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【石ノ森章太郎の実姉がつくった人形】

 石ノ森章太郎の「生家」取材シリーズです。わたしの場合、特定テーマについて気付くことを書いていくときに、この「毎日更新」のブログという機会設定はちょうどいいと感じています。取材現場では写真撮影と、そのときに「感受したこと […]

【祖母の「母性」痕跡の空間】

 昨日の続きで、宮城県登米市の石ノ森章太郎生家で感じたことシリーズです。  少年・石ノ森章太郎は、この生家で祖母が往来の繁華な道路に面した店舗を営業しながら、その成長を支え続けたのだという。こうした店舗守りという暮らし方 […]

【作家の住空間探訪の「奥行き」感】

 もう少しで電子書籍「作家と住空間」が上梓されるのですが、そこで探訪した作家群の取材以降も、折に触れて全国各所で探訪を続けています。基本的にはその作家の「住んでいた」住宅そのもの、あるいはその残滓が感覚できる空間~作家記 […]

【雪との対話もいよいよ晩冬期、除排雪風景】

 雪国人にとってほぼ半年にわたる「雪との対話」は、生きている証のようなもの。雪は個人の状況とは無縁にそれこそ自然の営みそのものとして関与してくる。一方年々加齢は進行してくるけれど、毎年、雪と体を通して相対しているとそれ自 […]

【津軽と北海道。雪と住宅のワンシーン】

3月の声を聞いて集中除排雪も来てくれたのですが、冬将軍さまはいじわるのように毎日頑張っております。昨日も夫婦でおおむね30分ほどは除雪していましたが、この時期になってくると北海道の真冬らしい「軽い」雪質ではなくて、本州日 […]

【母村という新たな民俗概念 十津川と「新十津川」-9】

 大阪豊中の民家園でみつけた「十津川の家」参観体験から、北海道人としてすぐに思い至った新十津川の由来、その地域同士の関係性について想念を巡らせてみた。本日でひと区切り。  敬愛する作家・司馬遼太郎の著作でも「街道をゆく」 […]

【明治22年北海道への集団移住 十津川と「新十津川」-8】

 前章までで触れたような独特の地域風土と歴史経緯をもった十津川の地を大水害が明治22年夏におそう。  地域産のスギ材などを出荷する地域の大動脈となっていた十津川自体の流路が大破綻してしまって、その復元のメドすら立たない中 […]

【山間集落の中核・丸田家の間取り 十津川と「新十津川」-7】

この十津川郷の人びとの暮らしようとして対外的な交易による収入手段は林業生産。とくにスギの植林がさかんだった。そういった植林と伐採・出荷が営々と行われてきた。当然、十津川という河川を使った運搬が交易路。その運搬のためには伐 […]

【幕末明治の勤皇 十津川と「新十津川」-6】

 上の写真は、今も使われる十津川の村旗で上には朝廷への勤皇思想を表す菊の紋章があしらわれ、その下に「十」の字がマークされている。もとは丸に十だったけれど、薩摩家と類似するので菱にしたという。北海道の新十津川も同じ紋章。右 […]

【青森県東部と北海道のさかな大好き談義】

 わたしのブログ記事ではときどき魚の捌きなどを書くのですが、今回久しぶりの八戸周辺訪問と言うことで、敬意を表して「八食センター」を探訪しておりました。  扱われている魚種は、その時期の旬の魚たちなので、訪問中の食事でなに […]