
きのうはある住宅団体の会合で講演を依頼され
大忙しの中、急遽まとめた内容でお話ししておりました。
その内容に沿った話題はまた明日以降に。
で、直会の懇親会が終わり、多忙だった今週の締めのお酒。
しかしほぼ話通しでほとんど食事もできず、帰り道空腹に襲われて
なつかしい「ラーメン横丁」で軽くすすっておりました。
50-60mくらい距離の狭い小路にラーメン店がひしめき合っている。
有名店も多いのですが、わたしはそういう有名店趣味はないので、
適当にそこそこの空き具合のお店に入ることにしています。
ヘンなようですね、こういうわたしのような行き当たりばったり系。
たむろしているアジア系の観光客多数の様子を見ていると
全員日本語ではない人たちが数人連れでワイワイと騒がしくしている。
手にはスマホを握って、少しでも「有名店」で食べようとしているかのよう。
かれらは口コミサイトのような情報で動き回っているようで、
こういうインターネット情報だけを信じて行動している。
わたし自身はラーメン店というヤツには、少年期以来ずっと、
実家がもやしの製造業をしていたので、馴染みがありすぎるほどにある。
運転免許を取ってから休暇というと、ラーメン屋さんへの「配送」アルバイト。
そういうことで、個別のラーメン屋さんへのこだわりってどうしても持てない。
味の好みというのは多少はあるけれど、そういうのは各人の嗜好の問題であり、
それが「情報」的に流通することの方がムリがあるのではと思っている。
だいたい、自分で食べてもみていないのに情報だけを鵜呑みにする人って
どうなのかなぁと思ってしまう。
まったく美味くない店というのは確かにあるけれど、
そこそこ競争にさらされている場所では、それこそみんなが頑張っている。
そういった頑張りには食べる側も応えてあげたいなと思う。
人生一期一会、覚悟を決めてその店の味を味わうというのもオツ。
前述のインターネット口コミサイトに対しては
店側でも、一生懸命にやらせ投稿を頑張っていると聞いた。
「情報」を巡っての赤裸々な人類的闘争をみるようで、
さて、こういうイタチごっこの末にどういう食文化が残るのかと、不安になる。
わたしなどは、結局自分で作るのがいちばん納得できるのだけれど。
Posted on 1月 19th, 2019 by 三木 奎吾
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やや旧聞に属するけれど、11月末のウォールストリートジャーナルで
インドの「省エネ」事情についてのルポルタージュ記事があった。
日本だけで「省エネ」論を考えていても、その結果は全地球的な気候変動問題。
やはりこれから発展していく地域にとってどうであるか、
とくに民主主義的価値感を共有する発展途上大国インドは、
安倍外交の結果、たいへん親日的なアジアの大国として浮かび上がってきている。
そういう国家社会でこの省エネがどう志向されているかは、重要だと思います。
以下、記事の要旨、わたしが重要と思った部分を抜粋します。
〜インドが推進する最も有望な対策の一つがエネルギー効率のよいエアコン。
エネルギーをめぐる世界の議論ではエネルギー効率は魅力のないテーマで、
太陽光や風力の発電所を設置する取り組みと比べて注目度は低い。
だが次世代のエネルギー需要の増加分のほとんどを占めることが予想される
発展途上国では、エネルギー効率は極めて重要だ。
国際エネルギー機関(IEA)によると、世界のエネルギー消費で
発展途上国が占める割合は2000年には50%を下回っていたが、現在は58%。
2040年にはこの割合が67%にまで上昇するとIEAは予測している。
これらの発展途上国――特にインドやインドネシアなど人口が多い国――では
2030年の時点で利用の住宅やオフィス、公共施設のほとんどはこれから建設。
エネルギー効率を重視すればエネルギー消費も温室効果ガスの排出量も、
建設が必要な発送電インフラの数も大幅に削減できる。<中略>
予想のエネルギー消費増加分の多く――節約可能なとも言える――は
空調によるもの。世界では現在9億台の家庭用エアコンが使われているが、
2050年には25億~37億台にまで増加するとみられている。
IEAによると、エネルギー効率の改善に取り組まなければ、2050年には
世界の建物で使われるエネルギーの増加分のうち、エアコンが4割を占める。
これは現在の米国とドイツの電力消費量の合計に等しい。〜
というようなことで、省エネの人類的中心軸は
こういったことがらになっていくのだろうと思われますね。
で、昨年、大阪で開催された新住協総会でも関西や中国以南地域での
「蒸暑地での室内環境コントロール」問題が真剣に取り組まれていた。
われわれ北方圏地域にとっては、その省エネ仕様の住宅建築技術が
より汎用性を持ち、役に立っていく実感を持てた次第。
さらに人類の省エネといごこち品質向上に、どんなふうに役立ちうるのか、
知恵と工夫が試されていくように思われます。
・・・本日はやや巨視的なテーマでした。
Posted on 1月 18th, 2019 by 三木 奎吾
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先日の住宅取材での台所回りの写真です。
住宅事例で最近たいへん多く見掛けるDKの様子であります。
家族数の減少から、また主に調理に関わる主婦が共働きするケースが増えて
家事労働の省力化が大きなテーマになっている。
調理と食事空間が一体化することで、食事回りの「合理化」が計られている。
で、こうした一体空間では、当然、主要機能が
「調理する」と「食べる」のふたつに別れている。
そうすると、それらを一体化させるには「高低差」をつけて対応することになる。
人間は身長が各人でそれぞれ違いがあり、
また調理作業のしやすい高さは微妙に違いがあるし、
同時に「座って食べる」のにも、テーブル面と床面の高低差にも
人によってバラツキがあります。
こうした高低差のために床面が調節されることになる。
このお宅では高低差は15cmと決定されていました。
食卓テーブル面と床面の高さは70cmと決定していたそうなので、
結果としてはキッチン側の作業面の高さは85cmということになった。
このあたりは非常に微妙な感覚の世界ということになる。
「注文住宅」という場合、こういう高低差も決定できる。
こちらのような寸法はまぁ、一般解に近いように思います。
わが家の場合は、台所と食卓が一体ではなかったので、
現在は食卓の高さは65cm程度に設定しています。
ちょうどその寸法をどうするか、考えていたときに東京のカフェショップで
出張時体験した寸法感覚が、いかにも「ちょうど良い」と感じたので
持っていたメジャーで正確に計量して、65cmと確認した。
一般的な高さは70cmと言われるものからすると低め。
この高さは当然、椅子の方の高さにも影響していく。
ややロータイプの方が似合っているということになる。
自宅での食事時間というのは人生時間の中でも相当の時間。
1日2食としても、たぶん1時間はいるでしょう。
夕食時などそのまま家族の語らいの演出空間になっていく。
最近の傾向で言えば、いわゆるリビングよりも、食卓の方が
家族の会話場所としてはより長時間化している。
そう考えると、2時間程度の利用も多いでしょう。
1年で、365時間〜730時間。
「占有率」で考えれば、在宅時間の内、寝室以外ではいちばん長いかも知れない。
そういった空間についての「寸法」的いごこち論。
実に重要なのではないかといつも思っています。
しかしわが家の65cmも、長年のカミさんとのバトルがあった(笑)。
結局、現在の寸法に落ち着いたのは昨年のリフォーム以来。
人間のコミュニケーション、なかなか大変ではありますね(笑)。
Posted on 1月 17th, 2019 by 三木 奎吾
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座禅というと、典型的な映像イメージとして
導師が警策(きょうさく)をもって座禅者の背筋に活を入れる動作が目に浮かぶ。
一種独特の感覚を持つ行為で、まるでしごき(笑)のようでもある。
まぁあれは自然に出るカラダの疲れゆがみを正す効果があるのでしょう。
こうした空間には、昔からある憧れを持っている。
立って半畳寝て一畳という現代の「断捨離」に通じる
日本人の基本的メンタリティはこうした空間が涵養したように思えるのです。
こういった精神性は禅の影響が強いのではないか。
自ら進んで身を打たれようとする精神性に由来する所作(笑)って、
そもそも西洋文化的にはあるのだろうか?
また、日本以外の東アジア世界でもこうした「自虐的」精神性文化、
禅宗的な文化は基本的には存続してきていないのではないか。
中国では国が替わる度に前時代を全否定する「易姓革命」が支配的で
直近では文化大革命で宗教ばかりでなく「木造文化」まで根こそぎ否定された。
寺院建築が破却され木造技術者までも迫害されたそうで、
そんなバカなことがホントに行われたのだという。
その技術の復元のために日本の建築技術者が協力したといわれます。
精神性でも他罰的姿勢が支配的で、こういう禅的求道姿勢は少ないと感じる。
最近の東アジア情勢を見ていると、こういうメンタリティの違いを感じる。
で、日本的なるものとして座禅堂の「しつらい」にある郷愁を感じる次第。
自分自身と向き合う「修行する場」としての空間性を
歴史的に多数の人間がどのように構想しデザインしてきたか、が伝わってくる。
多くの「修行」、死生を見つめる行為を促進させる空間的共通要素のようなモノが
まるで抽出されるかのような気がしてくる。
まさに自分自身と向き合うにはこういう空間的しつらいが似つかわしい。
似た空間として、北海道の西部海岸地域に多く残る「番屋」空間の
「ヤン衆」のための個人の空間がある。
大空間の中に数十センチほどの「仕切り壁」が回され、奥には個人のモノ収納を持つ
ほぼ1畳大の大きさの空間。
こういった空間でどのように一個人が人生と向き合っていたか、時空を超えて
深く人間心理を探究したくなるのであります(笑)。
だんだん年を重ねてくると、死というモノが身近になってくる。
先日、高校同期の級友たちと再会する機会があった。
ごく自然に「来年のことはあんまりわからないし」というコトバが飛び交う。
淡々と死がごく自然に近づいてくる空気感とでもいえるでしょうか。
ここは僧侶の修行の場ですが、体験できるお寺もあると聞きます。
一度、背筋を警策(きょうさく)に差し出して打たれてみたいと夢想しています(笑)。
Posted on 1月 16th, 2019 by 三木 奎吾
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先日見学した高野現太さんのお宅ですが、
特徴的だったのが、随所で「天井」のありようがデザインされていたこと。
よく建築の内部空間をあらわすのに、「床壁天井」という言い方をする。
なんですが、床と壁は触感とみた目の大きな要素として考えられるほどには
天井というヤツは、そうは強くイメージされていない。
一般的には壁の仕上げと連関した範囲で構想されているのではないか。
通常は建築材料の寸法規格に沿って、
天井高さというのは自ずと定まるというケースが圧倒的に多い。
大体これくらいが適当とされた寸法高さで室内がそろえられていく。
ふつうに慣れた感覚からすると、天井高さにデザイン要素があるとは思えない。
そういう感覚に不意打ちのように「天井」が反抗してくるかのようです。
そういう一般理解からすると、こちらの写真のように
「浮遊する」感覚の「天井」単体イメージが訴求されると、
明瞭な建築意図というものが見えてくる。
こちらでは構造用合板仕上げでなるべく「軽量化」させた天井板が
ワイヤーで「吊り上げられて」装置されていた。
一目瞭然で、茶室に対して「座った目線」での空間企劃がそこに感じられる。
「これくらいの高さが適当である」という設計意図が伝わってくる。
うっかり失念して、もっと特徴的だった「浮遊天井」として
寝室の天井では水平も保たれず、しかも左右上下とも不均衡だった。
まるで3次元平面のような天井デザイン。
そこでは枕の部分の天井高さは抑えられ、手前の足の向いた側は高くなっていた。
そして廊下側の天井は低くなって、壁側は高くなっていた。
設計者からは「寝る」という体動作に添って
天井が対応するようにデザインしたと説明された。
わたしはあまのじゃくなので、「気が変わって寝る方向を反対にしたら?」
と思わず聞き返したが、「それはそれで(笑)」という返答。
たしかに足下が狭くなっていく空間というのもありかと(笑)。
天井に可変性を与えると言うだけで、
いろいろな気付きが得られるという意味では
オモシロいデザインの試みとは言えるのではないかと思いました。
なお、この住宅はReplan北海道最新号123号で紹介しています。
興味をお持ちの方は、ぜひ誌面をご覧ください。
Posted on 1月 14th, 2019 by 三木 奎吾
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先日見学した高野現太さんのお宅ですが、
特徴的だったのが、随所で「天井」のありようがデザインされていたこと。
よく建築の内部空間をあらわすのに、「床壁天井」という言い方をする。
なんですが、床と壁は触感とみた目の大きな要素として考えられるようには
天井というヤツは、そうは強くイメージされていない。
一般的には壁の仕上げと連関した範囲で構想されているのではないか。
通常は建築材料の寸法規格に沿って、
天井高さというのは自ずと定まるというケースが圧倒的に多い。
大体これくらいが適当とされた寸法高さで室内がそろえられていく。
ふつうに慣れた感覚からすると、天井高さにデザイン要素があるとは思えない。
そういう感覚に不意打ちのように「天井」が反抗してくるかのようです。
そういう一般理解からすると、こちらの写真のように
「浮遊する」感覚の「天井」単体イメージが訴求されると、
明瞭な建築意図というものが見えてくる。
こちらでは構造用合板仕上げでなるべく「軽量化」させた天井板が
ワイヤーで「吊り上げられて」装置されていた。
一目瞭然で、茶室に対して「座った目線」での空間企劃がそこに感じられる。
「これくらいの高さが適当である」という設計意図が伝わってくる。
うっかり失念して、もっと特徴的だった「浮遊天井」として
寝室の天井では水平も保たれず、しかも左右上下とも不均衡だった。
まるで3次元平面のような天井デザイン。
そこでは枕の部分の天井高さは抑えられ、手前の足の向いた側は高くなっていた。
そして廊下側の天井は低くなって、壁側は高くなっていた。
設計者からは「寝る」という体動作に添って
天井が対応するようにデザインしたと説明された。
わたしはあまのじゃくなので、「気が変わって寝る方向を反対にしたら?」
と思わず聞き返したが、「それはそれで(笑)」という返答。
たしかに足下が狭くなっていく空間というのもありかと(笑)。
天井に可変性を与えると言うだけで、
いろいろな気付きが得られるという意味では
オモシロいデザインの試みとは言えるのではないかと思いました。
なお、この住宅はReplan北海道最新号123号で紹介しています。
興味をお持ちの方は、ぜひ誌面をご覧ください。
Posted on 1月 14th, 2019 by 三木 奎吾
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札幌市西部の高台、崖っぷちに建つ設計者高野現太さんの自邸です。
茶室という文化は非常に特徴的な住宅と精神の日本文化。
そこでの喫茶行為それ自体ということもさることながら、
やはり建築的な空間性で、興味深いものなのだと思います。
日本人で建築を作る立場のひとでこの精神性に意をもたないことはありえない。
先日も「茶室⇒茶の間」という生活文化について考えてみましたが
茶室というのは、そこで内省的な時間を過ごすことを重視した空間。
そう考えると建築人にとって、いわゆる「作法」とは離れて
自由な翼が芽生えてくる空間性なのでしょう。
そうしたものがいわば「住宅のモチーフ」として拡大していって
日本人の「戸建て注文住宅好き」ということが骨格化しているのかも。
軸組構造、寸法の規格化というような合理性進化の一方で
こういう「精神性」の自由の拡大が、日本住宅の特徴ともいえるのでしょう。
ただ、いわゆる茶室の「約束事」とか「作法」というものは
非常に制約的な側面も持っている。
いわゆる「本格的茶室」は、冬の北海道ではそもそも「機能」しない。
横引き戸の「にじり口」から出入りする、
断熱を考えた障子窓などは、なかなか想定しづらい。
凍結して引き戸は動かないし、竹小舞を見せる紙の障子窓では、
早々に破綻して雪が室内に吹きすさんできてしまう。
なので、逆に「自由な空間精神性」という本質を拡張する方向性で
高断熱高気密的な「茶の精神」の空間に挑んでいくということになる。
そのように考えると、いわゆる花鳥風月が北海道では拡張している。
ふきすさぶ猛吹雪、その一瞬の切れ間などは
花鳥風月がより先鋭化、先端化していると感じられます。
場合によっては命にも関わる危険姓もはらんだ自然のうつろい・表情を
精神性の空間から「愛でる」ということになる。
この住宅では崖っぷち・高台という立地条件を活かして
こんな大きな窓を開口させて、3畳の茶室的畳空間から望んでいる。
窓や断熱空間の性能向上という技術発展が、
こういう景観も花鳥風月的にたのしもう、という気分を生み出す。
北海道住宅の進化条件としての環境的優位性を教えられる気がする。
Posted on 1月 13th, 2019 by 三木 奎吾
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きのう2018「きらりと光る北の建築賞」を受賞した建築家・高野現太自邸を見学。
まぁ当然のことですが、北海道内での面白い建築の情報は
地域の住宅雑誌を継続していると、いろいろに情報が集まってくる。
それが誌面に表現されて一般に知れ渡っていく。
そうするとまた、まるで呼吸するようにあらたな情報がフィードバックされてくる。
そういった情報循環のなかにあるのがわたしたちメディアなのだと思います。
建築はそのような情報循環と言うことが非常に大きな部分を占めている。
つくるひとと伝える立場とは、建築を通した循環の役割を共同している。
この住宅は自邸ということなので、
やはり「建築家として発信したいなにごとか」が明瞭にあらわれている。
考えてみると、わたしの拙い情報循環活動の起点もこれだった。
きょう紹介する外観と、メインルームからの眺望写真。
どちらも、札幌の冬の自然がくっきりと切り取られているように感じた。
そう、一般解にちかい「冬の札幌」という自然が感じられる。
自邸と言うことなので、敷地選択には相当の思いがあっただろうと思います。
2枚目の写真で建物の構造フレームと周辺の樹木とが
まるで「あわく」同心しているように感じた。
設計者の高野さんも同様の説明をされていた。
訪問している間中、周辺の樹木は雪の晴れ間の微風に揺らいでいた。
樹高10数メートルの落葉樹がゆったりと揺れる様は、
それも雪が基調色を提供している環境景観のなかでは
まことに「イキモノ」感がクッキリと伝わってくる。その空気感に深く共感できる。
いま、この時間を、この木々と共生して過ごしている実感を持てる。
外観はシンプルなボックスのようだけれど、
このような「自然との共生」のコントラストを効かせるように
住宅内部からの「視線の通り抜け」をメインテーマとしてデザインしている。
そのために内庭的なスペースが2箇所、取り込まれてもいる。
立地選択だけではなく、建築的な配置計画でも周到に意図していた。
外壁には45mm幅の胴縁用材、長さ3mほどの材が張り巡らされていた。
聞くと、特段塗装などもせず、自然に風化していくことを意図している。
素材は道南杉だということ。
たぶんコスト的には相当安価だろうことが想像できる。
ただ、このように使っていくには現場が非常に大変だっただろうと思う。
清々しいばかりの明快なコンセプトに
思わず「キラリと光るなぁ」と、賞の選考者のみなさんと同じ感覚を味わった。
Posted on 1月 12th, 2019 by 三木 奎吾
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住宅というのは、大きな意味では「どうやって日射制御環境を作るか」だともいえる。
温暖地での住宅伝統として、過剰な夏期日射を抑えることが
基本的な「性能要件」とされ、冬期の寒さについては「耐え忍ぶ」ことが
日本人の生活文化には色濃く刻印された。
そういう基本的な住宅文化のなかで、紙による障子文化は
基本的にはガラスが住宅の窓に嵌められる前まで「光の導入」が
大きな役割で、その装着結果として光が微妙にコントロールされたのでしょう。
畳という芸術的な繊維装置とあいまって、日本人の精神文化に
たぶん微妙・繊細というような感受性を大きく植え付けたのだろうと思っています。
紙越しに伝わってくる光は微妙なアンジュレーションを見せて、
境目のあいまいなあわい光というものへの独特の気分を演出していた。
そういう窓の障子が、ガラスが窓枠に嵌め込まれるようになって、
それでも「内窓」「建具」という装置として延命してきたのは、
機能を超えた感受性装置という側面が大きかったのだろうと思います。
高断熱高気密の住宅技術は、基本的に「気密性」を高める技術。
ガラスがまずは外部建具としては前提とされ、
さらにペアガラスやトリプルガラス、アルゴンガス封入といった性能進化が図られた。
きのうもご紹介したTAO建築設計・川村弥恵子さんの事務所建築では
なだらかに敷地高低に添った屋根傾斜が掛かっているので
主室の、工場出荷可能の限度一杯という高さの大きな高性能ペアガラスの窓に対して
その「日射コントロール装置」を考えるとき、
ロールブラインドという選択がありえなかった。
傾斜屋根なりの窓ガラスなので、上端部分に隙間が発生する。
一方であらたな素材や建具への強い関心もある。
そういうなかで、この写真のような「障子風」の建具が選択された。
聞くと、四国で「りくう」というスタジオを主宰されている紙漉きアーティスト
佐藤友佳理さんの作品を川村さん側で建具に仕立てたもの。
一種微妙な、一期一会的な漉き「ムラ」を建具として実現している。
仕上がった独特の建具は外部から見れば、かなりのブラインド効果を持ち、
室内側からは外光の制御が非常に繊細に可能になっている。
「見ようと思えば外部を見ることができるけれど」
それこそ「あわい外部とのコミュニケーション」が可能になっている。
そうか、障子が進化してきているのだ、というような気付きに至る。
ランダムな一期一会的な光の乱反射、制御が同時に楽しめる。
ひとつの絵のようなオブジェ感もたのしい。
日本人の「窓辺」感覚にまたオモシロい体験を
もたらしてくれる建具ではないかと、非常に感銘を受けた次第です。
Posted on 1月 11th, 2019 by 三木 奎吾
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年の初め時期は研修などの社内行事に好適ということで、
仙台からのスタッフも交えて、住宅見学に行くことが多くなります。
きのうは札幌市内のTAO建築設計・川村弥恵子さんの事務所を訪問。
南北方向にも、東西方向にも1.5mほどの高低差がある敷地条件に
柔軟に対応した内部プランのワンボックス的空間。
南面からの太陽光日射に即してそれを冬場の暖房エネルギーとして
輻射熱として取り入れると同時にさまざまな「反射光」としても
大きな内部空間要素として取り込んでもいる住宅サイズの建築。
いずれは住宅としての利用を考えた設計になっているということ。
建築家の自邸的事務所建築ということで、
いろいろ実験的な試みがなされているのですが、最終的には
「北方向に開口させた窓からの庭の景観」をメインに据えたデザイン。
そういう意味ではきわめて日本建築的な、
京都に見られる庭園満喫建築群と同質のデザイン感覚だと思います。
龍安寺や大徳寺龍源院などに一種の極限を見る日本人マインドが
どのように高断熱高気密をわきまえながら実現できるか、という
北方ニッポン人的な空間構想だと思います。
たぶん、北海道で住宅サイズの建築をいま作ろうとする人には
広範に存在するメンタリティそのままなのでしょうね。
そういった建築意図に対して、いろいろな素材だったり、材料、技術が
試行錯誤を重ねながら、ディテールでいろいろな表情を見せてくれる。
わたしとしては、小さなところに目が行くタイプなので
北海道の住宅ではほぼ必須である窓辺の冷輻射対応としての
窓下放熱の扱い方に興味が向かっていました。
暖房自体は砂利を床面下に敷き込んで、
そこに銅管でパイピングした温水を循環させているそうです。
それに対して、写真下の窓辺のスリットは窓の結露を防ぐため専用の工夫。
どんなに窓ガラスの性能が上がり、コストが下がったとしても
やはり壁よりはどうしてもガラス窓は表面温度は下回らざるを得ない。
そこでやむなく「コールドドラフト(冷輻射)」は発生する。
ここではスリットを2本床面に開けて、窓辺に近い方でダウンドラフトを自然に受け入れ
そして室内側のスリット側に温水循環させた銅管で放熱させることで
空気循環を促すようになっている。
冷輻射に対して加温して空気を上昇させることでマイルドに室内空気と
ブレンドさせて、室内気温を一定に保たせる工夫、という説明でした。
そういった検討の結果、この2本のスリットの幅と間隔が決定されている。
このような冷輻射対応はさまざまな試み、対応がされてきていますが、
言って見ればTAO・川村弥恵子スタイルのデザイン処理とでもいえるでしょう。
さらに、窓辺ではもうひとつオモシロい発見もありましたが、
それはまたあした、触れてみたいと思います(笑)、乞うご期待。
Posted on 1月 10th, 2019 by 三木 奎吾
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