、基本的には
「わびさび」というような世界の表現が思い起こされるのが一般的。
幽玄であるとかの、静謐な世界というのが想起される。
そういうのって、哲学的には禅の影響が大きいのか、
それとも、仏教的な価値観による無常観が支配的と言うことを表しているのか。
いずれにせよ、表現物の先に精神性の世界が見え隠れする。
そういう一般的日本文化に対して、
どうにもこの江戸初期の文化世界の極彩色文化は特徴的。
上方から権力の中心を無理矢理持ってきた
江戸の新興の文化の初々しさが、こんな表現につながったのか。
やはり浅草寺とか、江戸の町人文化の色合いを強く感じる。
逆に、こういう東照宮造営というような巨大公共事業が、
江戸の庶民的なわかりやすい極彩色文化を生み出していく母体になったのか。
それまでの文化が、京都を中心にして生み出されてきたのに対して、
新開地としての江戸に権力が移ってきて、
そういう浮き浮きとしたような気分が、こういうデザインを生んだのでしょうか?
思い切り現世利益的で、蠱惑的な
経済的にも、バブリーな世相を感じさせるようです。
たぶん、江戸の下町で、こういう彫刻建具を制作して大きな金額を手にして、
降るように金が動いていたのが、江戸初期の世界だったのかも知れません。
永く続いた乱世を収束させ、
政権の安定を考えれば、景気対策として好況を演出する必要があり、
こうした大枚の公共事業が、その役割を担っていたものと思われます。
そういった雰囲気が、こういうデザインからは推測されてなりません。
戦国乱世のプロセスで、争った結果として各地の経済力が向上し、
そういう生産力の向上が、庶民経済の時代の到来を準備したものでしょうか。
まるで曼荼羅世界のような繰り返しの大量な極彩色の世界を見て、
その背景を考えてみるとき、
そんなような思いが募ってきます。
北のくらしデザインセンター
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