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陽明門ー東照宮2

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日光東照宮といえば、極めつけというのは陽明門。
どの建物も凄い装飾性で目を奪われますが、
そのなかでも極めつけにすごいデコレーションが施されている。
入母屋の屋根で唐破風が東西南北に配置されている。
門本体部分から、屋根に掛けてせりあがりの美しさが圧倒的。
そのせりあがりも、さまざまな動物の彫刻がなんども繰り返されている。
ここでは龍や狛犬が主要な動物。
この建物は、方角的にまっすぐ南下すると江戸城に至り、
まっすぐ北側には北斗七星が位置することになっている。
「我、八州の守護たらん」と、死後の役割を規定していた徳川家康の意志を
建築的に表現しているのだそうです。
こういう装飾性の豪華さに目を奪われてきて
ふと、ヨーロッパのベルサイユ宮殿などとの類推が頭に浮かんできました。
時代的には、ほぼ同時代と考えられるのですが、
この時代の精神性に、こういう建築表現が合ったのかも知れないと思います。
同時代の建築家といってもいい、と思われる小堀遠州の作庭にも通ずる
「豪華絢爛」への憧憬が強烈だった、のでしょうか。
現代では、このような時代精神は思い起こそうとしても感受しにくい。
現代で立派な建築という場合、
装飾性というのは、このような方向性を向くことはない。
どう考えても、機能性という部分で、あまりにも装飾が過剰すぎる。
こういう建築的な志向性というのは
やはり建築主の精神性を色濃く反映してはいるのだろうと思う。
そう考えると徳川家康というのは、日本史上でも稀有なシステム構築者だと思うのです。
徳川時代という安定的な社会システムを
実にあれこれ作ってきたひとだと思う。
戦国期を通して巨大なパワーを持っていた本願寺勢力を
東西に分断して勢力を各個分散させて支配したあたりなど、
実に巧妙な仕掛けとか、仕組み作りに長けていた。
そういった支配者の個性を把握して、建築を考えた担当者たちが、
こういった建築のデザインを作っていったというものなのではないか。
細かく組み上げられている建築装飾の連続性などに
ふと、システム構築的な粘着的な精神性を見る思いがしてくるのです。
公共事業的に大変な費用がこれらの建築には費やされただろうけれど、
その計画立案にあたっては、施主側に計画が採用されねばならないわけで、
権力側の意志とか、好みのようなものをデザイン的に満たす必要は当然あったでしょう。
この陽明門の意匠デザインを見ていて、
繰り返し展開される装飾世界に、そんなような印象を抱いた次第です。
北のくらしデザインセンター
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