
札幌はここのところ暑い日が続いております。
先週いた東北の方は、そこそこで、
天気もイマイチだったので、過ごしやすかったけれど、
札幌に帰ってきて毎日、きびしい暑さが襲ってきていますね。
南北逆転現象なのか?
きのうは久しぶりに札幌のオフィスで会議やらなにやら。
会議は、仙台と札幌で2元会議。
パソコン通信を使って、遠距離会議であります。
音量の面で合計6人では若干、「あ、あ??」ということもありますが、
まぁなんとか、遠距離を途中では感じなくなってくる。
表情や、ボディアクション付きでメッセージがくると、
メールの文章だけでは伝わってこない消息が見えてきます。
それが、お金がかからずにインターネットの広域帯通信程度で可能になる。
やはり、スタッフ全員での意思疎通が実現するのは素晴らしい。
昭和の中期年代のわたしとしては、
まことに隔世の感が強く感じるところですが、
それ以上に、みんなが違和感なくこういう環境を使いこなすようになってきたことが
ちょっと落ち着いて考えてみてすごいなと思いますね。
きのうは2台のパソコン同士での会議でしたが、
もっと多人数でも出来ると思うので、
みんながそれぞれのデスクで、多人数の打合せもできますね。
まぁ、カメラ視野の問題とかあって、
こちら側は4人で、仙台は2人でしたが、
こちらの参加者が2人までしか画面に登場できない。
ぎりぎりカメラ視野と、音声のストレスのない伝達のことを考えたら、
まぁ3人が限度なのかなぁと思われた次第です。
このSkypeに広告媒体の可能性を見いだしている広告会社もあるようですが、
さてどうなんでしょうか?
こういうツールに広告が乗っかるには、
最終的な見える部分ではなく、仕掛けの部分でしかあり得ないと思われる。
ただ、Skypeでユーザーとのインターフェースは確実にリッチ化するので、
そういう説得型の商品の場合には可能性があるでしょうか?
ちょっと、その進化が気になるところではあります。
Posted on 8月 9th, 2011 by replanmin
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本州地域での夏場の「住宅性能」について考えると
通風・換気窓・日射遮蔽・植栽、
というような基本要因に突き当たる。
高温多湿の自然条件の中で、どうやって涼を感じる暮らしを実現するかと考えれば
自ずとそうなってくる。
自然の摂理を受け入れてパッシブ的に考えていけば、
誰が考えても、こういった知恵になっていく。
で、考えるほどに伝統的スタイルが理にかなっていると思われる。
断熱については、屋根の茅葺きというのが
自然の断熱材として若干は機能してきた。
また吸放湿性を持った土壁や土間が、気化熱作用で
内外に温度差をもたらせてもきた。
この工夫は断熱ではないけれど、その欠落を補う要素は提供していた。
その結果、外気からの室内への通気が促され、
開け閉めの簡易な建具を開放することで、
空気の流動が保証されて、気温低下というよりも体温低下がもたらされた。
高い位置に開けられた換気窓は、この暑い時期に効果を発揮し、
部屋上部の高温な空気を外気と流動させた。
庭の植栽は適度な打ち水で気化熱を発生し、
また成長することで、日射遮蔽を実現した。
それでも直射的に入ってくる日射に対しては、
葦簀のすだれがその温度上昇を緩和させてくれていた。
こういう写真に撮ると、
その日本の木造住宅の知恵が、そのままデザインされている。
あとは、畳を季節ごとにメンテナンスしたり、
建具も夏と冬で入れ替えたりしてきた。
大きな断熱要素であった屋根が大きく、
その分、採光という条件だけがやや厳しいとはいえたけれど、
それも「日本的感受性」を育んできた、と考えれば、
けっして負の要件とばかりも言えないのではないか。
こうした「パッシブ」な住宅のデザインが、
日本人に植え付けられてきた自然との対話の感受性の元にもなっている。
まずは、大きな力を自然に受け入れて
そのなかで、柔軟に生き続けていこうという考え方。
こういう古民家を見る度に、
むしろ、住宅性能的にそれを見ることを習慣化している次第。
日本人ほど合理的な民族はいないと思うから、
そのように考え続けている。
しかしやはり、このままでは、
屋根が瓦になったりして、冬場には寒い家になってしまう。
基本の駆体をいかに断熱的に造り、
そしてこの写真のような知恵を再度活かせるのか、
そういう意味では、目指すべき方向は明確だと思います。
Posted on 8月 8th, 2011 by replanmin
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災害が発生する度に、日本建築学会は
その概要を調査し、報告書としてまとめ上げる活動を即座に行います。
わたしのような、広告や出版といった世界を経験してきたものからすると、
「学会」という名前を聞いただけで、
すごい世界だなぁと思わざるを得ない。
いわゆる「学会」というものは、
日本学術会議という横断的団体の中に数多くあるけれど、
そのなかでも、もっとも古い部類の歴史を持ち
明治19年からの活動を誇ってきている。
社団法人日本建築学会は,会員相互の協力によって,建築に関する学術・技術・芸術の進歩発達をはかることを目的とする公益法人です。1886年(明治19年)に創立されて以来今日にいたるまで,わが国建築界においてつねに主導的な役割をはたしてきました。
現在,会員は3万5千名余にのぼり,会員の所属は研究教育機関,総合建設業,設計事務所をはじめ,官公庁,公社公団,建築材料・機器メーカー,コンサルタント,学生など多岐にわたっています。
本会は,その目的を達成するため,調査研究の振興,情報の発信と収集,教育と建築文化の振興,業績の表彰,国際交流,提言・要望などの事業を幅広く実施しています。また,全国に9つの支部と36の支所を設けて,それぞれの地域に即した活動を展開しています。
わたしのような経歴のものからすると、
このような自分の活動のマザーのような母艦がきちんと存在する領域への
憧憬を覚えざるを得ない。
自分はこうしたことで世の中にあって貢献していると
実感可能な世界、ということですね。
今回のような未曾有の大災害を経験して、いろいろに取材を進めているのですが、
ある建築設計の関係者から、
「だって、こんな千年に一度の大災害の時点で、自分が建築に関わっていることで、
なにがしかの活動を起こせるというのは、幸せだと思います。」
という言葉を聞いたことがあります。
そういう実感を持てる世界ということに
深く感動を覚えたものでした。
そういうことだったので、この日本建築学会の
「2011年東北太平洋沖地震災害調査報告会」という催事のことを聞いたとき
なんとか、取材しなければと思った次第。
近年、建築から学生たちの関心が薄れてきているのだそうです。
いろいろ、学際的な名称に学部名が変わったりしてきている。
すべての領域でこのような自信喪失状況というのはあるのでしょうか。
出版や広告の世界も、きびしい状況の中で存在基盤は揺らいできている。
これからを支えていく人たちにとって、
あるいは、志を持って仕事をしていこうと考える若い人たちにとって、
このような事態は、どのように感じられているのでしょうか? 不安ですね。
本題としての2011年東北太平洋沖地震災害調査報告については
まったく触れられませんでした(笑)。
でも、調査報告書の重量だけでも1kg以上はありそうな内容ですので
じっくりと読ませていただくしかないのです。
本当は札幌でも9日に報告会はあるのですが、
ちょうど取材も兼ねて、仙台で参加したかったという次第。
さて、これから詳細に読み進めていきたいと思います。
むむむ・・・。
Posted on 8月 7th, 2011 by replanmin
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日本の住宅には土間が伝統的にあって
その醸し出す独特の温湿度環境が、日本人の精神のなにかを造形していた。
わたしにはどうしてもそういう風に思われる。
土間を失ってからの日本人の暮らしに
ある致命的な喪失感があったのではないか。
それは「いなか・地方」的なものに対する「進歩」の概念として
「都市化」ということが普遍性を持って進展したことの結果だったのか。
都市には、過密が一対の概念で導入され、
希少化する土地条件の中で
床を張ることが出来ないという土間の本姓が、否定的に捉えられたのではないか。
スペースの利用効率を高める、という社会的な欲求が
個人レベルの住宅づくりにも貫徹され、
「なんとなく非効率そうな」土間が格好の餌食にされたのではないか。
京都町家という過密の中での都市住宅文化でも
きちんと土間が有効に活用されていた伝統があったのにもかかわらず。
特に戦後以降、欧米化の生活様式がテレビで流され続け
土間のないサザエさん家のような家が普遍的な日本の家屋として
イメージされ続けたことも大きいと思われる。
で、土間にたたずんでいると、
突き固められ続けてきた土が
室内に独特の空気感を与え続けていることに気付く。
土は、自然に存在するもので、吸放湿性がもっとも簡便に実現できる。
また、蓄熱性も大いに期待できる。
夏の暑い時期には、大きな屋根によって日射が遮られて
日射取得しない土間には、一定の温度環境が露出している。
内外の温度差環境を生み出す基本装置になる。
出入り口をいくつかの方向に対して工夫してやると、
実に心地よい風が室内を渡っていく。
土間には左側にあるようにかまども据え付けられて
毎日、煮炊きすることで、熱を土壌に伝え続けてもいる。
人間がここちよいと感じられる空間性能の基本を満たしている。
当たり前だけれど、そういう叡智が
こういう空間にいてたたずんでいると、理解できる。
なぜ、こんなここちよいものをなくしてきたのか。
進歩とは一体何だったのか。
いま、こういう土間を再現しようと考えると
土をどうやって加工するか、そういう技術すらすでに一般には失われていることに気付く。
やむを得ないから、タイルなどを貼って土間としている。
吸放湿性の面から考えたら、そういうのは本来、邪道だろう。
こういう空間にいると、つい、もう少しいたいなぁと思ってしまう。
こういった種類の居心地の価値をこそ、
住宅建築を専門としているひとたちはもっと考えるべきではないのか。
とくに大学教育機関に於いて、好き放題のような
視覚的な「見たこともない空間」に価値を見いだしたい、という
幼稚な価値観を学生たちに注入し続ける愚を、そろそろ脱却して欲しい。
Posted on 8月 6th, 2011 by replanmin
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取材に出ると、その土地土地で残されている
古民家や古建築にカメラを向けることが習慣化しています。
その土地の気候風土の中で暮らしてきた実感的な部分が容易に伝わってくる。
写真は、今回出張で2泊せざるを得なかった(笑)
岩手県南部、一関市内にあった武家住宅の一番のハレの間。
書院というと、正面の壁向かって右側にあって、
文机も右側に面しているのが普通ですが、
この家では、正面に書院がしつらえられていて
部屋の入ってすぐにこの美しい障子からの光が目に飛び込んでくる。
障子の桟の一部が、折れたりしているけれど、
その繊細なほっそりとした桟木の格子模様が
夏の空気感の中で、和のくらしの美しさを直接的に感じさせてくれる。
紙によるデザイン装置でありますが、
ガラスにはない、その奥の視界を遮断しながら、
しかし、無限に世界が広がっていくような光の世界の演出。
「書院」というくらいで、こういう場所では
書物を読むというのが、機能性の要件であるのですが、
こういう空間が、日本の文化の中で最高のデザイン表現の場になっていった、
ということも、面白いことだと思います。
漢字や書物というものを、日本の歴史時間の中で長く
摂取し続けてきた、それが日本の支配階級にとってもっとも大切な
ことがらであった、ということなのでしょうね。
まぁ、勉強すると言うことが骨身に染みて好きな国民性なのでしょうか(笑)。
こういう空間と、縁があって、庭の緑の空間とが連続性を持って
いわば一体の空間装置になっているのが
これも同時に、日本的な住宅建築の大きな要素ですね。
光と影のコントラスト、中間的なグラデーション、
畳の色合いや、緑の色合い、基本的には木が炭化していく黒さ、
そういった混然とした感受要素が一挙に迫ってくる美しさですね。
こういった「文化要素」がきちんと成立する範囲の気候条件の土地が
日本文化の領域である、というのがまたもう一つの真実なのでしょうか?
北海道では、こういう美しさへの希求、願望はあったとしても、
これをそのまま。移植するわけにはいかなかった。
いまは、ようやく内と外の温度環境をコントロールする方法を達成して
さてこれから、文化の問題として、
こういった日本人的な感覚世界をどう展開すべきなのか、
寒冷地日本のひとびとにとって、
そういう部分が、これから知恵が求められる部分なのでしょうか?
それとも、こういうのは無理だ、違う文化を生み出した方がいい、
っていうように進んでいくのでしょうか。
そんなような場面が
いまの日本の住宅のデザイン状況なのではないでしょうか。
Posted on 8月 5th, 2011 by replanmin
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コメの放射線量調査が実施されることになりましたね。
わが社のスタッフも、実家でコメを生産しており、
関係機関からその調査方法を指示され、
「もし、放射線が検出されたら・・・」という不安を話しています。
一昨日は、福島県いわき市での取材ということで、
ほぼ一年ぶりくらいで、いわきに行って参りました。
常磐道・いわき中央ICで下りたのですが、
そこから北側に向かってはICが1つだけしか通れなくなっている。
福島市でも小学校のグランドに土が運び込まれて
野積みされた状態になっていました。
既存の土面の上から重ねて土を敷き込むものと思われました。
放射線量の発表でも福島県は他県とは段違いの数値を示している。
会津の方はやや距離感があるけれど、
しかし、言いようのない閉塞感のなかに県全体が包まれていると感じられます。
しかしそういうなかで、人々の暮らしがあって
そういう現実を受け入れながら、
どうすべきかを、みんなが考えて行動している。
食品の問題も、こどもたちと大人では別に考えて摂取したりしているとか。
コメの問題はこれからの調査に待たなければならないけれど、
「たぶんもうすでに一定量、被爆は現実に受け止めざるを得ない」
という、問わず語りの雰囲気があります。
そういうなかでも、日々の暮らしを努めて明るく、
そして、冷静に判断力を働かせて、いまなすべきことに
多くのみなさんが立ち向かっている。
そういう現実を知れば知るほど、思いは募らざるを得ません。
とくに住宅の問題で言えば、
今回震災の対応でもっとも革新したこととして、
木造の応急仮設住宅という動きが顕在化し、
政府の財政出動の直接的な恩恵が
具体的なかたちで現地にもたらされている。
1戸あたり、直接的人件費が150万円程度の経済循環を産み、
被災された大工関連職のみなさんにはそういう雇用機会も提供されている。
働く場が提供された、ということの有形無形の力というのは
きわめて大きいことだと思います。
原発危機の現場から、ほんの30数キロの地域で
できる限り、人間的に豊かな生活環境を提供したい、という
多くのみなさんの力の結集は、ある思いを致させてくれることでもある。
そんな数々のひとの思いに触れれば、
いま、少しでも自分たちに可能なことに向き合っていくしかない。
福島がいま直面している危機は
しかしながら、まだまだ、継続していることがらです。
Posted on 8月 4th, 2011 by replanmin
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こういうのをなんていうのか・・・。
わたし、仕事では当然のように写真はカメラマンに依頼して
かれらの基本設備である一眼レフカメラによる写真表現を
利用する立場なのですが、
自分自身では、どうも遠慮してきておりました。
まぁ、喰わずきらいっていうか、別にきらいではなく、
ただ単に、「重たい」「なんとなく面倒」というのと、
凝るとキリがなさそうなので避けているというか、
そういうないまぜなことで、一眼レフ使用を避けておりました。
しかし、今回は、東北中を取材で走るので
仙台事務所に置いてある一眼レフカメラを持参いたしました。
簡便なカメラも持ってきているのですが、
やはり使い始めると、広角側の表現力の違いに驚くばかり。
失敗した、こんなことならもっと早くから・・・、であります(笑)。
写真は、ある石造りの古建築倉庫。
桁行き幅が10間ということなので18mほどですが、左右も10mほどはありそう。
まぁ、簡易タイプカメラでも撮影可能ではあるかも知れませんが、
こういう広角で一気、の表現力は堪えられない。
素材の質感描写とか、陰影感の写し取りも
ようやく表現レベルという感じがしてきますね。
まぁ、撮影者の技量の問題があるので(笑)、
自分自身に対して超難しいレベルを強いていくかも知れませんね。
そういう自己葛藤が容易に想像できるので
強く無意識に、一眼レフを使わなかったのかも知れません。
しかし、この禁断の快感を知ってしまった以上、
もとへは戻れませんね。
あんまりレベルの問題には突っ込まないように十分に自制的に
写真表現を少しずつ、深めていきたいなぁと思い始めています。
しかし、表現の世界は深く面白いので
ああもしたい、こうもしたいと、
いろいろすぐに欲求が高まっていくでしょうね。
いろいろな建築や住宅を見る楽しみが、もっと何倍にも倍増します。
きのうも、ファインダーをのぞき込みながら、
なんてすてきな空間なんだろうと、建築への歓びの気持ちを
あらためて深く感受しながら、シャッターを切り続けておりました。
むむむ、やばいかも、でありますね、やっぱり・・・。
どうしよう?
Posted on 8月 3rd, 2011 by replanmin
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日曜日から東北に出張であります。
今回はフェリーを利用して苫小牧から仙台までの往復。
太平洋フェリーの新造船のようで、
まことに素晴らしい客船であります。
で、季節は夏休みシーズンと言うことで子どもさん連れや、
学生さんたちの体育会系の遠征などの旅客とか、
わたしのようなビジネス客から、満員での運行。
普段、フェリーを使うと、だいたいガラガラなんですが、
さすがはこの時期、超満員のようですね。
で、乗り込んだのが写真のごらんの寝台。
家族連れでもないので、乗ってしまえば、多少デッキで風に吹かれてみる
くらいはあっても、あとは寝ているだけ。
立派なお風呂もあって、そういう利便性はまったく問題はなく、快適。
なんですが、この寝台スペースはすばらしい人間工学探求の結果と
驚嘆しておりました。
ちょうど、東大名誉教授の内田祥哉先生の講演を記事にまとめたりしていたので、
日本のモジュールの素晴らしさを再認識させられていたときでもあり、
身をもってそういう寸法感覚体験を感受できました。
この寝台、出入り口は利休の「にじり口」もかくや、という開口。
いったんベッドの縁に腰掛けてみると
ちょうど、座高の高さに微妙にフィットする。
そこからやや奥に腰を滑らせていくと
ちょうど、寝る位置に腰が移動する。
で、カラダを伸ばすと、ちょうどカラダが過不足なく
この寝台空間に収納される。
で、照明装置や、寝具の類を並べると
読書〜目が疲れて眠たくなる〜というプロセスを自然にたどれる。
気がつくと、にじり口にはスライドシャッター仕様の目隠しカーテンがある。
これを下まで下げると、みごとに個室状態になる。
下の所では、微妙な錠装置もあって、しっかり閉鎖状態が保持できる。
まぁわたし、普段は25坪の部屋を独占して寝起きしているので(笑)
こういう「狭さ体験」はしばらくぶりだったこともあって
「感動」もひとしおだった次第ですが、
こういう空間に収められた状態の中で、
こういう空間をも上手に折り合いを考えていくという「文化性」に
思いを巡らせていたわけです。
内田先生も言われているのですが、
日本人って、何坪・何畳の空間っていうことで、
広さを共通認識で語り合える珍しい文化を持っているといわれるのです。
利休さんの茶室って、こういう考え方を根付かせた大きい文化だったのか、
それとも京町家という住宅文化のなかから、
こういう寸法感覚が日本人に根付いていったのか、
ニワトリかタマゴか、ですが、
こういう狭さの中で、精神的にそう圧迫感も感じずに
ふつうに受け入れ続けている、というのは、
すごい文化性なんだと再認識できます。
狭さの中で、自分を落ち着かせ、そういう状況を受け入れて
暮らしていく工夫を巡らす、そんなイメージが湧いてきた次第です。
帰り、木曜日にももう一回、乗船するので
このあたり、イメージを膨らませてみたいなぁと思っております(笑)。
Posted on 8月 2nd, 2011 by replanmin
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ここのところ、2回ほどブログで取り上げている家です。
きのうは写真左側の自然光導入天窓と室内壁について書きました。
で、こういう室内光導入は、建て主さんの収集した絵を展示しておく空間、
画廊に対して、どのような安定的な光源を確保して、
しかもそれがもっとも自然な色彩再現になるように
考えられたか、ということなのですね。
絵というのは、大変デリケートで、
あまり強い光源からの直射を受けると
絵画面が劣化の進行を早めてしまう。
さりとて、あまり暗くても作品展示の用を為さない。
適度な光空間環境が不可欠なのですね。
そういう住宅でよく、南面ではなく、北面の安定的な光を取り入れたい、
というような希望条件の建物も取材経験があります。
この家は壁に特徴がある家です。
設計者に聞くと、ある面の上下連続で同じ素材を使っていると言うこと。
そうすることで、壁の存在感を浮き立たせるという手法をとっているわけですが
そういうこだわりの背景には、絵を飾る壁は
どのように計画したらいいか、というテーマがあったようです。
室内なのに、外壁のような下見板張りに仕上げた壁や、
主に、絵画を展示する壁で、
思いっきりラフに、間柱と構造用合板だけの壁にしているとか、
特徴的な壁が見て取れます。
わたしは絵が大好きで、
まぁ絵であればなんでもいいんですが、
絵に囲まれた空間って、激しく共感を受ける。
こういう空間と、こだわりのある書斎空間の2つがあれば、
ゆとりのある生活の基本条件は揃うと思っています。
早くそういった生活に突入したいなぁ(笑)。
まぁ現実は厳しく、仕事の状況がそうした思いを受け入れてくれそうもありませんが。
さて、本日からまた東北に来ております。
仙台から福島県、山形県、岩手県、最後に再び仙台で取材という予定。
とくに最後の仙台では、建築学会の震災被害状況発表会があります。
日本の建築の権威が総括し、
これからの建築に対してどのような方向性を明示するのか、
注目していきたいと思っております。
Posted on 8月 1st, 2011 by replanmin
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壁というのは、住宅にとってどんな存在か?
ふむふむ、って、悩むような問題ではないでしょうけれど、
でも、日本の木造住宅にとっての壁の認識と、欧米住宅の壁の認識は
どうも違うように思っています。
ちょうど日本語の「窓」が、「間の戸」が語源認識に近いのに対して
あちらでは、wind+owという認識で、抜けがたく「空気の導入口」という
認識がそのベースになっているように感じます。
結果、建築の認識の中で微妙な相違が生まれてくる。
で、壁もかれらの世界観では外敵からの防御性が基本認識だろうけれど、
日本人的にはどうなのだろうか?
この点は、よくわからないように思ってきている。
日本的な建築空間では、壁はしばしば紙によって代用されてきた。
壁と言うよりも建具による「間仕切り」感覚の方が親しかった。
いわゆる町家伝統建築では、隣家との「壁の共有」まで受け入れられてきた。
そうすると、当然音の問題は大きくならざるを得ず、
そういった環境のなかで「他者への思いやり」というような
日本的感受性が生まれたのかも知れない。
そんな想像を巡らせるほどの「壁」環境だったのではないか。
したがって、日本では強固な他者からの「隔絶」という意識は
壁には込められていないのではないか。
でも、高断熱高気密化が必要になってきた北方日本的な住宅対応の結果、
壁は日本でもより重厚なものに変わっていっている。
そんな印象を持っています。
で、この写真のような室内壁であります。
この建物の設計者、保科文紀さんはこういった「壁の表現」にこだわりのある方で
非常に美しく、よくデザインされた壁を作る。
この壁は、室内壁なのだけれど、内側に
外側に使うような下見板張りを選択しているのですね。
下見板張りは、機能的には下を見ている板の部分が、
雨の室内への侵入を防ぐという、まことに人類トラディショナルとでも言える
そういう木の張り方。
見え方では、太陽光が陰影豊かな見え方になって、
美しい外観デザインを構成する、という伝統的手法。
それが室内に表されることの意味は
写真に明らかなように、季節や1日の太陽位置の変化による
壁の表情の変化、というデザイン性であることは明らかです。
高断熱高気密の北国住宅の、外と内を繋ぐデザイン装置
っていうように考えたとき、
まことに「開かれた住宅デザイン」と言えると思います。
重厚に断熱された壁の存在がありながら、
同時に生活デザインとしては、そとの雰囲気、光の織りなす季節変化
時間変化ということが、内側にいても人間知覚に訴求してくる。
「閉じていない北国住宅デザイン」ではないか。
まぁ、そんな思いを持ちながら見学させていただいていました。
Posted on 7月 31st, 2011 by replanmin
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 住宅性能・設備 | No Comments »