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トヨトミのストーブ

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今年の冬の寒さが、最後になってまたぶり返してきました。
3月も末、彼岸になって札幌は大雪です。
すごいです、窓の外は真っ白銀世界に一変しています。
しぶといよね、きのうも丸1日以上、断続的に降って、まだ続いています。
って、ブログでは沖縄の話題から、一気に逆戻りの話題で恐縮です。
ということで、寒さの話題には、これ。
写真は、なかなかに渋くて高性能で、隠れて評判のトヨトミストーブです。
アンティークタイプというデザインのものですね。
グリルが付いて、パンとかお餅とか温めて食べることができるようなタイプもあり。
表面の鉄も、こだわっていて、デコボコ・ざらついた雰囲気に仕上げていておかしい。
すこし焼き物風の暖かい仕上げを心がけたのでしょうね。
性能は、さすが、豊田の関連会社らしく素晴らしい。本社は名古屋。
住宅会社でも、けっこうこだわっている会社は、石油FFストーブについては
このトヨトミストーブを採用している会社が多い。
性能とデザインのバランスがよくて、いいんですね。
セントラルヒーティングなど、予算面でちょっとむずかしいけれど、
っていう場合、けっこう重宝して採用されているようです。
でも、最近は目の肥えた方もいて、最初からこのストーブを指名して
デザイン性を楽しみ、コストも抑えるというユーザーの方もいるようですね。
しっかりした住宅性能が前提ですが、
これ1台で、暖房をまかなっているケースも多いのですね。
以下、HPから紹介文。
石油燃焼機器と歩んで50年。昭和34年に「可視赤外線ストーブ」を開発し特許を取得して以来32年、
「赤い燃焼筒のトヨストーブ」として広く多くの方々から愛され親しまれてきました。
その赤い焔は現在でも石油ストーブの主流をなしています。
また昭和40年には対流熱と放射熱でお部屋全体を効率よく暖める独自の燃焼機構の白光炎を、
昭和54年には赤外線と白光炎の両方の特徴をかねそなえ、
排気ガスが抜群にクリーンで暖かいダブルクリーン燃焼(2度燃焼)を、
そして昭和57年には放射熱と温風とを併用した全く新しい燃焼方法レーザークリーンを誕生させました。
っていう会社なんですね。
トヨタの下請け部門は、別会社にして分離独立させ、
本体は独立独歩の中小企業経営を貫いている感じです。
っていっても資本金が80億円で海外にも支店展開していますから、大企業か。
でもね、技術力でひとつの商品ゾーンにこだわり
そこからナンバーワンを目指す姿勢って、製造業として好感をもてます。
なんか宣伝になっちゃいますが、けっこう中小企業のポリシーを感じる会社です。

那覇・国際通り「古酒屋」

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これからもちょくちょく行くことになりそうな沖縄。
住宅ネタばかりでなく、もっとディープなその魅力を探ってみたいなと。
もちろん、住宅はメインなのではずすことはできませんが、
いろいろと他の話題にも目を配っていきたいと思います。
ということで、那覇は国際通りで、古酒・泡盛の類の店を物色しました。
「古酒屋」っていう、まんまの名前の店が最近元気がよさそうですね。
インターネットHPでもけっこう販売を伸ばしている感じ。
行く途中、なぜかキッチュな等身大の鉄人28号、ガメラが歓迎してくれました。
こういうワケわかんないディスプレイの感覚、大好きです。
土産品店って言う商売、あんまり興味はありませんが、
まぁ、北海道の熊の木彫りよりはすこしはマシな感じがいたしましたです。
いいんじゃないでしょうか?
で、古酒屋さんの店先の様子です。
店の前面は国際通りの他の店と調子を合わせて、
一見客・冷やかしさん向けのギミックものを扱っていました。
っていう、なんか理解不能な店構えなんですが、
お酒は奥まったコーナーで前後左右、すべて泡盛・古酒のフルキャスト状態。
そんなに人口も多くない沖縄、なのにこんなに種類いっぱいお酒があるんですね。
聞いてみると、これはどこの島の特産で、とかすごい地域色豊か。
泡盛が3年経つと古酒になるそうですね、
って全然知らないんですよ。(冷や汗)
あんまりお酒は飲まないので、これは友人たちとのパーティ用に
取り揃えておいとこうかな、くらいの軽いノリの買い物なんですよね。
自分じゃ、あんまり興味ないんで、店員さんが「これはいいですよ」
とか勧める、これが売れたら店が儲かるなぁ
っていうヤツをお人好しに買ったり、当てずっぽうによさげなのを適当に選びました。
まぁ、お酒好きな人は、もっと買い方あるんでしょうね、
すいません、いい加減なショッピングスタイルそのものです。
毎年、友人たちとオホーツクの海明け早々の毛ガニを取り寄せて
かにを食べるパーティをやっていまして
そのときに振る舞うための古酒なんです。
いちばん目利きできないヤツが買っていって、あとでバカにされるかなぁ?
まぁいいでしょう、どうせ酔っぱらってしまえば、あとは何を飲んでも一緒。
って、ちょっと乱暴ですかね、やっぱ。
友人たちの毒舌をたっぷり耳で楽しむ覚悟はできています(笑)。
ということで、あんまり役に立たないブログ記事で申し訳ありません。

沖縄の豊かな食生活〜中村家5

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いや〜、この家、いまにも暮らしがにおってくる臨場感。
写真は食堂・台所・隣接する食器、食材収納の様子なんです。
かまどがとっても大きくて、食堂側になんと3口の「コンロ」
台所側にはもっと大きな「コンロ」が2口。
そのほかにも右下写真のように、下ごしらえ用かと思われるコンロが1口ありました。
これだと相当の大人数の食事を調理できたことでしょう。
調理にあたる人数も3人くらいは必要だったと思われます。
左下の写真は、泡盛の瓶などが置かれている保存用食材などの収納室。
正面奥には格子の建具がはめられていて、食品の保存に配慮していることが明快。
食堂の隣、奥まった部屋です。
食事とともに、ここから酒を出してきて、楽しんだ様子が目に浮かんできます。
また、その様々な容器などから、沖縄の暮らし、食事の豊かさが、実感できます。
天井から吊されている収納容器がありますが、
これはネズミなどの食害から食材を守った工夫とか。
台所自体は土間空間全体のようです。
ここから外に出ればすぐに、井戸があって、水が得られる。
その右手には家畜の飼育小屋が隣接しています。
ハレの日などには、きっとその家畜をつぶしたりして、ごちそうにしたのでしょう。
沖縄らしく豚の飼育場所は分けられてスペースが確保されていました。
こういう毎日の食生活をかいま見られるスペースで
わかってくるのは、その家、その地方での本当の暮らし心地。
この家は、海からはちょっと高台に建てられていますが、
それでも車では、ほんの5分もあれば海辺に到達する位置。
昔の人の活発な行動範囲を考えれば、
この家で食された素材は、相当にバラエティ豊かなものが想像されます。
っていうか、まぁ、なんでも食べることができたのではないでしょうか?
沖縄は、薩摩に支配されていたとはいえ、中国とは定期的に交易を行っていたし
したがって昆布や俵ものと呼ばれる、中国人が好む海の幸の乾物など
日本全域、北海の海の幸までも流通させていた。
そのうえ、近海の海の幸は日常的に取れた。
豚料理は沖縄の十八番。
野菜の類も、市場などに行ってみると、本土とはまったく違う
でも、何ともバラエティ豊かな食材の宝庫。
なんて考えてくると、まさに天国に一番近い島だったのだろうか?
そんな豊かな生活を感じてきますね。
すいません、食いしんぼなもので、食べ物のことになると
想像力が無限に膨らんできて、止まらなくなってしまうんです(笑)。
って、最後はすっかり食欲の塊みたいになってしまった、
今回の「中村家住宅」シリーズでした。
でもいいよなぁ、こんな沖縄の食事を
楽しい歌や舞いとともに楽しんでみたいですよね、みなさん。

主屋・ウフヤ〜中村家4

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写真はウフヤ(母屋)と呼ばれる主屋の外観と、一番座(客間)、二番座(仏間)、三番座(居間)
という畳敷きの部屋を開放状態にした様子。
柱は、琉球王府時代に首里の士族の家屋を移したと伝えられ、
当時農民には使用を許されていなかった高価な木材を使用しているとか。
まさに夏を旨とした造りになっていますね。
第1に通風を考えて、壁をまったくといっていいくらい無くしています。
大きな屋根が南国の強い日射をさえぎり、その下に
開放的な日陰空間を作る、という意図が明確。
そういう意味での快適性は、図られていると言えるのでしょう。
軸組工法がもっている開放性が明快、ともいえますね。
さらに、周囲に植栽をこころがけて、
目にここちよい緑を映させ、その緑の保水した水分が風とともに
室内に流れ込んで、気化熱でさらに室内を心地よくする。
そのときには、南国特有の緑の強い芳香が室内を満たしてもくれるでしょう。
要するに「涼房」ということを建築的に追求している。
そういう室内気候の設計ということになります。
まぁ、日本的な家屋スタイルの沖縄バージョンです。
こういう空間の美意識がわたしたち日本人が
DNA的に持っているものであるのは、あきらかです。
夏を考えれば、こういう建築デザインはたしかにサスティナブル。
北海道や寒冷地域が生み出した高断熱高気密住宅は
こういう在来工法をどうやって「冬にも快適な住宅にするか」と
考えたものです。
この前に取り上げた岩手の古民家リフォームなどは、
わかりやすい努力の結晶といえますよね。
沖縄の、ゆったりと過ぎる、島時間の中で、
こういう住宅の素晴らしさを、ゆっくり味わってみるのもいいですね。

客間(アシャギ)〜中村家3

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建物の右手は客間です。
離れのようになっていて、賓客をもてなす部屋。
琉球王朝からの、いわば官吏を接待するために使われたようです。
1部屋は6畳ずつになっていて、2間あります。
この中村家は創建当初こそ、武士階級の居宅であったのですが
最初に触れた初代当主が仕えていた護佐丸という武将の没落に伴って
一家離散し、その後ようやくの思いで家が再興したという家系の歴史を持っています。
ですから、再興後は大農家、床屋的な存在だったようです。
江戸幕府時代、農家には6畳以上の和室が認められなかったそうで、
1室あたり、その広さ以内になっています。
ただし、板の間があったりして十分に広々としていて、
実質的にはかなりの富裕さを誇った家だったと思われます。
客間からは床の間を背にして、左手に塀、
背面・および右手は土留め石がぐるっと回されています。
台風などの風の被害から内部を守るように、保護されているのですね。
石積みの堅固な壁で囲まれた、安心感に満ちたここちよさがこの家の特徴。
それでいて、中庭は青天井の土間、みたいな空間ですから
いわば「中の外」的な、中間的な領域が広がっています。
強い南国の日射しをさえぎるために、大屋根がその庇をゆったり伸ばしています。
こういういわば外界への堅固さと、内部的な開放性というのが
沖縄住宅の特徴といえるでしょうね。
いろいろと写真を撮ってみるのですが、どう撮ってもなかなかにプロポーションがいい。
限られた材料を工夫しながら、完成しきった形に収まっています。
簡素ながら、こりゃぁ、きっとすみごこちのいい家だったこと
疑いありませんね。
折から、なぜか修学旅行風の女子高生さんたちがたくさんいたので
ゴロッと、横になったりとか、したくてもできませんでしたが
こういう空間で、沖縄の季節の移ろい、時間の経過をじっくり味わってみたい
という気持ちが強くなってくる家です。
きっとそういう気持ちが、住んでいたひとたちにも強くあって
愛着を強く起こさせたのが、この家が存続してきた大きな部分だったのでしょう。
できれば1日、寝起きしてみたい家ですね。

シーサーと屋根瓦

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中村家住宅続編の1です。
沖縄の家には、っていうか、建物という建物には
シンボルのようにシーサーが乗っかってたり、前で番兵していたりしますよね。
こんな地域性の強いシンボルって、ほかの日本の地域にはないといえます。
それぞれの家で表情豊かなシーサーがいて、とても楽しい。
ですがこの屋根に載せるという風習は、案外新しいのだって聞きました。
中村家にも屋根の上で、来客を思いっきり楽しくさせてくれるごらんのシーサー。
いかにも屋根瓦とマッチしています。
素材も屋根瓦と同様のものを使っているように見受けられますね。
沖縄の家はほとんどが寄せ棟で、それもまわりの塀よりも軒が
下がっている場合が多いようです。
だから外観プロポーションを撮影しにくい、という家が古い家には多い。
そして屋根は、ご覧のような重々しい印象の重厚な瓦葺き。
要するに、台風への備えなんでしょうね。
寄せ棟が一番、風の被害に対して強そうですよね。
まぁ、できれば丸い屋根にしたいところなんだけど、無理だから
寄せ棟を選択しているっていう感じでしょうか。
また、台風の時のことを考えたら
必然的に軒は低く抑えて、屋根が吹き飛ばされないようにしているのでしょうね。
重厚な瓦というのも、そういう配慮と考えれば、実に自然な選択です。
こういう屋根が、沖縄の家を特徴づけているのですが
現在でも、ほとんど全国ハウスメーカーの家を見かけません。
近年建てられている住宅はほとんどがコンクリート製。
やっぱり台風のことを考えたら、木造やプレハブはこの地域では
不向きなのだと言えますね。
そうしたものが、全国唯一といってもいい、
特徴の豊かな沖縄の街並みを作っていて、私たちを迎えてくれます。
ただ単に、温暖で海洋性の気候からだけ沖縄が好かれているのではなく
こういう豊かな地域性、個性のようなものが
一体となって沖縄らしい魅力を作っているのだ、
と考えるのは、わたしだけでしょうか?

中村家住宅ー1

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昨日紹介した世界遺産・中城城趾から車で5分ほどのところに
沖縄で一番ポピュラーな古民家、中村家があります。
わたし、今回で2回目の訪問になるのですが
前回は中城との関係とか全然知らず、一般的な民家住宅と思っていました。
ところが、すこしゆっくり訪問できた今回はいろいろな知識を得ることができました。
この家をはじめて建てた中村家初代の方は、
琉球王朝に連なる護佐丸という武将の建築的な師匠として
活躍された方のようなのです。
護佐丸というひとは琉球の戦国期にその築城術で知られたそうで
建築土木が得意であった、ということなのですよ。
日本でも、秀吉や加藤清正などを見れば、建築土木は深く戦争技術と
結びつきながら発展してきたことがわかります。
秀吉の「高松城水攻め」などの故事を見ればわかりますよね。
そういう知識を持って見れば、この中村家住宅は
琉球近世に活躍した建築家の住宅といえるわけですね。
もちろん、建築家とはいっても、現代のように個人主義とか自我の表現
というようなテーマを持って家を造ったりはしないでしょう。が、
はるかに伝わってくるそういう感性のようなものが
やはり多くの人たちを魅了し続けた部分はあるのでしょう。
だから、沖縄随一の古民家として永く愛されてきたのだろうと思います。
外観写真は、いわゆる建築のプロポーション全景としては
撮影できません。というか、塀で区切られた空間全域が住宅空間なので
塀と福木と一部屋根瓦が望める左側の写真が
この建物の外観と言うことになるのだと思います。
右側が間取り図・平面図。
塀を抜けて、沖縄住宅をあらわす「ヒンプン」という外部の衝立みたいなものを
回り込みます。右側がハレの動線で、右手の離れのような客間棟と
正面に主屋を望む広場のような中庭に出ます。
一方、左手に回り込むと家畜小屋・井戸や台所など
主に家事を行うために展開するであろう、ケの日常的動線の空間が広がっています。
って、なんだかリプランの取材記事を書いているようですね(笑)
でも、住んでいた人の人格的な素描が得られると
俄然、生活や息づかいのようなものまで
匂い立って感じられてくる部分もあるんですよね。
何回かに分けて、この住宅をご紹介していきたいと思いますので
すいません、きょうはここまで。
ブログにしては、突っ込みすぎている内容かも知れませんが
やっぱ、住宅だと面白くなって来ちゃいまして、
どうぞ、おつきあい願えればと思います(笑)。では、またあした。

世界遺産・中城城

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さて沖縄シリーズ、きのうはやや社会ネタで、皮肉気味でしたが、
きょうは少し歴史教養系ネタということで。
行ってきました。
これも気になっていた、「中城」〜なかぐすく〜城跡。世界遺産なんです。
あんまり知識がなかった分、現地で見て、もうぶったまげましたね。
一目見た感じは、南米なんかのインカとか、マヤの遺跡と通じた感じ。
同じように石積みしているからそう感じるのでしょうか。
石積み技術の圧倒的な歴史的蓄積を感じますね。
日本に開国を迫ったアメリカのペリーさんは
そのまえに沖縄を「訪れて」いて、この城を見て、とくに真ん中のアーチの門を見て
その建築土木技術水準の高さに驚嘆したのだそうです。
詳細な報告文を書いているそうです。
遙かな後年、アメリカが沖縄を攻撃した時期、
当時町役場が置かれていたこの城の建物や、その資料が
米軍に接収され、その技術が利用されると困るという狭小な考えから
軍国日本国家により貴重な資料もろとも放火され、灰燼に帰したそうです。
なんともまぁ、バカ極まりないことをしたものですよね。
しかし、木造の城郭建築は焼失しても、
炭素年代の永続性があるこの石積み構造群は、
この遺跡の価値を十分に伝えてくれます。
琉球王国は歴史的に中国との交易で栄えた貿易立国国家だったのですね。
その王様とは要するに商人的な存在だったのでしょう。
その富と力は、こうした大土木技術を発達させるだけのものを持っていたのです。
最近、与那国島沖の海底に発見された海底遺跡も、
その構造は、この中城とよく似た構造を持っているといわれています。
太古の昔から、琉球は、その地理的な位置から
こうした建築的文化を連綿と保持するような歴史年代を過ごしてきた、
誇り高い地域・国家だったのでしょうね。
一番高台の丘陵城からは、東シナ海と太平洋が一望され
ここが確かに軍事的にも、琉球にとって要となる要衝・要塞だったことは、まさに明確でした。
あした以降、ご紹介したいと思っている「中村家」住宅も、すぐ近く。
この城の城主に請われた建築技術を持った、中村家初代が建てた家なんだそうです。
ようするに昔の「建築家住宅」のようなんですよね。
ということで興味深い、沖縄シリーズ、もうすこし続けたいと思います。

国立劇場おきなわ

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前から気になっていたので、今回沖縄の芸能を見てみようと
くだんの国立劇場おきなわ、行ってみました。
沖縄って、那覇周辺では街と街がほとんど繋がっていて、この建物は
浦添にありますが、那覇市内から3km程度の臨海地帯にあります。
なんで、国立劇場が沖縄にもあるんだろうと不思議だったのですが
やっぱ、建設当時から物議を醸しているそうで、
鈴木宗男さんが沖縄担当大臣だったころに計画決定されたものなんだそうですね・・・
やれやれ・・・。確かにきれい事の部分では、沖縄は本土とは違う
異文化を持った地域であり、唯一太平洋戦争の戦場にさせられた地域であるので
日本国家は、その償いをしなければならない、のは理解はできる。
しかし、この建物の異様な立派さを見ると
ちょっと、文化とかとはまったく異質な決定プロセスだったことは直感できる。
国の税金をこういうふうにふんだんに浪費させて、建築業者を潤わせるのが
目的だった、といわれても確かに違和感はない。
非常に空虚な感じがする。 さて、存続できていくのでしょうか?
組踊という伝統芸能が沖縄にはあり、その存続がこの建築の主要目的なのですが
ちょうど行った日に上演されていた演目にはありませんでした。
東京の国立劇場は、ほぼ毎日なにがしか、上演されていて
充実した古典芸能の動きを実感できますが、さてここではどうなるのかなぁ。
スケジュールを見るとようやく週末ごとに1日1回の演目があげられていました。
ハードの建物には大量の税金は投入された。
それはまぁいいとして、その後、維持していくソフト・芸能への
大衆レベルでの支えるパワーというのは、どうなのでしょうか?
器ができれば芸能が存続していくというのは、ちょっと無理がある。
建物ができてしまった以上、こういうソフトに
ずっと税金を投入して、存続させていくしか、道はないのでしょう。
さてそういう環境の中で、面白さとか人気とかの、大衆に依拠しなければ存続不能な
「芸能」というものが永続可能なものなのか?
役者さんたちは頑張っていると思われたし、
独特の沖縄言葉で展開する沖縄芝居・ドラマはそれぞれに面白かったのだけれど
ちょっと複雑な気分で見終えた、というのが実感でした。

うまい、沖縄そば

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昨日、朝1番のフライトで東京羽田を経由して
沖縄に来ております。那覇直行便はJALで1本、10:50分頃があるだけ。
乗り継いで来ると、朝7:50発から、到着が12:40分でした。
家族の用事で来たんですけど、まぁ遠いけど、楽しいフライト。
小雪が舞い散る札幌から、一気に様々な花の香りがいっぱいの
むせかえるような春から初夏の沖縄。
すっかり血の巡りもよくなって、オリオンビールがうまい。
いいですよね、南国の空気って。ここにいるだけで癒されるものがある。
って、旅行者の勝手な思いこみなんでしょうか?
でも島の人って、すこしのんびりしたところがあって、
ゆったりした気分にさせてくれる部分が、ありますよね。
沖縄の食べ物って、いままであまりおいしいなぁ、っていうの食べていなかったので
今回はすこしディープ目に沖縄料理の店、さがそうとしております。
で、そんな目に飛び込んできたのが昼に食べた沖縄そばの店。
国際通りのはずれ、くらいの位置。まだ地理はよくわかんないので、ごめんなさい。
レンタカーを走らせていて、車窓越しに見た店の外観で
お、これは、と思えた店でした。即、駐車場を探して行ってみた次第。
昼と夜の2毛作営業のようですが、ぎりぎり間に合ってそばを。
ほえ〜、といううまさ。
腰がしっかりした麺、あっさりして薄味だけれど、濃厚なうまみのある汁。
麺は胚芽すば、という名のとおり。スープは鶏と豚でしっかりしておりました。
夜も楽しみにしていたので、軽く食べたのですが
一気にスープを全部飲み干す、予想を遙かに超えるメチャ旨さ。
沖縄では写真のように「すば」っていうようです。
夕方のための仕込みに忙しい中、変な時間に行ったのに
そばを振る舞っていただいた店主さん、ホントおいしかったです、ごちそうさま。
さてさて、今回の道中はどんなことになりますか?
っていっても、13日には帰るので、トンボ帰りですけれども、
せいぜいおいしいものを探してみたいと思っています。