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和のくらしの美しさ

取材に出ると、その土地土地で残されている
古民家や古建築にカメラを向けることが習慣化しています。
その土地の気候風土の中で暮らしてきた実感的な部分が容易に伝わってくる。
写真は、今回出張で2泊せざるを得なかった(笑)
岩手県南部、一関市内にあった武家住宅の一番のハレの間。
書院というと、正面の壁向かって右側にあって、
文机も右側に面しているのが普通ですが、
この家では、正面に書院がしつらえられていて
部屋の入ってすぐにこの美しい障子からの光が目に飛び込んでくる。
障子の桟の一部が、折れたりしているけれど、
その繊細なほっそりとした桟木の格子模様が
夏の空気感の中で、和のくらしの美しさを直接的に感じさせてくれる。
紙によるデザイン装置でありますが、
ガラスにはない、その奥の視界を遮断しながら、
しかし、無限に世界が広がっていくような光の世界の演出。
「書院」というくらいで、こういう場所では
書物を読むというのが、機能性の要件であるのですが、
こういう空間が、日本の文化の中で最高のデザイン表現の場になっていった、
ということも、面白いことだと思います。
漢字や書物というものを、日本の歴史時間の中で長く
摂取し続けてきた、それが日本の支配階級にとってもっとも大切な
ことがらであった、ということなのでしょうね。
まぁ、勉強すると言うことが骨身に染みて好きな国民性なのでしょうか(笑)。
こういう空間と、縁があって、庭の緑の空間とが連続性を持って
いわば一体の空間装置になっているのが
これも同時に、日本的な住宅建築の大きな要素ですね。
光と影のコントラスト、中間的なグラデーション、
畳の色合いや、緑の色合い、基本的には木が炭化していく黒さ、
そういった混然とした感受要素が一挙に迫ってくる美しさですね。
こういった「文化要素」がきちんと成立する範囲の気候条件の土地が
日本文化の領域である、というのがまたもう一つの真実なのでしょうか?
北海道では、こういう美しさへの希求、願望はあったとしても、
これをそのまま。移植するわけにはいかなかった。
いまは、ようやく内と外の温度環境をコントロールする方法を達成して
さてこれから、文化の問題として、
こういった日本人的な感覚世界をどう展開すべきなのか、
寒冷地日本のひとびとにとって、
そういう部分が、これから知恵が求められる部分なのでしょうか?
それとも、こういうのは無理だ、違う文化を生み出した方がいい、
っていうように進んでいくのでしょうか。
そんなような場面が
いまの日本の住宅のデザイン状況なのではないでしょうか。

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