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【町家「鹿沼家」と幕府の税制 大和歴史証言-25】

奈良盆地の古民家探訪、今回は盆地の南西部・大和高田市の町家。 大和高田市は古来から東西に「横大路」(初瀬街道)と南北には 「下街道」という主要路が交差した要所で近世までは 宿場町・商業の町として発達したとされる。 鹿沼家 […]

【多武峰ふもとの農家「萩原家」 大和歴史証言-24】

きのう地図を表記したのですが、奈良県桜井市下という地域は 多武峰山頂まで5km弱で、飛鳥京からも5-6kmほどの近接ぶり。 下村は宿場で栄えた桜井から南方へ約2km離れ多武峰に向かう街道に沿った村。 萩原家は村北部にあっ […]

【奈良盆地東南、多武峰への高台農家 大和歴史証言-23】

奈良県の人口は132.2万(2020年)、うち奈良市は36万人ほど。 奈良市は県の最北部で淀川方面に向かって開いて行く地域。 そして県の北西側平野部・奈良盆地にほとんどの人口が集積している。 それ以外は紀州に向かって山岳 […]

【楠木正成の末裔「旧赤土家離座敷」 大和歴史証言-22】

奈良県、奈良盆地には日本という国・社会の歴史が凝集している。 一般的な農家住宅であってもごくさりげなく歴史が紡がれている。 もと奈良盆地の西部・大阪に近い香芝市狐井に建っていた農家住宅、 赤土家(しゃくどけ)にあった離れ […]

【江戸期「旅宿」機能のしつらい 大和歴史証言-21】

さて、奈良県立民俗博物館の展示住宅「臼井家」を見て来たけれど、 説明資料と実相にはやや相違があるように感じられた。 わたしとしては「半商半農」的住宅という説明はなじまなく感じ むしろ江戸期の移動交通の実相を伝える貴重な民 […]

【移動交通「用の建築」の空気感 大和歴史証言-20】

江戸期の「駅逓」とでもいえる用途の建築、旧臼井邸。 一種の「公共建築」という方がその機能を表している。 上の写真の、庇が張り出した半外半内的な空間などは 一種の「プラットホーム」というような機能空間だとわかってくるし、 […]

【公用伝馬役「伊勢屋」縁空間 大和歴史証言-19】

公用伝馬役という江戸期の交通制度を担っていたのがこの家の基本的な役割。 当然、現代住宅のように「個人主義」的建築目的とは相違する。 高取藩という公儀に対してその公用交通の人馬を用意していた。 以下、日本大百科全書(ニッポ […]

【旧・高取藩城下「半商半農」の町家 大和歴史証言-18】

旧臼井家住宅(国指定重要文化財) 母屋/切妻造茅葺き 桁行9間 梁間3間 二面庇付き本瓦葺き 内蔵/土蔵造り本瓦葺き 2階建て 奈良県をよく旅するようになって気付くのは 奈良県というのは南部の多くが山岳地帯であり、その山 […]

【奈良古民家の調理火力「おくどさん」 大和歴史証言-17】

さて本日から通常の住宅探訪シリーズに復帰いたします。 奈良県での飛鳥、纏向の探訪シリーズの延長で大和郡山の奈良県立民俗博物館 野外展示の古民家群からであります。 写真の住宅は旧・臼井家住宅。建築推定年代は1700年代初期 […]

【古民家はひとの「生き死に」を感じさせる・・・】

しばらく歴史時間が経過したら、このいまの日本の状況は 「あのとき・・・」と語られる時空間になっていくと思う。 宮内庁情報として「天皇陛下のご心境」について側聞する形の発表があり 「こころを傷められている」とされた。 天皇 […]